それはシニイタラシメル毒ですか
色々と話が大きくなってしまってついていけない現状を簡単に整理するならば、如月は師走と全面対決を決めた、に集約される。それに他の十家も巻き込まれ、本来であれば帝をお支えするために存在する十二家が互いに刃を向け合う形になった。
要はつまり彼らが生きるこの水穂の国を二分する戦争が巻き起こりそうで、その引き金を引いたのが自分の姉だという認めたくないが覆せない事実があるのみだ。
「おおう……、如月始まって以来の戦争犯罪人……」
「やめてくれる、人をまるで大罪人が如く言うの」
私はそんなに悪くないと主張する初雪の言は、確かに半分ほどは正しい。大元を辿れば喧嘩を売ってきたのは師走であり、初雪は受けて立っただけ。故に、そんなには悪くない。多分、そんなには。
ただ暦家の当主に無体を強いられた場合、大体の人間は逆らう術を持たずに泣き寝入りをするしかないのに。同じ立場にもないただの女が、ふざけるなと声を大にして跳ね除けるなど普通は有り得ない。
そもそも水穂の国は、帝が治める十三の領土で成り立つ島国だ。都であり帝の直轄領たる内環と、湖を挟んでそれを取り囲む外環があり、外環は十二分割されていて暦を名に賜った十二家がそれぞれを統治している。その暦家に面と向かって逆らうなど、命取りもいいところだ。
「でも私だって如月の二で霜月の奥なんだから、立場的には寧ろ上だよね」
「何が上だっ。暦家の当主とそれ以外は、天と地ほどの差があるくらい分かってるだろ!」
「あらあら、これはまた異な仰りよう。天と地は等しく尊いのに、そのどこに差があると?」
「比喩的表現だ! 分かっててはぐらかすなよっ」
お前は逆らったら駄目なところを逆らったんだって自覚を持てと雷鳴が指を突きつけると、初雪は不快げに目を眇めてその指を押し返してきた。
「なら師走さんは、怒らせては駄目な相手の逆鱗を引き千切ったと自覚するべきでしょう」
「まったくだけどな! その点に関してはまったくもってあっちが悪い、けどお前も反省しろ!」
他人様を巻き込んでるんだぞとその一点だけを咎めると、初雪もさすがにふらりと視線を外した。
「それに関しては反論の余地もなくごめんなさい」
「言っても、既に対決を決めて集った連中はお前の謝罪なんか望んでないのが問題なんだけどな……」
如月の二の威力が怖すぎると額を押さえて嘆くと、雷鳴と声をかけながら蛍が遠慮なく足を蹴ってくる。
「姫様の弟だからって、姫様を苛めたら俺が許さないからな!」
「苛めてないだろ、事実の指摘をしてるだけで」
「苛めてるだろー! 姫様が言ってたぞ、事実は人をシニイタラシメル毒薬だって!」
「……うん、お前がよく意味を分かってないでもちゃんと覚えてるのは伝わった」
そして純朴な蛍に何を吹き込んでるんだと責めるべく睨むと、初雪はちゃんと時にはって教えたよと見当外れに言い訳してくる。蛍がそれではっとしたように手を打ち、時には! と強く言い添えてくるせいで頭痛は弥増す気がする。
この金谷蛍は、既に齢十八を越して成人しているはずだが色んな意味でひどく子供っぽい。外見も精々十五六にしか見えないが、中身は更に幼い。理由としては多分、以前の主人である水無月柘榴のせいだろう。こちらも神無月と同じく既に鬼籍に入っているが、生前はなかなかに非道な領主として知られていた。逆らうものは皆殺し、そしてそれを執行するのが蛍の役目だった。人を殺めるのが怖いことだとも悪いことだとも教わっておらず、水無月の命令だけを忠実にこなす子供。望まれたままそうあることを望み、変わろうとするのは悪いことだと信じていた。
