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せっせと恩を刷り込んでください

 不承不承ながら初雪ましろと一旦別れて先に狭間橋に向かうと、何故か橋の手前に知った人影を見つけた。見えないと主張する割に目敏く龍征を見つけて笑みを深めると、軽く手を上げてくるのは東北風ならい。ごく僅かな直参しか連れておらず、明らかに龍征を待ち構えていたのが分かる。


「東北風。お前はとっくに内環うちのわに入ったと聞いてたが」

「龍征が最後だと聞いてね、気乗りしていないようなら引き摺って来いとの依頼を受けただけだよ」

「誰にだ」

「それは勿論、師走についた当主連中に決まっている」


 お前だけが頼りなんだろうと思ってもいない上っ面の言葉を笑顔で呈されて、龍征はますます仏頂面になる。東北風は面白そうに笑って、背後の部下たちに軽く手を揺らして下がらせた。龍征も信康たちに振り返り、軽く顎先で下がるように示す。


 十分に信康たちが離れたのを見て、龍征は溜め息混じりに東北風を伴って橋に向かう。狭間橋は馬や荷が通る幅広の橋を挟んで、成人男性が三人ほどしか並べない幅の狭い橋が少し距離を空けて二本架かっている。どちらから見ても右が往路、左は復路と完全に分かれており、後ろを従者に塞がせれば密談には持って来いだ。問題は、渡りきるのに半刻ほどかかるところだろう。


「どうせ馬も渡らせるなら、乗って渡っても問題ないだろうに」

「誰かが央橋おうばしに騎乗して踏み込んだ途端、渡り切る前に橋が落とされるのは知っているだろうに。橋の架け替え費用の他、ない間の保障もすべてがやらかした者が属する領地の負担だ。お前は死んで終わりでも、残された民は哀れだね」


 私は巻き込まないでくれと笑顔で突き放す東北風に、愚痴も許さんのかと龍征はげんなりと呟く。そんな仲だったかなと楽しそうに聞き返してくる東北風に溜め息を重ね、渡り出した橋から内海を眺める。穏やかに凪いだ水面はそろそろ真上にかかりそうな陽光を反射させており、僅かに目を眇める。

 東北風は前だけを見て静かに歩いていたが、視線も向けないままそれでと龍征が水を向けるとようやく重い口を開く。


「結局のところ、師走の目的は何だったと思う」

「初雪の失脚を主軸に置いた、帝への叛乱」


 あっさりと龍征が答えると、東北風は不審も露に眉を寄せた。龍征だとて初雪に出会う前ならば、きっとそんな反応をしただろう。


 帝が水穂を治める主君であることは否定しない。暦家は外環そとのわを十二分してその一つを治めるただの臣下に過ぎず、自分と同列の者が多いこと、上に立つ者が存在することが許せないとの主張は分からないではない。だがここ二代の百何年かで、帝はゆっくりと形骸化してきているのも事実だ。


 勅命に叛くことは許されないし、御前会議や御前試合で呼び出されることもしばしばだが、少なくとも龍征が当主になってから無茶な勅命が下ったことは一度もない。領地をどう治めようと口出しはされず、反旗を翻さねばならないほどの徴税はされない。形ばかり敬っていれば好きに振舞えるのに、わざわざ喧嘩を吹っかけて今の自由を失うほどの馬鹿もないというのが暦家当主に共通の思いだろう。

 その大前提を踏まえて考えれば、師走の行動は理解できない。帝や如月の二に楯突いたところで何の益も見出せないからだが、現状を犠牲にしてもほしいものがあれば話は別だ。


 まるで予想をしていなかった答えに思わず足を止めている東北風を振り返った龍征は、追いつかれるぞとぼそりと呟くことで東北風の時間を動かすことに成功した。まだ納得はいっていない顔だが慌てて龍征に並び、声を低める。


「それは、どこから」

「どこも何も、そう考えないと整合性が取れないだろう」

「──主軸を叛乱としない理由は」

「帝を弑するには近づく必要がある、近づくためには如月の二を使うのが手っ取り早いのは誰にでも思いつくことだろう。だだっ広い謁見の間で遠く御簾越しにしか謁見を許されない暦家当主と違って、如月の二が取り次げば側用人しかない場で個人的な拝謁を賜ることも可能なんだからな」


