第32話「覚醒するアリサ」
遅れて馬に乗ったバルドゥイン達黒鉄槍騎士団と魔術師達もやってくる。
「流石にアリサ様の箒は素早い。帝国の優駿が追い付けないとは」
私は持ち込んだ荷物から遠眼鏡やいくつかの簡単な魔術を発動する魔道具……言っちゃうと手榴弾を手渡していく。
「既に敵は並列陣形を組んで進撃しています」
「ならばいつも通り我々は縦列陣形を取りそのまま貫き穿つ。魔術師隊は我々が激突する直前に魔術が着弾する様、上空で待機せよ」
「了解しました」
バルドゥインの指示通り、私達魔術師は箒で高度を取り、おおよそ90m程度まで上がる。
矢の有効射程内ではあるが距離感の測れない空中へ向けての投射では狙って命中させるのはかなり厳しい距離だろう。
空から眺めてみると、王国軍の陣形がよく見て取れた。
まるで我々こそが国境線だとでも言わんばかりに、彼らは横隊を組んでゆっくりと進軍している。
「なんか妙だぞ……」
私は、その進軍の遅さに違和感を覚える。
平原での戦闘を行うのだ。となれば、主力は騎兵同士と弓矢。
であれば、横隊はまだしも、まるで徒歩での行軍かの様な遅さは何かがおかしい。
声送りの石で私はバルドゥインに通信を送る。
「バルドゥイン、相手の動きが何かおかしい様な。騎兵が居ない様に思えます」
「騎兵が居ない……まさか王国も魔術師隊を編成したのか?」
「どうでしょう……可能性はあります」
「アリサ様、今から先んじて攻撃を仕掛ける事は可能ですか? 私達も迅速に追いつきます」
「できます」
この為に上級魔術をいくつか学んできたのだ。私は他の魔術師隊を置いて先行する。
その後をわずかに遅れて黒鉄槍騎士隊の騎兵が追いかけてくる。
流石に帝国の優駿達だ。フル装備の屈強な男共を抱えているというのに、時速60km/hで飛行するアハト・ゼクスにも劣らない。
「この辺かな」
私は敵陣まで残り200mと言ったところで停止して、上級魔術を展開する。
「紅蓮の焔よ、空を翔けて一切を灰塵にせしめよ……」
炎属性の上級魔術を展開し、私はいつでも発射可能な状態で待機する。
「撃てます! バルドゥイン!」
私は通信でバルドゥインに確認を取る。
だが、帰ってきた言葉は予想に反したものだった。
「攻撃中止! 攻撃を中止してください! アリサ様!」
「はぁ!?」
下を見ると、バルドゥイン達黒鉄槍騎士団は反転し、一目散に逃げていた。
それを何体もの土くれの人形が突如として隆起して追いかけていく。
「攻撃を受けてるのになんで!?」
「ダメです! 彼女達を攻撃しては!」
「彼女達……!? まさか!?」
私は即座に遠見の魔術を展開し、敵陣の前方を注視する。
そこには魔術師の姿はなく、代わりに後ろに控える騎士達を護る様に聖女達が笑顔を顔に貼り付けて行進していた。バルドゥインを追いかけているあの土くれの人形は、あの聖女達の祝福によって動いているのだろう。
「攻撃します!」
「やめてください! 戒律違反です!」
「はぁ……!?」
「聖女を傷つける事は何人たりとて許されません!」
なるほど、王国の連中……!
この聖女の壁は、リガネ教の戒律を逆手に取ったあまりにも卑劣な戦術だ。
同じリガネ教徒同士の戦争ならば、絶対不可侵の聖女を盾にすれば、それはどんな堅牢な物よりも破る事が困難な最強の盾となる。
「私はリガネ教じゃないんだよ!!」
再度、炎魔術を展開するが、それさえもバルドゥインに諫められる。
「それでも祝福は受けています! 聖女を傷つければ祝福が解かれてしまう!」
言われて、私はルストフェルトの言葉を思い出す。
もしも異端となってしまえば、私にかけられた翻訳と不老の祝福は解かれてしまう。
そうなればこの世界を離れるか、それともこの世界へ永久に留まるか……二択を迫られてしまう。
「ぐぅっ!」
ついに土くれの人形はバルドゥイン達に追いついて、振り下ろした拳に巻き上げられた砂利が彼らを襲う。
「私が殿を務める!」
バルドゥインがそう叫ぶと、撤退する騎士団から離れて再度反転。
土くれの人形達に立ち向かう。
「無茶です、バルドゥイン!」
「私が止めないと皆が死ぬ!」
その膂力によって刺し貫いたバルドゥインの槍は人間が振るったものとは思えない程の威力を発揮して、土くれの人形を破砕する。
だが、壊れた側から人形は再生を始め、その間は動けなくとも他の人形がバルドゥインを襲う。
「ぐおおぉぉぉぉぉおぉぉぉぉおぉぉおお!!!!」
それでも雄叫びを上げながら、バルドゥインは人形の群れへと飛び込む。
「……隊長に続け! 彼を独りで死なせるな!」
何人かの団員もバルドゥインの後を追い、敵陣に戻っていく。
「どうせ死ぬのだ! 戒律などォォ!!」
死を前に一人の騎士が信仰を捨て去って、教えを無視して聖女を殺そうと人形達をすり抜けて吶喊する。
確かに術師である聖女を止めれば土くれの人形達は動きを止める。そうすれば団長のバルドゥインが助かる可能性はある。
