39. 攫われたサラ
「ん……、ゴホッ! コホッ!」
攫われたサラが目を覚ました時、喉に残った薬品の違和感のせいか思わずむせ込んでしまった。
そのせいで、別室に居たらしい男が扉を開けて、サラが横になる寝台の方へと近付いて来る。
「大丈夫かぁ?」
まるで緊張感の無い若い男の声で、寝台で身体を丸めて未だ咳込むサラへ声が掛けられる。
「ゴホッ! だ、大丈夫」
苦しげに咳込みながらも素直に返事をするサラに、男は意表をつかれたのか、驚いたような表情をした。
サラはようやく咳が落ち着くと、ガバッと寝台から起き上がった。
しかし急に起き上がったせいなのか、それとも薬のせいなのか、フラリと倒れ込みそうになるところを目の前の若い男が抱き止める。
「馬鹿だなぁ……急に起き上がるからだよ。薬もまだ効いてるだろうし、別に今すぐには何もする気ないからさ」
「……大丈夫だから、手を離して」
サラは自分の肩を支える男の手を、手で外すようにした。
ユーゴ以外の男に触れられるのは、何だか嫌だと思ったからだ。
まだぼんやりした視界では、男の顔も部屋の様子もよく見えない。
窓から見える事で分かるのは、今がもう既に夜で辺りは灯りのない真っ暗な場所だということ。
この部屋の中には、燭台とランプの頼り無さげな灯りしかないようだ。
「ここ、どこ?」
寝台で上半身を起こし、キョロキョロと辺りを見渡すサラを近くで立ったまま観察していた男は、その問いに答えた。
「アンタの旦那が見つけられないくらい、深い深い森の中の一軒家さ」
「あの人は? 騎士の方、怪我をしていたわ。殺したりしていないよね?」
サラが心配するのは、診察室を守っていたあの屈強な騎士。
彼はとても強そうであったのに、目の前の男は難なくその騎士を傷付けた。
「多分死んでないよ、アンタが止めたからね。それにしても、自分の心配より騎士の心配だなんて。アンタ変わってんね」
男の顔の輪郭や風貌が、やっと慣れてきたサラの目で見たらはっきりしてきたようだ。
サラの言葉に対して、男はフッと笑う気配がした。
「あかい……目?」
目を眇めて男を見つめるサラはポツリと呟いた。
窓から射す月明かりが、風で雲が晴れた隙に明るくなった。
月の光に照らされたのは、サラリと流れる濡羽色の長い髪と赤い瞳を持った若い男。
顔立ちはユーゴより幼くて、少し垂れた瞳は可愛らしい印象さえ受ける。
白のシャツに黒のトラウザーズというリラックスした服を纏った体付きでも、屈強とは言えないような細身で引き締まった体躯であった。
それなのに、あの屈強な騎士をやろうと思えば殺せるくらいには手練れなのだ。
「あなたは誰なの?」
サラは取り乱す事なく問うた。
もっと泣き喚くとか、叫ぶとかしてもおかしくはないはずの状況にも関わらず。
「俺はヒイロ。アンタに一目惚れしちまってな。それで旦那の元からまんまと連れ去った悪い奴だよ」
「悪い奴なの?」
あんまりサラが落ち着いた様子で冷静に問うから、ヒイロは逆に不安を感じたようだ。
「はぁ? 悪い奴だろ? アンタを騎士団長の旦那と引き剥がしたんだからさ。今の状況が怖くないのか?」
「ユーゴは……、きっと助けに来てくれるから」
美しい顔は強い意志を持って、薔薇色の唇をキュッと結んだサラは、そばに立つヒイロを見上げた。
「はっ! それは無理だね。ここは子分達にも知られてない隠れ家だ。アンタの旦那だって来れやしないさ」
「いいえ、きっとユーゴは来る」
「アンタさ、何でそんなに落ち着いてんだ?」
少々苛々した様子で、立ったままのヒイロは腕を組んだ。
この美しい娘が泣き喚けば、どんな顔になっただろうかと楽しみにしていたのに、その為にわざわざ目の前で騎士を半殺しにしたのに。
それなのに、強い表情を崩そうとせず自分の旦那は迎えに来ると言い張るものだから、ヒイロは面白くなかった。
「だって、ユーゴは私の旦那さんだもん」
見た目はとても美しく可愛らしくも見えて、時には大人びた表情が胸をざわつかせるこの娘は、中身はまるで純真無垢な少女のようである。
そのチグハグなところに、ヒイロはますます娘への執着を見せる。
「アンタ、名前はサラだっけ?」
「そう、サラ」
「サラ……、お前が俺の事をそんな風に想ってくれるようになったら、最高に気持ち良いんだろうなぁ……」
ヒイロは恍惚とした表情を浮かべて、サラの方へと腰を屈めた。
思わずサラは寝台の上で後ずさる。
ヒイロの長い濡羽色の髪が、ハラリと前へ零れ落ちた。
同じ色味の髪をしていても、短髪のユーゴと長い髪のヒイロは全くイメージが違った。
「なあサラ、俺のこと好きになってよ」
「やだよ。私はユーゴしか好きじゃない」
「ふはっ! そりゃそうだ! アンタら新婚だもんな!」
両手を寝台につき、腰を屈めて顔を寄せたまま心底可笑しそうに笑うヒイロに、サラは怪訝な表情を向けている。
赤い瞳はとても印象的で、一見優しげな垂れ目なのにその奥には怒りとか、何か怖い感情が隠されているようなのである。
「まあ、今日はゆっくり休みなよ。まだまだ時間はたっぷりあるんだし」
スッと身体を起こしたヒイロは、そのままスタスタと部屋に一つだけの扉の方へと歩いて行った。
長い髪は背中の中程まであり、歩くたびにサラサラと揺れていた。
「俺だけのサラ……。おやすみ」
そう言って扉は再度閉められた。
ガチャっと鍵をかける音がしたから、扉から外に出るのは無理だろう。
たった一つだけある窓も、外側に格子が取り付けられているので出られるはずもない。
完全に、監禁のために作られたような部屋であった。
「ユーゴ……、心配してるよね。ごめんね」
こんな時でも、サラはユーゴの心配をしていた。
自分が居なくなって、きっと心配しているだろうからと。
月明かりがまた雲に隠れて、部屋の中は薄暗い。
少し肌寒さを感じたサラは、とりあえず寝台に潜り込んで、愛しいユーゴのことだけを考えることにした。




