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知りたいなら、耳を澄ますが肝要です

 その女を殺せと金切り声の命令が指す標的は、自分だと知っている。だからといって今からどこに向けて逃げたところで間に合わないのは明らかだし、かといって水穂一との呼び名も高い石蕗を相手に渡り合えるはずもない。

 では、初雪ましろにできることは何か。


「姫様!」


 自分の手が届かないと知って絶望に彩られた声に目を向ければ、蛍が顔色をなくしてこちらを見ている。多分、水無月の死に目に立ち会ったならこんな顔をしていたのだろうと思うと哀れに思い、同時に同じほどの思いを向けてくれていることに安堵した。


(君の主君にはなれないけど、少なくとも居場所にはなれたかな)


 だとすれば水無月との約定も果たしたことになるだろうかと考え、勢いよく突っ込んでくる気配に振り返る。


 既に誰かと切り合った後なのか、先ほど師走の隣で見かけた時よりは疲れた印象だ。手にしている武器も最初に持っていたそれとは違い、予備なのか拾ったのかとどうでもいいことに頭を使っている間に剣先が届くほどまで距離を詰められている。


「っ、霜月初雪!!」


 叫び声が耳を打って僅かに目を瞠るのは、声の主が槙也だから。ずっと女呼ばわりだったのに初めて名前を呼ばれたと知らず感じ入っていると、お前も少しは避けたらどうなんだと呆れた声が割り込んできた。


「そうは言っても、物語の主人公的な見せ場に水を差すのは申し訳ないじゃない」


 恐怖で竦んで動けない姫を助けてこそだと思うとのんびり答えると、気の悪い深さの溜め息で答えるのは龍征。


 実際のところ石蕗のすぐ後に姿を見せていた龍征は、駆け出した石蕗を見るや相手が後ろで纏めていた髪を引っ掴んで自分のほうへと引き戻した。体勢が崩れた一瞬の隙を衝いて回り込んで初雪の前に立ち塞がり、即座に体勢を整えて振り回されてきた剣を見覚えのない鞘で受け止めている。

 戦場では物を拾うのが主流なのだろうか、と聞かれれば思い切り嫌そうな顔をされるだろう感想を抱いていると、龍征が再び声をかけてくる。


「本気で動けないのか」

「下がるくらいはできる」

「なら、そうしろ」


 片付けるのに邪魔だと顔も見ないまま言われ、失礼しましたと謝罪しながら後ろに下がる。初雪が十分に距離を取ったのを確認した龍征は、まるで剣を棍棒か何かのように乱暴に打ちつけながらそこを退けと無茶を叫ぶ石蕗に、ふざけるなよと薄っすらと笑みを浮かべた。


「奥を害すると聞いて、どうぞと差し出す馬鹿(お前)と一緒にするな」


 繰り出されてくる剣を全部鞘だけで凌いだ龍征は、最後の一撃を前に詰めることで避けると石蕗の胸を肘で突き、よろけた片足を掬い上げる。倒れながらも叩きつけてくる剣を軽くかわして顔を寄せた龍征は、寝てろと短く吐き捨てると石蕗の顔を捕まえて力任せに地面に叩きつけた。

 何度か痙攣した石蕗は、執念だけで起き上がってまだ殺しに来そうな目を初雪に向けたが、龍征の手を跳ね除けることはできずにぐるりと目を回して動かなくなった。


「……下手をしたら死んでるよ、それ」

「殺す気だった相手が死んだなら、嘆かずに喜べ」

「神職に無茶を言う」

「はっ、格好以外の説得力がない」


 失礼なことを言って鼻で笑った龍征は、遅れて姿を見せた信康と将弘に縛っておけと命じて石蕗を引き渡すと槙也がうつ伏せに取り押さえ直した師走へと近寄っていった。


「っ、霜月、貴様、裏切るか……!」

「お得意の綺麗事はどうした、如月の二とは話し合うんじゃなかったのか。俺の目の前で殺せと叫んでおきながら、裏切るかだと? よく言えたな」


 面の皮は健在かと冷たく吐き捨てながら、躊躇なく頭を踏みつける龍征に思わず眉根を寄せる。いやあれはましなほう、と動かない石蕗を縛り上げながら庇うように将弘が言うそれに、分かっていますと頷きながら眉間の皺を伸ばすべく手で解す。

