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冷徹な竜王陛下のお飾り妻は離縁されたい!

作者: 友坂 悠

「悪いがこの婚姻は形式的なものと思ってもらいたい。私が君を愛することはない」


 祝宴が終わり寝屋に着いたあたしが旦那様にかけられたのは、そういう台詞だった。


 ああそっか。そうだよね。

 あたしみたいな田舎娘が竜王様の妃だなんて、おかしいと思ったんだ。

 国では聖女とか呼ばれてたけどそれでもうちの国なんかここ中つ国に比べたらほんの小国だしそれに噂だと……。

 竜王広りゅうおうコウ様には今まで数十人のお妃様がいたけれど、全て早世してしまわれたって。

 周辺の国から変わるがわるお妃様を娶ってたからもうお妃様のなり手がいないんじゃないかってそんなふうにも噂されてた。

 なんて可哀想。あたしはそう思ってたしうちの国に白羽の矢が立った時にはお父様もお母様も姉さんや妹が冷徹と噂の怖い?竜王様に嫁ぐのは不憫だからって泣くから、それならあたしが行ってあげるって宣言してこうして嫁いできたのだけどそれでもね。

 竜王様の方でもこの婚姻は乗り気じゃなかったのかぁ。

 それとも嫁いできたのがあたしみたいなちんくしゃで、嫌だったのかなぁ。

 ちょっと悲しい。


「わかりました。旦那様」


 あたしはお布団の上でしゃがみ、三つ指ついて頭を下げそう返事をした。


 そんなあたしの態度にとりあえず満足したのか、竜王様はそのままくるっと振り返って部屋を出て行った。


 寝屋に取り残されたあたしはどうしようかと思ったけれど、とりあえず今日のところはもうどうしようもないかとそのまま布団に潜り込んだ。


 ちょっとだけ涙が滲んだけれど、そんな涙もお布団が全て吸い込んでくれて。

 いつの間にか意識がなくなっていたのだった。

 そんな、新婚初夜。



 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎



 あたしの国はこの中つ国とは海を隔てた場所。島国だった。

 大昔にこの中つ国で政変があった際に逃れてきた人々が建てた国でちょうどここからは太陽が昇る方角にあったことから日の本と名乗っていた。

 一応あたしのお父様が国主として国を治めていたけれど、どちらかと言ったら豪族と呼ばれる有力貴族らの合議制で物事が決まる、そんなふうで。


 竜王様が花嫁を探しているという話が来たとき、お父様やお母様は乗り気じゃなかったけど周りのお偉方さん達は「これぞ好機」とか言っちゃってあたしたち三姉妹のいずれかが黄竜、竜王広様に嫁ぐべきとお父様に詰め寄った。


 結局、渋るお父様に業を煮やした誰かがこちらからも売り込んでくれた結果? 今回の竜王様の花嫁にとうちの国に白羽の矢が立ってしまい。

 もはや断ることなどできない状況に追い込まれたのだった。


 そんなこんなであれよあれよという間に話が進み、あたしは昨日この中つ国の宮殿にやってきたばかり。そのまま祝宴が始まり何とかそれも終わったと思ったら冒頭のセリフ……。

 という話で。


 結局うつらうつらはしたもののしっかり眠ることもできないままこうして日が白み出すのを眺めているあたし。

 ねえ、ほんとこれからどうしようか。

 あたしは右手で、この子だけはと連れてきていた子猫のミケコを撫でながら、そうひとりごちた。


 ⭐︎


「おはうようございます妃殿下。本日から貴方様にお仕えさせて頂きます紅華くれはと申します。以後お見知りおきくださいませ」


 窓から朝日がさしてくる時間になってあたしをおこしにきたのは紅華と名乗る彼女だった。

 凛としたその立ち姿に、ああ洗練された美人さんだなぁと思ったあたしはにっこりと微笑んで。


咲耶さくやと申します。これからよろしくお願いしますね」


 と右手を差し出した。


 ちょっと一瞬戸惑ったお顔をした彼女、


「私は妃殿下の身の回りをお世話するよう申しつかった側仕えでございます。そのような言葉使いは無用に願います」


 そう頭を下げ固まってしまった。


 はうう、あたし距離感間違った?


