第1話「聖女候補、アリサ」
魔女と言えば、箒に跨って飛ぶものだ。それは私も例外ではない。
だが、私の持つそれは箒と呼ぶにはあまりにもイカつい。
まず1m半ある持ち手の半分がバイクの胴体みたいな細長い白と黒で塗られた箱に覆われていて、柄の先には4つの紫色の結晶……この世界では魔石と呼ばれているものが水平対向の形で並んでいる。
あまつさえ、跨った際に左手側の側面に来る場所にはシフトレバーがついていた。
そう、車についてるアレ。それもオートマ車の簡単な奴じゃなくてマニュアル車の。
空を飛ぶ為にしか使えない箒だ。取って付けたような穂先は一度も使ったことがない。
私は跨った状態で右側面にある紫色の面に手を触れる。これはいわば指紋認証キーみたいなもの。
すると魔石は輝いて、次いで私の目の前に光で構成された自動車そのままのメーターが宙に表示されて、箒もふわりと浮き上がる。
また、右足元に二つ、左足元に一つ。メーターと同じく光で作られた半透明なペダルも生まれる。右の二つがアクセル、ブレーキ、左がクラッチ。
アクセルとブレーキは当然として、クラッチはわかる? マニュアル車だけにしかないんだけど、シフトレバーをガチャガチャやるときに踏む奴。
私は右のアクセルと左のペダルを踏みながらシフトレバーを左上に倒すと、ゆっくりと左のペダルから足を離す。
それに合わせて箒はゆっくりと進みだして、ある程度の速度が乗ったらまた左のペダルを踏みこんで、レバー再び操作する。
あとは流れ作業。メーターの片方が示す回転数に合わせてシフトレバーをがちゃがちゃ操作して、その度に天井に届いた最高速度が解放されて、表示されているメーターが示す速度は現在100km/h。
まだまだ上昇していく。
こうやって色々と操作しながら段階的に速度が高まる瞬間に生きてるって実感できる。
数キロ飛んだ辺りでゆっくりと止まると、私は眼下に広がる平原に展開する数千、数万にも及ぶ大軍勢を一望する。
私は彼らに向けて10メートルまで届く数々の魔法陣を私は羽の様に拡げて、そこからいくつも巨大な雷や火球を発射。
一回で終わりじゃない。平原をさらい取るように兵士達の上空を飛び回りながら魔法による爆撃を繰り返す。
数十分経つ頃、あれだけいた大軍勢はわずかな生存者のみを残して壊滅した。
私の名前は香月アリサ。日本の自動車メーカーで働くしがない会社員。
なのにどうしてか、異世界で魔女をやっている。
元々は聖女候補として喚ばれた筈なのに……。
時は遡ること1年前。
私は会社のストレスを発散する為に高速道路を愛車で突っ走っていた。
男系家族に産まれた私は、すっかり所謂男性趣味であるところのメカアニメやら自動車やらにハマっていて、それが高じて自動車メーカーの開発部に就職した。
けれど私を待っていたのは同僚、上司からのハラスメントの毎日。
この時代にもなって未だに女性が車の仕事に携わる事に偏見を持つ連中が多いこと。
事務職のOL達とはそりが合わない。そっちでもハラスメント三昧だ。
なぁにが男選び放題だ。バカじゃないのか? 誰がハラスメントする男を選ぶんだ。
昔からそうだった。
趣味が男寄りだから話し相手がたまたま男に比重が傾いていただけなのに、媚びているだのなんだのと謂れの無い言葉を吐かれ続ける学生時代。
家族に相談しても、気にしなければいいなどと他人事みたいな扱いだ。
工業高校に進学してそれなりの成績を出していたら、今度は男から女の癖に生意気だと時代錯誤のやっかみを受ける始末。
思えば、その頃から将来就職した会社で受ける事の縮図はあったのだろう。
だが、若い私はそんなこと気づかないで生きてきた。
それで今は27歳。日常のストレスを給料で買った車に乗って発散する毎日。
けれど、それさえも最近は億劫になってきた。
どれだけ業績を上げても女性の指示だと受け入れたがらない人もいるからっていうクソみたいな理由で昇進できなくて給料も上がらないからガソリン代も正直厳しい。
他のメーカーも似た様なもんじゃないか? という考えが邪魔をして転職もなかなか頭が働かない。
「……男に産まれたかったなぁ……」
少しだけ目頭が熱くなって涙が滲む。
途中のパーキングエリアに立ち寄って、私は自販機からコーヒーを買う。
22時を過ぎて、誰も居ない静けさに包まれながら私はチビチビと無心で飲み干す。
「帰るか……」
私は独り言をつぶやきながら缶を捨てて、踵を返す。
その時、出入り口の方からコツコツと靴音を鳴らしながら金髪オールバックの見るからに外国人という雰囲気の長身な男が私を見つめながら歩いてくるのが目に入る。
その男は、まるでヨーロッパの貴族が着ているような明かりに照らされて煌めく刺繍が縫われた服を着ていて、明らかに異質だ。
そして、その男は私から碧い瞳を真っ直ぐ向けたまま、こちらへゆっくりと近づいてくるではないか。
「えっと……は、ハロー?」
やはり外国人はデカい。
高校生の頃から男子と比べても長身で今は180センチくらいあるんだけど、そんな私よりもこの男は少し大きかった。
「香月アリサ様ですね?」
相手の口から出てきた言葉は、日本語だった。
「え? は、はい……」
私が肯定すると、彼は機敏な動作で右手を左胸に当て会釈する。
「私はルストフェルト・シュナイダー。ロッテンブルク王朝シュベルト帝国にて司教を任されております」
司教……えっと、確かその地区で一番偉い司祭だったか?