 その間も龍征は爪先に力を込めつつ半身を折るようにして顔を近づけ、何度言ったか数える気もないがと前置きして続ける。


「俺がお前の側についたのは、初雪を守るためだ。害する気はないと口にしながら殺気しか撒かん、お前からな」


 それをよしとしたはお前だろうと目を眇めた龍征に、師走は顔を踏みつける足を捕まえて僅かに持ち上げながら龍征ではなく初雪を睨んでくる。


「あの女がすべての元凶だ、廃さない以上、水穂に平和はない……! たかが女一人と引き換えにできるとでも!?」

「根拠のない不安と自分の奥なら、秤にかけるまでもない」

「っ、貴様それでも暦家の一員か! 貴様一人の感情で平穏を脅かすが真似を、」

「知ったことか」


 言いながら師走の腕を振り嫌って再び踏みつけ、龍征は心底嫌そうに顔を顰めた。


「そもそも初雪一人で、水穂の平穏をどう脅かせる。今回の戦にしても、布告を送りつけたのは師走、お前のほうだろう。受けて立つと決めたも、お前が水無月と神無月を殺したからだ。それに関して暦家は誰一人としてお前に賛同していない、お前が勝手に決行したことだ。お前のほうが、よほど水穂の平穏を脅かしているようだが?」


 ここでお前を廃したら解決するんじゃないのかと冷たく見下ろす龍征に、この凡人がと師走が小さく吐き捨てた。


 踏まれたまま悪態をつくとは、いい根性だ。案の定、龍征は機嫌を損ねたように足を動かして踏み躙っている。潰れた蛙みたいな呻き声の末に師走が何とか足を跳ね除けているが、批難めいた初雪の視線を察して龍征が力を抜いたためだろう。

 普段であれば師走もそのくらい察しただろうに、今は怒りに目が眩んでいるのか自分が逆らえる状況にないことも忘れたように声を張り上げる。


「あの二人を放置すれば、暦家の差配に疑問を持たれることは目に見えていたっ。民なくして何が領主か! 哀れな民を救うにはあれしか手段がなかったと、何度言えば理解する!?」


 聞き分けのない子供に言い聞かせるように繰り返されるそれは、けれどそれ自体が子供の駄々にしか聞こえない。何の裏づけもないのに自分の正当性ばかり主張して、信じないほうが悪いのだと叫んでいるに過ぎないのだから。

 それを理解する気もないのだろうと小さく息を吐いた初雪は、下がっていろと嫌な顔をする龍征に少しだけと強請る。我儘も過ぎると視線だけで如実に語られたが結局は溜め息で譲られるので、未だ身体を起こすことも許されない師走に近づいて尋ねる。


「何故、あなたがそうせねばならなかったのです」


 初めから、聞きたかったのはこれ一つ。今までも何度も問いかけてははぐらかされていた、あれはわざとではなく本当に意味が分からなかったのだろう。それを証明するように、師走はどこか呆けたようにこちらを見てきた。何故太陽が東から昇るのかと問われたみたいな、今更すぎる質問に本気で不思議がった顔。