 差し出した右手をそっと引いて、代わりにそのまま頬にあて。


「ごめんなさい、あたしはこういう格式のある場所に慣れてなくて。頭をあげてちょうだい。そう、ね。もしできたらいといろ教えてもらえないかしら。こういう時はなんて言えばいいのか、とか」


 右手を頬にあてたまま、こてんと首を傾げてみる。


 ちょこんと顔をあげた彼女。ちょっと不思議そうな顔をしたと思ったら、そのまま綻ぶように笑みがこぼれた。


「そういうことでしたら……わたくしでよければ喜んで」


「ありがとう紅華さん!」


「では。まず私の事は『紅華くれは』と呼び捨てくださいませ。妃殿下と私では身分が違います。敬称は無用に願いますわ。それ、と」


 紅華さん、こちらを見つめふっと笑みを溢し。


「貴女様のような方が我が王の妃であってくれて嬉しくおもいます。どうぞよろしくお願いいたします」


 そういうと深々と頭を下げた。


 ⭐︎


 紅華さんに色々と手伝ってもらって身支度を終えたあたし。

 やっぱりこの中央とあたしのいた島国じゃ風俗も違ってる。

 この宮殿に相応しい格好といったらなかなかに仰々しいもので。1人で着替えるのが難しかったのもあるけど。

 何重にも衣装を重ね着して肌を極力見せないのが中央流、らしく、あたしがここに来るまでに着てきたような簡素な着物はここでは着ちゃだめだって早々に注意された。

 精々寝巻きや部屋着にしてくれとのことで。


 そんな何枚も着せられたらもこもこになっちゃう、そう思いながらもされるがままに任せてたあたし。紅華さんが上手なのかこの着物の特性なのかわかんないけど終わってみたらシュッとしてそんなにもこもこにならずにおさまってた。

