第一話 ≪First Fire。フレーム≫
再び、太陽は昇る。
第一話 ≪First Fire。フレーム≫
いつも朝早く起きる愛音だった。でも、今日は何か違う。朝より夜明けに近い頃、暁の光を浴びていた。
「あら、音々じゃない。」
愛香が妹を振り向いた。愛香は今、屋外でストレッチしていた。彼女のそばにはいつものように神がついていた。
「おはよう。」
「うん…。」
「元気ないね。何かあった?」
「いや、その…。」
愛音は戸惑った。帰ってきたばかりの姉に今日のこと話したら、ショックを受けるかも知れないから。
(嘘ついてはいけない。愛香姉を信じましょ。)
愛音は決めた。ごまかすよりまっすぐ向き合おうと。
「今日だよ。お母さんの命日。」
「え…。」
愛香は口を噤んだ。父が亡くなった日はわかるけど、母の命日は知らなかった。母は愛香が絶望し、デリュージョンになってから亡くなったから。
「お母さん、いつも言ってた。いつかきっと、愛香姉は帰ってくる。だからそのいつかまで強く生きる。」
愛音は愛香のそばに座って、姉にもたれた。
「その言葉に頼って、今まで生きてきたの。お母さんの言葉が、私を生かせてくれた。」
愛音は顔をあげて愛香を見た。その視線には恨みなんかなかった。むしろすっきりした顔をしていた。
でも、そのすっきりさに愛香は傷ついた。恨み、起こって、声を上げたら、こんなに苦しむことなかった。でも、純真な言葉が、自分を信じてくれたやさしさが、辛くてたまらなかった。
「ねえ、音々。」
「なに?」
「お母さんが亡くなったの、やはり私のせい…?」
「違う!」
愛音は驚いて、目を丸くした。だが、愛音の言葉を聞いても、愛香は元気がない。多分、妹が自分のため優しい嘘をついてると思うから。
「それは違うよ。お母さんは火事に巻き込まれて亡くなった。」
「火事…?」
「見えるでしょ、あそこのビル。あれ、完全に燃え尽きて倒れたんだ。本当、大火事だった。水をスプレーしても全然消せなくて。」
愛音が指で高いビルをさした。あのような大きな建物が倒れるほどの火事なんて、まだ信じられない。でも、愛音は見た。赤い炎がビルを飲み込む姿を。
「とにかくそれは愛香姉のせいじゃない!わかりましたか?」
「水で消せない…?」
「もう、なによ。せっかく元気つけてくれたのに!」
愛音は唇を尖らした。文句を言いたかったが、なぜか愛香が本気だから何も言えずに待ってくれた。
「ねえ、覚えてる?昔、家が燃え尽きた日のこと。」
愛香の言葉を聞き、愛音は一瞬息を止めた。息をしなければならないことさえ忘れちゃうぐらい、大きな傷だったから。
「…覚えてる。私のせいでお父さんが亡くなったことも。」
カップラーメンが食べたかった小さな少女が、テレビに夢中になった時。灯された火はどんどん大きくなり、いずれすべてを飲み込んだ。それを忘れずにいる愛音は姉の話を聞きたくなかった。
「なんで今更そんな話する。」
「そんな、私はただ…!」
「もういい。私帰る。」
愛香は言いたかった。炎が怪しい。ちゃんと調べたい。言い換えれば、そう、父が亡くなったのは妹のせいではないかもしれないと教えてあげたかった。でも、何もかも言い訳。罪悪感を持ってる愛音にが届かない綺麗事。
「…そう、わかった。じゃ、気をつけて。」
愛香の言葉を聞き、愛音はちらっと姉をみた。姉は素晴らしい人だ。それに比べて、自分は情けない。だからつらい気持ちだけ背負ってる。そう考えた時、愛音は姉のきらきらする笑顔を壊したくて仕方なかった。
「無駄な心配。あなたが女王さまになってから、私一度も狙われてないから。」
「…!」
それは当然のこと。人を狙ったのは愛香の帝国。女帝の意志に反するしもべはなかった。
「おい、言いすぎだろ!」
黙っていた神は怒りをぶつけた。片思いの相手を苦しめるやつを許せない、いわゆる稚気みたいなものだった。
「待って、神君!」
「愛香?」
愛香は神の腕を掴んだ。愛香に一番大切なのは家族。恋人でさえない神より、愛香は愛音を大切にしていた。
「愛音の言う通り、悪いのは私だよ。」
「けどよ!」
神は歯をかみしめた。でも、好きになった方が負ける。好きな人の言葉には逆らえない。だから神は何もできない。
「いくよ、神君。」
愛香は神の腕を引っ張った。
「気になることがある。今から調べに行く。」
愛香がそっと笑った。ずるい少女は神の心を動かす方法を知っていた。端的にいうと、地球の神は愛香の手のひらの上で踊っていた。彼女を知ってる全員がそれを知っていた。利用される神様さえも。
