蜥蜴の尻尾が案外強情なのは知っています
成終が霜月配下の秋灯に惨敗したと聞くなり、当然のように師走は霜月の元へと怒鳴り込んだ。しかしさすがあの初雪嬢の良人は、一筋縄でいく相手ではなかった。何故秋灯を派遣したと怒鳴るような尋問に、霜月は不思議なことを言うと前置きして説明する。
「初雪が民を追い返すのは予想がついた、それらの無事を見届けさせるために遣わしたが? 初雪がためと集った連中に何かあれば、あれが傷つくだろう」
俺は奥思いなんでねと、わざとらしく肩を竦める霜月に師走は拳を作る。多分に気づいているだろうに、霜月は素知らぬ顔で続ける。
「民の無事を確認していると突然切りかかられたから、反撃したようだ。最初は戦の混乱を狙って湧く盗賊の類かとも思ったが、身のこなしが忍のそれだったと聞いて文月に確認した。仮に文披だったなら、申し訳ないことをしたからな。だが、否定された。長月、葉月、弥生、ついでに睦月に確認しても知らんと言う。残すは師走の、お前のところだけだが。あれは成終だったか?」
無邪気を装って首を傾げられ、師走が一瞬奥歯を噛み締めたのが分かる。霜月は酷薄な様子で目を細め、俺からも尋ねたいと声を低めた。
「あそこに何故、成終がいた?」
「待たれよ! 何故に他の方々の、知らぬの言葉を鵜呑みにされるっ。霜月殿は単に、我が殿に因縁をつけておられるだけでは!?」
後ろに控えていた石蕗がいらない口を挟むと、霜月は鷹揚な仕種で義父を見据えて一言、
「控えろ」
家臣の分際でと言下に吐き捨てられ、石蕗もようやく相手が誰かを思い出したらしい。主人の子供であってもおかしくないほど年若かろうと、霜月は紛う事なき暦家の当主だ。いくら師走の片腕と称される義父であろうと、そもそもの立場が違う。
威圧的な眼差しだけで不敬を思い知らされ、さすがの石蕗も出過ぎた真似をと小さく謝罪しながら主人を庇うように踏み出した足を下げ、頭を垂れている。師走はその間に思考を整えたらしく、いつもの笑みをどうにか貼りつけて宥めるような声を出した。
「太助がすまんな、霜月の。こやつは未だ過保護でな、幼い頃と同じ感覚で儂を庇おうとする」
「構わん、うちも似たようなものだ。信康はすぐに手が出るが……、まあ、斬りはせんさ」
備えるくらいは見逃せと、実際に剣の柄に手をかけている上弦を咎められないように話を持っていった霜月は、そのまま師走が言葉を探す間も与えずにそれでと答えを促す。
「あれは成終か」
繰り返し強く問われたそれに何と答えるのかと、頼広はそっと師走の背を窺った。
本来であれば秋灯を出したことを咎めた時点で素性は知れたようなものだが、無謀ではあっても石蕗の先ほどの言は師走の助けにはなった。ここで知らぬ存ぜぬと言い張っても、先にそれで引き下がっているではないかと白を切れるからだ。
(だがここでつまらない嘘をついて、万が一差し向けたのが成終だとの証左を得られていては立場が悪くなるだけだ)
周到な師走のことだ、成終にそんな迂闊なことをさせないと思う。思うが確実でないなら白を切る危険性は頼広でも見当がつく、それに師走が気づかないはずもない。逡巡したのは束の間、
「儂が成終を遣わした。無辜の民を送り届けるは、儂の役目でもあるからな」
そんなつもりで出されたわけではないと霜月も知っているはずだが、そうか、とやけに素直に頷かれた。
「民を送るに忍衆を使うとは恐れ入った、戦の前だというのに大事な戦力を割くほどの心遣いとはさぞかし喜ばれたろうな」
嫌味たらしく笑った霜月に、師走の頬は明らかに引き攣った。
できることなら秋灯が味方を討ったことを責め立てたいだろうが、そんな状況でないのは明らかだ。成終が秋灯をその場で始末できていれば、民を守るためだった、盗賊にしか思えなかったと言い張れもしただろう。けれど実際に始末されたのは成終であり、盗賊よりも性質の悪い指令を帯びていたのも事実。相手も勘付いていると分かっているなら、下手に藪を突くわけにもいかない。