 師走の真の狙いが帝であったなら、どれだけ個人的に悪感情を抱いていても如月の二である初雪に阿るのが最良の手段だったはず。けれど師走が実際に行ったのは、水無月と神無月の粛清だった。如月の二が初雪でなくとも神職であれば受け入れ難い行為であり、反発されるのは目に見えている。


「あれは如月の二に対する挑戦状だった、と?」

「……今回の件はどれも、どう転んでもいいように計画していたとしか思えん」


 答え難いと龍征が顔を顰めると、東北風はぎゅっと眉根を寄せた。それだけで詳しい説明を求められているのは分かり、重い溜め息を重ねる。


「避ける道もあったのにわざわざ初雪と敵対したところを見れば、それが主目的だったんだろう。神職は基本的に暦家に干渉しない、眉を顰め声を荒らげさせるには相応の理由が必要だ。例えば民の惨殺、最初から明らかにする帝への叛意。だが、そこまでやれば先に帝が腰を上げる可能性がある」

「他領の当主を勝手に裁くのも、どうかと思う所業だが」


 東北風はそう顔を顰めたが、実際に帝は動かず如月の二が師走を詰問した。初雪には決して聞かせられないが、あれがちょうどいい線だったのは間違いない。


「初雪にすれば思惑通りと分かっていても動かざるを得なかったんだろうが、仮に黙認されても相手としては問題がなかったはずだ」

「如月の二が黙っていても、当主を害された二家が黙っていないからか」

「そこはやる前から想像できる範囲だろう。睦月を上手く取り込んだように、本人には難しくとも別の誰かに二家を取り込ませることはできる。何れ弾劾の場を与えるから今は油断させるためにも従順な振りをしろとか何とか言ってしばらく黙らせられたら、後は師走の独断場だ」


 想像するだに吐き気はするが、そのくらい如実に不愉快な未来が見えるようだ。


 如月の二が師走を問い詰めた時も、ほとんどの当主は口出しせずに眺めているだけだった。暦家としてはなるべく他領に口出ししない、という不文律があるからだ。暦家間の揉め事を仲裁するのは帝の御役目──とは建前で、本音は面倒に巻き込まれるのは御免だから。師走の独善によって二人も誅された事態に眉を顰めても、関わりたくないと口を噤んだのが本当のところだ。


 しかしそこで声を上げないなら、師走の独断によって他家の当主を排していいと暗黙の内に認めたと言われても仕方ない。次は自分が馘られるかもしれないと気づいた時には手遅れで、師走の意向に背かないよう努める羽目に陥っていただろう。


「っ。師走の目的は、暦家の内で帝に次ぐ権力を得ることだったと?」

「次ぐ、で済めばいいがな。暦家を無理やり纏めて武力で勝ったなら、帝を廃することも容易だ。素直に譲位されればよし、されないなら狭間橋ここを潰せば内環は孤立する。師走が一領で勝手にやったなら敵わん謀反だが、他家が口出しできん状況に持ち込んでならやりたい放題だ」

「如月の二が面と向かって対立してくれたおかげで、その最悪を免れたのか……」


 随分と恩知らずなことをしてしまったと苦く呟いた東北風は、ふと顔を上げて首を捻った。


「しかし暦家を纏めて外環を掌握するまでは分からないではないが、帝を廃する意味はあるか? 力をして不干渉を勝ち取ったなら、わざわざ帝を廃して水穂を揺らがすこともないだろうに」


 帝になったほうが動きが取れなくなるのでは、と眉を寄せる東北風の言葉は尤もだ。仮に龍征が叛乱を起こすとしても、帝は形として置いておく。外環を掌握すべしとの勅命を受けた形にすれば大義名分は得られるし、最終的な責任は帝にあると主張できるからだ。