 ひらひらとした裾を翻しすすすと歩いて食堂に向かう。

 斜め後ろを紅華さんがついてきてくれるのが気配でわかるけど、一度振り返ってみたら「ダメです。前を見て背筋を伸ばしましょう」と小声で諭された。


 煉瓦の壁に囲まれた食堂には大きな四角い食卓があって、そこに椅子が二つ。

 華美ではないけど質実剛健といった感じのお部屋には大きなあかりとりの窓ガラスがはまって中庭が見える。

 真っ赤な椿が目に止まり、思わずほおが綻んだあたし。

 ああいけない。竜王様が見てるのに。

 そう気がついた時には遅かった。

 食卓の向こうの端、上座に鎮座した竜王広様にしっかりあたしのにへらとした締まりのない顔が見られてしまったかと焦りながら、なんとかすすっと席に着く。

「おはようございます旦那様」

 あたしは気まずいのを誤魔化すようにそう挨拶した。もちろんお上品ににこりと笑みを浮かべるのは忘れずに。

「ああ。おはよう。君は今の笑みよりも先程の顔の方が似合うようだな」

 と、広様がボソッと言うのに一瞬固まって。

「旦那様ももっとお笑いになるといいと思いますわ」

 そう口が滑っていた。





 青、碧、そんな言葉が似合いそうなそんな色合いのサラサラの髪が背中まで伸びて。

 ツヤのあるそんな綺麗な髪をかき分けるように伸びる二本の角。

 まっすぐではない湾曲したその角は、竜王広様の力の象徴のようにも感じる。

 すっと通った鼻筋にしっかりした顎。

 男らしい顔立ちであるのにどこか麗人のような美しさを感じさせるそんな美麗なお顔立ち。

 もっと特徴的なのがその瞳だ。

 すっと真横に引かれた絵のように、キリッとした切長のその眼の中に、時折見えるコバルトの宝石のように眩い瞳。

 ああ、このお方はやはり人ではなく神なのだな。

 そう思える。


 天にあられる神々は地上に降りる時におっしゃったのだという。


 この地は黄竜によって治められるべし、と。


 地竜が大地を産みこの世界の素を創った後、天より降り立った黄竜により人の世は治る。

 そんな伝説。


 ううん、伝説なんかじゃなかった。

 だって、今あたしの目の前にいるこの人こそが、黄竜、竜王広さまなんだもの。


 ああ、あたし、どうしよう。

 そんな竜王様に向かってとんでもないことを……。



 何事もなかったように目の前の料理を召し上がっていらっしゃる広様の目の前で、あたしは形だけなんとか食べ物を口に運んではいたものの。

 もう頭の中が真っ白になっちゃって味が全然わからずにいた。


 最後にごちそうさまと手をあわせ。

 席を立って竜王様がお部屋にお帰りになったところで。


 あたしはやっと大きく息を吐いて。


「あ〜ん、やっちゃった」

 そう泣き言を漏らしていた。


「妃殿下?」

 背後からそう声をかけられ、あたしはしょぼんとした顔をしたまま立ち上がった。


「ああ紅華さん、あたし、どうしよう」

 そう彼女に抱きついて。


 ちょっと目を白黒させている紅華さん、ごめんね、でも。


「殿下、もう、仕方ないですね」

 そうあたしの頭を撫でてくれる彼女。


「お化粧が崩れてしまっていますわ。お部屋に戻ってお直ししましょうか」

 そう優しく囁いてくれた彼女。


 そんな彼女に促されるままあたしはなんとかかんとか竜王様の妃らしく取り繕って、お部屋まで帰ったのだった。

 今日はこの後色々予定が入っているらしい。

 忙しいですよっていう紅華さん。

 はうう。頑張らないと。



 ⭐︎⭐︎⭐︎



「さあ、お綺麗ですよ」

 紅華さんがにっこり微笑んでそう言った。


 目の前の鏡にはそれなりには見えるようになったあたし。

 まあね?

 竜王広様のあの綺麗さ美麗さには全然およばないちんくしゃなあたしだけれど、一応国もとではこれでも巫女姫、聖女、と呼ばれ国家のいつきを司る巫女であったあたし。

 ちゃんと綺麗にお化粧すればそれなりには見えるようになる、とは自覚してた。


 今日はこれからこの中つ国の主要大臣の方々との謁見の儀とのことで、(ああ、一応あたしに彼らが謁見するという儀式ね?)綺麗に着飾って中央の椅子に座っていればいいのだとは聞かされていた。

 朝は失敗しちゃったけど、でもでも。

 なんとかちゃんと妃らしいところを見せないと、竜王様に悪い。


 そう思って緊張して、なんとかちょこんとおすましして座ったあたし。

 はうう。頑張らなきゃ。


 目の前に何人もの人が並ぶ。

 竜王様はいらっしゃらないのに皆が畏まってみえるのは、それなりの敬意の表れなのだろう。

 ここにいるあたしはあたし個人ではないのだな、と。

 竜王様の妃としてあるのだな、とそうあらためて認識する。


 うん。わかるよ。

 ここに居る人たちはみなあたしを通してあたしの向こうに在る竜王様をみていらっしゃるのだと。

 だからこそ失敗できないな。

 あたしがダメだと竜王様に恥をかかせる事になる。

 そんな重圧を感じる。


 あたしって調子にのって喋るといらないことまで口が滑っちゃうことがあるから(自覚はしてるの。ちゃんと)今日のところはにっこりと笑顔で挨拶をするだけにしている。

 どうせそこまでしつこく聞かれるわけじゃない。流石にそれは失礼だっていう意識は向こうにもあるのだろうから。

 基本は挨拶と気候の話。

 主要大臣の方々がそれぞれ自己紹介をしながら一言二言簡単な会話を混ぜてくるだけだったので、あたしもそれに合わせて会釈をしつつそうですねとか頼りにしていますとかそんな当たり障りのない受け答えに終始して。


 必要以上に偉ぶらず、だけれどへりくだったりは立場上できないしとかそんなことを考えていると頭がどうかなりそうだ。


 ああ向いてないなぁ。

 でも、しょうがないなぁ。


 もうちょっと人となりがわかってきて親しくなれればもう少しお話しできるのかなぁとかも思いながらなんとか乗り切ったのだった。


 そして午後はいよいよ奥様方や御令嬢方とのお茶会。

 お昼の食事を軽く頂いてからになるらしいけど。


「お疲れ様でした。でも次のお茶会の方が大変かもしれません」

 そう紅華さんが声をかけてくれた。


 今日一日であたしの顔見せを終わらせるの?

 そんなふうに聞いてみたら、

「いいえ。本日は普段から王宮に出入りしている方々だけですわ」と、そう。

 そっか、でも、大変って。

「女性陣の方が当たりが少しばかりきついかもしれません」

 と言ってお顔を少し曇らせた紅華さん。


 なるほど。


 確かにロマンスグレーで素敵なおじさま方ばかりだった先ほどまでの謁見の儀。

 国の正式な儀式という話だったのもあったけどそれでもそこにいた皆さんからは全くと言って良いほど悪意と言ったものを感じなかった。

 概ねあたしのことを歓迎してくれている、そう素直に受け取ったんだけど。

 でも、女性陣は違う、ということだろうか?



