【コミカライズ】本日をもって守護騎士解任します。悪役令嬢の運命に巻き込みたくないので。
「エディル・フィルディルト! 本日をもって、あなたを守護騎士から解任します!」
公爵家で行われた私の誕生日パーティー。
そんな、祝いの席で、私は守護騎士エディルの解任を宣言した。
――――ああ、なんだか乙女ゲームで悪役令嬢を断罪する王太子の台詞みたいだわ。
こんな席で、守護騎士を解任するなんて非常識なことはわかっている。
たぶん、我儘で傲慢な令嬢であるという印象が、参加者全員に再度植え付けられたに違いない。
――――これでいい。
エディルは悪役令嬢である私、シルフィーナ自身にとっても、大事な幼馴染なのだから。
この世界に来る前の私の推しでもあるエディルは、悪役令嬢の守護騎士として不遇な人生を歩む。
それを知ってしまった今、もう私のそばに置いておくことは出来ない。
だって、私と関わりさえしなければ、努力家で剣の腕も一流で、伯爵家の次男であるエディルはきっと輝かしい人生を歩むことが出来るのだから。
「承りました。シルフィーナ様」
私の前に、恭しく跪いていたエディルがおもむろに頭を下げ、去っていく。
その背中は、もう私のことを振り返ることもない。
……こんな風に守護騎士を解任されるなんて、経歴にも傷がつく。私たちの信頼関係も。
きっと、エディルは私のことを許しはしないだろう。
――――本当は、絶縁するなんて身が引き裂かれてしまいそうなくらい苦しい。
静まり返った会場。
公爵である父が慌てて閉会を宣言した。
――――こうして、最悪の気持ちで迎えた私の誕生日は、終わりを迎えようとしていた。
* * *
十五歳の誕生日の朝。
ことの起こりは今朝のことだった。
目が覚めると、黒髪は燃えるような赤に。こげ茶の瞳は、目が覚めるようなターコイズブルーになっていた。鏡の前で、頬に触れてみると、鏡の中の私も同じ動作をする。
「悪役令嬢シルフィーナ・レイドル」
私がはまっていた、乙女ゲームの悪役令嬢が鏡の中に映っていた。
そして、今まで過ごしてきた記憶も徐々にはっきりとしてくる。
確かに私は、公爵家令嬢シルフィーナだ。
それと同時に、この世界が前世でハマっていた乙女ゲームの世界であることを理解する。
王太子の婚約者に選ばれて、ヒロインに数々の嫌がらせをして、最後には断罪されてしまう悪役令嬢。
でも、そんな自分の境遇よりも、真っ先に浮かんでしまったのは、幼い頃からともに過ごし、いつも私のことを全面的に守ってくれた幼馴染、エディル・フィルディルトのことだった。
あるエンディングでは、屋敷とともに火に呑まれる悪役令嬢を追いかけて、その中に飛び込んでいく。
そして、別のエンディングでは、修道院に護送される途中、襲われた悪役令嬢を守るために最後まで戦い地に伏す。
あるときは、毒による自殺を促され倒れた悪役令嬢の残した毒杯を煽り後を追う。
――――推しの一途さに、私は毎回涙した。そして、二人が幸せに過ごせるエンディングはないのかと、全てのシナリオをコンプリートした。
そんなもの、なかったけれど。
「結局、エディルの不幸は全て、悪役令嬢である私のせいなの……」
その事実が、私の心を締めあげる。
