悪役令嬢は破れない
会話メインの短編です。
ある日、気付くと私は、やり込んで裏設定まで知り尽くした乙女ゲーの登場人物になっていた。
魔力を持ったものたちが学園生活を送る、そんな剣と魔法の幻想世界を舞台とした物語だ。
私はゲームのメインキャラともいえる、明るく優しい貴族の好青年──の友人キャラだった。
一応彼の遠い親戚で貴族の出という設定だが、ヒロインとの絡みも数シーンあるかないかのモブの同級生だ。
事態をなんとか把握し、この生活に順応し始めた私に対して、例の彼がある頼み事をしてきた。
私はその頼みに応じ、傲慢と言われる彼の許嫁、いわゆる悪役令嬢のもとを訪ねたのだった。
設定通り、金に糸目をつけない、胸焼けがするほど贅を尽くした彼女の私室でメイドが恭しくお茶を出す。
メイドが部屋から出ていくと、テーブルを挟んで座っていた彼女が口を開いた。
「お話というのは、婚約の破棄、つまり許嫁を解消しろと私を説得に来たのでしょう?」
「ええ、おっしゃる通りです。彼と何度かお話しされたそうですが、なかなか進展しないそうで。彼は別の女性と正式に交際したいので、どうか許嫁解消を承諾してもらいたいと」
「ふんっ、この件でわざわざ無関係の、赤の他人をよこすようになるなんて、とうとう顔を合わせるのも嫌になったと言いたいようね」
テラスから差し込む早春の陽が、手入れの行き届いた彼女の金髪をきらきらと輝かせる。大きな虹彩を持った気の強そうな碧眼がやや冷ややかにこちらを見ていた。
不機嫌であっても学園一と謳われる精緻な美貌はくすむということを知らない。
彼女以外ではとても着こなせないであろう、薔薇の意匠をあしらったドレスもその美しさを際立たせていた。
「そもそも許嫁は家同士で決めたこと。どこぞの田舎の弱小貴族の娘が気に入ったからなどと、一方的に解消を申し出られて承諾するはずがありません」
「はあ、そうですか」
「説得に来られたかたがそんな気の抜けた返事などなさらないで? まったく、当たり前でしょう。あんな娘と一緒になりたいからと、それでこの私が袖にされるなど耐え難い屈辱ですわ」
「だから、たびたび彼女に恥をかかせるような仕打ちをしたと。公の場でひどく罵倒するような」
「罵倒? 田舎者がうろつくと家畜のような匂いがして困ると、それとなく助言をして差し上げたことかしら?」
「……少しも悪びれないのですね」
「悪びれない? なぜ私が? 身分を弁えない向こうにまず非があるのです。あんな娘の話はもういいでしょう」
「……分かりました。彼女の件はそれとして。すでに聞いているかと思いますが、改めて彼の言葉をお伝えしましょう。彼はですね、自分を好き勝手に振り回すあなたにはもう付いていけない、あなたと過ごす時間に心底疲れてしまった、と言っているんです」
「疲れた?」
「ええ、疲れたと。昔は優しかった。だがいつからか、そう、社交界にデビューされた頃から態度が刺々しくなり、また普段から気位が高いのは分かっていたが目に見えて我が強くなったと」
「社交界に出るとは即ち、家名を背負って世間に出るということ。いつまでも子供のように緊張感のない振る舞いをしているわけには参りません」
「それはまあ、ごもっともなお話です。名家ともなると振る舞い1つで評価が上下し、場合によっては良くない噂を立てられかねない。いやしかし、12歳ほどの年齢で社交界に出て、周囲に堂々と接し、しかも細々した作法やマナーまで完璧だったことは語り草です。お母様がそれは厳しくレッスンされたとか」
「先ほど申し上げた通り、家の名を背負うからには家名に泥は塗れません。母からは熱の入った指導を受けました」
「なるほど。ただ熱が入りすぎたせいか、あなたが頬を腫らした姿を見たという話も耳にしましたが」
「……淑女となるための厳しいレッスンです。至らないことがあれば手が出ることも当然ありましょう。それは、私自身の恥ずべき至らなさの表れですわ」
