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嫌なことも分かち合うのが、夫婦というものかと存じます

 初雪ましろとの多分開戦前最後となる挨拶を済ませた龍征が戻ったのは、大雪たいせつの屋敷ではなく立春の睦月邸。先ほど初雪たち春家はるけが集っていたのは立春に程近い啓蟄領だったので、睦月が進んで自分の領地を滞在場所にと提供してくれたからだ。


 現在の睦月当主は睦月千両むつきせんりょうという、まだ十五歳で元服したての子供だ。早くに先代当主の父親を亡くしたせいで依頼心が強く、よりにもよって小寒領主の師走を頼りとしている。今回水穂を二分する戦いが起こるかもしれないと聞いた瞬間、睦月は真っ先に師走支持を表明した。おかげで他家は争うようにどちらにつくかの決断を迫られた、迷惑極まりない行動だった。


(普通なら、命懸けで臣下が止めるはずの愚行だ)


 先代の睦月万両まんりょうは血の気が多く、他家に攻め込むことも多い不穏分子だったが領民にとってはいい領主だったと聞く。人身掌握にも長けており、まるで自分が早世するのを見越したかのように幼い息子に最良の臣下を残したという噂だった。

 そんな逸材揃いであれば尚のこと、幼い当主に今の睦月の状況を懇々と説明してまずは様子見を勧めるのが常套だ。それが何故、臣下の思惑とは真逆の行動に出たのか。


(師走が直接唆した、以外に答えはないがな)


 臣下はあくまでも、領内の支えにしかならない。暦家を相手に渡り合っていくにはあまりに頼りなく、別の暦家の後ろ盾がほしいところに師走が手を差し伸べたのが始まりだろう。今では第二の父としても仰ぐ勢いであり、師走も幼子の憧憬をいいことに立春を我が物顔で歩き回っていると評判だ。

 その師走が当主に会いに来るのを止められる者は、もはや誰もいない。そうして直接師走に共に戦おうと乞われたなら、睦月が二つ返事で頷いたのも分かる。


 しかしそれがどれだけ他家の恨みを買う行為なのか、睦月は果たして理解しているだろうか。


 師走を頼りにしすぎた幼い当社と昔ながらの臣下の間には、既に冷たい亀裂が入っているのは想像に難くない。主君のためとの換言も、聞く気のない相手には意味がない。寧ろただ不興を買うだけと分かっているなら、それを押しても苦言を呈す忠臣はどれほどいるものか。


(──このつまらん戦が終わる前に、引き抜きはしておくか)


 正直言って、龍征にはこの戦に関わる利益はほとんどない。ただ初雪の身の安全を思い、負けた後でも庇えるようにと渋々師走につくことを是としただけだ。この無駄にしか思えない戦いを境に睦月が崩壊しようと痛くも痒くもない、ただ有能な何人かを引き抜くことができたならそれを慰めにはできそうだ。


 初雪が聞けば人としてどうなんだろうと呆れるような考えを巡らせつつ、とりあえず睦月には挨拶をしておくべきかと足を進めていると、


「ああ、霜月の」


 戻ったかと声をかけてきたのは、少し先の部屋から顔を覗かせた師走常永じょうえい。まるで邸の主が如き寛ぎようで、当の睦月はそこにはいない。無視して睦月を探しに行ったとて礼に反してはないはずだが、後ろで不要な喧嘩は売らないでくださいと呪うような信康の気配を感じて小さく息を吐き出した。


「師走の。こんなところで何をしている」


 睦月の姿がないようだがと視線を探すように揺らせば、あれは勉強中だと貼りつけたような笑みで答えられる。


「こんな時でも熱心だろう、まったく頭が下がる」

「……は。そうかよ」


 まるで本心みたいに感心したように告げる師走に、龍征は嫌悪を強める。


 暦家の当主は、大体誰もが食わせ物だ。卯月も初雪の側ではまるでそこらの武家の娘と変わらない様子だが、御前会議などで冷徹な女領主の顔をしているほうが龍征には馴染みがあった。自領の民を守るためならばどんな犠牲も辞さない、女だからと侮ってくる相手には刃を持って応える苛烈さ。それこそが彼女を当主たらしめている要素だろう。比較的まともだと思う卯月でさえそんな感じだ、他の当主など推して知るべし。


