ついでに求婚してくるのはやめて頂けますか
「暇なのか、君は」
つくづくしみじみと、尋ねるよりは噛み締めるように呟いた初雪の声で龍征はふと視線を上げた。呆れも色濃くこちらを見ている眼差しはどうやら本気で言っているらしく、失礼な話だと片方の眉を跳ね上げた。
龍征が今目を通しているのは、民からの嘆願書だ。前回の大雨による被害状況の報告、支援物資の不足補助、次に備えての治水工事等々、直々に指示することと割り振ることを整理しているところに横槍を入れてきた本人は、邪魔をした自覚がないらしい。
「この忙しい状況が目に入ってないのか」
「忙しいなら忙しい格好をするべきだと思われます」
だらけてるよねと嫌そうに指を向けられ、自分の姿を省みる。
脇息に凭れかかり、床に置いた嘆願書の束を撒き散らして次に進むのはいつもの癖だ。考え込むほど寝転ぶような格好に近くなり、今や肘を突いていた脇息に頭でも乗せそうな勢いだ。確かにこれで真面目に執務に取り組んでいるとは見えないだろう、自覚があるからこそ彼の部屋に直接乗り込んでいいのは信康と従弟の寛親だけと制限している。
では、何故初雪が執務中の彼の側にいるのか。答えは簡単だ、ここは龍征の部屋ではなく初雪に宛がった客室だから。おかげで、文句があるなら出て行けとも言えないのを思い出す。
尤もここがどこであろうと龍征にそれを言う気はなく、初雪を見て軽く眉を上げた。
「何だ、また暇で構ってほしいのか。じきに終わる、少し待て」
「誰がそんなことを言いました」
暇なのは事実だけど目障りだから出て行ってほしいだけだと目を据わらされ、はっと鼻で笑う。
「俺の邸で俺がどこにいようと、俺の勝手だろう」
「君の邸であろうとも、普通は客である嫁入り前のお嬢さんの部屋で断りもなく寛がないものだと思います」
「心配するな、俺も婿入り前だ」
「君が婿入りしてどうするっ」
霜月を潰す気かと呆れて突っ込んでくる初雪に、くつくつと喉の奥で笑う。打てば響くように返ってくる言葉は心地よく、最近は何やら離れ難い。故に急ぎの仕事もこうして持ち込んでいるのだが、初雪はどうやら側で無造作に扱われる機密情報を知りたくなくて追い出すべく邪険にしてくるらしい。
如月の二が知ったことは帝に筒抜けになると、警戒する家臣もいるにはいる。けれど初雪の動向を見ていればそんな隠密めいた使命を帯びているとも思えない、仮にそうだったところでそれを逆手に取る手段を講じるまでだ。それらを手間とは思えない程度には、初雪のことを気に入っているのだろう──多分。
「違う。こんな愉快な会話をしたいわけではなく、君はお忙しいかもしれないけど私は暇だから出て行きたいんだけど」
「終わったら付き合ってやる、少しくらい待て」
「君を待つ意味も分からないけど、そうじゃなくて。そろそろ大雪をお暇しようかと」
随分長い滞在になったからと唐突な切り出しに、思わず龍征は身体を起こした。改めて向き直ると、その反応にこそ驚いたような顔をされる。
「何が気に入らん」
「? 長くお世話になりっぱなしなこと」
「俺は構わん」
「私が構う。他領でずっとただ飯食らいとか、心が痛い」
自分にできることって少ないから自領でも心苦しいのにと悩ましげに息を吐いた初雪に、龍征は軽く眉を上げてふと思いついたそれを口にする。
「ならお前、俺の奥になれ。それなら正々堂々、ただ飯を食えるだろう」
「断る」
一呼吸も考えるではなく即座に断られ、龍征もさすがにかちんときて身体を乗り出した。
「無闇に断るなっ!」
「断るのが前提にないとか、無茶にも程がある。大体ついでみたいに求婚されて受ける女なんて、よっぽど君に惚れてたってそうないからね」
まして惚れてもない女を口説くなら手順や状況を見極めたほうがいいと真顔で説教をされ、返す言葉はない。ないけれど、仮にも暦家当主の求婚を顔色一つ変えずに受け流されては気分のよかろうはずもない。
「お前ももう少し、恥じらうなり動揺するなりしたらどうだ」
「惚れた男にされたならついでだったとしても考えるけど、君の場合は間に合わせ感が透けて見えてて無理」
他所のお嬢さんを探すのが面倒なだけでしょうと肩を竦められ、否定はしないと素直に答えつつも短く息を吐いた。
「だがお前なら側にいても不快じゃない。俺の思う条件は満たしてる、だからこその求婚だが」
