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人生に試練は付き物です(二回目)

「さて、では宣戦布告をしようと思うが異論のある者はいるか?」


 不穏を語るには相応しくない清々しい笑顔で居並ぶ面々を見回した師走に、まさかあろうはずもありませんっとはきはき答えたのは睦月。龍征を含む他の当主が心中では苦く睨んでいるのにも気づいた様子はなく、きらきらした目で師走を見ている。


 立春の睦月邸から場所を変えて清明、領主である弥生の邸だというのに睦月は誰に憚ることなく師走に付き随っている。そろそろ誰かがその愚行を指摘してやればいいのにと他人事のように考える龍征同様、実際に忠告してやるほど親切な人間がいないせいでどんどんと悪化している。睦月の臣下は、この先苦労が耐えないことだろう。

 何より悪化を促している師走は、重々しく頷いて睦月にいい笑顔を向けた。


「頼もしいな、千両。いい働きを期待しておるぞ」

「はい、この千両にお任せください!」


 必ずや首級をあげてご覧に入れますと意気込んだ睦月のそれで、不快が顔に出ないようなるべく見ない顔をしていた龍征も思わず反応してしまった。


「はっ、まだ初陣も迎えてないくせによく言えたものだな」


 感情を隠さす語尾を上げると反抗的に振り返って睨みつけてくる睦月を鋭く見据え、戯れに聞いてやると声を低める。


「その敵というのは、如月の二を指すのか? 俺の奥が首を刎ねる気なら、この場で血を見ることになるが」


 いっそ前口上もなく斬りつけたいくらいの気分で薄っすらと笑みを貼りつけると、気圧されたように睦月が青褪める。それでも何とか口を開こうとするのを見て、睦月から目は逸らさないまま全員に向けて宣言する。


「断っておくが、俺は初雪ましろを話し合いの場に引き摺り出すために参加を迫られただけだ。俺の奥としてより如月の二として動く愚かを諌めるも務めとここにいる、あれを害するだけが目的ならこの場で即座に降りる」

「っ、では直ちにそうさ、」

「千両」


 控えろと、冷たい声で名を呼ばれた睦月はびくりと身体を竦めて呼んだ相手──師走に振り返った。いつもの笑みが凍りついているのを見てひっと息を呑むと縮こまり、差し出た真似を致しましたと小さく謝罪して俯く。師走はしばらくその睦月を眺めていたが、やがてふと息を吐いて空気を和らげた。


「すまんな、睦月はこれが初陣と意気込んで空回ったようだ。勿論、儂が頼んで参戦してもらったのだ、霜月の意思は尊重する。奥方がため、わざわざ出向いたくれたことに感謝しておるよ」


 自然な様子で頭を下げる師走に、睦月は思わず止めそうになったようだがどうにか拳を作ってそれを堪えた。


 臣下を退室させた当主ばかりのこの部屋では、暦家の七人はすべてが対等だ。睦月の邸であったならまだしも、ここの主人は弥生東北風やよいならい。そしてその弥生にしても場を仕切っている師走にしても誰かに命じる権限などはなく、同等の立場の人間に頭を下げるのは何もおかしいことではない。止めようものならこの場の全員を侮っていると思われかねないと、その程度のことは気づけたようだ。


 師走は睦月の行動に気づいただろうに知らない顔で頭を上げると、いい機会だから言っておくと一人一人の顔を見回してから告げる。


「霜月の主張を受け入れているところからして察しておるとは思うが、儂は何も霜月の奥を無闇に害する気はない。悲しい行き違いがあっただけのこと、再び話をすればきっと分かってもらえると信じておる。故に、皆も霜月の奥には十分気を払ってくれ」

「では、何のための宣戦布告なのです」


 すると仰せになられませなんだかと語尾を上げたのは、寒露領主の長月萩ながつきはぎ。いつも眠そうで気怠げな印象だったが、今日ばかりは幾らか鋭い目を師走に向けている。

 師走は何も矛盾はないとばかりにそうだと頷き、少し身体を乗り出させた。


「この戦いは、決して誰かを傷つけるためのものではない。だが、終わらせるには霜月の奥と話す必要がある。先の話し合いで決裂してしまったがために、彼女は儂と容易に会おうとはせんだろう。悲しいことだが、前回のあれで誤解を生じさせてしまったようだからな」


 誤解。誤解と言ったか、今。


 思わず眉が動いたのは師走の言う先の話し合いとは御前会議のことであり、ここにいる全員が出席してすべてを見聞きしているから。さほど遠くない記憶をどう辿っても、誤解の入り込む余地はなかった。そもそも、話し合いすら成立していなかったではないか。初雪が問いかけ、師走は答えず持論を展開する。それを実に一刻も、延々と続けていただけだ。


(あのやり取りを全員が知っていると分かった上で、よく抜け抜けと)


 喉の奥まで出かかった批難を苦労して呑み込み、僅かに視線を揺らすと睦月以外の全員がそれぞれ複雑な顔をしたのが分かる。勿論、指摘を受ける前に何でもない顔を取り繕ってはいるが、龍征と同じく許されるなら言いたいあれこれは多いのだろう。