 あたしはちょっと身構えて午後からのお茶会に備えたのだった。



 ⭐︎⭐︎⭐︎



「あたくしはあなたのような方が広兄様のお妃だなんて認めませんから!」

 皆が円卓の席に座り一通り挨拶が終わったところで。

 あたしの真前に陣取っていたいかにもお姫様然とした御令嬢、碧花あおか様がそう立ち上がって声を張り上げた。

 碧い宝石のように煌めくその髪色は、竜族の、それも広様との濃い血の繋がりを感じさせる。

 でも妹さん? ではないよね? そういう話は聞いて無かった。


「広兄様はあたくしの伴侶となるお方、貴女なんか所詮形式だけの妃なんだわ。間違いないもの!!」


 ああ。


 碧花様のこの言葉を聞いて。


 流石に打ちのめされたあたし。


 涙が一筋頬を伝って落ちた。



「貴女、泣けばいいって思っていらっしゃる!? だいたいね、本来なら至高なる我が竜族の妃になるのに貴女みたいな田舎娘は似合わないのよ! ほんといっときの戯れとは言えこうして次々と妃を迎える広兄様もどうかしていらっしゃるわ。まあそれが政治的な思惑なのだとしてもよ。竜族の血は強すぎるから純粋な竜族同士では子孫を残すのが難しいっていうのもわかるわ。だけれどそれでも広兄様には今まで人族との間にお子などできはしなかったじゃない。だったらなぜあたくしじゃいけないの? おかしいわよみんな。そろそろいい加減、現実を知るべきだわ!」


 ガタンと乱暴に席を立った碧花様。

 とにかくそれだけを早口で捲し立てると。


「いくわよリーファ。こんな茶番に付き合ってはいられないわ!」


 そうこちらをジロリと睨み、さっと振り返るとお付きの侍女さんを引き連れスタスタとその場を後にしたのでした。


 呆然と見送ったあたし。いつの間にか溢れた涙も乾いてて。


「咲耶さま?」

 大臣の尚嘉しょうかさまの奥さま、呂凛るーりんさまが声をかけてくれて、あたしははっと意識を取り戻し。


「ああ、ごめんなさい呂凛るーりんさま。ちょっとびっくりしてしまって」


「まあ。仕方がないですわ。碧花様は少しばかり気難しいお方ですから」


「わたくしは歓迎されていないのですか?」


「少なくともわたくし達宮廷に仕える者達は皆、咲耶様を歓迎しておりますよ。広様には一刻も早く世継ぎのお子が必要ですからそのためにも期待をしておりますわ」


「はあ」


「ふふ。この中央には中央で色々と事情があるのですわ。おいおい貴女様にもお分かりになると思いますが」


「そう、なのですか」


「とにもかくにも、貴女様には陛下と仲睦まじく過ごして頂けるよう、わたくしどもも協力を惜しみませんから」


 そういう呂凛るーりんさまのお顔は、嘘偽りではない様子には見えた。


 でも。


 あたし、龍王様に拒否されたのは本当のことだし。

 碧花あおか様のおっしゃったことは事実なんだろうなって思える。


 どうしたらいいんだろうか。あたしは……。


 ⭐︎⭐︎⭐︎



 一つ、このまま竜王様と寝屋を共にしないまま人生を過ごす。

 二つ、なんとしても竜王様に気に入られるように努める。

 三つ、諦めて離縁してもらう。


 うーん。どう考えても選択肢はこの三つしかなさそう。


 一つ目は、あーん、どう考えても針の筵だよ。

 呂凛るーりんさまのおっしゃる事が真なら、あたしに期待されているのは竜王様の世継ぎの子だけ。

 何もしないでいる妃なんて意味がない感じ?

 例えそれなりに人間関係ができて宮廷の中の人たちと仲良くなれたとしても、子供が産めなければ期待外れって思われそうでちょっと悲しい。

 自分だけが平穏無事に過ごせればいいとかそういうふうにも思えないし、広様は一体どう思っていらっしゃるんだろう……。



 二つ目は。


 ほんと広様が一体どうお考えなのかがわからなければどうしようもないかも。


 え?

 色仕掛けで迫ればいいって?


 ってそんな真似できるわけないもの。


 あたし、そういう色事は全くと言って経験ないし。

 男女の睦言だって話には聞いたことあるけど、実際のところよくわかってなかったりするのに。


 はあ。


 もう、しょうがないのかな。


 このままだとやっぱり離縁してもらえるようにお願いするしか方法はないのかな。



 婚姻2日目を終えお布団に潜り込んだあたしは、そんなことをつらつら考えている間にいつの間にか眠ってしまっていた。





 ⭐︎⭐︎⭐︎



 そこからの数日はあまり何事もなく過ぎていった。

 旦那様も、なんだか体調がすぐれないとかでお食事もご一緒できなくって。

 せめてお見舞いがしたいとそう侍従さん経由でお願いをしてみたけどそれも断られた。

 あたしにあいたくもないのかな。

 あたし、完全に嫌われたのかな。

 そう思うと悲しいけど、それでもやっぱりこのまま子供が産めずにただいるだけのお飾り妻でいるのももっと悲しい。


 それならいっそ、本当に離縁してくれないかなとか思うけど、竜王様のあの感じではそもそもあたしなんか政治的な何かで妻に娶っただけの存在とでもいうのだろうか、ちょっとやそっとじゃ簡単に離縁もしてもらえそうにも思えない。