「ここにいる若葉は、霜月の奥と旧知の仲でな。ああ、とっくに承知のことを、今更だったか」
どうはぐらかして逃げるのかと他人事のように眺めていた頼広は、いきなり矢面に立たされて危うく声を上げそうになった。どうにか呑み込めたのは、如月の別邸で過ごした二年があったからだろう。
曰く、過ぎる口は災いの元。風炎が自ら立証してくれた、苦い教訓だ。
いや、違う。そんな現実逃避をしている場合ではない。師走はどうやら今回の責任を、新参極まりない頼広に押しつけて人身御供として差し出すと決めたようだ。霜月の胡乱げな視線が向けられ、頼広の背中には冷たい汗が走った。
「その若葉が、霜月の奥は民の帰還を促すだろうと言うのでな。戦になると知りつつ集った気概ある者たちを無事に送り届けたいと、いらぬ世話を焼いてしまった。考えれば霜月が同じく誰かを遣わすと察せられそうなものを、儂としたことが気が急いたようだ。手数をかけたな」
「なに、こちらの被害は然程でもない。そちらも忍衆でなく誰かを遣わしていたなら、顔も知って止められたろうに。痛恨の極みだ」
成終が始末されたのは師走の手落ちだと言外に告げられ、師走は拳を震わせつつも笑顔を保つ。
「戦の前に儂の臣下が他領で騒ぎを起こしては、と気を回したつもりだったが。裏目に出た今は、返す言葉もない」
「まあ、民を送る程度、成終に引き立てられたばかりの者でも容易かろうからな」
確実に始末をつけるべく精鋭部隊が送られたのを承知で煽る霜月に、ははっと声にして笑った師走の目は凍てついている。石蕗のほうが怯えたように身体を竦めたが、霜月は平然と見返している。
「……事情が分かれば問題ない、突然すまなかったな」
「それは構わんが。若葉といったか、しばらく借り受けられるか」
師走を煽って気は済んだかと油断したところを名指しされ、頼広も一瞬反応してしまった。まだ修行が足りないらしい。
師走はちらりとこちらを見たがそれだけで、好きにしろと一つ頷くとそのまま部屋を出て行った。石蕗も娘婿を一瞥もせず主人に続き、そうきたかと内心で頭を抱える。
(切り捨て方があからさますぎないか、成終が負けた全責任など取れるか!)
その程度の実力しかない忍衆を精鋭として抱えていた我が身を恥じろと吐き捨てるが、今はとにかく保身も図らねばなるまい。まさか戦が始まるよりも早く、こんなところでひっそりと生命を散らすなど冗談ではない。
「成終を出すよう進言したのはお前か、若葉」
「まさか。二姫とは皐月の若君が承認を受けられるに際して同じく教育を受ける機会を賜り、そこで二年ほどご教授いただきました。それを受けて二姫のお考えを察せられぬかと尋ねられ、民を返されるであろうと予測は致しました。しかし私はあくまでも石蕗殿を舅と呼ぶ身としてこちらの陣営に身を寄せることになっただけの新参者、師走殿に何かをご提案できるほどの立場でもございません」
仮に頼広が直接出たのであれば、新参ゆえに功を焦ったなどの理由もあるだろう。だが成終を動かせるのは当主のみであり、説明するまでもなく頼広の独断でできることではない。
霜月にしても分かっているはずだが、ここで重要なのは指示したのが誰かという事実ではない。責任の所在を問われた師走が、贄として頼広を差し出していったという事実。
(こんなところで切り捨てられるために、師走に与したわけではないというのに……っ)
色々と見誤りすぎたかと噛み締めるように後悔していると、見事に尻尾を切っていったなとどこか感心したような霜月の声で我に返った。
「凄いな、人間ってあそこまで厚顔になれるんだな。俺、大雪に生まれてよかった」