自分が悪役令嬢であることは認められても、そのことで大事な幼馴染が巻き込まれてしまうなんて、辛すぎるから。
誕生日パーティーで、全員が見ている中、守護騎士を解任しよう。
そうすれば、エディルから距離をとることが出来る。
幸いなことに、私はまだ王太子の婚約者に選ばれていない。
物語が始まる今なら、きっとエディルを巻き込まない未来を選ぶことが出来るから。
* * *
誕生日パーティーが終わり、私は自室へと戻るまえに、公爵家の整えられた庭園の中にある誰も知らない場所に身をひそめた。
泣きたくなると、いつもこの場所に来ていた。
「うっ……。エディル」
公爵家令嬢として育てられた私は、泣くことを許されなかった。
それでも、悲しくて泣きたくなってしまい、この場所に潜んだ後には、必ずエディルがそばに来てそっと私の手を握っていてくれた。
どうして、エディルには私が悲しんでいることがわかったのだろう。
守護騎士を解任するまで、悩まなかったわけじゃない。
もしかして、他の方法もあるんじゃないかって。
エディルにそばにいてもらう方法が……。
その時、誰にも見つからないはずの庭園の整えられた木々の隙間をガサガサと掻き分ける音がした。
「……シル。やっぱりここにいた」
「エディル……? どうしてここに」
エディルは、私のことをシルフィーナ様ではなく、幼い頃に一緒に遊んだ時のようにシルと呼んだ。
信じられない思いで、私はエディルの月に輝く銀白色の髪と藍色の瞳を呆然と見つめていた。
「シルは悲しい時は、いつもここに籠っていたからね」
「え……」
なぜか、エディルが私の方を見つめて満面の笑みを浮かべる。
どうして、怒って私のことを責めてもいいはずなのに、そんな笑顔で見つめているの。
「どうして……。怒っていいのに、もう二度と会わないつもりだったのに」
「ああ、怒っているよ。何も相談してくれなかったシルに。……でも、俺としては好都合だったかもしれない。シルの守護騎士を本当は辞めてしまいたかったから」
「え? そうだったの?」
「……でも、良かったの? 今回のことでシルの評判は地に落ちてしまった。シルは知らないかもしれないけど、せっかく、王太子殿下と婚約する話が内定するところだったのに」
ああ、乙女ゲームでも、シルフィーナは十五歳の誕生日の直後に王太子殿下との婚約が発表されたという設定だった。
やっぱり、ここは現実のようで乙女ゲームの物語の通りに進んでいくのね。
でも、少なくとも守護騎士として悪役令嬢と運命を共にするエディルは、守護騎士の資格を失った。
シナリオはすでに、大きくずれたはず。
「……守護騎士でなくなっても、泣いているシルをそのままにしたりしない。あの時、誓った通りに、ずっと守るって決めているから」
「あくまで約束は、あなたが守護騎士の間だけよ。エディルは今まで十分守ってくれた。守護騎士の誓いを破棄したのだから、これでもう私たちの関係はお終いだわ。……もう、私には関わらないで」
その瞬間、エディルの指先が、私の唇にためらいがちに触れた。
「そんなに泣いているのに?」
「っ……泣いてないわ」
泣いたことなんてない。私は公爵家に生まれたのだから。
「――――泣いてる」
涙なんて流してないのに、どうして、確信したようにそんなことを言うの?
なぜ、そんな風に笑うの?
