第二話 ≪Second Fire。エンプレス(4)≫
愛子は母とともに病院に行った。愛子の表情は曇っていた。幼い頃から、愛音は何度も入院したことあるから。今度もそうなるかとずっと心配していた。
(また入院するのかしら…。)
病院の廊下。待機する愛子はそわそわした。椅子にも座らず、いつ開けるかわからない扉を見ていた。円運動の問題の物体のように同じ場所を回っていた愛子は、診察室から出る母を見てすぐ走ってきた。
「お母さん、大丈夫?怪我してない?」
愛音は愛子を、娘を見た。そう、両親をなくしたとしても、家族をなくしたわけではない。愛し合い、支えられる家族がいる。どうして忘れてただろう。守らなくてはいけない大切な宝物が手のひらにあふれているのに。失ったものだけに集中して、大事な人を危険に巻き込まれた。
(『失格』か…。)
いつかの愛音は、帰ってきた姉を見て『戦士失格』と叫んだ。そして今、愛音は自分を同じ言葉でせめつけていた。
(私こそ『母失格』じゃない。)
心の痛みはいまだ消えない。でも、座り込むわけには行けない。乗り越えなければならない。痛みさえ抱きしめて歩いていくのだ。立派に立ち上がった、あの時の姉のように。
「心配かけてごめんね。」
愛音はそっと手を上げ、ゆっくりと娘の頭を撫でた。
「お母さん、大丈夫。ちょっと疲れただけ。」
「じゃ、入院しなくていい…?」
愛子の瞳にはまだ不安が滲んでいた。愛音は驚いた。数年前、何度入院したことを娘は覚えていた。もう忘れたはずだと思ったのに。愛子はずっとあの時のことを気にしていたみたい。
その通り。ずっといい子でいられるため、愛子は努力してきた。それは全部、母に心配かけたくないから始まった。
母に怪我してほしくない。だからお使いに行ってくる。そうしたら母に褒められた。父にも褒められた。それが嬉しかった。誇らしかった。その思い出を抱えて歩いてきたのが、今の愛子だった。
「もちろんだわ。元気な人は入院できないもん。」
愛音は愛おしい娘を抱きしめた。不安に怯えたり戸惑ったりしたはずの背を軽く叩いた。いきなりの母の愛情で目をぱちぱちした愛子は、嬉しそうな顔で母と抱き合った。
「本当、大きくなったね。」
生まれたばかりには両手で抱き上げるくらい小さかったのに。赤ちゃんの小さな手は大人の指一本を捕まえるのも大変で、一所懸命母の指を捕まったのに。いつの間にか大きくなり、一人前になった。
きっと、今まで大変なこともあっただろう。痛みも黙って抱きしめたはずの、いつかの小さな背中を、愛音は押してくれたくなった。
「さあ、帰りましょう!」
愛音は愛子とともに家に向かった。帰り道、二人はつないだ手をずっとはなさなかった。
父は家の前で二人を待っていた。帰ってきた二人を見て、父は急いで迎えに来た。父が妻から今までの話を聞いているうち、愛子はポケットからスマートフォンを出して、ウィルヘルミーナに電話をかけた。
ウィルヘルミーナに電話をかけたのは、三人とも一緒にいると思ったから。だが、みかさは愛香を会いに来て、電話に出たのは。ウィルヘルミーナ一人だった。
「もしもし…って、ミナンちゃん泣いてる!?」
「そ、そんなことないっす…。」
「うそ!泣いてるじゃん!」
いくら否定しても泣き声は隠せない。気づいたウィルヘルミーナはかみしめていた唇を放ち、胸の奥深くに詰め込んだ本音を言い出した。
「また、ふられたっす。」
いくら断れても振られることには慣れられない。傷ついた時、いつも思う。こんな痛みはもう二度とないと。だから大丈夫だと。でも、傷が治る前、また新たな傷が生まれる。その数だけ、痛みも増えていく。
「ねえ、ミナンは苦しい?」
反射的に『はい』と答えようとした瞬間、いつかのことをふと思い出す。冒険者の森に行った時、ウィルヘルミーナはチャレンジと向き合った。それは『大嫌い』な自分と向き合うこと。
ウィルヘルミーナはあまり自分が好きではなかったから。すぐ傷ついてしまう独りぼっちの自分が嫌いだった。
町のみんなが受け入れないのは、ハーフだから?見方が違ってるから?言い方が変?
みんなに嫌われるのは絶対いや。
なら髪を染めて、カラコン入って、言い方も帰れば?
そうすれば愛されるかもしれない。でも、それって、本当の自分って言えるの?
