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二としての、あるべき姿とは何ですか

 護衛を二人だけ引き連れて領都に足を踏み入れた初雪ましろは、生家に寄るより早く領主邸から目と鼻の先にある神社かみやしろに足を向けた。


 槙也と蛍はおろか雷鳴こがねまで一定の場所で足を止めるのは、外環そとのわにある他の神社と違ってここだけは神職以外が足を踏み入れることを禁じているせいだ。細い注連縄以外に阻むものは何もないが、大体の人間は信仰心に基づいてそれを越えない。常に影として控える薄氷も例外ではない。


「それじゃあ、帰った挨拶をしてくるから」

「神職の務めか知らないが、ここは萌揺きさゆらぎさえ入れないんだから気をつけろよ」


 心配そうに念押ししてくる雷鳴に心配性ですかと笑った初雪は、二の社とだけ呼ばれるそこに一人足を踏み入れた。


 当代である如月の二が直々に管理する神社は本来、水穂のどこにも存在しない。けれど啓蟄の領都にあるこの神社だけは、如月の二が司る。例えば二が一人しかいない時は如月に戻った時の常駐場所として、また複数の二が存在する時は当代以外の二が治めるためだ。

 つまり今ここを司っているのは叔父の曇天すみで、彼は最初の後継だったあさぎが元服してからは領主邸ではなくずっとこちらに詰めている。曇天に教えを乞うことが多かった初雪にしても、懐かしさを覚えるほどには通った場所だ。


(如月の二が何たるかは、ここで学んだ……)


 曇天が務めを終えるまで待つようにと通されたのは、訪れることが多かった初雪にとわざわざ用意された部屋。裳着を済ませてからは足が遠のいてしまったが、なかなか顔を見せなくなっても相変わらずこの部屋は初雪のために整えてくれているらしい。


 懐かしい面持ちでぐるりと部屋を見回し、僅かな寂寥感を覚えてそっと胸を押さえる。


 ここにある神職は、全員が何かしらの務めを持って忙しくしているのが常だった。例えば初雪が訪れても特別扱いをされることはなく、危険の入り込む余地もないからと一人で待つことも多かった。常に大人に囲まれて言葉にされない期待を重圧にも感じることのあった幼い日々、完全に一人になりたい時はここに来るしかなかった。


 今も、初雪はここに独り──。


 知らず目を伏せ、そっと息を吐く。思うに、予兆は以前からあったのだ。


「初雪」


 待たせたねと柔らかな声にふと記憶の旅から帰還した初雪は、襖が開く音に合わせて両手を揃えるとゆっくりと頭を垂れた。


「御勤めの邪魔をしてしまい、誠に申し訳ありません」

「お前は謝罪する時だけ畏まる」


 幼い頃から変わりのないと苦笑しながら頭を下げた初雪の横を通り過ぎた曇天が、対面する上座にゆったりと腰掛けたのを見計らって頭を上げる。宮司の常装である狩衣と、白紋の入った紫袴。無地の檜扇が懐に覗いている。如月の二である叔父にしか許されていないその袴を眺め、視線を上げて目を合わせると滲むように微笑う。


「まるでいつもは畏まっていないかのような言われようは、心外にございます」

「よく言う。……まあ、当代であるお前が私を叔父として立ててくれることは感謝せねば」


 場所を変わるべきかなとおどけて肩を竦められ、恐れ多いと頭を振る。


「お察しの通り、謝罪すべきがございますれば何卒そのままに」

「お前ほど私を便利使いする者は他にいないね。しかし此度の戦はお前の陣営が勝ったと聞いたが、まだ私が助けてやらねばならないことがあったかい」


 可愛い姪の頼みなら聞くしかないねと苦笑するように促され、初雪はもう一度両手をついてゆっくりと頭を下げた。


「此度は二としてあるまじき行為により叔父上に多大なご迷惑をおかけしましたこと、切にお詫び申し上げます」

「幼いお前の後を、私が託されることなどあってはならない。無事に戻って何よりだ」


 兄上もようやく人心地がついたのではないかと笑うように言われ、そうだとよろしいのですがと頭を下げたまま苦笑する。


「ですがこの後もまた、父様にはご心労をおかけすることと存じます」

「お前という子は……。霜月に嫁いで室ともなったのだから、少しは落ち着いたらどうだい」

「そうしたいのは山々なのですが。叔父上のご尽力を無に帰すが真似をすることですし、今しばらくは無理ではないかと」


 溜め息混じりにそう告げると、曇天はしばらく黙ってから声に気遣わしげな色を乗せて問いかけてくる。


「戦はもう終えたと聞いたが、まだ続けたりしないだろうね」


 確認するように語尾を上げられ、勿論ですと頭は上げないまま頷く。


「ただ師走殿が裁かれることになれば、暦家に混乱が生じるは必定」

「それは、……確かに嘆かわしい事態だが、彼だとて如月の二に剣を向けることの重大性は承知していたろう」


 二に叛くは帝に仇なすと同じだと、愁眉を解かないままも厳しい言は水穂では当然の反応だろう。二と帝が等しいわけがないと初雪は心中に反論するが、多分如月の二という形を最も厭う帝でさえ曇天と意見を同じくするはずだ。


