自分を知られているというのは、気恥ずかしいものですね
師走を交えた御前会議に備え、暦家当主は続々と内環に向かっている。内環に至るには啓蟄を必ず通らねばならず、龍征に随行していた初雪は領都に差し掛かったところでそれではと軽く手を上げた。
「私はちょっと挨拶回りがあるので、龍征君たちは先に内環に入ってて」
「は? 御前会議にお前がいないと始まらんだろう」
何を言い出すのかと不審げに聞き返してくる龍征に、そちらこそ何を仰っておられるのやらと肩を竦める。
「私はあくまでも、神と帝の仲裁人。帝がない外環での御前会議なら宣旨は必須だけど、帝があられるのにしゃしゃり出る必要はないでしょう。それに、会議の日程まではまだ日もあるし」
「っ、それなら俺も、」
「つもりはないけど万が一遅れた場合、君が一緒だと洒落にならないじゃない。霜月の命運は君にかかってるんだって、何度言えば理解するのかな」
先に行くのがお仕事ですと啓蟄と内環を繋ぐ狭間橋がある方角を示すと龍征はむっと顔を顰めるが、後ろで控えていた家臣たちは切実な様子で恐れながらと口を開く。
「龍征様、お方様の仰せの通りです。先を急がれなければ。それにここは啓蟄、二であられるお方様に害を為す者など存在しません」
「そもそも二姫の行動を制されるなど、お館様であっても許されることではありませんぞ」
何事も御心のままにとしたり顔で諭す朝霧と、既に他家の方々はお揃いですと急かす信康に龍征はますます臍を曲げそうだ。さてどうしたものかと考え込むより早く、
「義兄上」
初雪の後ろから声がかけられ、振り返ると雷鳴が駆け寄ってくるところだった。初雪には軽く視線だけ向けてすぐに龍征に据えた雷鳴は、軽く一礼する。
「先日は碌に挨拶の時間も取れず、失礼致しました」
「いや、こちらこそ義父殿にご挨拶も申し上げず失礼した」
「とんでもない。敵対関係でありながら姉を守ってくださったこと、父も深く感謝しておりました。本来であれば邸にお招きせねばならないところですが、肝心の当主が数日前に内環へと発っておりまして」
もたもたしていると他家の方々が押しかけておいでなのでとこそりと付け加えた雷鳴に、龍征も苦く笑って頷いた。
「お気持ち、お察しする。どうせ俺も内環に向かうところだ、向こうで失礼を詫びるとしよう」
「義父として威厳をと努めるせいで硬い表情しか御存知ないでしょうが、あれでいて父は義兄上を高く買っているのです。義兄上からお声かけ頂ければ喜びましょう」
「ああ。父様も雷鳴も戦えないせいか、強い相手はそれだけで憧れるよね」
少しは鍛錬をすればいいのにと雷鳴を見遣ると、煩いなと小声で噛みつかれる。人間には向き不向きがあるんだよと拗ねたような言葉に一理は認めて、そういうわけなのでと初雪は龍征に向き直る。
「外見はむすっと顰め面でも、君と話すのは好きらしいから。面倒でしょうけどお相手を宜しくお願いします」
私が行くまでにご機嫌を取っておいてくださいと真顔でお願いすると、龍征は呆れた顔をしたが深く息を吐いて小言を散らすと初雪の額を小突くように撫でた。
「煽てに乗ってやっても、一日が限度だからな」
「半日ではなくて?」
揶揄するように語尾を上げるとじろりと睨まれるので無理なく笑い、急いで追いかけますと神妙に胸に手を当てて一礼する。そうしろと苦笑した龍征は、では失礼すると雷鳴に言い置いて背を向けた。
ここから狭間橋まで少し距離はあるが、そこを渡ってしまえば直ちに御座所へと到着が知らされる。如月邸に招いて茶を供しても今日中に着くことは叶うなら、主がなくとも邸に招くのが通例だ。それを盾にされれば断れない状況だったが、言いたいあれこれを呑み込んで引いてくれる龍征にしばらく頭は上がらなさそうだ。
我儘な室でごめんとさすがに心から反省していると、御前を失礼致しますと朝霧が深々と頭を下げてきた。また後でーと声はないまま気安く手を振ってくる将弘たちにふと笑みを浮かべ、最後の一人の背中も見えなくなると側に控えて一行を見送っていた雷鳴を仰ぐ。
「雷鳴も随分と次期当主らしくなったね」
「こんなところで押し問答をされても迷惑だからだよ。他領じゃない啓蟄だぞ、地元だぞ。聞きつけてすぐに民が押し寄せてくるだろうが」
ちょっとは考えろと溜め息混じりに頭を振られ、それは龍征君に言ってほしいと反論しながら生家へと足を向ける。雷鳴は溜め息を重ねつつもついてきて、黙りこくったまま後ろに従っている槙也と蛍に軽く目を細めた。
「どうしたんだ、あの二人。調子でも悪いのか」
「え、悪いようには見えなかったけど」
気づけなかったなら申し訳なかったと振り返って確認すると、二人ともに不審そうに顔を顰めて頭を振る。
「どこも」
「全然」
「そう、なのか? その割に、さっきからずっと黙ってるじゃないか」
いつもは遠慮なく口を開いているところだろうにと眉根を寄せて確認する雷鳴に、怖いことを聞いたとばかりに蛍がぶるりと身を震わせた。
「雷鳴は子供だな、分かってないにも程がある」
「……」
