強権を振り翳そうと思います
縁のどうだと言わんばかりの自己紹介に、聞きたくなかったー!! と声にならない悲鳴を上げて頭を抱えているのは三人。雷鳴の他は、槙也と弥生だ。
分かる。気持ちはとても分かる。そこはかとなく察しがついても聞かない限りは事実ではない、事実でないならなかったことにできると逃避の論理は、現実を突きつけられた時点で終了する。
水穂にて葦原の姓を許されているのは、帝と血を分けた家族だけに限られる。配偶者には許されず、現在は先帝と今上帝、そのお子であられる東宮の三人しか持ち合わせない。ならば何故、その三人の中には含まれない縁がその名を持っているのか。
今上帝は御名を、葦原縁と言われる。まったく同じ字、そして縁が口にした“一”が示すのは、かつて宮中にて秘すべき御子があったということ。
多分に外環では二しか知らない事実だが、葦原は双子が比較的多く生まれる。元より、そういう家系なのだろう。故に宮中において双子の誕生は大騒ぎするような事態ではないのだが、水穂では未だに眉を顰められることが多い。そのため、内の一人は対外的にはいないものとして扱われるのが常になってしまった。
ただ、それはあくまでも対外的に、でしかない。“秘すべき御子”は宮中では公然の秘密であり、帝と同じ教育を施される。帝にとっても当然ながら葦原の名を共にする姉弟に違いなく、縁に尚侍以上の権限を与えていることからしても仲が良好なのは推して知るべし。
つまり、信じ難く信じたくないことに、この部屋には進行形で帝(仮)がおわす。暦家当主であっても御簾越しならばともかく面と向かう機会などほとんどない遙か高みの雲上人と同じ部屋にいるなんて、光栄が身に余りすぎて流れ出そうだ。
「どうしてお前が他人事みたいな顔で達観してるんだよ、止めろよ、そこまで分かってるなら!!」
必死の体で噛みついてくる雷鳴の嘆きに後の二人も同じく咎めるように頷いているが、あらあらと初雪は自分の頬に軽く手を当てた。
「ゆかちゃんの暴走を止めるなんて、いっそ縁様にもできない神が御業。それをたかが人如きに求めるなんて」
愚かに過ぎるとゆるりと頭を振ると、しょうがないよ、姫様はできないことばっかだもんなーと悪気なく抉ってくる蛍の言葉が突き刺さって思わず胸を押さえた。
「ごめん、色々となっていなくて……」
「? 何でもできたら神様じゃん。柘榴様でもないのに、姫様には無理だってー」
できないから人間なんだと金言を吐いた蛍に、成る程、それも一理と感じ入るのは初雪だけらしい。誰より身に染みたほうがいい曇天は縁の暴挙を呑み込むまで呆然とした後、険しい声を出した。
「忌み子が統治の一族、だと……? 神への冒涜にも程があるっ、水穂を滅ぼす気か!?」
「双子が真に生まれてはならぬものなら、最初から神が造るわけがないだろうに。神に仕えると言いながらその発言、正気か?」
「霜月の言う通りよ。人の理の中で双子を忌むだけならば受け入れようが、そこに神を持ち出すな、痴れ者が」
これだから信用ならんのじゃと顔を顰める縁に、話にならんと舌打ちして曇天は初雪を睨みつけてくる。
「知ってこれを見過ごしていたとは、どれほどの愚を重ねれば気が済むのだ、この馬鹿娘! 仮にも神に仕える身でありながら、神が御意思に背くとは……っ」
「そんなことだから、大叔父様はあなたを次の当代にすることを避けられたのですよ」
どうやら見当もつけていないらしいと深い溜め息混じりに真相を告げると、曇天が激しく顔を顰めた。最も突かれたくない弱点だと自ら暴露するようなものだが、取り繕えないほどに痛いのだろう。ここまでの愚かを繰り返さなければ一生でも黙っているつもりだったが、初雪に対するはともかく縁に対して無礼に過ぎる。
「二の次代は、当代が名指しするものなのか」
神託ではなかったかと確認するよう槙也に尋ねられ、初雪は持論を展開する。
「基本的に二は帝のために、勘や経験則に従って助言するんだけど。すべての二が上手く説明できるわけじゃないし、そんな時に最も反論が出難い理由が信託に依る、だったんだと思う」
「この、っ罰当たりが!! お前自身に聞く気がないだけで、我らは確かに御言葉を賜るものだ!」
初雪の説明が気に入らないとすかさず噛みついてくる曇天が、どこまで本気で言っているのかは分からない。そこに事実がまったくないとも言わないが。