「…一緒に?」
「うん、神君と一緒に。」
もう知っていた。でも、かまわない。利用されてもいい。この手は放さない。彼女が笑ってくれたなら、それでいい。
「君は本当、残酷だな…。」
神は愛香の後ろを追いかけた。永遠に愛香の背中を見ることしかできなくても、神は愛香を追うことをやめない。生まれてからそう決めつけてるように、ただ追いかける。
一方、愛音は家に帰ってきた。キッチンで卵焼きを作っていた愛子は、母を笑顔で迎えてくれた。
「お母さん、お帰り!」
愛子は愛音の後ろをみた。でも、ついてくる人はなかった。
「あれ、愛香さんは?」
愛音は返事の代わり、娘の頭を撫でてくれた。
「よしよし。」
「えっへへ。」
心がもふもふして、たまらなくいとしさが膨らんだ。笑顔をする愛子を愛音は無表情になって見ていた。
「ねえ、愛子。」
「なになに?」
愛子の瞳がきらきらした。愛音を息を止めた。父がなくなった理由を明かすチャンスだったのに、どうしても声が出なかった。
(ひとのせいをしても、実は私が殺したことと同じ。それを、今日こそ話さなきゃ…。)
深呼吸した愛音は、やっと唇を動き、話し出した。
「今まであなたに言えなかったことがあるの。実は…。」
辛そうな顔をする母を見て、愛子はそっと微笑んだ。そして、母の手を取り、それを自分の頬にあてた。
「言わなかったことじゃなく、言えなかったことだよね?」
愛子は両手で母の手を掴んだ。愛子の頬から優しいぬくもりが伝わってきた。
「なら大丈夫。」
「愛子…。」
娘を見て勇気を得た愛音が話そうとした瞬間、ドアホンがなった。
「あれ?誰か来たよう。」
愛子はドアホンに近づいた。モニターが赤い唇を映した。唇が描く自信満々な笑顔。相手が間違いなく愛香だと思った愛子はドアを開いた。
「愛香さん、お帰り!ってあれ…?」
愛子は何度も瞬きをした。でも、目の前の人は変わらないまま。赤い唇と似合う真っ赤な髪と燃えるような瞳。そのすべてが重なった結果、彼女は愛香と似ているけど似てない姿をしていた。
「誰…?」
「ちょっとどいて!」
謎の女の子は愛子を押して中へ入ってきた。愛子は今、なにが起こったのかわからなかった。
(なんだ、今のは?)
ぼうっとしていた愛子はやっと状況を見た。初めての人に押された。名前も言えず、自分勝手に入ってきた。ちょっと驚いて、腹が立って、愛子は悔しい気持ちを抱いたまま少女に近づいた。だが、少女が愛音を抱きしめるのがはやかった。
「お姉さま、久しぶりです!」
「え。」
突然入ってきた少女は愛音を姉と呼んだ。驚いた親子は一瞬、息さえできないまま少女をみた。
「姉…?」
愛音がやっと唇を開き、言葉を紡いだ。
「はい!」
少女がうれしそうな顔をした。
「私はお父様によって作られた、あなたの妹です!」
少女は、愛音にウィンクをした。
「どうぞよろしくお願いいたします!」
「ええええ!?」
二人の悲鳴に似た声が空へ広がった。
「ねえ、ちょっと、妹って…。」
愛子が声をかけたけど、少女は振り向くことなく、愛音だけを見ていた。
「私はあなたに、家族に会いたくて…。だから会いに来ましたよ、お姉さま!」
石のように固くなっていた愛音は、少女の話の中、ある単語を掴み、震える唇をそっと噛んだ。
「お父さん、生きているの…?」
目をばちばちした少女は、元気よく断言した。
「いま、お姉さまにとっても会いたがっています!」
「そうか、だから探さなかったんだ。生きていたから…。」
愛音がぼうっとつぶやいた。火災の日、どうしても父の死体を見つけなかった。幼い頃は小さな希望を抱いた。父はどこかへ逃げ出して、生きているのではないか、と。その希望に今、火が付いた。
「待って、お母さん!」
愛子が母に走ってきた。愛音を抱きしめていた少女は愛子を見下ろした。愛子はその睨みに知らずに怯えたが、正気に戻って母の肩に手をあてた。
「お爺さんはなくなったでしょ?死んだ人が生きて帰るって、そんなの聞いたことないよ!」
「静かにしなさい。」
「お母さん…?」
「話してる途中に割り込まないで。」
でも、奇跡の喜びに胸が踊ってる愛音は娘の話に耳をすまさなかった。
「その話、もっと聞かせてくれる?」
「当然ですわ、お姉さま!」
愛音は少女の手を取り、キッチンの食卓に着いた。少女は愛子を振り向いて、『邪魔』といった。聞き間違いかもしれないが、きっとそんな気がした。愛子はなぜか不安な気持ちになった。母を止めたかったが、愛音の瞳は喜びでひらめいていた。もうどうすればいいかわからなくなった。