第二話 ≪Second Fire。エンプレス(3)≫
帰り道。四人は黙ったまま歩いていく。先に帰った二人、愛子と愛音は病院に行ったらしい。まだ電話がつながってないので、言い切れない。
そう、誰も知らない。今、愛音が病院にいるのか。部屋に閉じこもって、泣いているのか。いや、少し安心したかもしれない。『父を殺したのは自分ではない』と、いつか目を閉じた心がやっと蘇ったかも。
でも、どっちを選んでも笑えない。どの道にも笑みはない。明かされた真実を何度も何度も言い返しても、亡くなった者は帰ってこない。父も姉みたいに帰ってくるかも。そう信じていた愛音にはかなりショックなのかも。
奇跡ってあまり起きない。一度起きたら充分。二度目を欲しがるのは欲張りの証。仕方ない。人生はドラマみたいに急に姿を変えたりしない。だから誰もわかってくれない痛みを抱いて誰もが生きていく。
「なあ、愛香。」
重苦しい空気を絶えず、神は愛香に話をかけた。だが、話を始まる寸前、愛香が小さな声を出した。
「ごめん。」
過ちを認めるように、愛香は神を断った。また振られたのに、神は何も言えない。ただ願い続ける。あの辛そうな顔に、幸せを取り戻せるなら。そう、きっと命だって捧げる。
「一人にさせて。」
答えを聞かずに愛香は先に行っちゃった。『一緒にいたい』という前に、もう遠ざかって、手を伸ばしても届かなかった。
(愛香…。)
まっすぐに歩いてるのに、なぜかロープの上を歩いてるよう。だって、愛香はギリギリな生き方を選んでた。正義を信じて、愛を信じて、分かち合うといずれ支えあえると信じてた。だけど、戦士たちは愛香を裏切った。愛香は彼女らを助けたのに、彼女らは愛香の町を捨てた。
そして今日、愛香は同じぐらいショックを受けた。愛香がみんなを、家族を守ってきた理由。それは、家族が正しいと思ったから。守るべきだとおもうから。なのに、父は愛香を裏切った。守るべき『正義』ではなかった。生霊を利用し、作ればならない物を生かせた。
(私は今まで何のために戦ってきたんだろう。)
父が作った炎は父を飲み込んだ。母は巻き込まれた。妹はすべて自分のせいって深く傷ついた。愛していた父なのに、もはや悪の科学者にしか見えない。
(ばかみたい。)
結局情けないのは自分。完璧主義の愛香だから、こんな状況まで自分を責めつける。嘘つきの世界だって、騙されたほうが悪い。嘘さえお見通しになっていたら、完璧な自分だったら、こんな哀れなことにならない。
「おい、お前ら。」
神は愛香から目をはなさないまま、そばにいた二人を呼んだ。
「なんだ、急に。」
同じように愛香の背中を見ていたみかさが顔をしかめた。数秒黙っていた神が二人を振り向いた。
「愛香の力になってくれよ。」
「…はあ?」
眉をひそめたみかさは、困難してるように頭を掻いた。
「そんなのできるわけねえだろ。」
「ああ、わかる。前は敵だった俺にこんなこという資格なんてないって。だけどよ、愛香、愛香は…。」
神は唇を食いしばった。
「悪いのは全部俺だ。俺はあいつを、愛香のことを助けなかった。だから、頼む。愛香を見守ってくれ。俺、なんでもするから…。」
「ストップ。なに一人でズッパシってる。」
みかさは手をあげて神の話を止めた。
「ひとつ。できないってことはさ、あの『強い』愛香さんを俺たちなんかが助けるかどうかわかんねえって話。」
みかさに取ってストロークは、仲間であるどうじに、天使や女神くらいの扱いされてる。だから
「ひとつ。仲間同士、助け合ったり励ましたりするのは当然だろ。なに辛そうな顔して『俺は罪深き身であります』といってんだ。」
みかさの当て擦りにも、神は反応しなかった。むしろ目を丸くして、金魚のように口をパクパクしていた。
「…なあ、ガチで気持ち悪いからそれやめろよ。」
「え、可愛いじゃないっすか?」
「お前、アホガミと一緒にいすぎて、馬鹿がうつったんじゃ…?」
「えっへへ!」
「全然褒めてねえし。」