雷鳴からすれば実年齢で四つ、外見だけで言えばもっと下に見える蛍が大人びて頭を振るそれに雷鳴が無言を通せたのは、ここで声を荒らげては大人気ないとの理性からだろう。顔は裏切ってるけどねと密かに突っ込むが、努力は買って心中に留める。
気づいてないらしい蛍は俺が教えてやろうと胸を張り、雷鳴に指を突きつける。
「“夫婦のやり取りに口を挟むとは野暮の極みというものですよ”」
心なし甲高い声を出しているのは、蛍なりに元の発言者を再現したつもりなのだろう。お前の台詞かと雷鳴が胡乱そうな目を向けてくるので、ご冗談をと髪を横に揺らす。初雪にしても槙也にしてもいつぞや聞かされた、柘榴の正室であられる南風様の金言だ。
「柘榴様が怒られてるみたいだから助けようと思ったらさー、こーんな眉を吊り上げてすごい怖い笑顔で言われたんだ。“夫婦には夫婦の間でしか分からぬ話があるのです、わけも分からず口を挟めば柘榴様の男を下げると心得て口を閉じなさい”って」
怖かったと思い出すだけで震えを来たすらしい蛍に、それを何度も口にすると正に柘榴様の男を下げることになっているからねと、警告したいやら違うやら。
聞くたびに複雑な顔をしてしまう初雪のことは気にも留めず、蛍は雷鳴に警告する。
「だから雷鳴もさ、夫婦の話に口を挟むのは野暮だって覚えとけ。絶対にやったら駄目だぞ、姫様の男が下がるからな」
説教できるのが楽しいらしく胸を張った蛍に、私の場合は下がるなら女ではなかろうかとやっぱり心中にだけそっと突っ込む。何しろ南風の名言は世界の共通認識であるべきだ、下手に訂正して蛍が野暮を極めるようになればそのほうが困るので敢えて触れずにいる。
槙也も最初は、使い方が違うこの阿呆と口は悪くとも教えようとしていたが、ちびっ子からとくとくと夫婦のあり方を語られるのに辟易したようだ。以降は逆らわず右に倣えで口を噤んでいるので、龍征が側にいると二人とも無言を通すことが多い。
普段のうっかりと言わなくていいことまで言ってしまう蛍を知っている雷鳴からすれば、体調を案じるほどの事態だったのだろうが。心配して損したと小さく呟くと、聞いてるのかと詰め寄る蛍を魂に刻みましたと緩く手を振ってあしらっている。
仲良しさんかとこっそり笑いつつ足を止めずにいると、いつもは斜め後ろに控えている槙也が少しだけ足を速めて顔が見える位置に来たのが分かる。何かあったろうかと軽く目を向けると、僅かに心配そうな目を向けられる。
「霜月と一緒に行かなくてよかったのか」
「あれだけ臣下がついてるんだから、私がいなくても誰かが暴走を止めてくれると信じてる」
ここにきて蒸し返すなんて珍しいと目を瞠りつつもそう返すと、慎也は顔を顰めて違うと吐き捨てる。
「霜月の話はしていない。お前が、霜月が側にいなくていいのかと聞いている」
「特に困る事態も思い浮かばないけど……」
どうして分からないのかとばかりに言い直されるが理解に及ばず首を傾げると、聞きつけた蛍が今度は初雪に呆れたような目を向けてくる。
「でも姫様、これから誰かを殴りに行くんだろ?」
「、……え?」
「前に俺たちに、師走に手が届かないなら届く距離まで来させればいいって言ったじゃん。姫様、今その時と同じ顔してる。殴りに行くんだろ?」
何でもないことのようにさらりと繰り返され、初雪は表情を動かさないまま自分の頬に手を当てた。これでも幼い頃から如月の二としての教育を受けてきた、顔に出さない術は心得ているはずなのにこうも易々と見破られるなんて。
ちらりと槙也に目をやると、ふんと鼻で笑われる。
「私たちはおろか、霜月とて承知だろう。でなければ、ああも側にいさせようとはすまい」
「……どうしよう、今になって如月の二としての自信が揺らいでいる」
修行のやり直しをしたほうがいいのかと眉根を寄せると、無駄だろうと雷鳴があっさりと切り捨ててくる。
「どれだけ精巧に取り繕っても、分かる奴には分かるよ。初雪だって、昊がどれだけ何を隠してても分かっただろうに」
自分にしかできない業と思うなよと目を眇められ、そっと瞼を伏せて息を吐く。ぐうの音も出ない、とはこのことだ。
「俺たちは姫様のおかげで師走を殴れたから、姫様が誰を殴りたくても止めない。だから止めてほしいなら、霜月がいたほうがよくない?」
「相手が誰かは知らんが、暦家でもない私たちが侍るには限度がある。霜月のほうが確実だろう」
呼び戻すなら今だと真顔で提案してくる蛍と槙也に、初雪は知らず口許を緩めた。
「ありがとう、大丈夫。一応これでも霜月に嫁いだ身だから、龍征君を巻き込むわけにはいかないし。二人は手伝ってくれるんでしょう?」
「いいよ。姫様は約束、守ってくれたしな!」
「……要様のご遺志には副う」
「お前らさあ、黙って従うばかりが忠臣じゃないぞ。止めろよ、たまには」
ただでさえ初雪は暴走しやすいのにと痛そうに額を押さえながら雷鳴は嘆くが、他人に押しつけたい程度には止められないと承知してるからこその言だ。なんて有難い。
初雪は柔らかく口許を緩めたまま、空を仰いだ。眩しく青い空は、思いを遂げる今日に相応しい。
「では、第二幕といきますか」
 