その水無月亡き後、初雪の護衛を努めるようになった詳しい経緯は知らないが、そうなってようやくぽつぽつと常識を身につけ出している。とはいえ根本のところであまり変化は見られず、水無月の代わりに主人と仰ぐ初雪を以前と同じく絶対的存在と思い込んでいる節がある。
「蛍。お前、盲目的に従うだけが臣下のあり方と思うなよ?」
「は? 俺は別に姫様の臣下じゃないし。姫様が頼むから守ってあげてるだけだ、なー、姫様」
「そう、主従の契りは交わしてないしね」
でも仲良しだよねと笑う初雪に、蛍もへへーっと嬉しそうに笑う。駄目だ、完全に洗脳されている。
遠い目をして他の面々に救いを求めるが、今この場にいるのは初雪が信頼を置く人間だけ。つまり護衛の蛍、槙也、幼友達の頼国、玄夜、そして初雪を猫可愛がりしている陽炎。真っ当に意見ができるのは、弟の自分以外にないなんて。
「どいつもこいつも、戦争賛成派かよ……」
「失礼な。私は一度も戦争に賛成したことなんてないからね」
ただ殴られたら殴り返す主義なだけですとにこりと笑う初雪は、この国を代表する神職ではなかっただろうか。雷鳴の記憶が確かならば、帝が直々に祭られる神社の宮司、のはずだ。それは何より国の安寧を重んじる立場にあるのではなかろうか。
「その私に喧嘩を売ってきたのもあちらです」
神に仕える身ならばただ耐えろなんて横暴を私の神は仰らない、と断言する初雪に陽炎と頼国が大きく同意している。初雪が増長するからやめろと睨みつけたところで効果がないのは知っているが、そろそろぶん殴りたい。
「しかし明らかに負け戦だっていうのに、卯月さんも国も物好きだよな」
今からでも敵に回ればいいのにと腹立ち紛れに唆した雷鳴に、名指しされた二人はきょとんとした顔をする。演技に見えないのがまた腹立たしい。
「負けるとは思っていないが、仮に負けが見えているなら尚更、私が守らねば誰が初雪を守るんだ」
「そもそも雷鳴こそ、負け戦に進んで参加しないだろうに。中立を主張した如月を説き伏せてまで初雪殿に与したのは、勝算があるからだろう?」
「勝算なんてあるか。普通に計算したら七三で負けるわ。寧ろ八二で負けるわ!」
戦力差を考えろと噛みつくのは、十二家の内、師走についたのが六家だからだ。こちらはどうにか残る四家の協力を仰げたが、水無月と神無月は最近当主が変わったばかりで情勢が安定していない。ほとんど戦力にはならない上に、武闘派と知られるのは霜月から睦月までの冬家が主だ。そのすべてが師走についている、これでどうやって戦えというのか。
「有り得ない、どう考えても師走につくのが得策だ」
「「でもお前もこっちについたろう」」
死ぬ気なのかと陽炎と頼国に揃って尋ねられ、雷鳴は嫌ほど顔を顰めた。
「こちとらまだ二十五にもなってないんだぞ、若木もいいところで死んで堪るか」
「そうそう。死んで花実がなるものかってね」
「そう思ってるなら、弟を死地に追いやるが鬼畜の所業は慎んでもらえませんかね」
他人事みたいに言いやがってと恨めしく初雪を睨むと、あらあらとわざとらしく頬に手を当てて姉が笑う。
「死にたいならご勝手にどうぞ。私は負けても死ぬ気はないから」
「……はあ。でしょうねー、としか言いようないわ。龍征さんをわざわざ敵方につけたのは、それ目的だろ」
皮肉に語尾を上げはしたものの、本当は敗戦に備えて霜月を巻き込まないよう画策したためだと知っている。
初雪は霜月龍征の奥である前に、如月の二であるほうが重要視される。霜月の関係者としてではなく個人で勝手にやったのだと言えば、嘘をつけ。と思ったところで誰も表立っては責められない。それを許されているのが、如月の二という存在なのだから。
