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結論が怖い女というのは、甚だ納得がいきません

「御前会議を一日ずらすくらい、訳はなかった」

「霜月以外の当主は幾日も前から内環うちのわに入っておられましたのに、無茶を仰せになられませんよう」

「その程度、八年(、、)より早かろう」


 えにしがそう憎々しげに吐き捨てるのは、あさぎを喪った当時の初雪ましろを知っているせいだろう。ふわんと胸が熱くなる、それだけで十分だからと苦笑めいて笑って頭を振る。


「師走側についた当主の心情を思えば、帝が事前に二と会われるなど避けねばならない事態です」


 神職として慈悲を乞うのではないかの期待と、先に二の言い分だけを主張されるのではないかという心配と。配分で言えば後者に傾いても仕方のない状況に置かれた霜月を除く六家を思えば、慎むべきなのは縁も分かっているはずなのに。知ったことか、とどうやら本気の様子で吐き捨てられる。


「当代の二と敵対する時点で私に歯向かったも同然だ、極刑に処すこともできんなら少し肝を冷やすくらい何だという。そもそも今の状況は、会議前に会うのと何が違う」

「……まさか、沙汰も下さずに退座されるとは思いませんでしたが。それでも自分たちの言い分を主張する前と後では、当主たちも心情が違いましょう」

「馬鹿馬鹿しい。わたしに歯向かった事実がある以上、何をほざこうとすべてが戯言だ。二の言以外に聞く価値のあるものなどあるか」


 一通りされた主張もすべて聞き流したと暗に語る縁に、どうかご容赦をと初雪が取り成す。


「血迷った謀反人に唆されて私の討伐に立ち上がられただけで、帝への翻意がないことは証明されましたでしょう」

「証明? 阿呆の言に乗せられ、負ければお前の言に乗って騙されたと抜かして助かる道を探る能無しどもに、真に当主が務まるか?」


 外環そとのわの未来も知れたなと語尾を上げる縁に、初雪も倣って皮肉な色を浮かべる。


「それでは暦家の半数以上に謀反を企てられるなど、帝も信を問われましょう」

「は。だとしてもお前が当代の二である限り、神に選ばれたは私だ。民が望むのは火種を撒く当主どもではなく、天災を呼ばぬ神に選ばれし帝よ」


 反論を許さない縁の言葉は、確かに水穂の真実だ。


 歴史的に見て、生涯に渡って二を失わなかった帝の治世は穏やかに永く続いてきた。途中で二を喪った、若しくは見限られた帝の世は天災に見舞われることが多く、そのせいで民に討たれた帝まで存在する。初雪から言わせれば偶然の要素がかなり大きいが、背く例が今のところ見受けられない以上、強くも反論できない。民が頑なに信じているのなら尚更、それは事実となる。


 しかし一理以上を認めはしても、初雪としては溜め息混じりに諫めるしかない。


「徒に人心を惑わせるものではございません」

「それをしたのもあの阿呆で、私ではない」


 鼻の頭に皺が寄るほど顔を顰めての断言は、先ほど御前で展開された原因追及に起因してだろうと察して余りある。


 最初に連れてこられた師走貞永は、驚くほどに静かだった。いつものあの饒舌は鳴りを潜め、口を引き結び、目を伏せて、神妙にすべてを受け入れているかのようにも見えた。いつもであれば自分で自分を助けるだろう師走がその調子だったので、義憤に駆られたらしい石蕗が如何に曇天すみに騙されたのかを熱く語っていた。曇天の名前が初めて挙がった時だけふと目を開けて石蕗を一瞥した師走はけれど口を開く気はなかったらしく、申し開きはとゆかりに促された時も緩く頭を振って叩頭しただけだった。


「あれもあれで腹立たしかったがな」

「恐れながら縁様に置かれましては、何をされようとお気に召さなかったのではありませんか」

「お前に対して泣いて許しを請い、土下座までして見せたら違っただろうがな」

「……それもそれで態とらしい、と切り捨てられる気がしますが」

「さてな。実際にはされていないのだから分からん」


 させてみるかと僅かに眉を上げた縁に、御容赦をと苦笑する。縁はふんと鼻を鳴らして肘を突こうとし、脇息がないことを思い出して顔を顰めた。影さえ入れないこの場では、二人のどちらかが拾わない限り打ち捨てられた物はそのままだ。初雪の後ろにあるそれを一瞥したのには気づいたが、自分で拾ってくださいとばかりに放置する。