 中でも悪評が高かったのは、水無月柘榴や神無月要。水無月は人を人とも思わぬ愚かで、神無月は神をも恐れぬ馬鹿だった。しかし親しく交流を持ちたいと思わないのは大前提ながら、行動の理由に見当はついたし、共感できずとも理解はできた。ただ目の前にいるこの師走は、対面しているだけで何やら薄ら寒い。吐く言葉、為す行動、そのすべてが共感はできても受け入れ難い。


(これが苦手なのは、俺も一緒だが?)


 師走側で戦えと言われた時の一番納得がいかなかった理由を、心中で初雪に繰り返す。その時も初雪は、あっけらかんと言い放った。


「え、でも私のほうが龍征君より一層あの人を嫌いだから」


 仕方ないねと、まるで天気が悪いのは変えようがないとばかりの達観で押し切られたのを思い出し、思わず顔を顰める。目敏く見つけた師走は咎め立てるではなく、どこか哀れむように目を細めた。


「その調子では、奥方の説得には失敗したか」


 強情だなと、まるで子供の駄々を許容するかのように苦笑した師走についうっかり苛っとする。けれど拳を作る前に師走の後ろに控えている石蕗が剣呑な目つきでこちらを見ているのに気づいて、少し力を抜く。

 こんなところで尻尾を出して捕まろうものなら、自分が初雪の足を引っ張ることになる。それだけは死んでも避けなくてはならない。どうにか言葉を堪えていると、石蕗は目つきを変えないまま口を開いてきた。


「霜月殿は、奥方お一人も御せないご様子。それで本当に相手方と真剣に戦えなさるのか」

「俺が初雪を相手に戦わんのは、最初に明言したはずだ。師走も承知の話だと思ったが、俺の思い違いか」

「いいや、確かにそう聞いた。儂がそれで構わんからと、助力を乞うたのだ。太助、控えよ」


 霜月に無礼だと諌めた言葉で、ご無礼をと形ばかり頭を下げる石蕗を見たところで溜飲の下がろうはずもなく。


「はっ、師走は部下一人御せないようだ」


 奥とどちらが厄介なんだろうなと混ぜ返して鼻で笑うと、石蕗がかっとなったように顔を上げる。けれど、それもそうだな! と豪快に笑う師走のそれで平静を取り戻し、失礼仕りましたとまた深く頭を下げてくる。


 まるでこれで手打ちだと言わんばかりの空気だが、そもそも初雪の逆鱗を逆撫でするどころか引き千切ったのは他ならぬ師走だ。女も部下も御せない師走のほうが、よほど始末に悪い。


「龍征様」


 どうやら気分を害していると態度に出すぎているのだろう、名を呼ぶだけでそっと注意を促してくる信康の声で何とか息を整える。少なくともこの争いが何らかの形で決着を見ない限り、これは続く。あまり不快を露にし過ぎても心証を損なうだけだ、慣れたくはないが慣れろと自分に難題を課して話題を探す。


「睦月以外の当主は、まだ揃っていないのか」

「いいや、先ほど文月と長月はこちらに着いた。今は旅装を解いて部屋におるだろう。葉月もじきに着くと便りは貰っておる」

「全員が揃ったところで、宣戦布告か」

「さて、このままでは啓蟄に攻め込むことになりかねん。それよりは清明に場所を移し、立夏で刃を交えたいところよ」


 それで弥生の動きがないのかと納得しつつ、さすがの師走も啓蟄領に攻め込むのは抵抗があるらしいと皮肉に考える。


 啓蟄を治めるのは如月であり、初雪が相手の旗頭となっている以上は戦闘の舞台となってもおかしくない。ただ啓蟄は、唯一内環うちのわと繋がる領地でもある。内環に踏み入れば天に逆らうのと同じ、何をどう言い訳したところで単なる逆賊に成り下がる。その可能性がどれほど小さかろうと避けたい、というのが本音だろう。