小寒にだけは生まれてはいけないとしみじみと感じ入っているのは、霜月の後ろで控えていた秋灯。口を慎めと、あまり気持ちは入らないまま諌めているのは上弦だ。まるで実弟たちを見るような様子に思わず惚けていると、霜月と目が合った。
「お前の奥は、父につけと言ったか」
「……いえ、望むなら首を取ってくると」
「はは! 剛毅な奥よな」
「しろちゃんなら、きっと龍の首を取るって言うね」
すかさずいらない口を挟んだ秋灯は、上弦が問答無用で殴りつけて黙らせている。霜月はじろりと嫌そうにそちらを見たが、強ち否定もできんとぼそりと呟かれたのを聞いてうっかり吹き出しそうになった。慌てて誤魔化すと嫌そうな視線が戻ってきて、謝罪する前にまあいいと投げ遣りに手を揺らされた。
「知らなければ笑えんところだ、あれが言いかねんと知っているなら付き合いが深いのも事実だろう」
面白くはないがなとちくりと刺されたそれに小さく頭は垂れたが、牽制というよりは惚気に近いと抱いた感想は心中に堪える。どうやら初雪はいい相手に嫁いだようだとそっと呟き、でしょうと自慢そうに胸を張る姿を思って僅かに口許を緩めた。
「将弘、いつまでも蹲っていないで用件を済ませろ」
「ひどい。痛みを堪える時間もくれない主君なんて……」
しろちゃんなら慰めてくれたのにと殴られた頭を抱えていた秋灯は、けれど上弦が再び拳を作る前に立ち上がって頼広を見据えてきた。
「若葉頼国より言伝。ご無理はなさらず、と。皐月様も姫さんも望んでおられない、は影から。そうする前に奥の顔を思い出せ、は姫さんからだそうだ」
一応そのままお伝えしたと秋灯のそれに、頼広は顔の半分を覆って複雑に歪む自分を隠す。
「愚弟とお会いになられましたか」
「実のところ、半分は弟御の手柄であられる」
師走の手前は伏せましたがと付け加えられ、ご厚情に感謝致しますと頭を下げる。成終の始末に弟が加担していたと知られれば、尻尾として切られるどころか現実に首を切られかねない。ついうっかり、自分はどうしてここにいるのかと我に返りそうだ。
「何なら十日ばかり、お前の身柄を預かっても構わんが」
唐突な提案に頼広が思わず顔を上げると、霜月は面倒そうな顔をしながら脇息に肘を突いた。
「あれはお前に庇われて生き延びたところで喜ばん。主君のための献身ならば止めんが、皐月もお前の無理を望まんのならただの無駄死にだ」
「……耳に痛いお言葉ですね」
「事実だろうが。そもそも戦となると、命を無駄にしたがる奴が増えるのはどういう了見だ。無様にでも生き延びて、戦後処理に役立て」
「お言葉ですが、臣下が死ななきゃならない状況になるのは主君の無能と思われますっ」
はいはいと勢いよく手を上げてまたぞろいらない主張をする秋灯を、今度は霜月が直々に拳で黙らせている。上弦に至っては、もうそろそろ本気で成敗致しますかと柄に手をかけている始末だ。確かそれは主君の親戚筋ではないのかと記憶を辿るが、心中に留めるほうが賢明なのだろう。
霜月はいっそやってしまえと言いたげに一瞥したが、実際にはゆるりと手を振って止めた。
「将弘如きの言ではあるが、一理は認める。だがそれで言うなら責を負うべきは俺たち暦家の役目だ、たかが臣下が出しゃばるな」
きつい口調で吐き捨てられるそれは、頼広だけでなく後ろの臣下に対する本音だろう。年齢で言えば風炎に近いのに、青嵐様に負けず劣らずいい主君だと知らず口許が緩む。
「主の心中としては、有難く胸に留め置きたく。ですが臣下としては、そのように、とは受け入れ難いものであるのもご承知置きください」
「強情か」
「これでも武家の理念を、如月の二に習った身でございますれば」
殊更丁寧に頭を下げながら答えると、霜月は痛そうにこめかみを押さえる。思わず笑ってしまったことを慌てて隠したが、特に咎められもしない幼い頃を思い出す空気に頼広もしばらく振りにほっと息を吐いた。




