第12話「初めての女友達、初めてのお茶会」
私はイゾルデさんを連れてルストフェルトの執務室へ駆け込んだ。
挨拶もそこそこに私はさっさと概要だけを伝えて、真偽の判断を仰ぐ。
「ポーネ村に派遣されたビゾン司祭は敬虔な信徒として評判で、だからこそ辺境の村々を任されているのですが……」
「でも……」
「火が無いところに煙は立ちません。ましてや証言が出たとあれば、調査せざるを得ないでしょう」
「良かった……」
「ただし、もしもこれが虚偽の証言だった場合、イゾルデさんは罰せられます」
その言葉を聞いて、イゾルデはビクッと震える。
「仮に真実だとしても証拠が出なければ同様に人を貶めようとした罪に今度は貴方が問われます」
「ルストフェルト、あまりイゾルデさんを怯えさせないで」
「すみません。ですがそのリスクが存在するのは事実です。その覚悟を以て貴方はビゾン司祭を糾弾しますか?」
ルストフェルトは飽くまでもイゾルデの事を想ってそう言っている事は私にも分かる。
だがしかし、言われている当人からすればもし間違っていたらお前が悪いんだぞと脅されてるようなものだ。
それでも、イゾルデは気丈にも胸を張って口を開く。
「私はアリサ様を信じます。アリサ様を信じて罪に問われるなら私に異存はありません」
「とても、信頼されている様ですね」
「いやぁ、凄い責任重くのしかかっちゃうなぁ」
ルストフェルトは微笑むと、すくっと立ち上がった。
「わかりました。司教としても背信行為を見過ごす訳にはいかない事柄です。すぐに調査を手配致します。イゾルデさん、故郷へ帰るのはその結果を待ってからで構いませんね?」
「はい……」
「その間、貴方は魔術師見習いです。学ぶ事を怠ってはなりませんよ」
「わ、わかりました……っ!」
という事で、私達は寮へと戻る。
結果は2、3日もしないですぐに返ってきた。
「調査の為に向かわせた使者が訪問した際、ちょうど司祭が修道女に対して清めと称して性行為を働いていました。いま、余罪を追及していますが……既に分かっているだけでもこの通りです」
そう言って、証言や証拠をまとめた書類をルストフェルトは私に回す。
「えっとなになに? 十代の村娘3人に少年、少女、人妻若干名……村の修道女の内7割は手をつけられていて……節操無しか、こいつ」
「淫行を働いた事は元より、少年。つまり同性愛はリガネ教では重大な禁忌です。それも司祭がやったとなれば、極刑は免れないでしょう」
「極刑……」
確か一人で12000人売春して日本全国の校長が平均して1.2人売春している計算になってしまうレベルのバカをやらかした男が懲役数年と退職金全額返納だった筈。
それと比べたら淫行で極刑というのはあまりにも重すぎないか。
「アリサ様の言いたい事はわかります」
「顔に出てました……?」
「えぇ。ですが、これは経典に定められた罰です。これを覆す事はなりません。ましてやそれが信徒の規範になるべき聖職者がその立場を利用したとあれば厳粛に裁かねば示しがつかないのです」
「……私からは司祭の判決にはこれ以上何も言う事はありません。異世界の私が差し出がましく口出しした結果ですし」
「そう自分を卑下にしないでください。アリサ様がイゾルデさんを想って行動に移さなければ多くの女性が今後も不当に騙され、被害を受けていたのですから」
「司祭は何か言っていましたか?」
「誰からの証言か伏せていたにも関わらずイゾルデさんからの告発だと気づき、聞くに耐えないほど口汚く彼女を罵っています。自分が誰に何を為したのか、よく理解している様子です」
「なんというか、何と口にしていたのか目に浮かびます」
とにかく、とんとん拍子に事が済んだので、司祭の話はもうこれで終わりにしよう。
それよりも、私がルストフェルトにしたい話は別にあった。
「どうしてイゾルデさんを落第にしたのか。教えてくれませんか?」
「……聖女には彼女の能力は不足しています。残念ながら」
「でも彼女はちゃんと魔力がある。それに頭が良い。私の教える事をすぐに飲み込んで……きっと私より賢いと思います」
「信じて貰えないようですね」
「彼女で足りないなら、もっと落第にすべき人がいます。素行でも、能力でも」
私がイゾルデの事をいじめていた候補達の事を言っていると分かって、ルストフェルトはため息をついて額を指で押さえる。
「わかりました、話しましょう。ですが既に受理されているので覆す事はできないという事はご了承ください」
私が頷くと、ルストフェルトは顔をしかめながら、ゆっくりと口にする。
「彼女を落第にした理由は貴方が仰った通り、イゾルデさんは賢いから……賢すぎるからなのです」
「は……? なんでそれが……」
「アリサ様には、当たり前のこと過ぎて気づいて貰えないのですが、彼女は本来であればあり得ない事を為しています」
「あり得ない事……?」
「イゾルデさんは……字が読めます」
「そんな普通の……あっ!?」
私はこの世界の事をわかったように思っていて、何もわかっていない。なんと愚鈍な事だろうか。
日本では識字率100%だが、2000年時点でさえ文字を読めない人間は世界総人口辺り50%以上存在していた。
中世ヨーロッパまでさかのぼると、文字を読めるのは貴族や学者などの知識人ばかりで農民は文字が読めない。
一般市民が聖書を読めるようになったのはルターによる宗教改革が起こって以降の話。
ルストフェルトに言われて振り返ってみれば、すぐに矛盾に気付けた。
司祭は女性が知恵をつける事を女性らしくないという考えを持っている。
そんな男がイゾルデに、ましてや他の村の女性に文字を教える事なんてありえない。