 それに元々、如月は帝と血を同じくする宮家が祖だ。如月の二として神官が輩出されるのもそれが要因であり、十二家の中では一番狭い領土でありながら内環と繋がる領地に封じられているのも同じく。どれだけ暦家同士の争いが起きようと今まで中立を保ってきたように、他家にとっても如月と啓蟄は不可侵というのが暗黙の了解としてあった。


(それをあっさり覆したのも、初雪だけどな……)


 今回ばかりは傍観を許さないほど暦家が真っ二つに分かれたのも然ることながら、如月としても師走一人に権力が集中しそうな形を恐れたのだろう。師走側について力の分散に努めるか、戦力差を覚悟の上で戦って師走の鼻を圧し折るか、二つに一つ。前者のほうが自家の有利と踏む暦家が多いのも仕方のない話だが、如月は無謀な娘の支持を選んだ。


(というか、多分に常夜くろ殿の思惑とは違う気はするがな……)


 現当主であり、義理の父でもある如月が歯を食いしばりながら苦渋の決断を下したであろう状況を思い浮かべ、さすがに龍征も同情を寄せる。天意と暦家の調整役として日頃から苦労が絶えない立場でも上手くのらくらと遣り過ごせる食えない義父ではあるが、どの如月の二よりも奔放な娘と次期当主の雷鳴こがねが二人がかりで詰め寄ってきたなら勝ち目はない。その結果の決断だろうと、容易に想像がつく。


(初雪一人でも手に負えんのに、雷鳴もあれで食えない奴だからな……)


 さすが如月の血。と他人事のように考えるが、それが自分に向いた時を思うと笑えない。好きでは敵に回さないのに、どうしてこうなったのか。

 解せない、と何度も辿り着く疑問しかない現状を憂いていると、こちらを窺ってきた師走がそう心配するなと何度か頷いた。


「儂とても相手方の殲滅など望んでおらん、できるなら話し合いで終わらせたいと考えておる。奥方殿と相見えるまでに少々梃子摺りそうだが、それでも叶う限り人死には少なくしたい。降伏してくる者を、無闇に処罰しようとも思っておらんさ」


 心配しすぎるなと安心させるように笑いかけてくる師走に、それはお優しいことでと薄っすらと笑みを貼りつけて返す。


 これだ。確かに共感できることを言っているはずなのに、何故かそれを鵜呑みにはできない胡散臭さが拭えない。本人はきっと心の底からそう思い、口にしているのだろう。嘘をついている感じはしないから、それを疑いはしないけれど。


 例えば龍征や他の暦家が、今の師走と同じことを口にしたとする。その場合、相手の内心はどうあれ白旗を揚げられた時点で攻撃はできない、受け入れるしかない。後患になると分かっていても自分の宣言に縛られる、そういうものだ。だからこそ明言をしないように気をつける、それが政治というものだろう。

 だがこの師走は、今みたいな宣言をした後でも降った相手を殺す。可哀想にと、多分本気で同情を寄せながら。


 思うに師走の言う降参は、反抗心のすべてをなくした状態しか指さないのだろう。逆らわず、刃向かわず、以後諾として従う。それをしないのは降参ではなく、できないまま白旗を揚げるのはただの裏切りでしかない、だから信用ならずと殺すのだ。水無月や神無月を“粛清”した、あの時のように。


 師走は昔から、よく綺麗事を口にした。争うな、話し合え、分かり合えるはずだと他人を説得する。それこそが民のため、帝のため、国のためだと熱く語る。表面だけを聞いていればどれも正しい、耳障りのいい正義感だ。睦月のような青臭い少年が心酔するのは分からないではない、正に理想を口にしているのだから当然ではある。


(でもそれは、こいつが判断するこいつ基準の正義に基づいて、の話だ)


 水無月柘榴と神無月要の横暴は、他領のことと見逃すには無理があるところまできていたのは事実だ。民を苦しめる領主は領主であってはいけない、それも確かだろう。帝がなさらないのであれば、同じ暦家が説得すべきだ、と師走は声を大にして主張した。


(その結果、どうなった?)