 そもそもいくら形骸化しているとはいえ神を崇めるが如く帝も重視されているこの水穂では、今上帝を弑して自ら成り代わるとなれば民が一斉に反旗を翻してもおかしくはない。好きに命じるだけの武力を得たなら尚更、帝は残すほうが賢明だ。

 師走だとて馬鹿ではないのだからそこまでやる意味があるかと問われれば、否やと答える。本当に師走だけが企んだことなら、そこまではされなかったはずだ。


 苦い顔で心中にのみ呟く龍征を窺いながら、東北風は疑問を重ねる。


「それにお前の奥方(今の二)の気性を慮ったなら起たない可能性のほうが少なかっただろうに、どちらに転んでもよかったとはどういうことだ」

「暦家の当主が殺されたのを見過ごすとは、神職に相応しくない」


 不愉快そうに顔を顰めたまま龍征が吐き捨てると、東北風は何度か目を瞬かせた。


「確かにそんな声が上がっても不思議ない……、師走本人が言うにはおこがましいが」


 では誰が言い出すのかと軽く顎に手を当てて考え込んだ東北風は、すぐに龍征に劣らず不愉快そうな顔になった。


「師走はお前の奥方を、如月の二とは呼ばなかった。だが、如月の二に対する敬意はあった。あれは二という形そのものに払っていたものではないとすれば、師走の後ろにいるのは」

「如月曇天(すみ)。初雪の他に二と呼ばれるのは、今はそいつだけだ」


 多分に今頃、初雪が対峙しているだろう相手。


 想像するだけで拳を作る事態だが、初雪は龍征に助けを乞わなかった。師走の時は、助けてくれるんでしょうと当然の顔で助力を望まれたから手を貸した。やり方に色々と不満はあったが、巻き込まれてと笑顔で出された手を振り払うなど有り得ない。無茶を言われるのは初雪が信頼してくれている証だと知っていたなら、どうして断れよう。


 同じ理由で、出されない手を無理やり取るのは不可能だ。頼りにされていると知っているなら尚更、巻き込めないと決められた今回は初雪の覚悟であり、けじめであると分かるのだから。


「自分が支持するもう一人を当代にしたかったなら、執拗にお前の奥方を害しようとした理由にも得心がいく。けれどそれなら失敗したからと言って、帝を廃しようとするか?」


 武力を以って帝に二のすげ替えを迫るのではと眉を寄せる東北風に、龍征はお前は知らないのかと何でもないことのように続ける。


「帝は以前から、二の廃止を唱えておられる。死んで代替わりならともかく挿げ替えとなれば、二を不要として廃止を強行されても不思議ないだろう」

「っ、は!?」


 一体何を言い出すのかとばかりに目を瞠る東北風に、ああ、これは口止めされていたかと思い出す。とはいえわざわざ帝を廃しようとする理由などそこにしかなく、伏せては説明が進まない。


 東北風は叫びこそしなかったものの何度か口を開閉させて言葉を探した後、何故と独語めいて呟いたのを聞いて龍征は肩を竦めた。


「帝の思惑は帝に聞け、俺の知ったことか。ただ、もう何度も持ち出されているそうだ。その度に太皇太后までお出ましになって泣いて止められるからこそ、実行はされていないそうだが」

「それはそうだろう、帝は水穂を潰すおつもりか!?」


 今度こそ悲鳴を上げる東北風の反応は、水穂に住む大体の人間と同じはずだ。不信心と後ろ指をさされる龍征と、神官たる初雪の意見が一致しているほうがよほどおかしいのは分かる。


 東北風は一頻り嘆いたり憤ったり戸惑ったりしていたが、歩を緩めない龍征を追いかけながらどうにか気持ちを落ち着けたらしい。自分の胸を押さえて何度か深く呼吸した後、恨めしげな目を向けてきつつもゆっくりと口を開いた。


「帝が真実それを実行される気でおられるなら、思い止まって頂けねば譲位をと迫る気だったということか。しかし師走が負けた今、もう一人の二が何を企んでいようと水泡に帰したのではないか」

「師走に負ける気はなかっただろうが、あの男は負けた場合のことも考えていたはずだ。俺を師走側につけたかったのは初雪だけじゃないからこそ、師走からも声がかかったんだろう」