 そう気分も落ち込んでいると紅華くれはさん、「奥様、お外の散歩でもどうですか? 気が晴れるかもしれませんよ?」とそう優しく声をかけてくれた。


 妃殿下から奥様に呼び方変わったのはちょっとは気を許してくれたのかなぁと嬉しくなって。

 あたしは笑顔で頷いた。


「じゃぁお花が一杯あるところに行きたいわ。この宮殿にはそういった場所もあるのでしょう?」


「そうですね。ではまず中庭の椿でも愛でにまいりましょうか? 今が盛りと咲き誇っておりますわ」


 ああ。食堂から見えた椿かな。真っ赤な花がとても綺麗だった。


「ああ。あたしその椿が見たいです!」


 そういうと。

 それでは、とでもいうように手を引いてくれる紅華くれはさんに促されるまま。

 あたしは中庭に降り立って椿の咲き誇る垣根の美しい庭園を巡って。


 中程に差し掛かったところで。


「ここでお茶にしましょうか」

 と。

 庭園の中に設られた真っ赤な卓。

 猫足のかわいい木ぼりの大きな椅子に腰掛けたあたしを残し、紅華くれはさんはお茶の用意をしに屋敷の方に戻っていった。


 しばらくそこで。

 椿のむせるような香に包まれながら、あたしはちょっと微睡んで。


 嫁いできて以来、あまり心を休める時間は取れなかった、けど。

 そんな疲れが取れるような、ゆったりした気持ちになれたのだった。




 はっと気がつくと。


 庭園の隅っこで、何かゴソゴソと音がする。



 紅華さんはまだ戻ってこないけど、少しくらいならいいよね。

 こんな宮殿の中庭で、危険なことなんかないだろうし。


 あたしはその音の方に向け目を凝らしてみる。


 すると。

 なんだか碧い亀? トカゲ? なんだろう小さくて丸まってるそんな生き物を見つけた。

 ひょこひょこと近づいてみると、なんだかすごく苦しんでいるみたいな気がして。


「ねえ、あなた、大丈夫?」


 あたしはその子が言葉なんかわからないかもしれないけど、とは思いつつ、そう声をかけて手を伸ばした。


 ガウ!


 はう。

 それは、明確な拒否だった。こちらに首をあげ吠えるその子。

 噛まれはしなかったけど、伸ばした手を拒否するようなそんな碧い瞳が見えた。


 ああ、でも。

 生命力がかなり弱っているのがわかる。


 近づいてみてわかった。この子はドラゴンだ。それも幼生体。

 ここが中つ国。竜の国と呼ばれる所以なのか?

 こんな場所にドラゴンの幼生がいるなんて。


 少なくとも日の本ではドラゴンはほぼ生息していなかった。

 あたしも本でしかその存在を見聞きしていないけど。


 竜族とドラゴンは似ているようで違う、はず?

 神の一族でもある竜族とドラゴンでは、そもそも種族も違うって聞いた気がするけど……。


 そんなことをつらつら思いつつ、それでもこんなにも弱ったこの子を放っておけなかったあたし。

「ごめんね、これくらいしか今はできないけど、少しは楽になるかな?」

 そう話しかけつつ両手をドラゴンに向けかざし。


「治癒!」


 あたしの中の、治癒の力をこの子に向けて放った。

 金色の真那が溢れ。

 そのドラゴンの幼生体の全身を包み込んだのだった。





 あたしの巫女としての三つの能力の一つ、治癒。

 怪我をしている部分を治す力。

 この子を見たところ外傷があるわけではなさそうだったから、この治癒がどれだけ効果があるかはわからなかったけど。

 やらないよりもマシだ。そう思って。


 あとのふたつは癒しの力と天候を操作する術、だけど。

 まあ天候は今は関係ないよね。

 癒しの力はあたしの生命力を分け与える力。

 でもこれは、寄り添ってあげないと効果が出ない。

 こうして離れた状態で使えるのは治癒だけだ。


 だから。


 キュウウ


 あ。少しはこの子を癒せたのだろうか?