「中には本当に聞かれた方もいらっしゃるかもしれませんし、私に聞く気がないとの御指摘に反論はしません。ただ、あなたにその能力が備わっているとも認めません」
「自分が聞けぬからと、私の言まで疑うか!?」
嘆かわしいと吐き捨てる曇天に、初雪は長く息を吐き出した。どこまでも自分で墓穴を深めている曇天がいっそ哀れだが、かといって咎めなしと放り出すわけにもいかない。なまじ“如月の二”であるせいで、追い出した先で謀反を先導しかねないからだ。
自分が置かれている状況をもっと正確に把握してはどうなのかと嘆くように考えていると、縁がずいと一歩踏み出して曇天の視線を遮るように間に入った。
「どうやら心得違いをしておるようじゃが、妾は初雪が神職としての能力に優れていようが劣っていようがどうでもよい。側に置く理由は初雪が二だからではない、二が初雪だっただけじゃ」
お前など最初から選択肢にも入っておらんわと鼻で笑う縁に暴言が向く前に、初雪が口を開く。
「神の御声に関しては、当代に必須の能力ではありません。言ってしまえば二の役目など、帝の無茶をお止めするのが大半なのですから。故に当代の二は帝より年嵩の者が理想であり、通例となっていたのです。つまり本来であれば帝より幼い私ではなく、あなたが当代となるはずでした」
「っ、そうだ、それをお前が横槍を入れて私から奪い取ったのだ!!」
「次代を指名するのは当代だと言っただろう、どこに初雪の介入余地がある」
「しかも当時であれば彼女はまだ五歳でしょう? どれだけ優秀であられようとも、やりたいだけでやれるものではないと思いますが」
暦家の当主たちが冷静に指摘すると、曇天は違うと子供が駄々を捏ねるように声を荒らげる。
「叔父上は自分の兄である、私の父を厭っておられた! だからその子である私を選ばぬことで復讐されたのだ!」
「恐れながら、前のお館様と大叔父上が不仲であったなど聞き及んでおりませんし、仮に事実だったとして連なる者を厭われるなら初雪も同じでは?」
それはちょっと無理があると雷鳴が頭を振ると、何も分からん小童が嘴を挟んでくるな! と曇天が怒鳴りつける。途端に雷鳴は酷薄に目を細め、曇天に向けて僅かに身体を傾けた。
「これまでは親戚として大目に見ていたが、如月の後継にその口の聞きようは如何なものか。二と言えども当代でなければ如月に属するもの。その如月を繋げ、支えていくのは当主の血、即ち私に他ならない。あなたがどれだけ子を生されようと、二度と如月に戻ることはないのだから。──あなたは私の一存で啓蟄を追い出されることも有り得るのだと、少しは骨身に刻まれるがいい」
思わず背筋がひやりとするほどの声を、一体いつから出せるようになったのだろう。
初雪は思わず感心して雷鳴の横顔を見るが、曇天に浮かぶのは驚愕より屈辱のほうが大きい。それはそうだろう、自分が手玉に取れる凡庸な当主として残していたはずの雷鳴に頭を押さえつけられて素直に反省できるなら、最初からこんな苦労はしていない。
ここが二の社でなければ、きっと曇天につく影が今頃は雷鳴の首を刎ねていただろう。けれど薄氷がここに入れないように、彼の影もまた外で待機しているはずだ。初雪を確実に始末できるようにと選んだ場所が自分の首を絞めるなんて、さすがの曇天も思っていなかったはずだ。
(こんなに大量に人が押し寄せてくるのも、計算外だったろうし……)
波達羅盈と雷無に関しては初雪が“一度”を使ってお願いしたわけだが、その後の六人に関してはまったくの予想外だった。今頃は縛った曇天を連れて狭間橋あたりまで進んでいる予定だったのだが、どこで計算が狂ったのか。
元凶を知らず遠い目で眺めると、縁は嬉々とした様子で曇天を追い詰めている。
「夜空がよう言うておった、次なるの優先候補は頭が固いとな。ただ融通が利かんだけならばまだしも、自分の望まんことは受け容れられん。あれに当代をさせてはならんと、焦っておったぞ。父上の余命が短いと知ってからは前例に背いても自分が続けるべきかと迷うほど、お前にだけは務めさせんと決めておった。それはそうであろうの、お前を任じれば仕えるべき妾たちを真っ先に始末すると分かっていて当代になどできるはずもない」
もう少し頭を使って振舞えばよかったものを、と目を細めた縁は、ああと大仰に手を打った。
「違うな、お前が愚かであってくれたが故に妾たちは生き延び、初雪を二と迎えられたのじゃ。感謝すべきであったかの」
