第十話 ≪Third Dream。カウンセラー(2)≫
中東にある、タイムホールに近い場所。
「死にたくない…。死にたくない…!」
歪んだ世界の透き間で、フィルムは怯えていた。噛み過ぎた爪の欠片が、口の中に入って、フィルムの喉をさした。 咳払いをしたフィルムが両手で自分を抱きしめる。
「このままじゃ、ハザードみたいに…。」
マジプロにやられたら確かに死ぬ。だからって逃げたら、マジプロが歪んだ時間をもとに戻して、フレームエンプレスが蘇る。
「生霊がない世界なのに、なぜ消えないんだ…!」
フィルムは耳のイヤリングを掴んだ。フレームエンプレスからのプレゼントは、消えずに彼女の耳についていた。まるで、生霊に呪われたみたいに。
「イヤリングは消えなかった。つまりそれは、まだこの世に生霊の意志が残ってるってこと。」
マジプロは強くなった。戦ったら絶対殺される。だからって逃げるわけにはいかない。
「力を…。もっと力を集めなきゃ…。」
力を集めて、マジプロにかつ。生霊が戻ってこられないように。そう決めたフィルムは、中東のタイムホールを見つめた。
「この国にはあまり悲しみがない。だけどー。」
フィルムはタイムホールを手で混ぜた。すると、フィルムが生み出した悪夢がどんどん世界へ広がった。
「苦しい想い出から作られた悪夢を見せたら、狂わずにはいられないはず。」
フィルムはお金持ちを恨んだ。現実に甘んじる、悩まぬ満足な豚。夢すりゃ現実にして、絶望など知らぬ者。
「絶望の中で泳ぎながら死ね。悲しみの中で命を失ったー。」
悪夢を散らばるフィルムの瞳がひらめいた。
「我が子のように…!」
鏡の向こう、苦しみがたまってく。目を覚ませず、悪夢の中をさまよう人々。彼らを見て、フィルムは口を横に引いて笑った。
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「ぐすっ…。」
柵の影の下で少年は泣いた。ポケットの中の鍵を握って。
「鍵がないと、みんなおいらなんか忘れてしまう…。」
兄弟はお金のため喧嘩した。小さな少年なんて誰も気にしない。少年が兄の手の鍵を奪い逃げたのは、悲しくなったから。
「おいらなんか、誰も心配してくれない…。」
家族たちが少年を探そうとする理由。それは、鍵を取り戻せるためであり、少年を心配するからではない。
「それは違うよ?」
「…!」
柵の向こうから聞こえる声。
「私は、あなたのこと心配したから。」
柵を捕まえた愛子は汗を流してる。少年を探すため精一杯走り回ったから。少年がうつむいてた影の中に、愛子の汗が落ちた。
「お前は…。」
うつむいてた少年はそっと顔をあげた。逆光の少女は顔も全身も真っ暗。でもなぜだろう。元々黒いはずの瞳が今、一番輝いて。影の真ん中の君の笑顔が、目を開けていられないほどまぶしくて。
「話、聞かせてくれない?」
愛子は柵の向こうに手を伸ばした。
「おいらだって、話したい…。」
力が抜いた足。よろめきながら、少年は立ち上がる。
「いっぱいいっぱい、話し合いたい…!」
愛子のところへ、精一杯手を伸ばす。
「それでいいよ!」
笑顔の愛子は、少年の手を取った。すぐ、愛子は少年の脇を掴み、抱きかかえた。愛子に抱かれて見る世界は、不思議でまぶしい。影だらけの柵の下で逆光の世界を見てきた少年は、向こうの光に気づかなかった。
「アドナン…。アドナン・ビン・オジェ。」
「え?」
「おいらの名前だ。その胸に刻むがよい。」
「分かったよ、アドナン!」
アドナンは愛子を見てそっと微笑んだ。それは、父が倒れてからの初めての笑みだった。
「お父さんが倒れたって!?」
「ああ…。医師の見解によれば、フィルム症候群らしい。悪夢から目覚めないまま、ずっと苦しい過去を繰り返す病気さ。」
「フィルムって、まさか…。」
初めて聞く病気が流行ってる。なにより『フィルム』って名が不安を煽る。
「ねえ、お父さんが倒れたの、いつ?」
「4日前。」
(タイムホールの現れた時機と同じ…!)