というか、まったく聞いたことのない国の名前だ。
「それで、その帝国の司教様が私に何か用ですか?」
「貴方を聖女候補として帝国へ招待する為に伺いました」
「聖女? 私が?」
「はい」
何かヤバい宗教の勧誘だろうか? それだと出入り口を塞がれているこの状況は非常にマズい。
「えっと、そういう宗教には興味無くて……」
「リガネ教を信仰する必要はありません。ただ貴方の魔力を以て騎士達に祝福を与え加護を行うだけで良いのです」
「あの、私にはそういう超能力なんてありませんよ……?」
「そうでしょう。今はただの一般人なのですから」
よくわかっているじゃない。
そう、私は一般人。
聖女なんていうファンタジーなものとは無縁だし、そんなものに夢見る乙女でもない。
「ですが、私達の世界であれば話が違います」
まるで、別世界から来たかのような口ぶりだった。
だけれど、この現代で中世ヨーロッパから来たような恰好と独特の宗教観。
そして、見たことも聞いたこともないような国の名前を言われると、少しだけ信憑性がある。全部、彼の言うリガネ教の妄想とコスプレかもしれないけれど。
「貴方からは高い魔力反応があり、我々はそれを評価し、勧誘へ参りました」
「そんな漫画やアニメじゃないんだから……」
「また召喚するに辺り、我々は身辺調査も行いました」
それって、集団ストーカーという奴では?
「今の所属する組織に大変不満を抱えていらっしゃるようですね」
「……なんでそんな事が分かるんですか?」
「これをご覧ください」
そういうと、タブレット程度の大きさをした見たこともない半透明の結晶で作られた板を取り出す。
そこにはパワハラを受けた直後にゴミ箱に八つ当たりしている私の写真が、すぐ真横に居ないと撮れないようなアングルで映し出されていた。
「こ、これ……いつの間に撮ったの……!?」
「異世界から覗き込みました。あなたの私生活を盗み見る真似をして申し訳ありません」
「ほ、本物?」
「にわかには信じがたいでしょうが」
「あの、そんなに私じゃなきゃダメなの?」
「召喚候補者の中でもすこぶる高い魔力反応から最も注目されてはいます。ですから司教である私が出向きました……ですが、あなたでなければならない理由はありません」
「は……?」
特別感を煽るべき場面で彼はそんな事をあっけなく口にしてしまい私は思わず呆気に取られてしまう。
「他にも数名、異世界から聖女の候補として高い魔力反応があり、あなたと同様に現在の自身が置かれている環境に不満を抱いているであろう人物を中心に勧誘しています。その方が断られにくいからです」
「えっと……それって嘘を吐いてでも言わない方がよくないですか?」
「すぐにバレますし、不誠実です」
ルストフェルトさんは何の迷いもなく生真面目にそう言った。
「どうか、我々の聖女として召喚を受けてはもらえないでしょうか?」
最後に、彼は私の前へ跪いてそう言った。
「煽てるとか、もっと上手い勧誘の文句があるでしょうに。そしたらコロっと誘いを受けるかもしれないですよ?」
「その謳い文句が嘘だと後になって知り、貴方が傷ついてしまったら意味がない」
最初のうさん臭さと反比例するかのようにルストフェルトさんはどこまでも愚直で誠実な男だった。
「ぷっ……くくくっ……」
思わず、笑いがこみ上げてくる。
それを見て、ルストフェルトさんは何か変な事を言っただろうかと言わんばかりに目を丸くして首を傾げる。
「笑ってごめんなさい。でもわかりました。召喚に応じます」
聖女とかどうでも良い。ただ、彼が私に対してあまりにも愚直に誠実だから……つまりはこの人が気に入ったから、少し話に乗ってあげようと思えた。
「ありがとうございます。それでは早速向かいましょう。私の手を取って頂けますか?」
「これで良いですか?」
ルストフェルトさんが差し出す手を握ると、彼は空いている手を掲げる。
そして、光が弾け――いつの間にか、王宮の広間にいた。