 表情がさっきよりもマシに見える。

 苦しそうに唸っていたけどそれも治ってる?

 生命力は……、まだダメ、か。

 弱ったままだ。


 そっと触って撫でてあげると、さっきみたいに拒否をするでもなく。

 キュウンと可愛らしい声で鳴いた。

 でもまだ意識が朦朧としているのかな。このまま放っては置けないよ。


 あたしはそっとそのドラゴンの仔を抱き上げて、先ほどの椅子まで戻る。

 紅華さんがきたらこの子をお屋敷に連れていっていいか聞いてみよう。

 今夜一晩添い寝して癒しの力を使えばもう少しはましな状態になるかもしれないし。


 ⭐︎


「まぁまぁ。これは大変ですね。でも」


「さっきあたしが応急で治癒を使ったので少しはよくなった状態なんです。でもこのままじゃ。お願いです紅華さん、今夜一晩この子を癒してあげたいの」


「そう……ですね。それがいいかもしれません。この子もきっと喜んでくれるでしょう」


「ありがとう紅華さん!」


 紅華さんがお茶を運んできた籠にやわらかい布を敷いてくれて。

 ドラゴンの仔をそこに寝かせた状態でお部屋まで運んでくれた。

 流石にあたしが抱いたまま連れて行くには重過ぎたのですごく助かった。


 あたしはお願いしてお部屋にお食事も運んでもらって、温かいスープをドラゴンの仔の口元に含ませてみる。

 ぺろぺろと舐めて、安心したように寝てしまったその子をお布団に寝かせ、そっとその隣に滑り込んだあたし。


 そっと抱きしめて、心の真那の扉を開く。

 あたしの体温がそのまま伝わるかのように、温かい真那がその子の身体を包み込み。

 そして。

 あたしは癒しの力を注ぎ込む。

 きっと大丈夫。

 朝にはもう少し楽になってるからね。

 そう囁いて、優しく撫でてあげた。



 そのままうとうとと寝てしまったあたし。

 多分、力を使いすぎて気を失ったのもあるかな。

 はっと目を覚まして胸元にあったはずの温もりを探して。


 え?


 いない?


 どうして!?


