嘘が下手な嘘つきもいたものです
初雪が戦衣装として選んだ装束を衣紋掛けに通していると、部屋の中央に座って口を引き結んでいた陽炎がやはり耐え難いと頭を振って膝立ちになった。
「初雪、平原に赴くことはもう止めない、だが頼むから私の後ろに控えていてくれ」
「陽ちゃん。私の好きにさせてって、さっきちゃんと頼んだじゃない」
皆で認めてくれたのにと小さく肩を竦められ、私は納得していない! と思わず声を張り上げて反論する。それでようやく振り返ってきた初雪は、そっと息を吐くと陽炎の前に戻って静かに腰を下ろした。威圧的にならないようにと陽炎も座り直すと、幼い頃から変わらず初雪は真っ直ぐに見つめてくる。
「陽ちゃんは、どうして戦争が起きると思う?」
「……二つの意見が対立して、武力で片をつけようとするから、か」
「一般論としては正解だね。じゃあ、今回はどうしてこうなったのか」
「? 初雪と師走の意見が対立したから、だろう。師走は折れようとしないばかりか、初雪を押さえつけにかかった。それを受け入れる筋合いはない」
誰もお前を責めてはいないぞとそろりと付け足すと、それはありがとうと苦笑される。
「でも巻き込まれた陽ちゃんは、私を責めるべきだと思う」
「巻き込まれたなどと言うな! そもそも師走が二家の当主を殺すが真似をしたのが発端だ、あれを認めては暦家も立ち居かなくなる。私たちの事情があって参戦を決めたんだ」
だからと主張すると、初雪はそこなんだよねと小さく首を傾げて頬に軽く手を当てた。悩ましげなその仕種に思わず声を止め、そこ? と同じく首を傾げる。
初雪は一つ頷き、発端がねと説明する。
「師走が勝手に二家の当主を誅した、それが発端。そもそも暦家への懲罰は帝が為されることであって、勝手を働いた師走は帝が排されるべきなんだよ。でも帝が不介入を貫かれるなら、師走の討伐は水無月か神無月がすることでしょう」
「確かに、二家が立ち上がるのが本来の筋、か」
「大昔の仇討ち法は今の世ではそぐわないとしてなかったことにされてるけど、実際のところまだ廃法にはなってないから。あの二人が師走を討ったとしても、帝からは咎められないわけです」
「そうなのか?」
思ってもみないほど古い習慣を持ち出されて目を瞠ると、二の知識を信じなさいと胸を張られる。疑ったわけではないんだぞと慌てて言い訳すると、普通は知らなくていいんだよと苦笑して頭を振られる。
「武家にしても民にしても、仇討ちしたいような状況になったら領主に訴え出るのが今の習いだから。お互いに斬って恨みを晴らし出したら終わらない、だから仇討ち法なんてないほうがいい」
「それが理由で、初雪は二家に勧めなかったのか?」
あちらで勝手にやらせておけばよかったような気もすると問いかけると、初雪はまさかと手を揺らした。
「尊敬する父親を殺されたら黙ってられないでしょう、二人がやりたいって言うなら嗾けてもよかったんだけど」
雷鳴がこの場にいたら、嗾けるな! と怒鳴りそうなところだが。今からでも嗾けたい気分だと陽炎が考えていると、初雪がただね、と少し遠い目をする。
「仇討ち法を持ってくると代理人制まで出てくるんだよね、これが」
「代理人……どちらが」
「する側も、される側も。代理人を立ててもいい、って制度があるのです。まあ、女子供しか残ってないなら返り討ちが目に見えてるし、代わりの人をって言いたい気持ちは分かるんだけど。される側は代理人を立てたら駄目だろうって話じゃない?」
殺しておいて仇討ちまで避ける気か! と思わず興奮すると、そう言いたいよねと深く同調される。
「でも残念ながら認められている以上、師走さんだって知ってるだろうし。そうすると、確実に石蕗さんが出てくるよね」
「っ、今の水無月や神無月では石蕗に対抗できる者などない、か」
今は初雪の護衛として側にいる金谷や狭霧の姿は思い浮かぶが、試合形式でやれば勝機もあるかもしれないが命のやり取りをするなら圧倒的に石蕗が有利だろう。年も体格も違う、そもそも石蕗は何度も内乱を経験している。仮に二人がかりでやるとしても、やはり石蕗が勝つ姿しか浮かばない。
「直接師走さんに剣が届くなら、返り討ちにされてもやる価値はあるって槙ちゃんも蛍君も言うだろうけど。立ち塞がる壁が分厚すぎると、無駄死にはやめなさいって止めるしかないよね」
「成る程、仇討ちを推奨しないわけだな」
理解したと深く頷いた陽炎は、けれどそこではたと我に返った。
「だがそれでは、二家とも泣き寝入りではないか!」
「そうなんだよ。無法を通したほうが勝ちなんて、そんな理不尽は認めないけど。それを言い出すと、水無月や神無月が個人的に師走を攻めるのも止めないといけない理不尽が発生します」
「この世に神はいないのかっ」
納得ができないと思わず頭を掻き毟り、ようやくはっとする。
「そうか、だから初雪が代わって師走に宣戦布告を……ん?」