なんどツッコミを入れても、ウィルヘルミーナは無敵だった。むしろ『ありがたいっす』とか言って、みかさは『言い間違えた俺のせい』とため息をついた。
「とにかく、そんなの言うまでもない。無駄口っていうか、いらないっていうか。」
神は、ちょっと感動した。今まで愛香に手を差し出してくれた人は、どれぐらいあっただろう。愛香だけじゃない。人が人を支える姿を見たのは久しぶりなので、なぜか地球の神は泣きそうになった。
「お前ら…。」
「なにより自分さえ助けなかった神に『なんでも祈ることかなえてやる』とか言われても興味ねえし。」
「クッ…。」
神の痛いところをついたみかさは余裕に笑った。みかさのツッコミを聞いていたウィルヘルミーナは『そうっす!』って手を叩いた。
「まさかの時の友こそ真の友っす。困った時こそ、助け合うっす!」
今まで友達がいなかったウィルヘルミーナは、『真の友』と言いながら目をきらきらした。友情を欲しがっていた少女は、やっと誰かの役に立つ資格を手に入れた。
「親友ってなんて素晴らしい言葉っすか!国語で一番輝いてる単語は、きっとそれっす!」
「はい、そこまで。聞く方が恥ずかしくなるからいい加減にしろ。」
『キザなセリフをよくも言う』って言われても、ウィルヘルミーナは嬉しそうな顔をしてた。
「なによりさ、俺一人で行きたいし。二人きりでさせてほしいから。」
「えええっ!?ずるいっす!おいしいところを持っていくなんて、反側っす!」
「おいおい。」
「と、言うところっすか、やめるっす!」
「友達ごっこに真剣なお前に言われたら怖いけど。」
「仲間を信じて待つこと!それも、ヒーローの主徳です!」
「じゃ、聞き辛いからお先に失礼。」
ウィルヘルミーナ言葉に体がくすぐったいみかさは急いで逃げ出した。残されたのはウィルヘルミーナと神だけ。先『なんでもする』って頭を下げたことがなぜか照れくさくて、神は目をそらした。
「大丈夫っすよ、二人なら。」
ぎこちない空気を破り、ウィルヘルミーナが声をかけた。
「あの、神様。先、なんでも願いをかなえてあげるって言ったっすね。」
「あ、まあ…。」
「みかさだけ行かせたくせに我儘かも知れないっすが、自分、一つだけ願いがあるっす。」
ウィルヘルミーナは一歩、神へと近づいた。
「私が近づいてもー。」
二歩。距離を縮めた。
「ちらちらみつめてもー。」
三歩。目と目で向き合った。
「そこにいて欲しいっす。」
ウィルヘルミーナが近づいたら、神はそっと逃げた。目が合ったら、すぐ逸らした。
「なんていうか、知らんぷりってちょっと痛いっすから。」
『報われたい』というのでもない。ただ、挨拶してもすれ違う神を後ろから追いかけるのが、ちょっと辛かったから。
「映画に出る透明人間になった気がするっすよ。それって、ちょっと、胸が痛くて、たまらなくて…。」
「じゃ、やめればどうだ。」
神はまた、目を逸らした。
「俺を追いかけてこないと、胸が痛くなることなんてねえ。」
「できないっすよ、それが…!」
ウィルヘルミーナが声を上げた。
「簡単にできるわけ、ないっす…。」
唇を噛むウィルヘルミーナを、神はただ見つめた。目が離さない。好きな人を追いかけるその姿が、どう見ても過去の自分と似ていて。
「わかる…。」
神がつぶやいた。
「言わなくてもわかる。こう見えても俺、ずっと片思いだけ抱いたから。」
「なら、どうして…!」
「わかるからだよ!」
神が声を張り上げた。
「お前が俺の一言に抱く希望。眼差しに揺れてしまう心。全部、全部わかるから…。」
無駄な希望を抱いて生きていくのは、絶望よりも残酷だ。
例えば、そう、彼が突然メールアドレスを教えてくれたら、『遊びに行こう』って誘ったり、『仲良くなろう』と言うなら。少しでも希望ができる。心が満ちてくる。人間なら誰だってそう。
返事のない携帯を夜明けまで見つめて、何度も約束を破っても、『へいき』って嘘ついて笑い、ようやく連絡したら、『実は○○くんがお前のこと可愛いって言ってた』と言われて、見知らない人を紹介されたら…。
