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第18話「筆頭職人ヴォルフガング」

 さて、普通ならこれで楽しい休日と終わってしまうところだったが、そうとも言っていられないものを目にしてしまう。


「イゾルデ、少し聞くのが憚られるんだけど……ブラってしているの?」


「ブラって……なんですか?」


「下着の事なんだけど……あの、そもそも下着って着けてる?」


「してないですけど……そもそも身体付きを隠す様な恰好をしていた訳ですから」


 そもそも中世の頃では下着……私達がそう呼んで想像するものは、飽くまでも服を着た時に身体をより綺麗に見せる為の補正下着しかない。


 ファンタジー物で当たり前の様にブラジャーやショーツ等のランジェリー類が出てくるんだけど、どれも20世紀前半頃に発明された産まれたものだ。


 陰部を隠す為の下着が出るようになったのはフランス革命以降で、それでも腰から足首までを覆うズボンみたいな形状。


 それよりも以前の年代なファッション観で、かつ庶民だとなおさら下着を履くという文化が存在しないだろう。


 箒で飛ぶ実習の時にイゾルデが跨るのを渋っていたのも、これが原因か。


 またまた自分にとって当たり前だったからつい頭から抜けていた事だけど、確かに思い返してみれば私の替えの下着とかも補正下着を変わりに出されていた。


 あまりにも私が無頓着過ぎてまったく気にしていなかったが、しかし、イゾルデの身体を考えると放置しておく訳にはいかない。


 魔導特区まで帰ってくるなり私はすぐさま王宮へ足を運んで、ルストフェルトの執務室へと顔を出した。


「ルストフェルト、私が着ている様な下着を用意できますか?」


「……アリサ様もですか……」


 下着の件を話すとルストフェルトはすぐにばつの悪そうな顔で少し目を逸らした。


「もしかしてエリが先に頼んでました?」


「はい。ただ、この世界に同じ物はないので新しく作る必要があります……」


「何か問題でも?」


「帝都でそれが可能な職人は男性なのです。エリ様は男に自分の下着を作られたくないと……」


「あぁ……サンプル品として自分の物を貸さないといけませんしね」


「ですので……」


「わかりました。明日でも良いので、その職人さんは何処に居るのか教えてください」


「アリサ様!?」


 約1ヶ月ぶりとなるルストフェルトの「今の話聞いてた?」と言いたげな顔だ。


「ちゃんと完成するなら別に男でも女でも、誰が作ろうと私に関係無いです。参考資料なら渡しても構いません。そりゃ今履いているのを見せろって言われたらひっぱたきますけど」