距離を取らなくちゃ、いけないのに。
乙女ゲームで何度も涙した、エディルの最期。
私は、思わずエディルの胸を強く押して距離を取る。
「私にはもう関わらないで。エディルなんて、騎士団でどこまでも昇進してしまえばいいのよ!」
私は、秘密の場所から駆け出す。
私から離れれば、エディルはすぐに騎士団でも上位になることが出来る。
たぶん、だからこそ私の守護騎士を辞したかったと、エディルは言ったに違いない。
そして息を切らせて、部屋に飛び込むとカーテンにくるまった。
エディルに触れられた唇が、ジンジンと熱を持ったみたいにしびれている。
その後、父に呼ばれて冷たい目で「なぜ、こんなことをしたシルフィーナ」と責められたことも、家中の雰囲気が変わってしまったことも、私にはたいして重要なことに思えなかった。
エディルから、距離を取って、その不遇な運命から守って見せる。
夜遅く、ようやくベッドに潜り込んでも、眠くはならなかった。
その代り、まだ触れられた感触が残っているような唇に、そっと手を触れて撫でる。
「エディル……」
困ったことに、幼馴染として過ごしていた時から好きだった気持ちに気がついてしまった。
一生懸命ふたをして気がつかないようにしていたのに。
誰よりもエディル推しだった自分と、幼馴染へのほのかな恋心がかみ合ってしまったみたいだ。
「遠くから、推しを見守るくらいなら許されるかな」
私は、ベッドの中で寝返りを打ちながら、そんなことをつぶやいた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
あれから、私は謹慎を命じられた。
自室から外を眺めるばかりの毎日。
不思議なことに、王太子からの婚約が決まったという知らせはいつまでたっても来ることがなかった。
「まあ、あれだけの騒ぎを起こせば当たり前か……」
守護騎士の誓いはとても神聖なものだ。
私とエディルは、十歳になった時に守護騎士の誓いを交わした。
あの時、私の前に跪いたエディルは「死が二人を別つまで、シルフィーナ様のすべてをお守りします」と私の髪に口づけを落とした。
あの日から、エディルは私のことをシルではなくシルフィーナ様と呼ぶようになった。
守護騎士の誓いは、お互いによほどの問題が起こらない限り破棄されることはない。
たとえ、王族と結婚することになったとしても、そばで生涯仕えることが許される唯一の存在だ。
ある意味、婚約なんかよりもずっと神聖で強固な誓いなのだ。
それを公衆の面前で破った私の公爵家令嬢としての価値は、地に落ちたともいえる。
「……好都合じゃない?」
このまま、修道院に送られてしまえば、乙女ゲームのシナリオからは遠く離れることが出来る。
私の望む展開なのだから。
「お嬢様っ、こちらをご覧ください」
「ミミ? どうしたの」
一枚の紙を私に手渡してきた侍女のミミ。
最近、王都で流行っているという新聞というものだろう。
そこには、エディルの活躍が一面に書かれていた。
あれから、一時は守護騎士の解任という不名誉をこうむったエディルだが、騎士団試験にトップで受かった後、その活躍で王都を賑わせている。
「――――ありがとう」
その新聞を片手に、ミミの入れてくれた少し苦みのあるハーブティーを飲む。
そこには、王都で行われた王室主催の大会で、エディルが完全勝利を収めたと書かれていた。
「ふふっ。さすが私の推しね」
本当だったら、横断幕でも持って大会に応援に行きたかった。
悪役令嬢ではなく、ただの脇役に生まれていたら、思う存分推しを応援できたのに。
少しだけ、藍色のドレスを身に纏って横断幕を広げる私にエディルが笑いかける場面を想像して胸がほっこりと温かくなるのを感じる。
十年に一回行われるこの大会では、優勝者は自らの願いを陛下と観衆の前で口にすることが許される。
騎士として英雄になることを望むことも、深窓の姫への愛を叫ぶことだって許される。その願いを叶えることができるかは別にして、その言葉を発したことで罰せられることだけはないと神と王室が認めているのだから。
さすがに、姫との結婚は認められないとしても、普段は決して許されない禁断の愛を誰かに告げることだって、誰一人とがめることは出来ない。
その時、すごい勢いで扉が開いた。
そこには、とても焦った様子の父が立っていた。
「お父様……どうなさったのですか?」
いよいよ、修道院に行くことでも決まったのかと、私は体を強張らせる。
「シルフィーナ、謹慎は終了だ」
「え? どういうこと……」
「いいから今すぐに、一番高級なドレスに着替えて身なりを整えるんだ。陛下から緊急の呼び出しがかかっている」
いつも公爵として決して感情を表に出すことはない只ならぬ父の様子に、足が震える。
まだ、王太子と関わってすらいないのに、シナリオに沿って断罪されてしまうとでもいうのだろうか?