「しかし師走を処断は已む無しとして、そうすると師走についた暦家は軽くても代替わりを強いられるのではないか」

「そのように存じます」

「では霜月の後継は、」


 言いかけてそこで言葉を切った曇天は、眉間に皺が寄るほど眉を顰めているだろう。幼い頃から見慣れた癖なら、直接見ずとも見当がつく。そしていつものように右手で自分の眉間を押さえ、深い溜め息をついた。


「本来であれば従弟の秋灯あきび殿が、直ちに承認試験を受けられるべきだ。だがそれを拒否されれば、他に候補はない」

「その場合、後継が生まれ成長するまでの間、室が仮の当主として務めるが慣わしかと」

「確かにそうだ、だがそれは室が当家と縁近い者であるのが前提だろう」


 他領から嫁いだ場合は別だと声に棘を含ませた曇天に、承知しておりますと頷く。


「ですが現当主が存命ですので、仮の当主はただのお飾りで何の権限もありません。であればどこから嫁いだ室であろうと問題はなく、すぐにも後継として承認できるのであれば即座に代替わりができて打ってつけにございましょう」

「ふざけたことを、お前は当代の二だろう!」


 何を愚かなと今度は明らかに批難してくる曇天に、残念ながらその通りですとまた頷く。


「されど私がそうしなければ、承認資格を持つ後継は室の実家から出すという話にもなりましょう。その場合、雷鳴か叔父上のお二方しかおられません。雷鳴は既に如月の後継なれば、自ずと人選は限られます」


 静かな声で初雪が続けると、曇天がひゅっと息を吸い、時間をかけてそろそろと吐き出したのが分かる。自分が矢面に立つことになるとは思わなかったと、その仕種だけで伝わってくる。


「私が二を返上し、霜月を継ぐか。叔父上に継いで頂くか。どちらしろ叔父上には当代の二か、暦家当主を務めて頂くことになろうかと」


 とっくに承知であろう事実を口にすると、曇天が膝の上で作った拳にはいつの間にか檜扇が握られている。考え事をする時の癖を視界の端に確認し、ゆっくりと呼吸を整えた初雪はそっと顔を上げ、父とよく似た顔立ちの叔父を見据えた。


「当代の二と、暦家の当主と。叔父上はどちらを望まれた(、、、、、、、、)のですか」


 真っ直ぐに視線を逸らさず尋ねると、曇天は僅かに眉を動かした。


「まるで決定したかのような口振りだが、私は受けるとは一言も言っていないはずだ」


 違ったかと語尾を上げられ、初雪も微かに口許を緩めた。


「言葉足らずはお互い様のようですね。今の話は師走殿を処罰すればどうなるかであって、すべて不問に付すと決めた今は意味のない遣り取りにございました」

「っ、不問に? すべてを!?」

「特に問題はございませんでしょう。手を貸してくださった卯月殿も皐月殿も、それでよしとしてくださいました。残す二家も、先代当主を殺害した件に関しての処罰があるならば問題はないと」

「問題がないはずないだろう、他の何を水に流しても、如月の二に刃を向けたことだけは厳罰に処されるべきだ! 兄上がまさかそのような愚かに同意されることなど、」

「如月当主が二の意向に逆らうことなどあってはならない、は、叔父上の教えのように心得ますが」


 違いましたかとにこりと笑顔を向けると曇天は思わず腰を浮かせていた体勢を戻し、深く座り直しながら目を眇めて檜扇をぐっと握り締めた。


「都合のいい時ばかり二の特権を振り翳す悪癖は、どこまでも直らなかったようだね」

「あらあら。私の二としての姿勢は、すべて叔父上に教わったものと存じますが」

「それでは誰の目を厭うことなく歯向かった師走は、処分しなさい」


 冷たく言い捨てた曇天に、初雪はお断り致しますと真っ向から拒絶する。


 曇天は表情を失えた顔で初雪を見ると、不快そうに眉を寄せて自分の手に扇を打ちつけた。初対面からしばらくは叔父のそんな姿を見たくなくて、幻滅されないようにと努力を重ねたものだ。幼い自分が止めるように袖を引いてくるとしても、言葉を止める気はなく口を開く。


「当代の二と、暦家の当主と。叔父上はどちらを望まれたのですか」


 同じ言葉を繰り返すと、曇天は大きく息を吸って深く吐き出した。馬鹿の相手はしたくないと、聞こえない声が今にも聞こえてきそうだ。


「少しはさかしくなったと思えば、そんなものか」

「例え推し量ることができようと、事実こたえを知るのは叔父上しかございませんでしょう」


 答え合わせがしたいのですと続ければ、昔と変わらず仕方なさそうに曇天が笑う。


 いい教師だった。優しく、厳しく、目標が高く。二としてあるべき姿を教えてくれたのも、確かに曇天だ。ただ目指すべきところが違うと気づいたのも早かった、初雪にはそれを教えてくれる昊がいたから。


「昊が当主になれば操れないと判じて、始末を決めたのですか」

「……ああ。お前が私に逆らうのは、いつもあれのせいだね」


 ようやく得心がいったとばかりに何度か頷かれ、初雪は笑みを湛えたまま奥歯を噛み締めた。

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