「ふぅむ、古今東西、稽古とはそういう面もあるものなのでしょうね。ですが、お母様が手を出されたのは、愛のある厳しさからだけでしょうか?」
「? あなた、なにをおっしゃりたいの」
「いえ失礼、この話は置いておきましょう。彼が言うにはあなたはその、だんだんわがままになったと。どんな用事にも彼を付き合わせ、使いを出してまで自分のもとに呼びつけ、ときには大病で伏せているという嘘までついて屋敷に呼んだと」
「……そういうこともありましたわね」
「なぜです?」
「それは………彼を、試したのですわ」
数秒ほど考え、彼女は答えた。
次の句を継ぐまでのほんの僅かな間に、微かな逡巡の色が差した。
「試した……試したとは?」
「夫として、どれだけ私に尽くせるかを、ですわ。互いに名のある家柄とはいえ、我が家のほうが序列でいえば幾分か格上。夫婦となっても領地経営の主導権などは私が持つことになるでしょうから、私に従えるかどうかを、彼に試してみましたの。貴族同士の婚約なら、さほど珍しくはないこと」
「これからのために試した、ですか。本当にそうでしょうか?」
「私がなにか偽っていると」
「……ええ。あなたは本当は……お寂しかったのではありませんか?」
「寂しい? 突然なにを。これほどの屋敷を構え、数多くの使用人に囲まれ、どこの誰からも傅かれる私が寂しいなどと思うはずが」
「あなたのお父様は」
「?」
「失礼を承知で言わせてもらいますが。あなたのお父様は苛烈な性格で、何か気に入らないことがあるとすぐ頭に血が昇り、暴力を振るうそうですね」
「なにを急に」
「些細なことで毎日のように使用人を怒鳴りつけ、その矛先は奥様、そしてときには娘であるあなたにも向けられたと」
「なにを言うのです、そのような」
「人の口には戸は立てられませんからね。どこからか私の耳にも入ったのです」
「………すべては、否定はしません」
「ここでレッスンの件に話を戻しますが。あなたのお母様は淑女の鑑だと世間で評判になるほどですが、ヒステリーな面もあったとお聞きします。日常的に夫の暴言と暴力にさらされていた彼女がなにかの拍子に、過剰なほどヒステリックになってしまうのも決しておかしい話ではありません」
何かを思い出したのか、彼女は1度自分の左頬に手を添えてから、
「……人の口に戸は立てられないとは、本当によく言ったものですわね」
「知りたくもない、嫌な話ばかり耳に入ってしまって。同い年の私が言うのもなんですが、当時は敏感な年頃でございましょう。華やかに見える裏でご両親とそのような生活を送っていれば、心に隙間ができて、寒々とした気持ちを覚えることもあったのでは?」
「……私は」
「彼はその頃から、あなたの我が強くなった、わがままに振り回されるようになったと言っていました。ここからはあくまで私の臆測ですが……あなたは彼に、自分を救って欲しかったのではないですか?」
「わ、私は」
「不器用ながら、寂しい自分にもっと寄り添っていてほしい、出来るだけそばにいてほしい……そうアピールしていたのではありませんか?」
「私は!? でも、彼は」
「あなたの想いに気付けなかった、それどころか逆にうんざりして遠ざけたいと思うようになってしまった。明るく社交的に見えて、彼はどこか抜けているというか、人の心の機微に疎いですから。彼の理解が足りなかったのか、それともあなたが逸る気持ちを抑えられず、悪いほうへ悪いほうへと暴走させてしまったのか」
「私は、私はただ」
「ただ、寄り添っていてもらいたかった」
「……そう、ただ、ただ……」
「なら、それを思いのまま正直に伝えてみれば良かったのでは?」
「それは、できなかった……できなかったのよっ! 他人にはいくらでも命令できても、彼にはどうしても一言、近くにいてと、たったその一言が口にできなかった! 私は彼を前にするといつも、生まれつきの意地っ張りなところが出てしまって、気遣われても人に弱みなど見せられないと、逆に意固地になって」
