人の情けが身に沁みます
「それは一体……、どういうことだ!?」
悲鳴じみた声を上げた師走に、予測のついていた龍征は何を今更と気づかれないように肩を竦める。
布告の返答をしてから二十日、立秋に入って鐘秀平原の様子見に遣わした成終の報告は暦家が揃う中で読み上げられた。曰く、平原を埋め尽くすほどの人で溢れている。そのどれも拙いながら武装を施して、如月の二を守れと息巻いている、と。
「儂は確かに、武家のみでと書き記したはずだ!」
「叶う限り、ではなかったのか」
「っ、だとしても! 霜月の奥は何を考えている、委細承知と伝えておきながらどれだけの領民を巻き込むつもりだ!?」
ふざけるなと珍しく本気で激昂している師走に、龍征はあれの知ったことかと鼻で笑う。ぎろりと睨むような師走の視線を受け、少し考えれば分かることだろうと眉を上げる。
「初雪はそれこそ“お優しい神職”だ、こちらの提案がなくとも領民を巻き込む気など毛頭ない。その証拠に、そこに集まっているのは啓蟄や大雪の民だけではないはずだ。二を旗頭に戦争が起きると聞いて、勝手に押し寄せた連中だろう」
「そんなはず、」
ないと断言しかけた師走を遮るように、それはそうでしょうねえとのんびりと東北風が同意する。文月も冷めた目で師走を見据え、だから言ったではないかと淡々と言う。
「如月の二を信奉する者は多い。師走の、そちらの意向で民を巻き込まんとして武家以外に詳細は知らせていない。ならば民が戦争の噂を聞いて憶測し、二を守らんと動いても不思議なかろう」
「そんなはずは、……その程度の話で平原を埋め尽くすほどの数が集まるはずがなかろう!」
あちら側が画策したに違いないと拳を作って憤る睦月に、相変わらず気怠げにした長月が尋ねる。
「以前より不思議に思っているのですが、ひょっとして立春や小寒に神社はあられないのですか」
「何を無礼な……! 我が領地には外環に置いて最古の神社があるのを、ご存じないと仰せか!」
「ああ、これは失礼を。如月の二をあまりにも軽んじておられるのを拝見していると、それも怪しく思えたもので」
小さく苦笑した長月は、睦月を見て師走に変え、哀れむように眉根を寄せた。
「如月の二が帝の権威を笠に着て横暴に振舞う、それを止めるが暦家の勤めと師走殿は仰せになった。さて、果たしてどこまでが本音で本気なのかは存じ上げないが、それを是としたはこちらも同じ。今更の言葉は甘んじて受けましょう、ですがこの戦のせいで民意を失うわけにはいきません。師走殿は、集まった民にどう説明なさるのですか」
返答次第では長月はご協力致しかねると語気を強めた長月に、何を愚かなと噛みついたのは睦月。
「集まった者はすべて、あの女に洗脳されているに決まっているっ! 愚かな民の目を覚ますも、我ら暦家の役割であるはずだっ」
「我らだと? 貴様と儂を一緒にしないでもらおうか」
不愉快極まりないと吐き捨てたのは葉月で、民を愚かとは何事かと恫喝する。
「暦家は偶さか帝に領地の維持を申し付かったに過ぎん、実際にそこを支えておるのは民に他ならん。その彼らを苦しめるが戦争などという愚かを選んだは暦家よ、許すまじ、暦家を認めんと声を上げられるならば従うが筋であろう!」
違うのかと押さえつけるように問われ、睦月は続ける言葉を探して拳を作る。縋るように師走に目を走らせているが、当の本人は下唇を噛み締めはしてもそれ以上の反応を見せずにただ一点を睨むように見据えている。
東北風は淀んで重くなったような空気を払うように息を吐き、誰にともなく呟く。
「如月の二の横暴とは、誰に向けての話だったのでしょうね。民を虐げるとあれば暦家が諌めるは常道、なれどその民が二を守れと立ち上がっている。民が望まぬのであれば、二と争うこちらが責められるべき立場なのではないですか」
今からでも取りやめにすべきなのではと言下に水を向けられ、ふざけるなと激昂するのは当然のように睦月だ。いい加減に、この考えなしの操り人形を誰かどうにかしてくれないものか。