仮に村の男性達に教えていたとしても同様の考え方が罷り通っているのだから、教える筈がない。
なのにイゾルデは聖書の内容を「司祭に聞かされた」ではなく「聖書で読んだ」と話していた。
それは、彼女が文字を読める事に他ならない。
辺境の農村出身であるイゾルデが聖書を読み、それを聖女リガネの物語であると理解するのは赤子がシェイクスピアの書籍を読解する程に不可能だ。
イゾルデはそんな不可能を可能にできる頭脳を持っている少女……。
「彼女は深い信仰心と聡明な知能を兼ね備えた才女です」
「それなら尚のこと……」
「いいえ、彼女をあのまま聖女にするのはあまりにも残酷な事です。彼女はその賢さが故に、いずれ教えに疑問を抱いてしまうでしょう」
「あの子は……私も気にならなくて聞き流してしまう様な事も興味を抱いて、すぐに何故どうしてと質問をしてくれました」
「その好奇心を満たせる答えを私を含め、どの司祭も与える事はできないでしょう。同僚である他の聖女からすれば教えに疑問を持つ事それ自体が異端に見えます。それは彼女の敬虔さにはあまりにも酷です」
「だから、夢を夢のまま終わらせて故郷へ帰らせる方がまだ幸せだと?」
「信仰を曇らせない様に務める事もまた、司教の役割ですから」
「……ごめんなさい、少し感情的になりました。ルストフェルトも辛い役目を担ってくれたのに」
「構いません、嫌われ者には慣れています」
そう言って、ルストフェルトは苦笑する。
「それと今後の事ですが、イゾルデさんをこのままアリサ様に任せても構いませんか?」
「大丈夫です。今更彼女を放っておけませんから」
「ありがとうございます」
そうして、私はルストフェルトの執務室を後にした。
ちょうど実技が終わった後みたいで、この前の様に一緒に帰ることになった。
「本当に、司祭様の件はありがとうございました、アリサ様」
「違うよ。勇気を出して告発したイゾルデさんの功績」
「でも、貴方が私の手を引いて司教様の元へ連れてくださらなければ、あのまま私は故郷に帰った後も同じ様に騙されていました」
「……もしかしたら、貴方なら間違っていると気づけたかもね」
「え?」
「ううん、なんでもない」
そうだったとしても、気づかれるのを恐れた司祭によって異端の誹りを受けて……それ以上の事は考えたくないな。
「あの、アリサ様……」
「何?」
「私って、若いですし、健康ですし、こう見えてタフなんです」
「うん。とっても良い事だ」
「な、なので、私の身体を好きにしてください!」
うん。また話が一速から四速まで飛んだね。
確か、頭の良い人は頭の中で色々と考えて展開が広がっているうちに話が飛んでしまうと何処かで聞いた。
イゾルデさんは賢いからいきなり破天荒な事を言い出すのはそういう理由なんだろう。
「ごめん、順序を立てて、なんでそう言ったのか教えてください」
「あっ、ご、ごめんなさい……私の変な癖で……」
「大丈夫だよ、大丈夫」
「えっと、魔女って色々な実験に生きた動物を使うじゃないですか?」
「……さぁ?」
そうなの? この世界ではそうなのかもしれない。
「なので、もしもアリサ様が何か実験に使う時、私を使って欲しいんです」
「えぇ!? なんで!?」
「私、アリサ様に恩返しがしたいんです。その為ならどんな怪物になっても構いません! 実験動物に不足しているなら、召使いでも……!」
小さくて(注:180cmの私と比べて)胸の大きい従者か……いやいやいや。
イゾルデさんは頭が良い割になんかこう、信望するものには盲目的なところが見受けられて、とても危ういな。
私がここで裸になれとでも言ったら本当に裸になってしまいそうな雰囲気がある。いやいや、流石に言わないけど。
「あのね、イゾルデさん。私は従者も実験動物もまだ要らないの。そういう魔術師になるかも分からないし」
「じゃあ、どうすればこの御恩を返せるのでしょう?」
「こうしましょう。まずアリサ様っていうのをやめる。これから貴方と私は対等です」
「そんな訳には……」
「貴方は辺境の農民。逆を言えば、エドガーやルストフェルトみたいに私への態度で品格を問われる様なしがらみはない」
「そう……でしょうか……?」
「だからこれは命令ではなくてお願い。私の、初めての女友達になってくれませんか?」
「友達……」
「私って変に男勝りだから日本じゃ同性の友達居なかったんだ。だから、イゾルデさんと仲良くなれるかもと色々苦心してた」
「で、でも、アリサ様はそんな風には……」
「様はやめる」
「あ、アリサさん……これでいいですか?」
「まぁ、いいかな」
再び、私達は寮へと戻り、部屋の前で立ち止まる。
「中学生の頃にね、貴方みたいな小さくて可愛くて、私に懐いてくれる後輩が居たんだ」
「ちゅうがく? こうはい?」
「そう。でも同性には私の事を理解出来ないって私が勝手に壁を作ってた。もしかしたらその後輩が初めての女友達になってくれたかもしれないのに」
「それなら……」
「でも、今はそれを自覚する事が出来て、だから貴方と仲良くしようと思えた。大事なのは今この時だから」
「……アリサさん……」
「だからこれからは貴方のことをイゾルデって呼び捨てにするけれど、大丈夫?」
「憚ることなんてありません……むしろこんな私を友人と言って貰える事が光栄で、嬉しくて……」
「よし。じゃあちゃんと友達になれたっていう記念に、私の部屋でお茶会しようか。この前来た時は何も出せなかったけど、茶葉とか仕入れて貰ったんだ」
「……はいっ!」
こうして、私は27歳にして人生初めての女友達とお茶会を開く事が出来た。