愛子は唇を噛んだ。神が生霊を消そうとした根本的な理由は、祖父が生霊を作ったから。時間が歪み、生まれたタイムホールは、愛子の家族の過ちのせい。アドナンの父がその犠牲になるとは。
「お父様は悪い夢から抜けず、怒ったり叫んだりする。それが、寝言とは思えないぐらい悲しくて…。」
アドナンは視線を落とした。
「怖い…。」
小さな肩がどんどん震えた。ちっぽけな肩に、愛子は手をあてた。
「大丈夫。お父さん、すぐ起きるはず。だから元気を出して!」
「…ああ。」
アドナンの顔が少し明るくなった。でも、彼は明るさをすぐうしなった。
「アドナン!!」
「!?」
白い服の人たちが、アドナンの兄弟が近づいた。
「さっさと出てこい!」
「アドナン、後ろへ下がって!」
「でも…!」
愛子が一歩前に出た。背が高い男が愛子を見下ろした。
「なんだ、お前は!」
「きゃっ!」
変身する前の愛子は、男に押されて、後ろに倒れた。
「愛子!」
「どこ見てんだ!早く金庫の鍵を出せ!」
「いやだ!放して!」
愛子はやっと気づいた。アドナンは誰も自分を見てくれないといった。親も兄弟も自分なんか探すわけないといった。
でもそれは嘘だった。見つけ出してほしいから。この寂しさに気づいて欲しいから。だから鍵を持って逃げたんだ。みんなを怒らせるのが、寂しさよりましだから。
「このー!」
「うぅ…!」
男がアドナンを押した。アドナンはそのまま倒れた。
「アドナン…!」
愛子はよろよろ立ち上がり、アドナンのところへ。それに比べて、兄弟たちはアドナンを気にしない。ただ、奪った鍵だけを手に入れようとする。
「それをわたせ!」
「ふざけんな!」
背が高い男が、鍵を手に入れた。
「これさえあれば、遺言状を取り出せる!」
「…あなたたちが探しに来たのは、アドナン?それとも鍵?」
「はあ?」
アドナンを抱いたまま、愛子はアドナンの兄弟を睨んだ。
「あんたたち、アドナンの家族でしょ?なのにどうしてアドナンを心配してくれないの?」
「そ、そりゃ、遺言状は大事だからー。」
「アドナンは?アドナンは大事じゃない?」
アドナンの兄弟たひは、口を噤んだ。
「鍵は何個だって作れる。でも、アドナンの傷はいやせない!どうしてそれに気づかないの?」
「この、この小娘がー!」
「君たち、いったいなにをしてるんだ!」
時間が止まったように立ち止まる。アドナンも、その兄弟も。
「お、お父様…?」
「そんな、もう目覚めないはずじゃー。」
「君たちには失望した。私が倒れてるうちに、こんなことをするとはー!」
ぞわぞわが広がる中、アドナンの父はアドナンを助け起こす。
「お父様…。もう大丈夫?」
「そう、もう悪夢から抜け出した。」
「お父様…!」
アドナンは父を抱きしめた。愛子はその後姿を笑顔で見つめた。
「あら、悪夢から抜け出した者があるわね?」
「あんた…!」
空から聞こえる声に、愛子が顔をあげた。フィルムは腕組みをしたまま、みんなを見下ろしていた。
「じゃ、また落としてあげるだけー。」
フィルムは黒いエネルギーを発した。すると、アドナンの父や兄弟がよろめいた。
「うっ…!」
「お父様!」
「あっはっは!みんな悪夢に落ちればよい!」
フィルムから打ち込まれた悪夢が、アドナンの家族を襲う。誰もが両手で頭つかむすがたに、フィルムは嬉しそうに笑った。
「あんたたち、お金持ちだな?ちょっと苦しい思いさせても、すぐ忘れるじゃん。」
悪夢から目覚めて幸せな現実を見れる人は、悪夢に苦しんでもよい。傷ついてもとうせ薬を飲んで、カウンセラーに相談してもらう。
「なら少しでも私の役に立ちなさい!」
フィルムは、そんな世界で住んでいた。そんな世界を生きていた。だから、彼女の論理は完璧。固い論理は誰にも崩れない。
「アドナンの家族をくるしめるなんてー。」
愛子は手をあげた。桃色の光が集まり、カードリーダーとなった。
「絶対ゆるせない!」