しかし、敵も軍隊だ。そんな無理な吶喊をする者が現れる事ぐらい承知の上。
「がああああああああああああああっ!?!?」
一人、また一人と弓兵の餌食となり、死んでいく。
そして、吶喊する者が居なくなれば、今度の狙いはバルドゥイン達に向いてしまう。
「くっ!」
バルドゥインは馬を乗り捨て、即座に土くれの人形の真下へ潜り込む。
振り下ろす拳を槍で粉砕しながらやり過ごすも、代わりに馬が矢の餌食となり、嘶きを上げながら絶命してしまう。
「すまない……っ!」
状況は絶望的。他の魔術師達は、曲がりなりにもリガネ教の信徒だ。安全な空の上に居る者達に下で死が迫る黒鉄槍騎士団達の様に教えを捨てて突撃などできない。
かと言って、今の騎士団に王国軍の喉笛を噛みちぎる力はない。
「――覚悟は、してきました」
私は首に提げた憲章を取り出して握り締める。
「確かにこの世界は私の様な人間にとって生き辛い。リガネ教のせいでジーパンは履けないし、男の趣味とされるものを嗜んでたら眉を顰められる」
だったら日本の方がずっと、ずっと暮らしやすいに決まっている。
でも――。
「バルドゥインは、あの日私を守ってくれた」
エリに謂れの無い罵倒を受けた時。私は我慢するしか、耐えるしかないと思っていた。助けてくれる人なんていないと思っていた。
けれど、彼は私の下に駆けつけて庇ってくれた。
こうして幸せな日常を送る為に一歩踏み出せる様になったきっかけは間違いなくあの日あの瞬間が始まりだ。
「だったら今度は私が守る番でしょ」
私は紐を引きちぎり、炎魔力を憲章に流し込んで焼き尽くす。
その瞬間、今まで制限されていた全ての魔力が解放されて、身体中に力が漲って行くのを感じる。
「ルストフェルト、ごめんね。でも私は……帝国の皆が大好きだから」
貴方とバルドゥインだけじゃない。
エドガー、イゾルデ、シュテファニエ、ウォルフガング、アンリエッタ。まだまだ接点は少ないけどウルリヒとテオバルト陛下。
「環境よりも、私は人を選びます」
その瞬間、6門3対の魔法陣が翼の様に展開される。
その全てが、私の持ち得る破壊の魔力が込められた魔法を投射する為の砲口。
「クズ共、全員ブッ飛べぇぇぇぇええぇえぇえぇ!!!!!」
私はらしくない叫びをあげながら、砲口からありったけの魔法を放つ。
そう、魔法。魔術という詠唱を介したお行儀の良いものじゃなく純粋な魔力を形にして発射する。
それが着弾すると、敵陣は一瞬にして吹き飛んだ。
「あ、アリサ様……!?」
少しバルドゥインの方に目を向けると、彼を襲っていた土くれの人形達は一部が崩れていき、他の人形も混乱から制御を失い固まっている。
のどかだった平原は忽ち、噴煙立ち昇る地獄絵図と化して私の眼下には炎と雷によって焼かれ身体が爆散した死体が焦げた平原の真上に血の川を作っている。
私は聖女の壁を最強の盾と呼んだ。
だが、それは相対する者全てがリガネ教の信徒である事が前提だ。
窮地に於いて信仰を捨てる事が出来る者。その中で、全ての盤面を覆し得る者。
そんな人間はこの世界にはまず存在しない筈だ。異端者と誹りを受ける魔術師でさえ信仰を捨てていない世界なのだ。
そんな存在を……私という異端の魔女を勘定に入れる必要は本来なかった。
けど、私は今ここにいる。今、大量虐殺を為そうとしている。
私は再び第二射を放つ。きっと、あの壁を作った聖女も異世界から来た人がいるのだろう。
もしかしたら、私の世界から来た人もいるかもしれない。でも、あなた達は他人だ。
誰だって知らない人より知っている人を優先する。
命のやり取りをしているのなら、自分の大切な人を害するなら、なおの事だ。
けれど、彼らも馬鹿ではない。現場で指揮を執っている人間を仕留めきれなかった様で彼らは横隊陣形から密集陣形へと変化させ、全魔力を以て土をドーム状に形成する。
「ちっ……硬いな……」
私は何度か魔術を試してみるが、土で出来ているというのに岩よりも頑丈で、雷を受けても表面が焦げるばかりだし、かと言って攻撃をやめた途端、すぐドームは動き出す。
なるほど、スパルタが行ったとされるファランクスの祝福版という事か。
となれば隙を見て彼らは隙間を空けて、そこから矢を撃つ穴を作り攻撃を開始する筈だ。
騎兵が全力で撤退すれば逃げ切れるだろうが、いずれあのファランクスが後続の部隊を連れて私達の陣に押し寄せる。
そうなったら、イゾルデとシュテファニエが……。
「ここでぶっ殺す――ッ!」
私は箒で飛んで、バルドゥインの下へと駆けつける。
「バルドゥイン! 騎士団からランスを一本頂けませんか!? 返すのは難しいです!」
私の言葉を聞いて、彼は自分の握った槍をこちらへ放り投げ、それを私は箒にも使う反重力魔術で受け止める。
「私の特別製です! 12ルフトあります!」
って事は、おおよそ12キログラム! 十分だ!