 むすっとしたまま龍征が答えると、東北風は再び考え込む。


「お前が奥方と敵対する理由など、今回のように助けるためでしかないはずだ。戦う最中に害することもできず、負けてもお前の命乞いが聞き入れられる可能性が高い。なのに、どうしてわざわざ」

「生命だけは助かったとしても、戦争を仕掛ける神職は当代の二に相応しくないと言われて反論できるか? 師走が勝てば、初雪が生きていようがいまいが二は代替わりする。俺がどちらについていようと関係ない。だから師走に俺が割り振られた理由は、負けた時に備えてだろう」


 苦く説明する龍征に、東北風は激しく嫌そうに顔を顰めた。


「お前が死んでも、二の命乞いでそれこそ生命は助かったとしても、当主は代替わりするしかないか」

「将弘が後継を放棄したせいで、霜月の血筋から後継はしばらく出ない。初雪が継ぐなら当代の二はあの男に、間を繋ぐだけとして如月から後継を迎えるなら今や一たる雷鳴こがねではなく、あの男しかないからな」

「二になれば最上、当主になったとしてもその間にまた帝への謀反を企むか。成る程、どう転んでももう一人の二の思惑通りだな」


 大きく溜め息をついた東北風は、今回の処置は甘いのではなくそれを防ぐための対応かとしみじみ噛み締めて嫌そうに龍征に視線を向けてきた。


「しかし帝が二を疎んじておられるとすれば、今回のことは廃止を持ち出すには絶好の機会のはず。お前の奥方が提案された処置を、是とされると思うか?」

「するしかないだろう。師走を始めとして七家が一度に世代交代してみろ、嫌でも外環が荒れる。帝が外環に御出座しにならなくなったのは、そこまで手が回らないのが一番の理由だろう。治めて回るには二が必要になる。それに民にとって如月の二は、帝と並んで水穂の宝という認識だ。人心が落ち着かん時にわざわざかき乱すより、別の機会を探したほうがいいはずだ」

「……では、二のご慈悲により我らも連座は免れられる、か」


 返しきれんほどの恩になるとぽつりと遠く眺めて東北風が呟き、龍征は初雪が言った通り、しばらくは霜月も安泰らしいと苦く笑って肩越しに外環を振り返った。


 勝てない勝負はしないと笑った初雪を、疑うわけではない。師走を捕らえた後に確認したが、狭霧も金谷も変わらず護衛を務めると請け負った。誰より頼もしい萌揺きさゆらぎの影もいる。何より初雪にとっては故郷にあたる啓蟄で人目も多く、いくら相手がもう一人の二であろうとも無体は働けないはずだ。


(あいつは嫌いな奴を相手にするとすぐ挑発して怒らせるが、……まあ、雷鳴もいるからな……)


 今までも一応、叔父として二の先達として敬意を払っているように見せてきた。師走を操っていたことを問い詰めるにしても手順くらいは踏む──はずだと信じたい。


(あんまり怒らせて攻撃に転じられれば周りが傷つく、自分だけならまだしも人死にを嫌うあいつがそこまで馬鹿げた真似は、)


 しないと言いたい。断言したい。喧嘩の相手が師走だったならそう言い切ることもできたが、今回は曇天だ。親である常夜くろよりも親しんだ様子で常に笑顔で対応していたが、面と向かっていない時の態度から考えれば決して好ましくは思っていない。師走に対するよりもよほどと言えば、その度合いも察せられるだろうか。


 考えるだに引き返したい気持ちになるが、どれだけ後ろ髪を引かれようとも実行には移せない。ただ初雪の思う通りになるように、ならずとも無事でいるようにと神に祈るだけだ。初雪と会ってから、信じてもいないはずの神に祈る機会は増えた。不信心と名高かった、あの龍征が、だ。


 ゆっくりと息を吐いて空を見上げ、雲ひとつなく眩しい青に目を細める。神の息吹として吹く風がさやと前髪を揺らしたのを感じ、神職としての務めは果たしているのだから愛し子に幸いをと、強く拳を作った。

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