 気がついた時。


 そのドラゴンの仔は姿を消していた。

 でも。

 きっとあの子も少しは元気になっただろう。そんな確信はあったから。


 あたしは、自分の心の中がそんな優しい気持ちで温かくなるのを感じていた。





 ⭐︎



 朝の支度にきてくれた紅華さんに、ドラゴンの仔がいなくなっちゃった話をしたら、

「まぁまぁそうですか。でもきっと奥様に感謝していると思いますよ」

 とそう慰めてくれた。 

 おまけになんだか優しい眼差しで見つめられているような気がして。

 この中つ国ではやっぱりドラゴンは聖獣として大事にされているのかなぁと、あたしのした事は間違ってなかったんだなぁと、すこし心がほこほこした。


 まだ少しあの子の事は心配ではあったけど。

 それでも旦那様の事もちょっと心配で。

 あたしの癒しの力を使えば旦那様のことを癒してあげることもできるだろうに、そう思うけど。

 添い寝どころかお側に近づく事もできない。お会いすることもできないこんな状況じゃぁどうしようもない。

 やっぱりただのお飾り妻、お飾り妃なのだなぁと寂しくなる。


 紅華さんに着付けをしてもらい食堂まで歩く。赤茶色に焼けた煉瓦に覆われた食堂は、なんだかほんわりと温かさを感じる。

 今朝も一人の朝食なのかなとそう思ってきてみると、なんと食卓の反対側にはもう旦那様が座っていらっしゃった。

 ご様子も、大丈夫そうなのに安心して。

 思わずほおが綻んだ。

「おはようございます旦那様」

 すすっと席につきながらそう笑顔を向けて挨拶するあたし。

「おはよう」

 と、広様。ぼそっとそう挨拶を返してくれたと思ったら。

 すっと目線を逸らしたのをあたしは見逃さなかった。


 ⭐︎⭐︎⭐︎



「もう、なんだっていうのよ。あたしが何をしたっていうの!?」


 時間はもう夜半過ぎ。

 あたしはお布団にくるまって枕をボスンボスンと叩きつけてそう愚痴ってた。


「いくらなんでもよ? 目を逸らすなんてどういう事? あたしを嫌いなら嫌いで無視されるくらいならまだしも」


 はあ、と。

 力が抜けてバタンとお布団に倒れ込んだ。


 旦那様の態度がおかしかったのは朝食の時間だけでは無かった。

 お昼も。お夕食も。

 一緒にお食事ができて嬉しかったあたしはその都度笑顔で挨拶をしたのに。

 そのたびに、プイって目を逸らすのだ。

 まるであたしのことなんか直視できないとでも言わんばかりのそんな態度に、あたしは嫁いできて初めて爆発してしまって。


 まあね。一応ね。旦那様の前ではそんなことおくびに出さないようにしてたけどそれでもさ。

 いいかげんにしてほしいわ。


「ね? アオもミケコもそう思うよね?」


 あたしはあたしにくっついてくれている子猫のミケコと、やっぱりその反対側でお布団に潜り込んでるドラゴンのアオを撫でながらそう愚痴る。


 っていうか夜になってそろそろお布団に入ろうかなって思ったところにやってきたアオ。

 ちゃんと扉が開けれるっていうのも不思議だけど、お屋敷の中を自由に歩いてこれたっていうのももっと不思議。

 誰にも咎められることなくお部屋の扉をキイって開けて滑り込んできたこの子をあたしは抱き上げて歓迎し、「あなたはアオよ。これからあなたの事をアオって呼ぶからね」とそう名付け。

 今夜も一緒のお布団で寝ることにしたのだった。


 弱っていたように見えた体は昨日よりはずっと良くなっていたけど、それでもまだ弱々しい気を放っている。

 あたしが癒しの力を使うことでこの子が回復するのなら。


「ねえ、アオ。旦那様にもあたしの力を使えたらいいんだけどね」


 あたしは。

 アオを撫でながらそう呟いた。


 クーン。


 そう答えてくれたアオ。

 あたしの手をぺろっと舐める。


「ありがとうね、アオ」


 慰めてくれるような仕草を見せるアオが可愛くて仕方がない。


 竜王様も、お元気そうには振る舞っていたけれどその生命力が弱っているのは感じていた。

 先日の体調不良だって、あたしに会いたくない言い訳では無しに、本当のことだったんだろう。


 なんとかしてあげたい。

 そう思うのに何もできない自分がほんと情けなくてもどかしかった。


 ⭐︎



 それから毎晩アオはあたしの寝室を訪ねてくれた。

 朝になるといつの間にかいなくなっているのに、夜皆が寝静まった頃にコソコソっと現れる。


 この宮殿の警備はこんなんで大丈夫なんだろうか?

 そんなふうに逆に心配になるくらいだ。


 それでも。


 あたしに寄り添って癒しの力をねだるその可愛らしい姿に。

(ああ。あたしと旦那様に御子が授かったら、こんな可愛らしい子になるのかなぁ)

 そんな妄想もしてしまう。


 竜の姿に変化できる竜族は、純粋な竜族かせいぜいその血が半分である混血まで。

 そう紅華さんが教えてくれた。

 その濃厚な血は濃すぎると子を残すのが難しく、かといって薄すぎると今度は力を失うのだ、とも。

 だから長い間竜族は血が薄まってしまう事を恐れ、混血をすることはあってもなるべく純血の血筋を絶やさないようにしてきたのだということだった。

 普通の人間と比べれば遥かな長寿である竜族。

 しかしそれも。


 今や純血な竜族は数えるほどしかいない。

 竜王様に混血の御子を望む家臣たちにとって、もはや純血よりも竜王の血統を残すことが大事であるのだろう。

 その辺がもしかしたら竜王様と齟齬があるのかもしれないな。そんなふうにも感じていた。



「ねえアオ。あなたがあたしの子供だったらよかったのにね」

 そう。あたしと竜王様の御子であったなら。


 あたしはアオに頬擦りし、そう耳元で囁く。

 クオーン

 そう返してくれたアオに、もう一回抱きついた。




 ⭐︎⭐︎⭐︎





 今夜は満月だった。


 降り注ぐ月の光を満遍なく身体中に浴びて。

 あたしは生き返った気分に浸った。


 ここのところ毎晩のように使用していた癒しの力。

 そのせいもあってあたしの中にある真那は枯渇しかけていた。

 流石にこのままだといくらあたしでも無事じゃ済まないかもだから、今夜はちょっと空の神様に頼んで雲ひとつない晴天にしてもらった。

 月光を浴びることで世界から補填される真那。

 それを雲なんかで隠しちゃもったいないもの。


 ベランダで思いっきり月光浴を楽しんで。


 部屋に戻ろうとした時。アオがお部屋に入ってくるのがわかった。

「あは。アオ、いらっしゃい」

 そう笑顔で挨拶するあたし。

 って。


 え?