「……貴方はそういうお人でしたね……わかりました。ただ、とても気難しい方ですので……むしろアリサ様は気が合うかもしれませんが」


「気が合う……?」


 次の日、講義と実習を終えた私はイゾルデを連れて再び上層街にやってきた。


 目的地は昨日、彼女の服を買った店、仕立て屋カスタルテ。


「あの、アリサさん……今日はどうかしたんですか?」


「ん? そうだね、イゾルデの将来に関わる大切な服を作ってもらうため」


「しょ、将来!?」


 その二文字を聞いて、のぼせ上った様に顔を赤らめている。


 何か変な勘違いをしたみたいだけど、でも実際に彼女の大きさからして絶対に必要な物だから言葉は間違っていないはず。


「いらっしゃいませ! あ、昨日のお客様! 司教様からお聞きしておりますので、すぐ工房へ案内致しますね」


 昨日の店員さんに連れられて、店に併設されている作業所へと私達は踏み入れる。


「すごい……」


 圧巻の一言だった。


 人数にして10人ほど。若い職人達がひっきりなしに服を縫っている。


 なるほど、確かにこれなら仕立て屋と言いつつ、ブティックを構えられる。


 機械が無い時代という事は即ち大量生産が出来ない時代だ。それは服も然りで、中世時代どころか産業革命以前は服屋なんてものは存在しなかったという。


 だというのに、現代日本と遜色のないブティックを作れるのは人海戦術の賜物。


 作業台の上に目を向けると全員分の手順書があり、彼らはそれに沿って作業を行っていて、中には手順書を見ずともスイスイ作業を進める手練れもいる。


 日本人は特別凄いとは思わないかもしれないが、この世界や時代では字が読めるだけでも優秀なのはイゾルデの時にも言った通り。


 それだけの教養がある人間なら手順書を渡すだけでもある程度の効率が見込めるだろう。


「奥のデザイン部屋でマイスターがお待ちです」


 店員さんが手で指し示した先にはこの作業場を見渡せる少し高い位置に作られた部屋があった。


 若き職人達が行うべき作業を指示して何を作るべきかを練り上げていく為の司令塔。


 そこに鎮座しているのが、この仕立て屋の筆頭職人であり、オーナーという訳か。


「マイスター。司教様のお客様がお越しです」


「通してくれ」


 店員さんがノックをしながら声をかけると、扉の奥から声が返ってくる。


「失礼します」


 彼女が扉を開き、私はその後ろに続いて部屋の中へと入る。


 椅子をこちらへ向けて足を組みながら座り直したマイスターと呼ばれる職人は、その予想に反して20代前半ぐらいの若い男だった。


 肩までかかる黄金の髪。その片側を編み込んで後ろにまとめている。


 シャープで精悍な顔立ちに鷹の様な鋭い目つき。もしも城ですれ違ったならば職人ではなく騎士と見間違えていたかもしれない。


「僕がこの仕立て屋のオーナー兼筆頭職人ヴォルフガング・カスタルテだ。司教から話は聞いているよ。なんでも下着を作って欲しいんだって? わざわざ僕を選んでまで作って欲しい下着とは、どんなものやら」


「これです」


 ニヒルな笑みを浮かべる彼の目の前へ、私は鞄から自分のブラとショーツを渡す。


 それを見て、彼は組んでいた脚を直し、即座に手を取った。


「……ふむ、君はこれと同じ物を作ったとして、いくら出せる?」


「むしろいくら欲しいんですか? 言い値を払います。限度はありますが」


「金貨100枚」


 ヴォルフガングはぶっきらぼうにそう答えた。


 隣の店員さんは慌てた様に声をあげるが、すぐに彼が制止する。


「わかりました。金庫から持ってきます」


「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て!!」


 私が店から出ようとすると、それも止められた。


「冗談だ。確かにコイツを作るとなると金貨100枚も請求したくなるがな」


「じゃあ、実際にはいくらでやってくれるんですか?」


「お代は……そうだな、城のメイドや他の聖女候補に僕が全く新しい下着を作ったと宣伝してくれ」


「そんなので良いんですか?」


「あぁ。君から100枚要求するのは簡単だが、そんなもの足元に及ばない財産が築けるからね」


「高く買いますね。ただの下着でしょう?」


「召喚者くん、君の世界では安物なのかい? これは」


「銀貨1枚から3枚で買えますね。銀貨1枚1000円と仮定した場合ですが」


 まぁ、向こうの価値で言ったら銀貨は3000円では収まらないかもしれないけれど。


「ではアリサくん。この下着はね、これ一種類だけで店が開ける代物だよ。他の服を置く必要が無いほどだ」


 驚いた。ランジェリーショップという概念どころか服屋という存在だけでも無さそうな世界で、そこまで見通せるとは。


「まずはこれだ。これは良い、非常に素晴らしい。見るだけで女性物と分かる」


 そう言いながら、彼は私のショーツを掴むと、それを指に引っ掛けてクルクル回す。


「そういう事されるとあまり気分が良いものではないのですが……」


「おぉ、これは失敬。ところでお二人さん、カルソンという下着を聞いた事は?」


「いえ、全く……」


 イゾルデは首を振って、その後に私の方を見上げた。私なら知ってるかもという期待の目線だ。

 

 彼女に期待されちゃ、応えるってのが大人の女性だね。


「腰から足首まで覆う下着ですね。この世界にもあったとは」


「あぁ。僕も実物は見た事がないがね」


 ヴォルフガングは鼻で笑って、ようやく手にした私のショーツをテーブルの上に置く。


「下着としては優秀なんだが、異性装として糾弾されて数年もしない内に廃れてしまったんだ。嘆かわしいことにね」


「けど、これなら異性装と言われないと」


「既に似た形の装備が存在しているからね」


「そんなものがあるんですか?」


「ビキニアーマーと言ってね、甲冑をオーダーメイドする金もアテもない女冒険者が仕方なく着るお鎧がある。それのボトムスと形状が似ている」

 この世界には実在するんだ、女戦士……。


「話は逸れたが、ともかくとしてこの下着は異性装と指摘されず、それでいて不格好じゃない。現代の女性が口に出せず抱えている問題を綺麗さっぱり解決してみせるものだ」


「そこまで言ってのけますか?」


「恐らく構造次第では胸を大きく見せる事も小さく見せる事も出来て形も整えられる。今と未来、両方の美的感覚に対応出来るだろう。これを僕のネームバリューをつけて少し噂を広めるだけで宮中の女達は我先にと店へ買い求めに来るのは想像に難くない」


