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見える人  作者: 佐藤清春
悲しい作業/永劫につづく罰
8/25

3-3


 部屋はだいぶ片づいてきた。大きなものはしかるべき場所に収まったし、小物はキッチンボウルにまとめておいた。あとは必要なものをそろえればいい。ただ、買いに行くとなると休日しかない。だから、平日の夜は細々と小物の整理をするしかなかった。


 ビールを飲みながら僕は整理にいそしんだ。こういう機会だから要るものを選別し、不要なものは捨ててしまおうと考えたのだ。しかし、そうしてると不思議な感覚をつかむことになった。《無いことの証明》とでもいうべき問題が浮かびあがってきたのだ。


 るものは在る。当然のことにそれはわかる。でも、失われてしまった可能性のあるものはよくわからない。探し出せないだけでどこかに存在してるかもしれないのだ。


 さらにいうと在ったはずだけど記憶に残ってない物というのもある。それらの不在を証明するのは困難だった。そういった存在があやふやな物たちは失われたのかもしれないし、はじめから無かったとも考えられる。


 実際にも整理の過程で「こんなの持ってたんだ」という発見があった。誰かにもらったけどそのままにしておいた物たち(たとえばオパールのまったネクタイピンなんかだ)は自分でもその存在があやふやだった。そういった見つけたことで存在を認識する物というのもある。それらはずっと部屋にあったにもかかわらず念頭に浮かばなかった物だ。


 記憶をたどり、僕は在ったはずの物たちを思い出そうとした。キッチンボウルに入っておらずたなにも残ってない、しかし、確かに在ったはずの物たち。それらはさぎさわもえが持っていったのかもしれないし、捨てていたのかもしれない。


 すべての持ち物をリストアップして、処分のときに二重線で消しこみを入れておけばよかった。そうしていれば《無いことの証明》も簡単だったはずだ――なんてふうに考えながらやっていたので整理には時間がかかった。長期戦になるとかくして僕は日に一時間だけ作業した。こんめても下らない思いにわずらわされるだけだ。時間をかけてやればいい。僕にあたえられたばつは未来(えい)ごうつづくようなものではないのだ。





 そんな感じにゆっくりではあるけれど僕の生活はかつてのペースを取り戻しつつあった。


 無駄な残業はせず、さぎさわもえと出会う前とほぼ変わらないルーチンを組めるようになっていたのだ。変わった部分といえばすいをしなくなったこと(できないというのがより正しい表現だけど)、小物の整理に一時間使うようになったことくらいだ。


 ただ、それだっていつかは終わる。僕はもうすこしであんいつな日々を取り戻せるはずだったのだ。しかし、運命は落ち着かせてくれなかった。


 七月最後の火曜日のことだった。会社を出ようとしていると走り寄ってくる影が目に入ってきた。ロビーは吹き抜けになっていて、そこここに大きなはちえが置いてある。その後ろに隠れていたのだろう、自動ドアがひらく直前まで気づけなかった。


「あっ、あっ、あの、」


 篠崎カミラは白いブラウスにこれといって特徴のない黒スカート、細いフレームのぎんぶち眼鏡といったいつもの格好で立ちふさがった。胸に紺と白のクラッチバッグを押しあてていて、腕はそのためにクロスしている。


「なに?」


 そうとだけ言い、僕はそのまま出ていった。


「あっ、あの、ちょっ、ちょっ、ちょっとだけ、お、お、お話させて、く、ください。こ、こ、これは、じゅ、重要なことなんです。あ、あ、あなたにとって、と、と、とても、じゅ、重要なことなんです」


 立ちどまると彼女は口を閉じた。ほほには髪がかかり、首は前へ伸びている。猫背になってるのだ。


「宗教の勧誘とかでしょ? そういうの必要ないんだ。自分のことは自分で決められる。なにかにすがりたいとか思わないんだよ。だから、君の言う『重要なこと』ってのにも興味がない」


「か、か、勧誘なんかじゃ、な、ないんです」


「じゃあ、なに?」


「あっ、あっ、あの、こ、こ、これは、ひ、ひ、非常に、び、みょうな、も、問題でして、だ、だから、み、み、みちばたで、いっ、言うような、こ、ことでは、な、なく。で、で、ですから、」


 僕は溜息をついた。ワンセンテンスの文章を言うのにどれだけ時間をかけてるんだよ。しかも、まだ前段しか言えてないじゃないか。こんなのにかまってる時間はない。これから帰ってキッチンボウルに向かわなければならないのだ。


「悪いけど、そんなにひまじゃないんだ。用事があるならすっと言ってくれないか?」


「すっ、すっ、すみません! あっ、あっ、あの、わ、私、」


「で、なに? 勧誘じゃないならなんなの?」


 彼女は口をすぼませた。どう切り出したらきちんと聴くか考えているのだろう。瞳もあがってる。


「あっ、あっ、あの、ご、ご、合コンに、い、い、行かれる、つ、つもりですか?」


「はあ?」


 大きな声を出し、僕は口を押さえた。頭はせわしなく動いてる。――なんでそんなことを知ってる? いや、初めて見かけたとき小林がわめいてたな。それで知ってるんだ。僕はそう考えるようにした。しかし、彼女はこう言ってきた。


「ぜ、ぜ、前回の、ご、合コンで、あ、あ、あなたは、あ、ある、じょ、女性と、しっ、しっ、知りあったはずです。そ、そ、その、じょ、女性とは、し、し、しばらく、いっ、いっ、一緒に、く、暮らして、ま、ましたよね。で、で、でも、」


 僕は腕をつかんだ。自然と手が伸びていたのだ。彼女はあごを引き、首まで赤くしてる。


「あっ、あっ、あの、そっ、そっ、その、」


「おい、なんでそんなこと知ってるんだよ」


 そこまで言って、僕は肩をすくめた。見られてるのに気づいたのだ。よくとられてもげん、悪くするとDV的な感じに思われるかもしれない。


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