「でも如月の二の特異性って、こういうごたごたに首を突っ込まないのが前提で保たれてたものじゃないのか」
「それは逆。帝の御為にのみ存在する如月の二に喧嘩を売ってくる人間が、今まではなかったって話でしょう」
師走さんは前例を破られるのがお得意で、とにこりと笑う初雪に寒気を覚え、話題を変えるのが懸命だと悟る。
「そういえば広さんは、師走についたんだよな」
「頼広兄上は石蕗の一姫を奥と迎えられた故、舅殿の顔を潰すわけにはいかなかったのだ」
よりにもよって師走の一の家臣だからなと初雪の顔色を窺いながら言い訳めいて答えた頼国に、霜月と一緒で好都合だろと玄夜が気軽に言う。
「あの人の胃の腑を思うと哀れも過ぎるけど、そのおかげであんたが負けてもせめて命乞いはしてもらえるだろうさ」
皐月はどうか分からんけどなと肩を竦めた玄夜に、頼国はぴくりと反応する。この男が一途なのは何も初恋に対してだけではない、主家に対する忠誠心も人一倍だ。
「青嵐様が戦において負けられるはずがないだろう!」
「いや、あんたが負けて皐月家が勝ってるってどんな状況だよ」
「喧しい、俺が負けようとも青嵐様が負けられぬことなど断じてない!」
例えこの世が滅びようとも覆らない事実だと熱く主張する頼国のそれは、仰ぐ主家こそ違えど槙也も蛍も信じていたはずだ。つまりは儚い幻想でしかないといい手本が目前にあるのに、それを受け入れられない程度には頼国も十分に盲目的だ。
大丈夫なのかと軽い不安を覚えて初雪に視線を向けると、姉は半分立ち上がりかけている頼国の肩をぽんと叩いた。
「なるべく負けないように私も努めるから、頼国君も負けないように頑張って?」
皆で勝とうよと笑いかけた初雪に、頼国も顰めていた眉をぱっと解いて勿論ですと張り切って頷く。こちらの洗脳も、なかなかに重症だ。
お前これに仕えてて大丈夫かと同情的に玄夜を窺うと、もう諦めたーと遠い目をして声なく苦笑される。お互いに苦労するよなと噛み締めていると、今まで黙っていた槙也が音を立てて柄に手をかけ、片膝を立てていつでも抜ける体勢になる。蛍も小刀を抜いて構え、天井を睨みつけている。
「姫様」
「下がれ」
蛍と槙也が庇う初雪を陽炎が引き寄せたところで、すっと静かに人影が湧いた。部屋の中央に、いきなりだ。しかし頼国や玄夜が行動を起こしていないのは、それが誰かを既に知っていたからだろう。
「薄氷」
気安くその影の名を呼んだのは、初雪。当然だ、薄氷は如月の二だけに仕える影。初雪が生まれた時からずっと、人知れず侍っている。
影を持つとは知っていても実際に見るのは初めてらしい三人は、そこにいるにも拘らず存在感の薄い薄氷を胡散臭そうに眺めているが、初雪はご苦労様と労って見上げる。
「龍征君たちは、無事に戻った?」
真っ先の問いかけに、薄氷はよくよく見ないと分からない程度に頷いた。鉢金のせいで目許が隠れ、口布をしているために鼻先しか覗かない。付き合いだけは長くなる雷鳴でさえ碌に声を聞いたことがなく、これでどうやって意思疎通をしているのか甚だ疑問だが。初雪に言わせれば、特に不自由はしていないらしい。
蛍や槙也に武器を下げるよう合図した初雪は、師走さんとも合流した? と続けて尋ねている。僅かの間の後にまだなんだねと初雪が呟くので、今のは否定を示す沈黙だったのかと推測する。続く否定がないから正解なのだろうが、影の役目は情報提供が主ではないのでしょうかと密かに問い詰めたくなる。
雷鳴は初雪と比べて気楽な立場だが、それでも如月ではあるので薄氷と同じ忍の一族から影がつくことはある。しかしこちらは多分持ち回りの交代制で、その誰も薄氷のように影に徹底してはいない。