「――――お嬢様」
心配そうに、侍女のミミが私を見つめながら思わずといったふうに口を開いた。
「……分かりました。今すぐ準備をいたします」
私は、たくさんあるドレスを選ぶために、衣装室へと向かう。
いつも、ドレスは誰かに選んでもらっているけれど、もしも断罪されてしまう運命なら。
藍色のドレス……。
どのドレスよりも気合を入れて注文したけれど、決して袖を通すことはないと諦めていたその色。
クローゼットの奥に隠すように置かれているそのドレス。
最後の日には絶対にこのドレスを着たいと思っていた。
私が藍色のドレスを纏って、エントランスに現れると、なぜか父が目を見開いた。
そんなにおかしいだろうか。
すべての装いを最上級にした。
赤く燃えるような髪の毛は、高く結い上げて、私の瞳の色をしたターコイズブルーの宝石を身に着けて。
公爵家令嬢であることを、誰もが認めるだろう最上の装い。
あまりに厳しい指導に密かに泣きそうになって、あの庭園の隠れ場所に逃げ込みながら、身に着けてきた公爵家令嬢としての所作。
「お前は本当に王妃がふさわしい。すべてを持っているのに……惜しいな」
父が悔しそうに、それなのになぜか少し微笑みながら私にそう言った。
買いかぶりすぎではないですか? それに何で笑っているんですか?
そんな困惑を押し隠して、私は優雅に微笑む。
国王陛下が、まだ王太子の婚約者にさえなっていない私を呼んで何を言おうというのかまったくわからないままだけれど。
後悔がないと言えばうそになる。
本当は怖いから逃げてしまいたかった。
いつまでも、大好きな幼馴染と一緒にいたかった。
でも、新聞の一面を飾ったエディルの活躍が私に勇気をくれたから。
――――推しが頑張っているのだから、私だって頑張らないといけないわ。
公爵家の馬車に乗り込み、私は一人決意を固めるのだった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
なぜか、公爵家の馬車が停まった場所は、王城ではなく王都の中央広場だった。
「うぐ……。ここ、シルフィーナが公開処刑された場所」
嫌な場面が目に浮かんでしまった。
石を投げられながら、それでも公爵令嬢にふさわしく毅然とした態度で最後まで前を向いていたシルフィーナ。結局のところ、そこまでの罪を犯したとも思えないのに……。
そして、その直後、シルフィーナの処刑されたその場所で、守護騎士エディルは自らの剣でその命を絶った。
そんな恐ろしい場面を想像して、くらくらと血の気が下がるのを感じていたのに、その場面が現実になってしまったかのように、広場の中央に立っている人影を見つける。
どんなに人が居たって、私がその銀白色の髪と、優し気な藍色の瞳を見つけられないことなんてなかった。
そこには、あれ以来顔を合わせることがなかった幼馴染。
エディル・フィルディルトがいた。
――――ど、どうしよう。
向こうもこちらを見つけてしまったらしい。
珍しく緊張したような表情をしながら、幼馴染が微笑んだ。
「どうしよう……。やっぱり、どうしてもエディルのことを断罪に巻き込んでしまうの?」
体が震えてくる。
そして、なぜか広場中を埋め尽くすほどに集まった観衆。
一段高い場所に座って、その光景を眺めている陛下。
「……今さら、逃げ出すことは叶わないよね」
私は覚悟を決める。
せめて、エディルには私のあとを追ったりしないように、強く言い含めておかなくては。
そう思って震える体を抑え込もうと自分の腕で体を抱いていると、王国騎士団の黒い騎士服に身を包んだエディルが近づいてきた。
――――お願い、来ないで。
それなのに、私はその場に縫い留められてしまったみたいに、身動きが取れずにただ、エディルが近づいてくるのを見つめていた。
「――――シル」
「エディル……」
騒めきすら遠くで聞こえる波音のように、その存在感を朧げにしていく。
いろいろなことを考えていたのに、今私の心の大部分を占めてしまっているのは「会いたかった」の一言だけ。だって、幼い日から、こんなに長い間、会えないことなんてなかった。
その言葉を口にすることは叶わない。
私がこの後どうなっても、絶対に巻き込まれたりしないでほしいと、ちゃんと言わないと。
「神聖なる大会の優勝者として、ここに宣言する」
低く艶やかなのに、会場中の注目を集めてしまうように響き渡るその声。
その声は、いつもの声なのに、おかしなことに耳の奥が甘くしびれるみたいだった。
「優勝者、エディル・フィルディルトは、神と王家の御前に我が望みを告げる」
会場のざわめきは、急速に消えて、代わりに真夜中の砂漠の中央に立ってしまったかのような静寂が訪れる。
「俺は、シルフィーナ・レイドルを愛している!」
「…………ふえぇぇぇぇ!?」
私の横にいた、お父様はため息をついたけれど、何も言ってはくれない。
陛下まで、なぜか壇上から宣言してくる。
「リーディルト王国の神の代弁者として、二人の婚約を認めよう」
「…………ひえぇぇぇぇ!?」
「……少し黙っていようね? シル」
世紀の問題発言をした幼馴染が、かつて私が失敗するのを笑いながら見ていた時みたいなまなざしで、私を見つめながらそんなことを言った。
――――だって、エディルのせいですよ!?
