神の意思も故人の遺志も、生きるためには無視します
金谷蛍と狭霧槙也が護衛としてつくことになって三日、今日も今日とて二人とも見事に反抗的だ。いい加減に諦めればいいのにと、最後通牒の用意をしながらすっかり諦念と親友になった初雪は心中で忠告する。面と向かって口にするのは、初日で諦めた。まったく諦めさんは、いい友達だ。
「退け、狭霧! 後から来たんだから、お前が姫様の護衛をすればいいだろっ。俺は出かけるっ」
「ふざけるな、誰がこんな女の護衛など好きで務めるか……っ。私はお前と違って、二君に仕える気はない!」
「お前が誰に仕えようと知るかよ、俺は柘榴様にしか仕えてないっ」
「っ、二君はそういう意味では……、ああもう馬鹿が移る!」
近寄るな、馬鹿にするなとぎゃあぎゃあと騒ぎ立てつつも部屋から出るべく襖に手をかけた途端、外から開けられてするりと入り込んだ忍たちに寄って集って縛り上げられ、部屋の中央に転がされている。これももう、既に見慣れた光景だ。
「君たちも、そろそろ萌揺の手を煩わせるのをやめようとは思いませんか」
「っ、姫様、護衛とかもういるじゃん! 俺がいなくても大丈夫だろ!?」
「そもそも大寒に如月の忍衆を揃えている時点で、誰の手もいるまいっ」
身体をぐるぐると縛っている縄を解くべくもがきながら噛みついてくる二人に、親友さんが溜め息を促す。遠慮なくつきながら二人の前にしゃがみ、馬鹿に付き合うのも疲れるのでと前置きをして冷たく見下ろす。
「お話し合いをしようと思います。反論は受け付けません、強制です。これが終わってまだ逃げるなり暴れるなりしたい場合は、もう止めないから好きになさい」
なさいと言い切るより前に嬉々として起き上がった二人が縄を引き千切るのを見て、初雪は薄っすらと笑みを貼りつけた。
「でも」
ちゃんと聞きやがれ? と指を鳴らし、簀巻きにして退室はしたけれど控えていた萌揺の精鋭を呼び戻す。手に手に縄を持ったまま無言で取り巻く十人に囲まれ、さすがの二人もこくりと喉を鳴らしているのを見て小首を傾げた。
「先にお話し合いは、してもらいます」
それが条件ですと笑顔で迫ると、腰を退かせつつも小さく頷いて受け入れる蛍によろしいと頷く。慎也は今もって反抗的に睨みつけてくるが、再び指を鳴らそうとするのを見て大きく舌打ちして座り直す。精一杯だろうと親友の囁きにそうだねと渋々納得し、萌揺の十人には少し下がってくれるように合図して初雪も座り直した。
「一先ず君たちの意見は求めません、一方的に話します。状況整理を兼ねているので、どうぞと促すまでは黙って聞くように。自主的にできないようなら萌揺に協力してもらうまでですが、私は君たちの理性を信じます」
「それはもはや脅迫だっ」
「? しないとも、していないとも言っていませんが?」
何か問題でもありましたかと聞き返すと、槙也もぐっと言葉に詰まって唇を引き結んだ。やりますかと萌揺の一人が縄を張って一歩踏み出すが、今のは許容範囲でと苦笑するとそっと元の位置に戻っている。
本当に、すべてに行き届いたこの忍衆がいれば龍征との喧嘩にも勝てるのだが。護衛として押しつけられた二人は、早く話が終わるのを待ってそわそわとこちらを見ている。
(恨むよ、柘榴さん、神無月さん……)
恐ろしく面倒臭い頼み事を、死ぬ前にしていくなんて反則だ。嫌だと突っ撥ねる先もないなら、聞くしかないではないか。
慣れた様子で肩を叩いてくる諦めに、存じてますよと数え切れない溜め息を重ねる。とりあえず最初の面倒臭いから解消していくしかないので、ここ三日の不満はぶつけることにする。
「君たちが師走さんに復讐したいのは知っていますし、心情的にはお好きにどうぞと思っています。ただ先にお尋ねしたいのは、果たして君らはどうやってそれを為し遂げるおつもりなのか、ということです」
「どうも何も、一気に攻め込んだら終わりじゃん!」
荒ぶって立ち上がる蛍に、発言は許可していませんとにこりと笑うと萌揺の一人がすかさず足を払って転ばせ、縄をかけている。猿轡まで噛ませる周到さを横目で確認した慎也は、開きかけていた口を閉じて座り直している。
「萌揺は十二家が有する忍衆の中でも飛び抜けて優秀なので、戦闘においても情報収集においても一と誇れると自負しておりますが。他家の忍衆が萌揺には劣るとしても、精鋭部隊であることに変わりはありません。ここで萌揺を出し抜けない君たちが、果たして師走さんに近づくことができると本気で思っておられますか」
「もががぐががっく!」
「何を仰っておられるか分かりません。……ああ、断っておきますが発言自体は察しがつきます。そんなの当然だとでも言われたんでしょうが、その根拠が見えないとの意味で申し上げました」
睨むように見上げてくる蛍に丁寧に説明し、大人しく口を噤んではいても同じく反論したげな顔の慎也を見てそっと息を吐く。