 どうしたのアオ?


 びっくりしたような表情でこちらを見つめるアオ。


 そのままバタン、と、お部屋を出て行ってしまった。


 えー?

 どういうこと? アオ、あなた……。


 まるで人間のような反応のアオ。

 というか、あたし、素っ裸で月光浴をしていたから……。


 嘘!

 恥ずかしい恥ずかしい!!


 アオには人の意識があったっていうことなの?

 じゃぁ、あたしは彼に、生まれたままの姿を晒してしまったってこと?

 って、そんなことよりも!!

 あたし、今までアオに色々しちゃった、よね?

 頬擦りして、抱きしめて、そんでもってあなたがあたしの子供だったらよかった、とか、も。


 あああああ。

 ドラゴンの幼生だと思ってたけど、アオは竜族だったってことなの?

 でも、だったらなんで紅華さんちゃんと教えてくれなかったの!!


 もう穴があったら入りたい、そんな気持ちでそばにあった毛布を頭からかぶってしゃがみ込んだあたし。


 コンコン

 そうノックの音がした。


「紅華さん!?」


 こんな時間にあたしの部屋を訪ねてくる人と言ったら彼女しか。


「すまない、咲耶さくや。私だ」


 え?


 旦那様? どうしてこんな時間に。それよりもこんなあたしの寝屋に!


「すみません旦那様、少しお待ちくださいませ!」


 あたしはそう大声をあげると、大急ぎで着替えをして。

 なんとか旦那様をお部屋に招き入れたのだった。



 竜王広りゅうおうコウ様には長椅子に腰掛けて頂いて、あたしはグラスに水差しからお気に入りの柚子水を注ぐ。


 本当はお茶の用意ができるといいのだろうけど、もう寝るばっかりだったこの部屋にはそんな気の利いたものは無かった。


「すみません旦那様。お飲み物これしかご用意できなくて」


「いや、気にしなくてもいい。私は君に謝りに来たのだから」


 え?


「咲耶。私は君を愛している。いや、愛されたいと願っている。君を傷つけてしまった私を、どうか許してはもらえないか」


 はうううう!!??


 びっくりして固まっているあたしの手を掴んで、そのコバルトの瞳で真っ直ぐにこちらを見つめる竜王様に。


 あたしの顔は真っ赤に熱って。

 呼吸もうまくできなくて。


「ああ、でも、どうして……」


 そう小さく呟くしかできなかったあたし。


「私は、いや、竜族は、君に救われた。もう長くはないと諦めていたこの命を救ってくれた君に、私は残りの生を全て捧げてもいいと思っている」


 はわわ。


 お顔が近いです旦那様!!


 もうドキドキがとまらなくて困っちゃう。


 握った両手を離さずそのままお顔を近づけて訴えるように語る竜王広様。

 その瞳がなんだか……。


 もしかして。


「アオ? アオなのですか?」


 あたしは目を見開いて、そう叫んでしまっていた。






 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎




 数日後。

 あたしの歓迎式典の続きが催された。


 広様の容態がよろしくなかったせいで延期されていたそうで、あらためてといった形での大々的な結婚披露宴といったものだった。


 国の内外より大勢の賓客が来訪し、たくさんのお祝いの言葉を頂けた。


 なんだか、これ、夢じゃないよね?

 そんなふうに頬をつねってみたら痛かった。


「バカだな、咲耶。これは夢なんかじゃないよ」

「でも旦那様。あたしこんなの幸せすぎます」


 国元からはお父様お母様お姉さまに妹もみんな揃ってきてくれて。

 あたしと広様を祝ってくれた。


 ああ、嫁いできた晩のことが、もう遠い昔のことのよう。





 冷徹な竜王様という噂は真実とは少し違っていた。

 今までのお妃様も、皆早世したのではなく天寿を全うしたのだという。

 ただ、竜王様はもう数千年は生きていらっしゃるから、その間には何人ものお妃様がいただけの話で。


 竜族としての生命力が尽きようとしていた広様は、重臣たちに勧められるままあたしを娶りはしたけれど、それでも自身の命がもう長くないことを悟っていたのだろう。冒頭のセリフになったのだとそう謝ってくれた。


 それが。


 あたしが寄り添って癒しの力を使ったことで。

 少なくともまだ百年は持ちそうだと、そう笑ってくれた。


 うん。百年どころかもっともっと長生きしてほしい。


 あたしと広様の子供が一人前な竜王となるまでは、生きていてね。


 そう願わずにはいられない。


 大好きです。アオ。



        FIN








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