乙女ゲームの中で、決してエディルはシルフィーナと主従関係の一線を越えようとはしなかった。
それなのに、こんな取り返しがつかない状況で、愛の告白をするなんて!
えっ、愛の告白……だよね?
冷や汗をだらだら流しながら、やっぱり夢を見ているのではないかと思い始めた私の耳元に、エディルが唇を寄せて囁く。
「ほら、俺のことを遠ざけようとするからいけないんだよ? 君を俺から守っていた守護騎士の誓いを解いてしまうなんて、シルは本当に身の程知らずだよね?」
――――え? そんなに恨まれるようなことありました? 守護騎士の誓いがないといけないほど。
混乱して、思考を手放してしまった私は、再び奇声を発しそうになる。
その声を塞いでしまったのは、甘くてしびれてしまうような口づけだった。
観衆が大きな歓声を上げる中、「さすがにキャパオーバー……」とつぶやいた私は、意識を失ってしまった。
* * *
気がつくと、見知らぬ天蓋付きのベッドに横たわっていた。
ぼんやりと、テレビのリモコンを探すけれど、フカフカのクッションが手に触れただけだった。
「ここ……」
目が覚めると同時に、先ほど起こった出来事が蘇ってくる。
「えっ、なにこの状況?!」
勢いよく起き上がる。
どうして私は、知らない部屋にいるのだろうか。
その時、ドアを控えめにノックする音がした。
「――――入っていいわ」
許可とともに、ドアが開く。
そこにいたのは、一人の侍女だった。
「……ここはどこなの?」
「旦那様が、陛下より賜った屋敷でございます」
「……旦那様ってだれ?」
そんなこと、聞くまでもなく決まっていそうなものだけれど。
なぜ、その屋敷に自分がいるのか理解が追い付かなくて思わず聞いてしまう。
「もちろん、エディル・フィルディルト様でございます」
「はぁ、貴女、お名前教えてくださる? それで、これはどういう状況なの?」
「侍女のルーシーと申します。この屋敷からでなければ、全てを自由にしてよいと旦那様より申し付けられております」
「納得いかないことも多いけれど、とりあえずよろしくね? ルーシー」
そう言うと何故かルーシーは、一瞬動揺したような表情をした後に、深く私に礼をした。
それにしても、良く分からないままに、私はこの屋敷から出ることを許されない状況になっているらしい。
「――――それで、エディルはいったいどこにいるの?」
「旦那様は、すでに陛下の命により戦場に出立されました」
「は……。戦場?」
本当に理解が追い付かない。
もしかして、断罪されていない代わりに、エディルの身に何か良くないことが起ころうとしているのだろうか。
愛していると言いながら、屋敷から出ていけないと軟禁のような状態。
そして、その後の説明もない。
やっぱり、何かのきっかけで私はひどく憎まれてしまったのだとしか思えない。
そして、そのまま屋敷から出ることを許されず、かといって何も不自由がない生活を私は過ごし始めるのだった。
* * *
なぜか、私の好きな花ばかりが植えられた庭園。
私が憧れているといつか話した白いガゼボ。
整えられた木の枝の間を潜ってみたら、泣きたい時にぴったりな隙間まで用意されていた。
「平和すぎる……」
あまりに平和なので、花壇に水を上げている私。
私の使える魔法は、水魔法。
水の精霊と契約した私は、いくらでも水を出すことが出来る。
あまりに暇なので、水しぶきを上げて魔法で虹を作ってみる。
庭の整備をしている使用人たちから歓声が上がった。
「そんなことで喜ぶなんて」
そんな悪役令嬢っぽいことを言いながら、調子に乗った私は、今度はきらきら煌めく氷の粒を作ってみせる。
氷の粒はダイアモンドみたいに輝くと、日差しにあっという間に解けていった。
干ばつの時には便利だけれど、基本温暖で雨も降るこの王国では、そこまで有用な魔法ではないかもしれない。
砂漠に生まれたら聖女だったのに、と幼い頃エディルにはよく言われたものだ。