生来の強気な性格、そして名家の血筋として強かに育てられたのだろう。
飾らない自分や弱みを見せて甘えられるのは、許嫁の特権みたいなものなのに。
いや、もしかしたら彼女は他人に何か命じる術は知っていても、甘え方を知らないのかもしれない。
「気付いたときには、彼の隣にはいつからかあの子がいるようになった。どんなときも明るく笑って、引き離そうときつく嫌味を言っても動じない心の強さとぶれない芯があって。それでいて、驚くほど素直。……悪口を言えば言うだけ、逆に自分が惨めになりましたわ」
彼女は視線を落とし、肩を小さく震わせる。
お茶の温かさと香りが広がる部屋に、厳冬のような冷たい沈黙が落ちた。
私は彼女を見続けることがいたたまれず、なんとなく横の壁へと目を投げた。
(──あの絵は)
ゴテゴテした調度品や高級絵画が数多くある中で、部屋の雰囲気にそぐわない小さな絵が額に入れられて飾られていた。
額縁の豪華さと反比例する、美術的価値の皆無な、恐らく小さな子供が描いたであろうものだ。
平原とおぼしき場所に並んで立つ2人の子供。
1人は明るいブラウンの髪色の少年、もう一方は金髪に青い目をした──。
「あの絵は、彼から贈られたものですね?」
彼女は私の声に顔を上げるとそちらに振り向いた。
「彼から聞いたことがあります。幼い頃に遊びに行った先の絵を描いて、あなたに贈ったことがあると。ずいぶんと前のことだと記憶していますが」
彼女は無言で絵を見ている。
懐かしむような表情は、当時を思い返しているのか。
「この絢爛豪華なお部屋には、失礼ですが、あの絵は不似合いに見えます。それをこうして大切に飾り続けているということは、やはりあなたはずっと彼のことを……」
「あの頃は良かった」
ぽつりと彼女は呟くと、
「彼といつでも自然に触れ合えた。でも今はあまりにも距離が離れてしまって。私はただ、彼に手の届く所に居続けて欲しかった。そして、手を握って欲しかった、髪を撫でてもらいたかった、ただ、そっと……肩を抱かれていたかった。今彼の隣にいる、あの子のように。私も、私もあの子みたいに素直にできたら、思いの丈を真っ直ぐ伝えられていたら、こんなふうには、ならずに……」
普段は揺るぎない自信に満ちている彼女の瞳には、溢れんばかりの涙が湛えられていた。
私は彼女の結末を知っている。
命を取られたり、家が没落することはない。
だが許嫁を解消されず、ヒロインへの嫌がらせがエスカレートしたことに意を決した彼が、公然の場で強引に婚約を破棄する。その流れで、今までヒロインにつらく当たっていた事実を学園長や教師に知られるのだ。
彼女はその状況から逃げ去る他なく、それから学園での評価と立場はがた落ちし、社交界でも後ろ指を差される結果に陥ってしまう。
所謂スカッとするざまあ展開、古い言い回しを使うなら、ぎゃふんと言わせる、というやつだ。
だが彼女のバックグラウンドを知っていれば、ざまを見ろと手を叩いて笑えるはずがない。そんな奴がいれば私は、この人でなしめ、と糾弾してやるところだ。
そう、ゲームをやり込んでいた私は、彼女が抱え、内に秘めていたものを全て知っている。
それは孤独に満ちていたが魅力的なものだった。
はっきりと言ってしまえば、彼女は私の推しキャラの1人なのだ。
このゲームには彼女を主眼にしたルートもある。
だが現時点でそのルートへの入り口は既に閉ざされており、あとは先ほどの結末へと向かうだけだ。
私に、このゲームに登場する精霊や神々のような力があれば時間を遡り、やり直すことも可能かもしれない。
だが私は何の力も持たない、あっても凡庸な魔力を持つだけの、ただのモブに過ぎないのだ。
だから──彼からの依頼を好機として受けたのだ。
たとえ許嫁の解消は避けられなくとも、私のできる範囲内でより良いエンディングを迎えさせるために。