私を見送るバルドゥインはもはやこれまでの様な……庇護すべき者へ向ける目線ではない。
自分と同じ、戦士へ見せる眼差しだ。
さぁ、バルドゥインの分け身ともいえるランスを受け取ったのだ。準備は万端。
「圧縮、燃焼、噴射!」
私はランスに……この世界での初めての発明であるジェットエンジン魔術を付与する。
その質量から箒とか矢とは比べ物にならない魔力保有量を誇り、瞬く間に音速を超え、なおも加速を続ける。
さぁ、宗教を笠に着たクズ共。私が今から物理学を教えてやる。
お前達の形成した土くれのドームは恐らく通常の土とは比べ物にならない質量と密度になっていて現代の戦車よりも堅牢な装甲と化しているのだろう。
だが、それでも「固体」である事は変わりない。
私が打ち出したバルドゥインのランスは音速の先の更に先、マッハ5に到達。
音の壁を抜けて、今度は熱の壁を突き破りその表面は断熱圧縮によって槍が赤く染まるほどに熱を産み出しているほどだ。
運動エネルギーは1/2×質量×速度の2乗。
つまり式に表すと0.5×12キログラム×1700m/s。
その計算結果からバルドゥインのランスが土くれのドームに衝突する際に発生する運動エネルギーは17340000J!
1トンの自動車が時速60キロで事故を起こした時に発生する運動エネルギーの124倍にも値するが、それだけじゃないんだなぁ、これが!
ランスはついにドームと衝突する。
その時、ドームの壁面はまるで溶けた様に穴が穿たれ、それを突き進んでランスはドーム内へ侵入していき……そして、爆ぜる。
壁面は槍が持つ熱で溶けたのではない、あの熔解は「ユゴニオ弾性限界」だ。
固体へ圧力が加えられた時、圧力の強さがある一定のラインを超えるとその固体はどろどろの流体みたいになってしまう。この状態になると、どんな硬さでも物体は貫通してしまうという寸法。
それの境界線がユゴニオ弾性限界。
私はバルドゥインのランスをあり得ないような速度でぶつけた事で、その限界を超えて無理矢理にドームの装甲を貫いたのだ。
そして、ランスにはもう一つの魔術を掛けた。
それは、爆散の魔術。
ランスに衝撃が加わった0.1秒後……つまり内部に侵入した瞬間にランス自体が砕けて飛び散るように設定した。
それは、私の世界でも恐れられている手榴弾と同じ原理だ。
手榴弾は映画のイメージで爆発で吹き飛ばしている様に見えるが、実際には爆発自体は大した事が無い。殺傷を狙う本命は爆発によって砕けた手榴弾の殻だ。
爆発によってバラバラに砕けた手榴弾の殻は超高速で飛んでくるガラス片の様なもの。
それを肉体へ突き刺す事で、敵に怪我を負わせるというのが手榴弾の原理。
私は、それをランスに行った。
爆発し、砕け散ったランスはドーム内に超高速で飛散してそれは中にいる聖女や兵士達に矢の雨が如く降り注ぐ。
針を突き刺すのとはわけが違う。破片が無理矢理に肉を突き破り、ずたずたに引き裂きながら身体を痛めつけるのだ。
そうなれば中に居る聖女達は死ぬか怪我で祝福を維持出来ず、土のドームは……自壊していく。
砂上の城が崩れ落ちる様に、高密度になったドームは中に居る兵士や生き残った聖女達を圧し潰して、更に崩壊の速度を上げていく。
5分もしない内に、奴らを護っていた防護壁は、彼らに牙を剥いて完全に倒壊した。
「これで世紀の聖女虐殺者かぁ」
神聖不可侵の聖女を軒並み殺した異端の魔女。きっと世界は私を許さないだろう。
もしかしたら、皆にも嫌われるかもしれない。でも、これで良い。
私は皆を守る事が出来た。それが、一番大事な事だから。