エディルは今頃どうしているのだろうか。
時々、エディルの活躍が新聞の一面を飾る。
すごい勢いで活躍するエディルは、英雄と呼ばれ始めている。
あるときは、最前線で魔獣を率いる魔女を打倒したとか。
そのほかは、白いオオカミの獣人たちを倒したとか。
魔王軍に押され続けている人族の中の希望……。
それは、もともと聖女であるヒロインと王太子のいるべき場所だったはず。
戻ったら、確実に騎士団長になるだろうと噂されていた。
その婚約者は、問題のある公爵令嬢で、ほとんど引きこもり状態なのだけれど、いいのかしら。
知っていた。エディルがチートかってくらい有能なこと。
いくら公爵家令嬢のそばだからって、私が王妃でもならなければ、守護騎士なんてなっていても、その才能をつぶしてしまっているだけなんだって。
だから、私から離れれば絶対にあっという間に騎士団で昇進していくと思ってはいた。
「愛してるなんて……嘘つき」
守護騎士であることが、エディルから私を守っていたなんて、意味が分からない台詞を残して戦場に逃げるように去ってしまうなんて。
しかも、屋敷に私を閉じ込めてしまうなんて。
どう考えても、私のことを憎んでいるとしか思えない。
「たしかに、相談もなしに守護騎士を解任した私にも否はあったかもしれないけれど。戦場になんてどうして……」
エディルのような伯爵家令息が、最前線に立つなんてあるはずない。
それなのに、エディルに関する記事は、危険な最前線で華々しい戦果を挙げたという内容ばかり。
そんなある日、届いた手紙に漸くエディルが帰ってくると記されていた。
私は、擦り切れるほどその手紙を何度も読んだ。
帰ってきたら、真実を教えてもらわなくては。
私は、手紙をそっと宝箱にしまい込んだ。
* * *
英雄が帰還する。
手紙が届いた数日後、私の元にも知らせが来た。
けれど、出迎えようにもこのお屋敷から出ることを許されていない私は、凱旋のパレードを見に行くこともできない。
「エディル……」
早く無事な姿が見たい。
私の運命に巻き込んで、ひどい目になんて合っていないって、無事な姿を早く見せて安心させてほしい……。
今頃、騎士団の凱旋パレードは王都の中に入った頃だろうか。
そんなことを思って空を見上げた時、急に後ろから抱きしめられた。
「きゃ!」
「――――シル。ちゃんとここにいてくれてよかった」
「エディル!?」
その声は、パレードに参加しているはずの幼馴染のものだった。
「……え? エディル。今回の最大の功労者のはずのあなたが、パレードにも参加しないでなんでこんなところにいるの?」
「――――シルが、もしかしてここから逃げだしてしまっているのではないかと、居ても立っても居られなくて」
「冗談にしてもたちが悪いわ……」
「ごめん……本気だ」
その、美しい藍色の瞳を見つめる。
思わず、怪我がないのか上から下まで見てしまったのは、不作法なのかもしれない。
「――――怪我なんて、してない?」
「してないよ。なに、心配してくれるの」
「心配するに決まっているでしょう!? 何も言わずに戦場に行ってしまうなんて」
「――――何も言わずに、俺を守護騎士から解任したくせに」
それを言われると私も弱い。
でも、それはあなたを悪役令嬢とともに堕ちる運命から救いたいからで。
――――私のことなんか、好きでも何でもないのだとしても。
その時、正門の方が騒がしくなった。
もしかして、エディルのことを探しに来たのではないだろうか。
「パレードから主役がいなくなってしまったら、大騒ぎなのでは? 早く戻らないと」
「一緒に来てくれる?」
「え?」
「そのドレス、良く似合っている」
なぜか、この屋敷にあるドレスは全て、藍色と銀白色が取り入れられたものばかりだった。
それは、エディルの色で……。
まさか、私に自分の色を纏ってほしいなんて……そんなはずないでしょう?