 縁は不快げに眉を寄せたが胡坐をかいて自分の膝に肘を突くことで解決とし、お前は甘すぎると声を尖らせた。


「自分を殺そうとした相手など容赦なく殺せ。立場としての神職がそれを許さんなら、私が命じる。闇の内の始末だろうと、正式な極刑だろうと」

「縁様」


 諫めるように名を呼ぶが、縁に聞いた様子はなく酷薄に目を眇められる。


 暦家が力をつけ、外環で好きに振る舞い出したのは何も昨日今日に始まった話ではない。先々代の頃には既に兆候があり、先代が何とか食い止めていたが縁が帝になって加速した。口さがない者が聞こえよがしに囁く、形骸化した主との声は多分に帝の耳にも届いているだろう。


(でも皆様、虎は茂みに潜んでじっと機会を窺うものだと御存知でしょうか)


 縁が外環の横暴を見過ごしているのは、無気力や臆病からではない。歴代の帝がそうであったように、冷酷に冷徹に、淡々と状況を見極めているからだ。


 自分の役に立つ者か、毒にも薬にもならない無能か、国の害となる毒虫か。


 御簾で区切られた奥の間から無言のまま、物憂げに肘を突いて、凍てた目で見定めている。本性は決して穏やかで柔らかなどという言葉で飾られない、国を守るためには誰であれ切り捨てられる辛辣な為政者。それが葦原縁という形だ。


(今は国と天秤に掛けるような状況じゃないからこそ、ゆかちゃんも私も家族として扱ってくださるけど。いざとなればいつもの顔で、死んでくれと命じられる方ですよ)


 それらを知っている初雪としては、一時の感情に任せて縁の言葉に頷けない。あくまでも私的な会話として聞き流してくれればいいが、言質を取ったが最後、さらりと実行してのけると知っているからだ。


「縁様のお気持ちは有り難く存じますが、私個人の私情に法を用いるのはおやめください」

「お前の私情が根底であろうと、あの愚かが罪を重ねたは事実だ。私が裁くことに何の異議がある」


 堂々と聞き返してくる縁に、はっきり言わねばならないらしいと諦念の息を吐いた初雪はにこりと縁を見据えた。


「恐れながら、申し上げてもよろしいでしょうか」

「……許す」


 何を言い出すのかと警戒しながらも頷いてくれる縁に、それでは遠慮なくと笑って続ける。


「例え縁様であろうとも、私の復讐を横取りされることは認めません」


 口出し無用にございますと断言すると、縁は僅かに目を瞠って何度か瞬きをした後、何故かはっと息を吐いてそのまま笑い出した。


「そうか、そうであったな。お前はただ柔らかなだけの女ではなく、神をも恐れぬ罰当たりな神職であった!」

「恐れながら、いくら私でも神の御前で無礼を働けるほど豪胆にはできておりません。ただ神が余所見をしておられる間は、好きに振る舞っているだけです」


 見ておられないということは知らないということでしょうと肩を竦めると、縁は面白そうにくつくつと笑いさざめいた後、どこか満足げに目を細めて改めて初雪を眺めてくる。


「あれを生かすのは、お前の復讐か」

「御意。あの人は、二である己がすべてでした。二を剥奪されて生き延びるは、屈辱以外の何物でもないはず。現に、奪われたのどうのと叫んでいたでしょう」


 呆れを帯びて聞き返した初雪に、縁は苦い顔をしながら何度か頷いた。


 師走に続いて御前に引き出された曇天は、介錯が押さえつけているにも拘らず帝の許可が出る前からこれは間違いだと叫び続けていた。当代の二であろうと帝の御前では口を慎むものだというのに、場も弁えず喚き散らす曇天に介錯が些か乱暴な手段に出たのも已む無しだろう。