変わらなくては愛されないって、それって絶対嫌われてることだろう。
だからこそ、『今の自分』を受け入れてくれた唯一な人が、神様が好きになった。自分が自分でいられる気がした。ありのままの自分でいいって、許された気がした。
あの日思った。世の中、誰一人にも愛されないって嘘。きっとどこかで誰かが、仲良くなれる『未来の友達』が待ってる。だから勇気を出して、一歩踏み出した。
あの人を好きになって、すべて変わった。生まれて初めて誰かに声をかけてみた。友達ができた。そして、こうしてなんどもなんども勇気を出して…。
「はい、苦しいっす。」
ウィルヘルミーナが出した答えはー。
「苦しささえ愛おしいほど、嬉しいっす。」
あの人を好きになって、今の自分がいる。
「この思いが尊くて、毎日変わっていく自分が…。」
『明日』を恨んだ自分じゃなく、『また明日』って言える自分。月が沈み、新たな太陽ののぼりを待つ自分。
「誇らしくて、たまらないっす。」
あふれだす思いを押して、ウィルヘルミーナは答えた。
「そっか、よかった。」
愛子はそっと微笑んだ。
「ねえ、ミナン。」
「なんすか?」
「一緒に、幸せになろう!」
ぼうっと口を開いた。湧き上がる思いに唇が震えてきた。大切な人に泣き声を聞かせたくないから、唇をかみ、そっと深呼吸。
「はい、絶対っす。」
・
・
・
愛子の家族が平和を取り戻した時、妄想帝国は崩れかけていた。愛香が残した跡形だけたまに虫のようにくねくねした。
(ここまでか…。)
妄想帝国はいつかのデリュージョンが描いてた夢から生まれた。残酷な現実と向き合えないデリュージョンが見た夢。彼女が望んだままの世界。
その力の源であるデリュージョンがあれば、妄想帝国は地球さえ消えても存続する。逆に、デリュージョンを失った帝国に未来はない。
愛香はもう新たな夢を見始めた。ちゃんと現実を受け入れた。だからこそ今、はかない夢は幻のように散らばる。目覚めたら消えてしまう華麗な白日夢のよう。
このままではカゲだけではなく幹部たちも消えてしまう。だが後悔はない。一番星より輝いた帝国だからこそ、消滅さえ敬してあげたい。
(かまわん。あなたの名を汚さないためなら。)
ヘイトは目を閉じた。彼の女帝、恋してた女の意志を受け入れなければならない。自分の身を燃やしても。
「なんだ、この廃墟は。帝国と呼ぶレベルじゃないだろう。」
「!?」
ヘイトは驚いた。なんの気配もせず近づいた女の子に。愛する者と似たその姿に。
「デリュージョン様…?」
ヘイトの声が震えてきた。多分幻であるなにかを彼の視線が熱烈に追いかけた。
「なんだ、その名は。あ、聞いたことあるかも。あのビルを燃やした時、人間たちなんだかんだ叫んだし。」
生霊が母と一つになるためビルを燃やした日、誰もがデリュージョンに許しを求めた。生霊の存在を知らなかった人々は、消えない炎をデリュージョンの怒りと思った。
「ああ、むかつく。私の出来事横取りしやがって。」
あの日は『母と一つになれる』って喜んだが、今考えてみると不機嫌。自分が呼んだ災いを、人のためにしてしまったから。
「デリュージョン様ではない…。誰だ、お前は。」
ヘイトは両手に力を集めた。黒いエネルギーを見て、生霊は腹を抱えて笑った。
「なにそれ、消えかかってるくせにもがいちゃって。馬鹿馬鹿しい!」
生霊の声を聞いて、死に掛けたカゲらが動いた。
「これは…。」
「なんだ、なにが起きたんだ!」
ヘイトのエネルギーを感じたハザードが現れた。続いてフィルムも姿を見せた。
「あれ?馬鹿が二人?いや、三人に増えた!」
笑う生霊に三人は何もできなかった。その笑い声を聞いて、透明になりかかっていた体が元の姿を取り戻したから。
「あなたは一体…。」
「え、私?」
生霊が首をかしげた。
「そうね、呼び方ないと困るよね。」
生霊は悩んだ。いつまで『生霊』と呼ばれるわけにはいかないし。いい名前を見つけたかった。
「なんにしようかな…。」
生霊が悩んでるうち、3幹部はテレパシーを送った。
『誰だ、あの小娘は!』
フィルムが顔をしかめた。
『デリュージョン様ではない。似てるが似てない。』
ハザードがうなずいた。
『はあ?そんなのわかってる!』
フィルムが怒った瞬間、少女のつぶやきからデリュージョンの名前が出てきた。
「そうね、お姉さまは『女帝デリュージョン』という立派な名前あったもんね。私も女帝、エンプレスをなのっちゃうかな~」
デリュージョンを『姉』と呼ぶ少女に、三人は驚いた。
『姉?デリュージョン様にほかの妹があったのか?』
『んなわけないけど!あいつは偽物だ!』
フィルムが腕組みをした瞬間ー。
「偽物?誰が、私が…?」
風のような速さで駆け付けた少女の指先がフィルムの首を狙っていた。いや、彼女はフィルムを殺そうとした。彼女の気配を気づいたヘイトが生霊の腕をつかみ阻んだだけ。
「クッ…。」
あっという間に起きたこと。圧倒的な攻撃の前、フィルムは手も足も出なかった。
「お前…。いや、あなたはもしデリュージョン様の…。」
「可愛い妹ちゃんだよ!今先捨てられたけどな。」
顔をしかめた少女が拳を握りしめた。すると、デリュージョンが残したカゲに火が付いた。
「なにを…!」
ハザードは怒った。彼らの女帝が残した苦しみを生霊が燃やしたから。勝ち負けにかまわず彼女を攻撃しようとしたハザードは、すぐ動きを止めた。
「助けてあげる。利用する価値もあるし。」
脱皮した女帝が残した跡形はゆっくり空を漂っていた。まるでなにもかもなかったように。いいえ、むしろ炎に力を吸収しているように。
「いったい、お前は…。」
ヘイトのつぶやきを聞き、生霊は笑った。
「炎の女帝、重ねてフレームエンプレス。」
生霊は明るく笑った。
「うんうん!これいい!私にそっくり!」
「フレームエンプレス…?」
幸せそうに笑っていた少女が3幹部を振り向いた。
「『様』はどこだ、『様』は」
「は、はい。エンプレス様…。」
「フレームエンプレス様だろう?」
フレームエンプレスの後ろから忌まわしい気配がした。圧倒された3幹部はなにも言えなかった。
「まあ、いいか。今日は疲れたし。」
フレームエンプレスは目を閉じた。王座、いや、女帝の座が、まるで自分のものであるように。