どう返事をしていいか悩んでいる間に、横抱きにされてしまう。
「エディル! 私なんかが一緒に行ったら、せっかくの晴れ舞台が!」
「――――王都で俺たちがなんて呼ばれているか知らないの?」
「え……?」
「守護騎士を愛してしまったため、その幸せを願い任を解いた健気な令嬢と、愛する令嬢を手に入れるために英雄になった元守護騎士」
――――なんですか、その物語みたいな二人は。え? 私たちですって? うそでしょ?
「ごめんね……生き残ってしまって。おかげで、シルは嫌っている男と結婚しなくてはいけない」
「……え? 嫌ってるって、誰が誰を?」
「――――だって、守護騎士を解任するほど嫌って」
「……え? 私のことを嫌っているのはエディルの方ではないの」
「え?」
なんだか、盛大な勘違いをされてしまっているらしい。
私はただ、悪役令嬢の運命にすぐ巻き込まれてしまうあなたを助けたいから距離を取っただけで。
嫌いだなんて、むしろ守護騎士を解任した私のことを嫌いになったのではないの?
「――――愛しているって、神と陛下の前で誓ったのに」
「え? だって……」
「そうでなければ、助けられない運命の度に、あんなふうに後を追ったりしない!」
「え!?」
血が出そうなほど噛みしめている唇。
「シルが覚えていなくても……。たとえ、俺の穢れた運命に巻き込んでしまっているのだとしても」
「……全部、覚えているの?」
「――――シル?」
私が乙女ゲームだと思っていた世界を、何度もエディルは繰り返していたというのだろうか。
私が、画面越しに泣くたびに、エディルは実際に……。
思わず私は、エディルの首に手をまわして、強く抱きしめていた。
「ごめんなさい! 私、自分の悪役令嬢の運命にエディルをこれ以上巻き込みたくなくて!」
「――――今回は覚えているんだ……。どう考えても巻き込んでいるのは、繰り返している俺のせいだ。だから本当は、少しほっとしたんだ。守護騎士を解任してもらえて。これで、自由に動いてシルのことを守ることが出来るんだって……。愛していると伝えてもいいんだって」
まさか、エディルが私と一緒に繰り返す運命をすべて覚えていたなんて思わなかった。
「一緒に来て……。もう、この世界には聖女は必要ない。俺がこんな運命に関係する敵はすべて倒してきたから。……だから、一緒にシルにも見て欲しいんだ、新しい運命を」
「エディル……」
王都中の人たちが、英雄の凱旋を心待ちにしていたのかと思うほどの人に出迎えられた。
横抱きにされたまま、その中を進むのは猛烈に恥ずかしかったけれど、私はようやく自分が悪役令嬢の運命から逃れたのだということを実感したのだった。
最後までご覧いただきありがとうございました。
誤字報告ありがとうございます。
『☆☆☆☆☆』からの評価やブクマいただけるとうれしいです。
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