桃色の光が愛子を包み込んだ。愛子はすぐ、ピンク色のコスチュームに着替えられた。ふわふわのフリルと、可愛いスカート。クラッシュの愛おしい姿をアドナンはぼうっと見つめた。
「人の傷は、数値じゃない!数えきれないの!」
心の形は目に見えない。それが、いくつの傷を持っても笑える理由。
「お金持ちだって傷はある!傷はお金で治せるものじゃない!」
風邪には薬がある。虫垂が破れた時は手術する。でも、胸の奥に刻まれた辛い記憶は、手術台にあがっても治せない。
「お金持ちだって、どうしようもないことがある!」
「そんなのない!!」
フィルムはイライラする。なにも分かんないまま、頭の中にお花畑が広がっているクラッシュが憎い。
「オマエも過去を繰り返せばよい!」
彼女はカメラフィルムをクラッシュに投げた。クラッシュをフィルムで包み込み、永遠の悪夢に閉ざす気だった。だが、クラッシュは強くなった。世界のため戦った分、みんなと分かち合えた絆の分。
「なっ!?」
フィルムがクラッシュを囲む前、クラッシュがフィルムを捕まえた。
「こんなことはもうやめて、フィリア!」
「…!」
フィルムは、凍り付いたように固くなった。
「本当はあなたも気づいてるはず。心はお金で買わないってこと!」
フィルムの瞳が揺れた。
「私、聞いた。あなたに息子があったって…!」
フィルム、いや、フィリアは貧しい少女だった。でも、生き残るため、一所懸命だった。お金を集めると、いつかは憧れの世界一周をする。そして、幸せになる。そう信じていた。
そのはかない夢は、ある夜に散々壊れた。酔っぱらった名家の息子に無理矢理おかされたあの夜に。
フィリアは妊娠した。仕事も出来なくなった。世界一周のためのお金を使い切った後、フィリアは自分をおかした男性の家に尋ねた。悔しかったが、行くしかなかった。おなかの中の赤ちゃんのために。
『汚い。』
男性の母が出た。彼女はフィリアに紙幣を投げた。
『まさか、我が息子の子供を産むつもりじゃないよね?』
男性には婚約者がいた。美しくて、お金持ちである彼女が。彼らには派手な未来が待っていた。
『中絶手術して来い。なら、あなたが使い切れないほどお金をあげる。』
彼らはフィリアの傷なんて思わない。何もかもお金で解決するから。フィリアのことも、お金で思い通りに動かせると信じた。
うんざり。虫酸が走る。だからフィリアは逃げた。
生まれたての命は大嫌いな男じゃなく、フィリアに似ていた。息子はフィリアに笑ってくれた。フィリアの胸ですやすや眠った。フィリアは息子を愛した。息子もフィリアを愛したと思う。聞くことが出来なかったけど。
『あ、あああ…!』
子供は言葉を話せる年になる前に死んだ。病気のせいだった。薬はあったが、フィリアにはお金がなかった。
なにもかもお金のせいだ。仕事も出来なくなり、一人で息子を育てたことも。死にかかる息子を見て、泣くしかないことも。
『復讐したい…!』
フィリアは願った。願い続けた。減りすぎたおはらから飢えなど感じなくなるまで。そんな彼女を救ったのはデリュージョンであった。強欲な男性はカゲとなり、自分の妻を殺した。妻の腹には、小さな赤ちゃんがいた。
『あ、あははは…。』
めちゃくちゃになったまちの真ん中、フィリアは笑った。跪いてデリュージョンをたたえた。そして、デリュージョンに話した。
『忠誠を誓います。あなたのとなりにいます。あなたが私より幸せにならないなら、いつまでも、ずっとー!』
デリュージョンはフィリアを受け入れた。彼女に新たな姿を与えた。フィルムはデリュージョンに忠誠を捧げた。愛香が絶望から抜け出して、フィルムより幸せになるまで。
「心の怪我は、お金では消せない。必要なのはぬくもり。あなただってそう、きっと…!」
「オマエ、オマエにー。」
フィルムが歯を食いしばった。
「何がわかるんだ!」
「あああああ!!」
フィルムを通じて電流が流れる。クラッシュを焼きついてしまいそうに。だが、それをクラッシュへの攻撃とは言えない。電流が流れるフィルムを捕まってるのは、フィルムも同じ。
「マジプロ!」
