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見える人  作者: 佐藤清春
新たな誘い/左肩を見つめる女
4/25

2-3


 部屋はまだ荒れたままだった。僕には片づけをする気力も残ってなかったのだ。持ち出された物たち――すいはんや電子レンジ、それにコーヒーメーカーもだ――を買いに行きたかったけど、それもおっくうだった。


 あるいは心的な外傷のせいで動けなかったのかもしれない。僕は仕事に打ちこんでいた。それこそせまる勢いで働き、気がつくと残ってるのは一人だけということもあった。


 その日も一人だった。時計を見ると、そろそろ十一時になる。僕は溜息をついた。嫌だと思っても帰らないわけにはいかないのだ。


 ま、いずれは立ち直ることになるだろう。あんな女のことは忘れ去り、部屋も元通りにし、それまでのペースを取り戻すのだ。そんなふうに考えながらエレベーターを待っていた。ドアがひらくと、この前の子が操作パネルの前で身を縮めるようにしてる。


「あっ、あの、」


「はい?」


 僕は操作パネルをのぞきこんだ。地上階になってるか確認したかったのだけど彼女は思い切り首を引いた。髪は長く素直で、それが顔を半分以上ほど見えなくしている。服装はこの前と一緒か、変わったところがあっても気づけない程度だった。


「おっ、おっ、お疲れさまです」


「お疲れさまです」


 そう言って、僕は奥へ向かった。無音に近い状態でエレベーターは動いた。⑩へ行き、⑨に進み、⑧へと降りる。そのあいだ誰も乗りこんでこない。⑥の表示が変わったとき、彼女はふたたび声をあげた。


「あっ、あっ、あの、」


「はい?」


「いっ、いえ、す、す、すみません。な、なんでもないです」


 ④の表示がつき、③になった。僕はてんじょうを見あげた。首は嫌な音をたてている。緊張が伝染したような気分だ。


「あっ、あの、」


 ドアがひらき、僕たちは向かいあった。小林の言った「熱い視線」が頭をよぎる。――いや、この子は左肩を見てたんだっけ。


「なにかご用でも?」


「あっ、あっ、あの、さ、さ、佐々木さんで、よっ、よっ、よろしいんですよね?」


「ええ、佐々木ですけど?」


「あっ、あの、わ、わ、私、あ、あ、あなたに、お、お伝え、し、し、しなければ、な、な、ならないことが、ごっ、ごっ、ございまして、」


「なんです?」


「いっ、いっ、いえ、あ、あまり、こ、ここでは、」


 彼女は周囲をうかがうようにしてる。僕もつられて首を回した。警備員がりっしょうしてるだけで他には誰もいない。


「あの、失礼かもしれませんが、お名前は?」


「あっ、い、いえ、すっ、すみません。な、な、名乗りも、し、しないで、こ、こんなこと、い、い、言うなんて。そ、その、わ、私、すっ、すっ、すこしだけ、きっ、きっ、緊張して、い、いたものでして、」


 勢いよく顔をあげ、彼女はまじまじと見つめてきた。眼鏡の度がきついようで目はそのものより大きく見える。しかし、もともと大きそうだった。鼻は高く、薄く、筋が通ってる。せてるせいかあごはV字になっていて、ほほにはもうすこしふくらみがあっていいけど全体的には整った顔立ちといえた。化粧も薄くしてるようだ。


「で、お名前は?」


「あっ、すっ、すっ、すみません。な、な、名前でしたね。わ、私は、しっ、しっ、篠崎、篠崎カミラと、も、申します」


 どうして自分の名前でどもる? そう思っていたもののフルネームを聞いて「は?」と思った。篠崎カミラ?


「ハーフ?」


「い、い、いえ、ク、クォーターです。そ、そ、祖母が、ア、ア、アゼルバイジャン人でして」


 アゼルバイジャン人? ――いや、疑問を持つのはやめよう。いちいちそんなのに引っかかってたら夜が明けてしまう。


「それで、その篠崎さんが僕に伝えたいことって?」


「はっ、はい。ひっ、ひっ、非常に、じゅ、じゅ、重要な、こ、ことなんです。あ、あなたにとって、す、す、すごく重要なこと。で、で、でも、こ、こ、ここで話すのは、は、はばかられる、よ、よ、ような、こ、ことなんです」


「重要なこと?」


「そ、そう、じゅ、じゅ、重要なことです。きっ、きっ、聴いておいた方が、い、い、いいこと。あっ、あっ、あなたの、こ、今後に、か、か、関わる、こ、ことなんです」


 僕は目を細めた。瞳に光が入ったように思えたのだ。その瞳で彼女は左肩すこし上方を見つめてる。ただ、僕は疲れ果てていた。遅くまで残業してたのもあるし、このやりとりでも疲れた。


「悪いけど、今日は疲れてるんだ。またにしてくれないかな。機会があったら」


「そ、そうですか。で、で、でも、き、き、聴いておいた方が、い、い、いいですよ。わ、私は、しっ、しっ、知ってるんです。あ、あなたに、お、起こったことも、こ、こ、これから、お、お、起きることも」


 疑問に思うことはあったものの、僕は謎のアゼルバイジャン系クォーター篠崎カミラを残したまま会社を出た。足早に駅へと向かいながら宗教のかんゆうかな? くらいに思っていた。


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