手にしていた檜扇で再び口許を隠し、高らかに笑って見せる縁はまるで憎まれ役だ。楽しそうならそっとしておくべきかと見ない振りをして、曇天に向き直る。
本来なら帝の御前にて、すべての暦家当主の前ですべきと分かっている。しかしそうする予定を崩した縁がここにいるなら、事を早く終わらせるという意味では好都合だ。
威儀を整えて大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出して曇天を見据える。
「如月曇天。帝の名代、葦原縁の前にて如月初雪が当代の二としてここに宣言する。本日この時、この場において、如月の二として持てる権限のすべてを剥奪する。この先、如月を名乗るも許さない。ここにあるすべてが証人である、諾として受け止めよ」
「っ、権の専横だ!! いくら当代と言えど如月の二を勝手に排除などできるはずがない、許されるわけがない! そもそも私以外に後継もない状態で、」
初雪の名に懸けての宣言と聞いてさすがに青褪めた曇天が必死に反論する途中で、縁が黙れと吐き捨てたその声だけで場を制した。
「第五十三代、水穂の地柱たる妾──葦原縁がすべての権限を以ってして如月の二の宣言を受けるものとする。逆らうな、背くな。妾の名においての勅命である」
音高く檜扇を鳴らして凛と宣う縁のそれで、初雪以外の全員が威儀を正して膝を突き、頭を垂れた。蛍でさえ従うべき時を弁えて曇天から降りてそうしたというのに、重石がなくなった曇天は無理やり身体を起こして声を荒らげた。
「認めん、これは私を陥れるための陰謀だ! 小娘二人が悪意を持って画策した計略だ……!」
絶対に認めないと、初雪に向けられる殺意は今までの比ではない。例え手が伸ばせず絞め殺すのは無理でも、喉笛に噛みついて引き千切るくらいはできるとばかりに飛び掛ってくる。
逸早く反応したのは龍征で、膝を突いた体勢のまま目の前を過ぎる曇天の足を後ろから掬い上げるようにして払った。後頭部から倒れた曇天は縛られたままで受身を取ることもできず、強かに頭を打ちつけている。龍征は即座に曇天を裏返して片膝で背を押さえつけ、片足を掴むと弥生に向けて手を出した。
「私が何でも持っていると思わないでほしいものだが……」
無言の請求でも何を求められているか分かるのだろう、弥生はぶつぶつと文句を言いつつも何故か懐から縄を取り出した。受け取った龍征は手際よく縛られた腕と片足を結びつけて立ち上がると、汚らわしそうに何度か手を払った。
「お前を狙った愚かなど何度殺しても飽き足らんが、どうせ帝の前に突き出すんだろう?」
「その通りなので、不服そうな声は聞かなかったことにしてもいいよ」
不満を隠そうともしない顔と声で確認してくる龍征に、初雪も恩着せがましく頷く。そりゃどうもと皮肉たっぷりの礼も聞き流して少し笑い、僅かに顔を曇らせている雷鳴の腕を軽く叩いた。
「大丈夫。先に出て萌揺に剥奪を伝えてくるから」
「……この人の影って、末黒野だろ。薄氷みたいに自分から言い出すことはないだろうけど、もし」
側にいる誰にも聞き取れないように唇だけで、血の契約と雷鳴が呟いた。
非人道的として今では忌避されるその契約は、身体に主の血で神の印を刻み、絶対的な服従を誓約することを意味する。何しろ主を裏切ったり守りきれなかった場合は神印が作動して生命を落とすのだから、逆らいようのない“絶対”だ。
まだ幼くあった遠い日、自ら初雪に対して結びたいと言い出した薄氷には兄妹全員で引いたのを今でも覚えている。必死に止めて説得したが頑として譲られず契約するしかなかったが、普通は従う側から言い出すものではない。主が無理やり押さえつけて交わすのが大半で、その場合でも内心はどうあれ従うしかない。曇天の影がそうであった場合、相手が当代の二であろうと殺せと命じられれば従うしかない──。
二を剥奪された曇天にとって、もはや形振りを構っていられる状態ではない。全国的にまだ知らされていない今なら、この場にいる全員を殺せば剥奪を隠し通した上に当代になれるとして影に無謀を働かせる可能性は高いだろう。
「雷鳴の心配は尤もなんだけど」
「案ずることなどない。その辺も妾に抜かりはないぞ」
聞いてたのかとびくりと反応した雷鳴に、聞こえずとも察しはついておると檜扇を揺らした縁はそれを広げて、ふふっと嬉しそうに笑った。