「知り合って半月で、何が分かるって言うんだか。結婚してから思ってたのと違うって、言うのも言われるのも嫌なんですが」
「はっ、政略結婚なんてそんなもんだろう」
「そう思うなら、君は他所のお嬢さんと好きなだけそうしたらいいよ。私は政略と関わらず生きていくので」
それが許される立場なのでとにこりと告げた初雪は、時折そうして貼りつけたような笑みを見せる。如月の二が話題に上るとよく見かけるようなと記憶を辿り、そこでようやく彼女が神職であったと思い出した。
「何だ、神官は生娘が条件か」
「っ、言い方!」
もう少し慎みを持って会話してくれると僅かに頬を赤らめて睨まれ、不信心なものでとおどけて眉を上げる。もういいと大きく溜め息をついた初雪は、よく混同されるけどと投げるように説明する。
「乙女が条件なのは、斎宮。それだって潔斎の儀に臨む一年だけで、翌年は別の斎宮が選ばれるからね。如月の二に至っては男女の別もないし、結婚しようと子を儲けようとお好きにどうぞ、ですよ」
「ならお前が俺の奥になっても問題はないんだな?」
「なる気はないけど、可不可だけで言うなら問題はないね」
「問題ないなら俺に嫁げ」
「断る」
最後の一音を聞くか聞かないかの内からすぱりと切り捨てる初雪に、何が不満だとつい声を荒らげる。初雪は目を見たまま深く溜め息をつき、仕方なさそうに続ける。
「君の不信心は今も痛感したけど、適当に口説いてる相手は如月の二なんだからね。どれだけ面倒なことになるか、ちょっと落ち着いて考えなさい」
「如月の二とかどうでもいい。俺は如月初雪、お前に求婚してる」
何が問題だと本気で聞き返すと、初雪は少しだけ言葉に詰まったがすぐに大きく呼吸を整えた。
「私は死ぬまで如月の二なの。誰かに嫁ごうと、万が一如月の家から勘当されても変わらない。好き勝手をしてもいい権利と引き換えに、二の義務がついて回る。霜月の人間には絶対になれない、そんな女を室にして君に何の利益があるの?」
「嫁を取れと煩く言われなくなる」
「っ、そ、の程度で厄介を持ち込んでどうするの! 二を擁する益はどう頑張っても如月にしか齎されない、他家にとっては二の存在なんて不利益なだけ、」
「誰基準の話だ、それは」
俺がそう思ってるなら最初から求婚なんかするかと鼻で笑うと、初雪は言葉を探し出せなかったのか無意味にただ口を開閉させた。龍征はようやく初雪から言葉を奪えたことに満足し、ふっと口許を緩めた。
「俺は奥を探してて、お前は居場所を探してる。利害は一致してるんじゃないのか」
損はないだろうと肩を竦めてみせると、そんな話で終わらないのは分かってるでしょうにと小さく反論される。それでも聞き流せるほどの小ささでしかなく、躊躇って視線を揺らしている初雪の頬に手を当てて顔を近づけた。
「俺の奥になれ」
「っ、いきなり真顔で真面目にほざかないでっ」
「ついでじゃなく、真面目に口説けばいいんだろうが」
「誰がそんなこと言ったの!」
「さっきお前が言ったろう」
「違う、言ったか言ってないかだと言ったけど、色々違うーっ!」
もう何この子意味分かんないと真っ赤になって騒ぎ立てる初雪に、意味が分からんのはお前のほうだと笑う。
「否か、応か。返事は二つに一つだろう。お前を奥にしたら面白そうだ、俺が望む理由はそんな程度だ。お前が並べたみたいな瑣末より、俺にはそれが重要だからな。だがお前に何の益もないなら、一先ず引き下がるくらいはする。だから考えろ」
「──一先ず引き下がるの言葉が不吉すぎるんだけど」
ただ引き下がるべきではと不審も露に突っ込まれ、にっこりと笑うと初雪は気の悪い深さで溜め息をついた。
「というか、既に二回も断った記憶があるんですが」
「ついでの求婚だったからな。真面目に口説いたなら真面目に返すのが礼儀だろう?」
「既に真面目にやめたほうがいいと説いた覚えもありますが」
「なら、真面目に受ける理由を探せ」
断る理由は瑣末と退けたとさらりと返すと、初雪がぐらりと身体を傾がせた。慌てて倒れる前に受け止めると、眩暈がすると低く呟かれる。匙でも呼ぶべきかと様子を窺っていると、赤くなった顔を逸らして噛みつかれる。
「断られるのに慣れてないからって、断らせないように必死すぎない!?」
「はっ。なら黙って流されろ」
断らせる気はないからなと笑いながら告げると、後で後悔するがいいと呪うように返した初雪の耳は痛そうなほど赤かった。