何故か初雪のほうが仕掛けたように思われているが、冷静に考えれば宣戦布告を送りつけてきたのは師走であって彼女は受けて立っただけだ。では何故、初雪についたはずの陽炎さえそんな風に受け止めていたのか。
確かに御前会議で初雪は二家を討った理由を問い、責めた。だがそれは、決して如月の二としての行動ではない。何故ならあの御前会議は、外環で行われたものだからだ。
内環での御前会議であれば、文字通り帝の御前にて行われるので初雪はあくまでも“如月の二”でしかない。だが外環においては帝があられることはなく、その場合は如月の二が宣旨として扱われる。つまりあの場でどれだけ初雪が感情的になっていようとも──尤も、そんな姿を今までほとんど見たことはないが──、二の言はすべて帝の詰問であり叱責とされる。初雪が個人で師走を責めたという、構図そのものが成立しない。
だというのに、いつの間にか如月の二は立場を忘れて暦家間の問題に嘴を突っ込んだと噂になった。暦家を取り纏めるのは帝のみ、帝と神を繋ぐための神職風情が政に口を挟むとは何事かという空気だった。下手をすれば如月の二と暦家の全面対決という、最悪の事態にもなりかねなかった。
「いや待て、そもそも宣旨としての詰問を初雪の発言と取るほうがどうかしているんじゃないかっ」
「そうなんだけど、そこは相手の情報操作が上手くいったとしか言えないかな。神職が暦家の無体を見逃してはならないっていう国民感情と、師走さんの目的が偶さか合致した結果だろうけど」
「どうして師走はそんな真似を、」
するのかと噛みつきかけ、唐突に最初の質問を思い出した。
どうして戦争が起きるのか。
対立する二つの勢力がなくては始まらない。片方が帝であれば、ただの謀反だ。戦う相手を摩り替えたのは初雪ではない、帝でもない。実際にあった出来事を捻じ曲げて伝え、責められるべきを犯したくせに問題を摩り替え。殴られたので殴り返すという印象操作をした上で、殴りかかってくるのはただ一人。
「本来なら、二家と師走が戦争をするべきなんだよ。推奨するわけではなくて、形としてはって話だけど。若しくは宣旨に噛みついた時点で、師走さんがただの謀反人として討たれるか。でもそうならなかったのは」
「師走が、最初から初雪を相手に戦争を起こしたがったから、か」
「戦争が最初の目的ではなかっただろうけど、やるなら相手は私と決めていたと思われます」
周到に準備もされているしと肩を竦める初雪に、どうしてと陽炎は眉を顰める。
「一体何が目的で、如月の二を相手に戦争を吹っかける!?」
「そこは本人に聞くしかないだろうけど、とりあえず目標が私であるなら当の私が戦場にいないと戦火が広がりますねという話をしております」
ご理解頂けたでしょうかと少しばかり笑って問いかけられ、陽炎は自分の鈍さに気づいて実際に頭を抱えた。
「私の後ろに控えてくれという話に繋がっていたのか……!」
「うん、最初からその話をしていたよね」
「っ、そんな理詰めで説明されても納得がいかないのは変わらない、お前を守るのが私の務めだっ」
馬鹿と呼びたくば呼ぶがいいと開き直ると、初雪は困ったように笑ってそっと腕を撫でてきた。
「残念ながら私は自分では戦えないから、誰かを巻き込むしかない。陽ちゃんにも守ってほしいってお願いするしかないんだけど、でも私の側には他に守るものがない子がいるんだよ。彼らの役目を取るまで頑張らないで、陽ちゃんは先ず立夏を守ることを考えて」
それで少し手が空いたらついでに私も入れてと笑う初雪は、柔らかな空気であっても陽炎の手を拒絶する。事あるごとに言われる巻き込んだの言葉は、何より初雪の本音であり心痛の原因なのだろう。
「私は初雪に巻き込まれたわけではない。それだけは間違うな」
初雪がそうするようにじっと目を見据えて断言した陽炎は、けれど反論される前に滲むように苦笑してそっと初雪の頬を撫でた。
「だがお前が心苦しいと思ってくれるなら、それを尊重する。自分が暦家の当主であり、その責があることも忘れまい。けれど言っておく、私は当主であろうともお前の友であるのも事実だ! 危ないと思えば身を挺してでも守る、それが嫌なら決して無茶はするな!」
私の安全はお前にかかっているんだからなと殊更偉そうに言いつけると、何度か目を瞬かせた初雪は声に出して笑った。
「そうか。そうだね。……うん、陽ちゃんのために頑張ります」
叶える必要のない無茶と知りつつも笑ってくれる初雪に、感極まって陽炎はぎゅうと目の前の小さな身体を抱き締めた。
知っている。初雪は誰かのために無茶をする、しないから安心してと笑うそれは優しい嘘だ。ならば陽炎が同じ嘘をついたとしても、責められる覚えはない。我が身に換えても、この悲しいほど強い存在を守ってみせる。例え、彼女がそれを望まないと知っていても。
 