 まるで100年200年先を見てきたかの様に、ただ二つの下着を見ただけでそこまで予測してしまうとは。彼は紛れもない天才だ。


 確かにルストフェルトが彼にしか作れないと評価する訳だ。彼じゃなければ現代と同レベルの下着は再現出来ない。


「そうだな、貴族連中には僕自身が手掛けるオーダーメイドを作ろう。金を積んでも自分の身体に合った物が欲しいというのは世の常だ。その上で庶民向けに弟子達の既製品を並べる。経営戦略としてはこの形で行こう」


 彼はブツブツと独り言でこれからの展望を呟いていく。


 職人としても天才だが経営者としての思考力も携えている。自分の技術を勘定に入れて組み立てられる事の強みが凄まじい。


「どうしてそんなにも……なんていうか……」


「職人らしさが無い、かな?」


「そうですね。根っからの商人ですよ、貴方」


「そりゃそうさ、僕は貴族だからね。辺境の村娘と召喚者が知らないのも無理はないが」


 お道化たようにヴォルフガングが手をひらひらさせると、店員さんがため息を吐きながら彼の横に立つ。


「このお方は黄金騎士の名で知られる巨万の富を築いたカスタルテ家の御長男。本来家督を継ぐ筈の人物でございます」


「サー・ヴォルフガングと呼んでくれてもいいよ。まぁ、卿の名前は弟に譲ったから今は平民の扱いだがね」 


 そういうと、彼は誇らしげに胸を張り、再び足を組む。


「なんで地位を捨ててまで職人に? そのまま騎士を叙勲できたでしょうに」


「剣を振るよりも針で糸を縫う方が楽しいからさ。それが金儲けになるのだから、なおのこと素晴らしい!」


 飽くまでも、服を作るのは彼にとって道楽らしい。金儲け好きは血筋かな。


 だが、腕前はもちろん、人海戦術で既製品を量産することで服を着る楽しみと服を飾る楽しみの両方を庶民の手が届く範囲まで拡げた事は、帝国ファッション史に永劫刻まれるまさに偉業だ。


「さて、それでは早速製作に取り掛かろう。サイズを測るので女の助手を連れてくる。君たちが僕で構わないならこのままやらせてもらうが?」


「すみません、女性の方でよろしくお願いします」


 そして、破天荒な彼でも流石にモラルはあるらしい。もはや特徴となったニヒルな笑みを浮かべながら彼は作業場へ降りていく。


「その……坊ちゃまは婦人服にしか興味が無いだけで、本当はとても思いやりのあるお方なんです……」


 店員さんがとても申し訳なさそうな表情を浮かべながら、私達に頭を下げる。


「とても丁寧な接客をなされると思っていましたが、貴方はカスタルテ家のメイドだったんですね」


「はい。アンリエッタと申します。今はこの仕立て屋の店員ですが」


 店員さん改め、アンリエッタさんはわき目で作業場を覗く。私もチラリと見てみると何やら職人達を集めて、色々と説明をしている。


「坊ちゃまは幼い頃より奥様のドレスやメイドの給仕服に興味が尽きないご様子で、いつの間にか私たちの仕事場に潜り込んでは裁縫道具を持ち出して服を縫い、メイドに賜っておられました」


「アンリエッタさんも貰ったクチですか?」


「本当に一番最初の、今では考えられないほど拙い物ですが」


「宝物ですね」


 一瞬、アンリエッタさんは驚いた表情で私の顔をまじまじと見る。


 私だって人情が分からない訳じゃない。


 拙くても粗末な出来でも、誰かに初めて作って貰った物は嬉しいんだって事を私も理解できる。


 アンリエッタさんは微笑むと、顔をすこしだけ紅潮させて答えた。


「はい。金貨一千枚渡されたって譲れない、一生物の家宝です」


 その直後、部屋の扉は開け放たれて、女性職人2人を引き連れてヴォルフガングは戻ってきた。


「待たせた。今後の製作に携わる選定もついでにやってきたのでね……ん? どうかしたか、アンリエッタ」


「いいえ、少しだけ思い出話に花を咲かせていただけです」


「そうか。では暫く私は作業場に降りている。測るのが終わったら呼んでくれ」


 そう言い残して、彼は颯爽とまた下へ戻っていった。


「きっと100年後には国宝になりますよ」


 私はさっきのアンリエッタさんの言葉へ微笑みながら返事を返す。


 ヴォルフガングならきっと、歴史に深く名前を残す人間になる。


 そんな男が最初に作った服は、全ての職人を、芸術家を志す者にこう思わせるはずだ。


『あの天才だって、初めての時はこんなにも拙いものを作ったんだ』


 それは誰もがヴォルフガングの様な天才になれると勇気づける雄弁な作品になる。


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