(普通の忍はその場に自然と紛れ込んで情報を聞き出すものだけど、薄氷に限っては本気で陰に潜んで収集してそうだよなー……)
だからこそどんな情報でも掴めるのかもしれないが、少なくとも雷鳴はそれを上手く聞き出す自信はない。などと考え込んでいる間にも、沈黙から何かしら読み取っているらしい初雪が何度か頷いてありがとうと笑顔になった。
「じゃあ、引き続きお願いします」
宜しくと何の衒いもなく頼む初雪に、薄氷は小さく頷いてふっと姿を消した。沈黙を強いるような空気が僅かに変わり、はあと大きく息を吐き出したのは陽炎だった。
「あれが彼の有名な、二の影か。目の当たりにすれば、敵にはしたくない相手だな」
女性ながらにして武勇で知られる卯月当主の言葉に、へっと子供じみて蛍が鼻を鳴らす。
「あんなの、柘榴様に比べたら屁でもないよ! 俺も勝てるねっ」
「真正面から勝負をするならいい線までいったとしても、後ろから忍び寄って首を切られたら終わりだろうに。相手はそれを生業にしてる忍だぞ」
知ってて勝つ気なのかとからかうように語尾を上げた玄夜を、よさんかと頼国が諌めている。正に、事実は死に至らしめる毒だ。
けれどとっくに知っている真理を自分では痛感していないらしい蛍は、勝てるったら勝てる! とむきになって食ってかかっている。これだからお子様はと言わんばかりに槙也は目を眇めているが、その実、彼も薄氷に勝つにはどうすればいいか脳内で模擬戦を繰り返している見当ならつく。
(少しでも腕に覚えがあれば、伝説の影との対戦は夢見るもの、なのかねぇ)
雷鳴は残念ながら、自分で武具を振るって戦うことに自信がない。ましてや子供の頃から慣れることなく、何度でも静かに背後を取ってくる薄氷と戦うなんて考えただけで寒気がする。
(でもここにいる連中なら薄氷とも張り合える実力者揃いだし、個人だけで考えたならこっちの陣営もいい線行くはずなんだけどな)
歴史的に見てここ最近は大々的な戦争こそ起きていないが、内乱がないとは言えない。中でも豪雪地帯を領土として隣接する領地と諍いが多い冬家は嫌でも戦い方を知っている、それ故の武闘派だ。だが他季の領土は軍としての錬度は低くとも、個々人の才となるとまた変わってくる。
帝のおわす内環で年に二度だけ行われる天覧試合、そこで優勝すれば家名が上がる。暦家と直属の家臣しか参加できないことになっているが、腕に覚えがあれば取り立ててもらえる絶好の機会として張り切る者も多い。おかげで個人だけを見れば、各領ははどこも実力伯仲と言える。
(言っても今回はまさか試合形式で話が進むわけじゃないから、こっちの圧倒的不利は変わらないけどな)
まるで他人事みたいに考える雷鳴は、未だ薄氷との勝負の仕方で白熱している面々を暢気に眺めている姉をちらりと窺う。何を考えているのかよく分からないのはいつもの話だが、初雪が負ける気はないと言ったなら何れ事実になる。それだけは分かっている。
力のある神職の予見だから? 違う、ただ初雪は有言実行主義だというだけだ。神任せではなく、未来など見えずとも必ずそうする。決めたから、行う。そういう人間だから。
まったく師走は、いらないことをしてくれた。霜月の奥として大人しく収まっていた相手を、わざわざ踏みつけて起こすが愚かを働いて無事に済むはずがない。
(野分に巻き込まれるのが決定してるなら、その中心にいるのが一番安全だ)
師走がそうだと信じてついていった五家と、何より一番の暴風域に押し出された義兄には深く同情する。どうか生き残ってくれと、冗談でもなく強く思う。そうしてできるならこちらの被害も少なくなりますようにと、あまり信じてもいない神にも祈った。