2. モフというモフモフ
「騎士団長! 本日もお疲れ様でした!」
今日も厳しい訓練を終えて、騎士団長ユーゴは訓練場を後にした。
いつも以上に険しい顔でズンズンと早足で歩くユーゴに、すれ違った人々は声を掛けることなく見送る。
このユーゴ・ド・アルローという騎士団長は、齢二十七と若くして騎士団長にまで登り詰めた。
それだけに、皆から信頼されそして同時に恐れられる存在でもあった。
日々の鍛錬を怠らず、逞しく鍛え上げられた体躯と鋭く光る三白眼の彼は、他人だけでなく己への厳しさも備え持っている。
そして普段なかなか笑うことのない無愛想な騎士団長は、それでも部下達に非常に慕われているのだ。
王城の敷地内にある訓練場から早足でたどり着いたのは、城から近いところにある彼に与えられた邸宅であった。
騎士団長となって城の近くに邸宅を与えられることになった。
その際に広いものはいらないと、平民上がりのユーゴは一般的な平民の家くらいの大きさの邸宅を賜ったのだ。
そういう驕り高ぶらない性質が部下達にも好かれる一因であった。
使用人も誰も居ない家。
帰宅したユーゴが一番に向かったのは己の居室。
愛しい存在を認めた瞬間、ユーゴの無愛想な顔はフワリと緩んだ。
「モフー!」
そう叫ぶと、ソファーの上に存在する生き物を優しく抱きしめた。
「あー、モフモフ癒されるー……」
彼がその逞しい腕に抱いているのは、まぁるくてフワフワで真っ白で……。
そう、あのウサギの尻尾のようなモフモフの毛玉、ケサランパサランという生き物であった。
「モフ、寂しくなかったかー? 俺は早く帰ってお前をモフモフしたくて堪らなかったぞー!」
柔らかな毛玉を優しく撫でながら、幸せそうに頬擦りをする三白眼の逞しい体躯の男。
一見とても不似合いに思えるが、それはもう彼の嗜好の問題だから仕方あるまい。
「俺がこんなにモフモフした物が好きだなんて、まさか部下達に言えないもんなぁ……」
今日の訓練の終わり頃、部下の一人から酒を飲みに行かないかと誘われたのだ。
しかしユーゴは、「すまないが、心身の健康の為に外せない用があるから」と断った。
もちろんそれは、今日溜まったストレスをこのモフモフで癒される為だったのだが……。
部下は勝手に思い違いをしたのか、ユーゴを尊敬の眼差しで見つめていた。
そしてその部下は後に「騎士団長は自宅でも心身の鍛錬を積んでらっしゃる」と触れ回った。
またユーゴの評価が勝手に上がっていたことは、本人は全く預かり知らぬことである。
「モフ、飯食うか?」
「モキュー」
モキューと鳴いたのは、ケサランパサラン。
モフモフだから『モフ』だとユーゴから安直な名前を付けられた。
「俺が天花粉なんか買うもんだから、変な噂が立ってるらしいぞ」
「キュー?」
モフのようなケサランパサランの餌は白粉である。
けれども、通常の化粧に使う白粉には有毒な物も含まれている。
そのことを懸念したユーゴは、赤ん坊に使う天花粉を与えることにしたのだ。
それを調達する為に、ユーゴは先日近くの店で生まれて初めて天花粉を買った。
見た目だけならば『戦鬼のようだ』と揶揄される、無愛想で目つきの悪い三白眼の男。
そんな男が「天花粉を……多めにくれないか」と言うもんだから、店主は驚いた顔を隠せなかった。
「然しもの戦鬼も実はお肌が弱いらしい」
噂が広まったのはその頃からだったか。
そしてそういう大きなギャップの噂がまた、騎士団長ユーゴの人気を底上げしているのである。
「お前が俺の目の前に現れてから、もう一週間か……。最近は何故か身体も疲れにくい気がするし、お前の身体を触れる癒し時間のお陰かな」
「モキュウー」
「ありがとうな、モフ」
ユーゴは幼い頃から、柔らかくてフワフワした物が好きだった。
ウサギ、猫、犬……。
様々な動物を飼育しては、その柔らかなモフモフを堪能するのが彼の癒しである。
ところが、騎士という職についてからは寮暮らしであった為に動物を飼うことはできなかった。
騎士団長となって邸宅を賜った際には、癒しのモフモフを必ず飼うと決めていたのだが……。
日々の騎士団長としての勤めに必死で、自分のことは当然のように後回しになっていた。
「モフ、とりあえず俺は着替えて来るから。そのあと一緒に飯行こう」
「モキュッ!」
モフを優しくひと撫でしてから、ユーゴは騎士服を脱ぐ為にワードローブへと向かう。
モフはそんなユーゴの後ろ姿を見送りながら、手を振るようにフワフワと身体を揺らした。
この強面騎士団長とモフが一緒に住むことになったきっかけは一週間前に遡る。
厳しい鍛錬と、山のような執務を終えたユーゴ。
流石の騎士団長も疲れて帰った邸宅の玄関前に、フワフワと彷徨うケサランパサランが現れた。
ユーゴには捕まえるつもりなど無かった。
そのフワフワと移動する柔らかな生き物が去っていくのを、そっと見守るつもりだった。
けれども、ケサランパサランはユーゴの肩に乗ってしまい、離れようとしないのだ。
「なんだ? お前行くとこないのか?」
「モキュゥ……」
「……はぁー。……なあ、……ちょっとだけ触ってもいいか?」
「モッ!」
ユーゴが優しく話しかけると、ケサランパサランは触ってくれと言うように擦り寄って来たのだ。
「あー……、モフモフ……。癒される……」
「モキュウー……」
気持ち良さそうに擦り寄るケサランパサランに、ユーゴは言葉を続けた。
「お前が良ければ……、俺んとこに来るか?」
「モキュッ!」
つぶらな瞳を潤ませて、嬉しそうに肩の上でピョンピョンフワフワと跳ねるこの生き物に、ユーゴは『モフ』と名付けて一緒に生活することになったのだ。