 黙れときつく言いつけられてようやく一度は黙ったが、ゆかりが渋々と申し開きはあるかと水を向けたが最後、延々と騙された奪われたと自らを憐れむ言葉ばかりを連ね出した。


 曰く、当代をそもそも奪った姪が二を己唯一とすべく画策して、企てたすべての罪科を自分に押しつけてきた。


 啓蟄の神社かみやしろでの経緯を知らない他の暦家当主たちなら、言い包められると思ったのか。或いはいつも通りの胡散臭さを纏っていれば、師走に教示したまま他人を操れたのかもしれない。だが当代の名に懸けて二を剥奪されたのが、よほど堪えていたのだろう。必死の様子でただただ繰り返すのは、自分は如月の二であるとの主張だった。


 三度も繰り返されたところで嫌な顔をした縁がひらと手を揺らし、ゆかりが黙らせよと命じるなり湧いた影が力尽くで口を噤ませた。曇天が出てくるまでは師走を唆したのは彼の者ですと主張していた石蕗も、何やら複雑な顔をして眺めるに留まっていた。これに謀られたとの主張は、あまりに主の品性を疑われると考えたのだろう。

 当の師走は、誰より哀れんだ目で曇天を見ていた。やがて見ていられないとばかりに目を伏せ、声なくぽつりと呟いた──やはり聞こえぬのか、と。


(皆様、ちょっと神が御声に夢と希望を抱きすぎではないですかね?)


 神が御言葉を賜りたいとの一心で、信心深く慎ましく暮らす分には誰の迷惑にもならないのでお好きにどうぞ、だが。自分に従えば神の御言葉を授けるなんて馬鹿げた言に踊らされて帝にまで牙を剥くなんて、同情の余地もない愚かとしか言いようがない。


「お前の言い分は理解した。だが、あれを生かしておけば後の憂いに繋がるのはどうする」

「繋がらぬようにすればよろしいかと。神無島かみなきじまへと流し、そこでの管理は師走家に一任されれば問題はないかと存じます」

「……水無月や神無月ではなく、か」

「その両家では、あの人を楽にさせる者が出ても不思議ありません。ですが師走家であれば、あの人が元凶としての責を果たす前に召されることがあれば自らに災難が降りかかる。どちらに任せるべきかは自ずと知れましょう」


 明日の天気を予測するほどの気安さで答える初雪に、縁は怖い女だと楽しそうに笑って鷹揚に頷くと立ち上がった。


「何か行き違いがあって揉めたようだが、外環のことは外環で解決するがいい。今回は私が仲裁に入るまでもない、──そうだな?」

「御心をお騒がせ致しましたこと、心よりお詫び申し上げます」


 軽く見下ろしてくる視線に深く頭を垂れて初雪が謝すると、縁は受け入れるように頷いて軽く天井を仰いだ。


「しかし此度の心痛が祟り、病を得た当主もあろう。無理をせず療養すべく、代替わりを願い出るならば聞き入れよう」

「寛大なる御配慮、痛み入ります」

「お前の叔父の喪心も哀れである。神無島にいい癒し手があると聞く、そちらで治るまで養生させよ。確か師走の管理であったな、二であったことに敬意を表して取り計らわせよう」


 くれぐれも、と強調するのは初雪に対してではなく、収音機の向こうにいるゆかりに対してだろう。尚侍は時折、感情のままに帝の命を曲解して伝える。今回も師走に伝える声が大分尖りそうだ。

 気に留めた様子もない縁はそこで収音機をそっと握り込み、初雪を見下ろしてきた。家族ではなく帝としての冴えた目に、何とか逸らさないままじっと見据える。


「熾火を見過ごして、野火が広がれば何とする」

「それで暖を取る者があるでなし、被害が出る前に消すが肝要かと存じます」


 師走の手から逃れたなら後はこちらでと、言葉にはしないまま笑顔を返すと縁は眼差しは変えないまま口の端を僅かに緩めた。


「家族、なればな。此度のことは不問とする」


 静かな声に、ゆっくりと頭を垂れる。その態勢で先に縁が出て行くのを聞き、渡殿も通り過ぎたような時間を置いて体勢を戻した初雪はそっと息を吐いた。


「怒るなら怒るで普通に言えばいいのに、察しろ。って空気で怒るの、やめてほしい」


 だから昊も縁も夫には向かないのだと心中に溢し、御前会議に戻るべく仕方なく立ち上がった。

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