心からの願いはけれど操者が知っていて無視をしている今、儚く破れる。
「あの平原に集まっている民が水穂のすべてか、然に非ず! 操られて惑う者に同じく惑うなど、愚の骨頂だ! 暦家が、暦家の当主がそれ以外の何かに屈するなど……っ」
「はっ、阿呆臭い」
懲りもせず繰り返されるとんだ選民意識を鼻で笑った龍征に、睦月は殴りかかるように踏み出しかけた。それを睨んだだけで竦ませて、龍征は殊更嫌味に笑う。
「さっきの葉月の言も、もう忘れたか。暦家に生まれたも、当主になったも偶然に過ぎない。それを選ばれたなどと驕るなら、如月の二とて選ばれたには違いない。屈する相手に不足なかろう?」
違うのかとわざわざ聞き返すが、当然のように睦月は反論に窮している。さすがにそろそろ師走が口を挟んできそうだと踏んだのは龍征だけではないらしく、文月が機先を制した。
「場所柄、平原に集っているは我が民が多かろう。師走の、確か貴様は言ったな。民が如月の二と争うに躊躇うのは当然だ、と。万が一にも我が民を無闇に傷つけることがあれば、文月は即座にこの同盟を破棄する。直ちに全員を追い出す所存だが、異論あるまいな」
「……無論だ、文月の」
ようやく薄っすらと笑みを貼りつけた師走は鷹揚に頷き、泣き出しそうな顔をする睦月を一瞥してから全員を見回した。
「あまりに予想外の出来事で、少々対策を講じねばならん。儂はこれで失礼する」
「常永様、」
「待て、師走の! 平原に集った民はどうするか、まだ聞いていない!」
その解決が先だと文月が慌てて引き止めると、師走は無表情に近く振り返ってから仮面めいた笑みを浮かべた。
「異なことを。そんなつもりは毛頭ないが、儂が害するのではないかと懸念しておるならお主が直接説得に行けばよかろう。集った民も見知らぬ儂よりも、自領の領主の話ならぱ聞く耳を持つであろうしな。しかし開戦の期限は迫っておる……、精々急くことだ」
温度のない声でそう告げた師走は、反論も許さずそのまま部屋を出て行った。睦月が慌てて後を追い見えなくなった頃、文月が強く歯を噛み締めた音が聞こえた気がする。
「っ、り得ない、全部丸投げか!!」
悲鳴みたいに吐き捨てた文月に、これはしてやられましたねぇと長月が苦く笑う。
「ここで矛を収めるまでは期待していませんでしたが、少しは失速するかと思ったのですが」
「あれはもう、直接二姫に負けん限りは止まらんだろう。それよりも睦月の阿呆は何とかならんのか」
「そちらも師走殿の無様をその目にしないことには、止まらないのでは」
諦めが肝要ですとしたり顔で勧める東北風に、葉月は盛大に顔を顰める。長月はそれを目にして軽く笑っているが、それどころではないと文月が地団太を踏む。
「二を守れと集った民は、確かに大半が立秋の民だろう。だが対立していると知って、俺の話を聞くと思うか!?」
「ないでしょうねぇ」
「顔を見るなり攻撃されんようにな」
「ですが武装して行かれるのはお勧めしません」
武運を、とからかうように声を揃えた三人に文月が頭を抱えるのを見て、こいつらはどこまで本気でこれをやっているのかと龍征は首を捻りたい気分になる。その龍征に気づいたらしい文月は、霜月のと少し声を尖らせた。
「まるで他人事だな、貴様」
「いや、お前らが何をそんなに騒いでるのか分からんからな」
楽しんでいるのかと思ってと大分本気で言うと、文月はぎりっと歯を噛み締めて詰め寄ってくる。
「集った中には、大寒の民とても混じっているはずだが!?」
「まあ、確実に啓蟄と大寒はいるだろうな」
「自領の民が害されるかもしれんというのに、何を暢気な……!」
貴様も何か手段を考えろと指を突きつけられ、どうやら本気で分かっていないらしいと納得する。
「考えるだけ無駄だ、早ければ今日の夕刻には散開するからな」
「「「は?」」」
思わずといった様子で聞き返してくる面々に、お前らは誰を相手にしてる気だと呆れて言う。