 これが演技でないのが救われない。


「誰もせぬからだ」

「する必要がないから、誰もしないのでは?」

「馬鹿を申せ! 暦家当主の横暴から哀れな民を救うのは領主の務め、」

「帝の」


 師走の言葉を遮って語気を強めると、師走は不審そうに眉を顰めた。


「それは帝の務めであって、他領の領主でしかないあなたの務めではありません」


 馬鹿を言っているのはどちらかと説明すると、師走は初めて狼狽えたように視線を揺らした。


「違う。違う、帝の手を煩わせるような話では、」

「では、帝の務めとは何なのです」

「それは、……それは水穂の安寧を祈り、」

「祈ることは二の務め。水穂の安寧を司られるのが帝です。では、水穂とは何ですか」


 初雪の問いかけに師走は顔を歪め、けれど必死に答えを探す。


「水穂とは、内環うちのわ外環そとのわのすべて。暮らす民のすべて」

「是。では何故、外環の問題をあなたが解決しようとするのです」


 それは帝の役目ですと断言すると、師走は違う! と声を張り上げた。


「外環のことはすべて暦家で解決せよと、」

「いいえ。暦家に問題があれば、それを裁かれるのが帝の役目です。互いで勝手に解決しろなどと投遣りな命を帝が仰せになられたことは、有史以来一度としてありません」


 勘違いも甚だしいと切り捨てると、師走は愕然と初雪を見上げてくる。今まで信じていたものを崩されたみたいな不安げな様子に、問い詰める意味を失ってそっと息を吐いた。師走はその初雪を見て、かっと頭に血を上らせたらしい。


「違う……、違う、帝ではなく神の御声に従うべきだ! 神があのような横暴を、許されるはずがなかろう!」

「神が許さないとして、それを裁くのが帝だって話をしてたんじゃないのか?」


 聞きかじった俺でも理解したのに何を聞いてたんだろうと、分からなさそうに口を挟んだ将弘の感想が初雪にもすべてだ。理解したくないのかできないのかは知らないが、そこからすれ違っているのなら何を話しても無駄だ。もういいかと水を向けてきた龍征に頷いて師走に背を向けると、待てと悲鳴じみて引き止められる。


「貴様は神の御言葉が聞こえぬから、帝を持ち出しているだけではないかっ。神職の務めも放棄した、偽りの二風情が偉そうに……!」


 知ったような顔をするなと噛みついてくる師走に、見当違いもいいところだがよく聞く説だと心中に溜め息をつく。


 ただ神を仰ぐは神職の役目、帝を仰ぐは臣下の役目。本来、如月の二は神と帝を繋ぐために存在するのだから神職であり臣下であり、そのどちらかに傾くことは許されない。神が帝を見放さないように祈り、帝が神を忘れないように諌める。神職だけであれないのは二として当然のことなのだが、神官であるという認識だけがどうやら一人歩きをしているらしい。


「えー。ちょっと聞きたいんだけど、神職って誰でも神様の言葉が聞こえるものなのか……?」

「阿呆か。神がいちいち話しかけてきたら、煩くて仕方ないだろう」


 本気でそんな話を信じているのだろうかとぼそぼそと問いかけた将弘に、龍征が鼻で笑って吐き捨てる。潔いまでの不信心だが、お控えくださいと諌めるのは信康に任せて初雪は師走に振り返った。


 誰に吹き込まれたかは知らないが、師走が初雪を二として認めないとの主張はそこに基づいているのだろう。帝と神以外の何かに認めてもらう必要などないのだが、とりあえず信者の間違いを正すくらいは神職としての務めと判じて師走に笑いかける。


「神の御言葉は、私に限らずあなたにも聞けるものです。というより、もうとっくに聞いておられるでしょうに」


 気づいておられないんですかと聞き返すと、どうやってと噛みつくように聞き返されるので口の前で人差し指を立て、しーっと沈黙を促す。師走以外にも全員が何度か息を詰めるせいで、落ちる静寂。


 そのままじっと耳を澄ましていると、しばらくして焦れたように身を捩った師走が戯言か! と怒りも露に吐き捨てるので、信心が足りないのではと小さく首を傾げた。


「神が矮小なる人の子にかけられる御言葉があるとすれば、いつも決まって“黙して語らず”です」


 人の愚かを許容される寛大をして語られる言葉が他にありますかと肩を竦めると、まるで親に突き放されたみたいに狼狽えた様子で師走が視線をふらつかせた。それを見て小さく息を吐き、説教はこれにて終了ですと一礼して再び歩き出すと待てと今度は縋るように引き止められる。


「如月初雪、」

「私は霜月初雪と申します。お人違いでは?」


 殊更にこやかに笑って別れの挨拶に一礼すると、槙也に取り押さえられたままの師走は伸ばした手に白を掴むことさえできずに空を切った。

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