空に響くエリミネートの声に、フィルムが顔をあげた。
「エリミネート・ザ・スレット!」
赤い炎にフィルムが燃えた。切れ切れになったフィルムの中、インターセプトが舞い降りた。
「マジプロ!インターセプト・ザ・アタック!」
フィルムが再びクラッシュを撃つ前、インターセプトがシールドを解き放った。
「大丈夫っすか?」
「ありがとう…。」
エリミネートがクラッシュを支えた。
「あいつ、クラッシュに手をだすなんてー!」
「待って!」
攻撃しようとするインターセプトを、クラッシュが立ち止まらせた。
「私、フィルムを助けたい…!」
インターセプトとエリミネートが目を合わせた。
「敵を助けたいって、おかしい…かな?」
「おかしくないっす!」
エリミネートが笑った。
「自分、クラッシュに救われたから!」
「そうだ。お前は俺たちの友達になってくれた!」
インターセプトとエリミネートの体が輝き、騎士のような服になった。
「クラッシュなら、なんでもできる!」
「くっ…。」
フィルムは逃げようとした。だって、モード・ナイト・フィナーレの二人には敵わないから。だが、彼女が逃げる前、エリミネートが炎を放った。フィルムは炎の中に閉じこまれた。
「この…!」
「私はあんたの心も救いたい…!」
インターセプトから解き放たれた風が、クラッシュの道となってくれた。二人の役目はただそれだけ。弱くなったフィルムを襲ったりしなかった。だって、最後はクラッシュの分だから。
「みんなの心を支えるカウンセラーになりたい!」
夢の時計の針が、確かな夢に留まる時、奇跡が起きる。クラウンにさされていたルベライトが輝き、クラッシュのカードリーダーの真ん中にさされた。
「モード・ナイト・フィナーレ!」
黒い雲が曇った空に、日差しが降り注ぐ。クラッシュの行く道を、照らしてくれる。
「マジプロ!ハーモニー・オブ・プレゼント!」
過去の苦しみから抜け出し、今を向き合わせる技。大丈夫だって、まだ間に合ってないって、抱きしめてくれるハーモニー。
「くるな、くるなぁあ!」
フィルムはあがいた。逃げようとした。だが、空から差す光が心に流れ込んで、どうしても動けない。
「もし、私たちがもっと早くあったら…。」
クラッシュはフィルムに近づき、彼女をそっと抱きしめた。
「友達になれたのかな?」
緊張していたフィルムの体から力が抜けた。憎悪で作られた体が崩れた。
「我が子を、守りたかった。」
フィルムはそっと目を閉じた。
「ただ、それだけ…。」
フィルムの体が日差しに溶けていく。暖かい光が、フィルムを包み込む。彼女の先を、照らすように。
「フィリア、息子と出会ったかな…。」
「ああ、きっと…。」
「幸せになったらいいっすね。」
愛子たちの変身が解けた。空を見上げる三人を、後ろから見てる少年が一人。
「格好いい…。」
凛とした愛子を見上げるアドナンの瞳がきらめいた。
「なあ、愛子!」
「うん?」
振り向いた愛子に、顔が真っ赤くなったアドナンが叫んだ。
「頼む、おいらの嫁になってくれ!」
「え、ええええ!?」
アドナンが愛子の手を取った。だがー。
「抜け駆け禁止っすよ。」
「そうだ。こいつは渡さないぜ!」
ウィルヘルミーナとみかさが愛子と腕を組んだ。
「なんだよ、それ!おいらの嫁になれば、なんでもできるのに!」
「でも、夢はかなえてくれないよね?」
「そ、それは…。」
「私は私の夢を叶える!そう決めたの!」
アドナンは悔しそうだったが、すぐ納得した。
「分かった。じゃ、愛子が夢を叶えたら、迎えにいく!絶対に!」
「ダメならダメっすよ!」
「あっちいけよ。」
楽しそうな四人を、後ろからそっと見ている影が二人。
「夢、か…。」
愛香が呟いた。
「私には、残酷過ぎる話だね。」
「愛香…。」
神は愛香を励ましてくれない。だって、愛香の可能性の星は、全部消えたから。
「僕は、どうすれば…。」
愛香を振り向かせたい。だが、なにもできない。そんな神の思いが、愛香には届いてない。