「……よろしいでしょうか? 許嫁解消の説得に来た私が言うのもおかしな話ですが、あなたの心情を知り、私の心はあなたを支えたいほうへと傾きました。許嫁の約束はまだ生きています。真意を伝えれば、もしかしたら彼の気持ちはまたあなたへと」
あえて明るく、そう語りかけた私の顔はすぐに真顔に戻った。
無理ですわ、と遮られるように即答されたからだ。
「どうあがいても、今の彼とあの子の間に割って入る余地なんて無いのは、私が1番よく分かっています。今まで、私がむきになって無理難題を押し付けても、悪態をついて思い付く限りの罵詈雑言を浴びせようとも、あの2人の仲は離れるどころか、それを乗り越える度に深く深く結び付いていったのですから」
「………」
「……醜いですわね、ホント。まるでお話に出てくる憎々しい悪役みたい」
「………」
「私はもう自分で後戻りのできないところまで来てしまったのです。今更本当の気持ちを知ってくれだなんて、そんなの都合が良くて、見苦しいだけ」
「……見苦しくても、良いじゃないですか」
「え?」
「真意を伝えても彼の気持ちは変わらないかもしれない。いえ、伝えることで逆にあなたが深く傷付くようなことさえあるかもしれない。でも、気持ちには1つのけじめがつけられるのではありませんか?」
「けじめ」
「そう、けじめです。これまでの、そしてこれからも続く、あなた自身の人生のために」
私の言葉を聞くと、彼女はゆっくりと俯いた。
顔にこれという色の変化はない。だが、懊悩、苦悩、逡巡、苦慮、数多の思考や感情が行き交っているのだろう。
しばらくして、何かを飲み込むように顎を引くと、彼女は決意の表情で顔を上げた。
「……分かりましたわ」
「そうですか、ではいかがします?」
「許嫁の解消に承諾します」
「は、えっ、許嫁を解消する!? 突然なぜ、それにあれは家同士で決めたことだと」
「許嫁の約束など実際は、形骸化された、もはや何の拘束力もない名前だけのもの。昔ほど当家と彼の家との仲も良好ではありませんから、なおさらです」
「でも、しかし、どうして急に!?」
「けじめという言葉を通し、過去から現在までを思い返して、気付いたのです。昨今の私は許嫁という言葉で、離れていく彼の心を繋ぎ止めていただけだったと。そして彼への愛情が強い執着となり、あの子への逆恨みに変わりつつあることを。このままでは私は、自分自身さえ見失ってしまう」
ですから、と言葉を続けると、
「こちらから直接、彼に許嫁解消を伝えに行きます。そのうえで、溜まりに溜まった思いの丈を残らずぶちまけてきますわ」
「ぶ、ぶちまけ、ますか」
「ええ、思い残すことなく、一切合切、さっぱりするまで。ああ、あの子への無礼に対する謝罪にも行かなければなりませんわね」
彼女は傲慢だと言われているが、それは半分は誤解で、実際には行動力と押しの強さが人並み外れているのだ。
良い方向へ舵取りができれば、ひたすらポジティブへと向かって突っ走っていく。
「今から馬車を用意させます。彼はお屋敷にいるはずですわね」
「い、今から行くのですか?」
「ええ、今から。私は現時点ではまだ、彼の許嫁ですわ。一体、何の遠慮がありまして?」
傲慢だと言われているのは半分は誤解だが、残り半分は──まあ、世間の評判通りに本当なのだ。
「どうぞあなたもご一緒にいらしてくださいな」
「わ、私も?」
「ええ、これも何かの縁。あなたには是非とも見届けてほしいのです。この私の──」
「長年の恋が終わるところを」
涙を拭ったその手を彼女はこちらに差し出してくる。
許嫁解消を頼んだはずの私を連れて、彼女が屋敷へと乗り込んできたら、彼は一体どんな顔をするだろう。
なんだか気の毒ではあるが、それを拝むのもまた一興か。
「お供します」
私は彼女の手を取った。
「では、参りましょう」
唐突ではあるが、とにかく彼女は最悪の結末を回避し、自らの決断で新たな道へと歩み出した。
悪役令嬢という役割を打ち破った彼女がどのようなエンディングへと向かうのか、私も最後の最後まで見届けさせてもらうとしよう。