帰り道で滲んでしまう世界さえ、期待した自分のせいにするだろう。どうしても彼を恨めなくて、自分に怒ったり、泣きたくなったり、いずれ自分が嫌いになるだろう。
「あなたは…。」
ウィルヘルミーナは笑いながら泣いた。
「どこまで優しくなるっすか…。」
深呼吸したウィルヘルミーナは、やっと声を出した。
「わかってるっす。愛香さんにかなわないって。わかるから…。」
ウィルヘルミーナは切なく笑った。
「ただの知り合いにはならないっすか?」
神はすぐ口を上げて、長い間迷って、ようやく答えた。
「…マジプロと神。そのありふれた関係でいいなら。」
突然、風が吹いた。目を覚ましたら、神はもう跡形もなく消えていた。誰もいない、でも神のぬくもりだけは残ってるどこかを見て、ウィルヘルミーナは笑った。
一方、愛香は悩んでいた。父は間違えていた。ならそんな父を守った自分さえ、間違えていたかもしれない。
「愛香さん。」
考え込んでいた時、後ろから慣れた声が聞こえてきた。
「ねえ、みかさちゃん。私、間違えていたのかな?」
愛香は振り向かずに話をかけた。いや、それは話より、独り言のようだった。
「どうしてそんなこと言いますか?」
「私、お父さんのこと、止められなかった。いや、止めなかった。お父さんはいい人だって思っていたから。」
きっと素晴らしい研究になる。そう思っていた。だって、愛する父だから。そう、愛する感情、そのものを信じたせいで、家族は破れ、妹は罪悪感を抱いた。
「愛香さんは覚えていませんが、私、愛香さんに感謝ことあります。『父を倒してくれてありがとう』って。」
今の愛香は覚えてないが、きっとそれも愛香だった。いつかのあいかに、みかさは礼を言った。
「それ、考える前に口から出てきて、私も驚きました。」
言ってわかることがある。ああ、それが本音だったんだ。
「すごく辛いでした。だって、私のせいではないですか。あの日、コンサートをしなかったら。あの時、練習しなかったら。いや、隠してたお金だけ、素直に父に渡したら…。」
おかしい。悪いのはカゲで、妄想帝国なのに、自然に自分を責めてしまう。
「父ちゃん、アルコール依存症でした。お金できたらお酒を飲んで、なぜか怒って、全部壊して、一人で満足して寝て、また起きたらお酒だけ探して…。」
痣を隠すため、夏にもマフラーを首に巻いた。スカートなんて着られなかった。
「クラウンを手にしたときわかりました。私、本当は父ちゃんのこと大嫌いだった。だからありがとうとか言ってしまった。」
自分と向き合ってから気づいた。隠してきた本音:そう、みかさは生きたかった。
「命は大切。父ちゃんも大切。でも、そうしたら私に残ることある?」
人は大切。家族ならなおさら。だけど、『私』より大切なものはあるのか?
「私には私のことが一番大切です。私を分かってくれる人は、私しかいませんから。だから…。」
みかさは静かにつぶやいた。
「何があっても、自分を嫌いになってはならない。自分が間違えたと考えたらならない。なんていうか、『自分だけ愛すればいい』じゃなくて、『自分を愛せなきゃ、誰も愛せない』とか。間違えたのは父ちゃんだし、私が責任を取らなくていいっていうか…。」
何を言いたいのかわからない。でも、シンパシーを感じてる。だから使えたい。きっと、誰かの過ちを自分のものにしてはならない。
「とにかく、私は私が好きです。ずっと前からそうだった。だから気づけなくてごめんと叫びたくて…。つーかめちゃくちゃじゃん!」
「もう、なにそれ。おかしい。」
「そうですね…。」
みかさはため息をついた。地面だけ見つめていたみかさは、そっと肩に載せられるぬくもりに目を丸くした。
「でも、ありがとう。なんとなく。」
肩にもたれる愛香を、みかさは黙ってみていた。ちょっと顔が赤くなって、みかさは目をそらしてしまった。