 師走の馬鹿でかい主張に負けて、龍征も含めた暦家が代わる代わる説得を試みた。勿論、そのほとんどがやる気のないものだったのも認める。差し迫った危険はない他領の話だと思っていたのもそうだが、あまりに見かねたなら帝が当主のすげ替えをされるのが筋だと皆分かっていたからだ。

 けれど最後に出向いた師走は、水無月と神無月の首を切った──文字通り、そのまま。役職を解くとか、当主を代えるとか、そんな小賢しい話ではなく根本からの解決に。首に刃を立てて切り落とし、命を奪った。それで終わり、とした。


(恐ろしいことに、それが話し合いの結果だと抜け抜けと言いやがったからな……)


 話し合いをしたのだと言う。ちゃんと、まともに、膝を突き合わせて説得したが聞き入れられず、民の不遇がどうしたと言い放つが馬鹿を聞いていられなかったのだと説明した。暦家を集め、帝の耳にも入る御前会議という形で、全員の前できっぱりと。これは正義の粛清だと言い放った師走の言に、薄ら寒くなったのは龍征だけではないだろう。


 師走の綺麗事は、どこまでも自分を基準にしたものだ。自分の正義に照らしてそれに背くのはすべて悪で、正すべきだと信じている。分かり合えないのならば、分からないことを嘆いて死ねと言う。


 冗談ではない。


 これが帝ではなかったことを喜ぶべきか、それとも暦家の一端であることを恐れるべきか。初雪は迷わず後者を取り、師走の流儀に則って話し合いと決裂を迎えた。故の、現状だ。


(如月の二の言葉は、凡そ帝の言葉と変わらない。それでもこいつは、理解しない初雪を悪と断じた。このままでは帝の思想が汚されるから粛清すべき、だと?)


 師走が正しいと目の前で膝を突き、頭を垂れるまで許す気はないのだと臆面もなく龍征の前で言い放った。初雪がそうするのなら命を取る気はないと請け負う師走の笑顔を、どれだけ殴りつけたかったことか。


 いっそ、ここで龍征がこれを始末してしまえばいいのではないか。例え石蕗が水穂一の武人として知られていても、何人かの部下を犠牲にする気になれば僅かの時間だけでも押さえつけることは可能だ。その間に師走の命を取るくらいは容易い、そうしてしまえばこの馬鹿げた争いそのものをなかったことにもできる。初雪は確実に助かる。


「物騒か!」


 発想が師走さんと変わらないと、本気で頭を殴りつけてきた初雪を思い出す。最初にそうすればいいと提案した時、初雪は本気の強さで殴りつけてきた。同じところに落ちないでと、ただ龍征を案じて泣き出しそうに諌めてきたあの強さを忘れられないから、知らず口許が皮肉に歪む。


「うむ、霜月は分かってくれるようで嬉しいぞ。共に奥方を説得しよう」


 早い解決を望むと決意も新たに頷いた師走に、平和的に、という形容詞が抜けていると突っ込むのも面倒臭い。

 これは敵だ。敵だが、今はそれを表明するわけにはいかない。既に相手にそう思われていたとしても、だ。


「お前のやり方なら早期の決着もあるんだろうよ、師走の」

「ああ、儂も励もう」


 助力は頼むと笑いかけてくる師走に、龍征はただ冷たく笑った。

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