「そもそも屋敷に辿り着くのさえ困難でしょうが、辛うじてどうにか奇跡が起きて師走さんの側まで行けたとしましょう。けれどあの人が、本当に一人になる時間などあると思いますか? 傍らには水穂随一とされる石蕗さんが必ず侍っている、何かの事情でおられない時は代わりとして五人ほどの護衛がつきます。勿論、影に控える成終も複数人です。対して君たちは、万が一に手を組んだとしても二人でしょう。それで一体どうやって、師走さんと相対することができると思うんですか」
希望や根性論を除いてご説明くださいと促すと、萌揺が蛍の猿轡だけをずらした。途端に蛍は跳ね起きて、俺ならできると噛みついてくる。
「俺の得物は弓だし、なんだったら長筒にしてもいい! それなら近寄らなくても撃てるだろ!」
「理屈としては通りますね。認めます。ですが、現実的ではないので却下です」
「っ、何でだよ!!」
「申し上げた通り、師走さんが一人になられる時間などないからです。柘榴殿や神無月殿を手にかけた今、あの人が君たちのような復讐者を警戒していないはずがない。いつも以上に厳重に護衛を増やし、屋敷からもほとんど出ないでしょう。屋内で山ほどの人の盾があれば、弓や長筒では生命を奪うには至らないものと思われますが……、如何でしょう?」
私は実際に戦ったことがないので素人考えですがと付け足すが、蛍は奥歯を噛み締めて唸るに留まっている。どれだけ蛍が射手として優れていたとしても──否、優れているからこそ、今の条件で師走を死に至らしめることができないのは認めざるを得ないのだろう。
「君たちの勝率が万が一でなく確実なものであるとするなら、私は何も止めてはいません。現状、限りなく不可能に近いから落ち着きなさいと申し上げています」
「っ、その程度、最初から承知の上だ! それでも私が要様のために今できることが、他に何かあると言うのか!? 第一、私が犬死しようとお前に何の関わりがある」
図星を突かれると、人は噛みついてくるものだ。けれど無駄死にを覚悟していることを表明されたところで何の感銘も受けない、寧ろ馬鹿ではないのかと眉を寄せるのが精々だ。
「残念ながら、私は柘榴殿と神無月殿に最後の願いを託されました。一度は人を浚ったが真似をした相手です、聞く義理などないとは自分でも思います。けれど自分の最期を知って、小娘を相手に頭を下げられた──その姿を見てしまった以上、蔑ろにはできないから今こうしています」
君らの態度を見続けて後悔は始めていますけれどと皮肉に語尾を上げるが、自分でも思うほどには棘がない。馬鹿だ愚かだと思っても、視野が狭くなるほど唯一人が大事だったと知れる姿は嫌いではないので。
さっきまでいきり立っていた二人は、ようやく初めてに近くまじまじと初雪を眺めてきた。思うに、主が託した最後の願いが気になったのだろう。
「柘榴様が、姫様に?」
「要様はお前に……、何を」
聞きたいような、聞きたくないような、複雑な声音でそろりと尋ねられ、初雪は苦く柔らかく笑った。
「領地でも、暦家の今後でもなく。君たち二人のことを頼む、と」
自分たちが殺されることはあっても、暦家が取り潰されないことは二人とも承知していただろう。帝の許しなくそこまでできる権限は師走にはない、跡継ぎを傀儡にするのも難しい。幾らかの圧力はかけられたとしても、跡継ぎも領地もそのまま継続する予測はできた。その上で心配だったのは、自分たちが死んで暴走すると確信していた一人の部下だ。
馬鹿みたいで、あまりにも切実な。大の男が頭を下げてまで頼んだのが、たった一人の人生の行く末だなんて。無碍にもできない。
「無駄死にさせてくれるなと、くれぐれもと頼まれました。君たちだって、本当は察していたでしょう? そうでもなければ君たちに与えられた最後の命令が私の護衛なんて、例えお二方直々のそれでも聞く気なんかないでしょう」
静かに説明すると、そんな、だって、と泣き出しそうに顔を隠すように項垂れる二人を見下ろして、初雪はそっと息を整えた。
「私は師走さんが嫌い。こんなやり方、認めない。だからね、これから正面切って喧嘩を売ろうと思います」
「「……え?」」
いきなり何を言い出したのかと胡乱げに顔を上げた二人に、初雪は綺麗に笑って見せた。
「殴りに行くには遠すぎるなら、こっちに来させればいいじゃない。あの人の次の狙いは、どうせ如月の二である私だから。お二方にそうしたように、きっと自分で殺しに来る。その時、私の側にいれば君たちの手もあの人に届くんじゃない?」
何でもないことのように提案すると、二人ともが同じようにぽかんとするのが面白い。これからひどいことを言うねと静かに前置きして、初雪はそっと手を出した。
「死にたいなら止めないから、せめて師走さんを一発でも殴ってからにしようよ。そのためには私の側にいたほうがいい、だから一緒に大罪人になって」
戦争を起こそうよと、軽い調子で誘う。こればかりは一人でできないから、巻き込まれてほしいと乞う。
逡巡したのは、僅か。二人とも嘆いていた目に光を宿し、自分の意思で初雪の手に自分の手を重ねてきた。
 