 しかし全員が素知らぬ顔で口を噤むのは、ここで師走に逆らっても得策ではないと知っているから。宣戦布告こそまだだが、既に二つに分かれて戦うと決まったも同然だ。その場合、冬家が集う陣営が断然有利であり、ここで不興を買って追いやられては参戦を決めた意味がなくなる。今なら離れられるなんて時期はとっくに越えた、どれだけ旗頭に不満や不安があろうともはや一蓮托生だ。


 それが分かっているからこそ、師走は堂々と言ってのける。反対が起きなければ、それは事実になるとでも言いたげに。


(胸糞悪い)


 龍征も、心中にそう吐き捨てるしかできない。恨むぞと脳裏にぼやいたところで、人生には試練が付き物だと自分は避けたそれを投げつけてきた初雪を思い出して苛っとしただけだった。失敗した。


「しかしどうにか早期に決着をつけたい。長引けば苦しむのは民たちだ、それだけは避けねばならん」

「さすが常永様、領民を第一にお考えとは……!」


 見習わねばと多分に意識せず追従している睦月にげんなりするが、民を思うならばと立秋領主の文月棕櫚ふみつきしゅろがやんわりと口を挟んだ。


「我が領内に限らず、如月の二を信じる民は多い。戦となれば駆り出されることとなろうが、仮に彼らが如月の二を見て剣先を下げたとしても咎めはなしとしてもらいたい」

「まさか、そのような! 文月殿、正気なのか!? 戦となって敵と戦わぬなど有り得んことだ!」

「貴様こそ正気か、睦月。民がためにと師走が言った、その民が如月の二に剣を向けるを厭うならばそれを汲んでこそであろう」

「それは本末転倒というもの、戦なのだ! 敵は倒してこそ、それ故の戦であろう!」

「ぴいぴいほざくな、雛。戦が戦はと喧しい、貴様に講じられるまでもなく儂らのほうがよく知っておるわ」


 嘴を噤めと叱りつけたのは、白露領主の葉月凌霄はづきのうぜん。この中では一番長く暦家の当主を勤める男で、戦上手と知られた猛将だ。三十五年前にあった寒露・立冬との戦いで、白露を見事勝利に導いたとして妾腹の末子でありながら当主の座に就き、今まで長く治めている。右の袖口から覗く大きな傷跡のせいでもう弓は引けなくなったというが、御前試合ではそんな素振りも見せず大きな斬馬刀を振るう豪快な爺様だ。

 その老将に対し、半分どころか三分の一しか生きていない睦月ができる反論などない。顔を真っ赤にして唇を戦慄かせているが、もはや全員が相手にしないでただ師走を見る。


「どうなんだ、師走の。儂の領民も、必ずや敵を討つといった気概など今回は持てそうにない。それを咎めるのでは、儂の統治が立ち行かん」


 信仰を捨てさせるなど領主のすることではないからなと葉月が迫ると、師走は呵呵と笑った。


「勿論だ! 言うておろう、如月の二は儂も尊重すべきと心得ておる。民の心配も尤もだ、領主に従って神から見捨てられたのでは堪らんだろうからな」


 分かっておるよと何度も頷いた師走は、だがと少し語気を強めた。


「神職なれば彼女は自ら剣を取るではなく、陣営の最奥にて血を流す民を案じて憂うことになろう。長くそうさせるなど憐れなことだ、早くお出まし願い話し合いの場を設けよう」


 そのために皆の協力を願うと再び頭を下げた師走に、ああ、おう、と歯切れの悪い返事が溢れる中、睦月は一人だけ元気よく勿論です! と繰り返した。


 本当にこのお子様は、今の話をちゃんと聞き、理解したのだろうか?


 結局師走は何故宣戦布告をするのか、はっきりと答えてはいない。どころか、実際に戦うとなれば最前線には出てこないだろう初雪を引き摺り出すために武力がいると暗に示した上に、戦意のない民を咎めないとの確約もしていない。初雪が御前会議で能書きでなく答えをと迫った時と同様、のらくらと質問をかわして主張を展開しただけだ。


 しかし師走に問うた誰も、本気で返答を得ようと望んだわけではない。尋ねる形で自分の意思を表明し、他の面々に──主に龍征に伝えただけだ。こちらが優勢だと思うからこそ陣営を選択した、それでも領地を負う者として敗北した場合に備えなくてはならない。この場で誰より如月の二と繋がりのある龍征に、攻撃に乗り気ではなかったとを示しておけば後の交渉がしやすいとの布石だろう。


(とはいえ負けた時の保険よりは、師走が気に入らんから楯突いたって理由のほうがでかそうだがな)


 それでも構わない、初雪が傷つく可能性が低くなるなら政治的戦略だろうとどんな下心であろうと受け入れる。龍征だって負けた場合の交渉は請け負うかわり、勝った場合は初雪の命乞いに参加させるつもりなのだからお互い様だ。


(最悪、師走の始末にも巻き込めるなら上々だ)


 根回しだけはしておくかと考えながら、相変わらず貼りつけたような笑みを浮かべる師走を眺めて目を細めた。

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