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そんな最期の願いは、狡すぎます

「よく来た、初雪ましろ嬢」


 にやりと面白そうに笑って招き入れた水無月柘榴に、初雪は苦笑がちに一礼して部屋に踏み入った。人払いをして完全に他の人間の姿はない部屋で、小暑の主人は完全に寛いでいる。初雪が何の用件で訪れたか知っているだろうに、暢気と言おうか剛毅と言おうか。


「お久し振りにございます、柘榴殿」

「何だ、呼べと言ったは覚えていたか」

「利用できるものは、何でも利用しようかと思いまして」


 笑顔で答えると柘榴は面白そうに喉の奥で笑い、座れと促されるので正面に向き合って座った。


「人の物になって、面の皮が厚くなったか」

「女は化粧で、いくらでも厚くできるものと相場が決まっておりますれば」


 今更かとと控えめに口許に手を当てると、柘榴は堪え切れないように声を上げて笑った。


「まったく面白い女だ。あの時、解放するのではなかったな」

「あらあら。天下の水無月様が二の影に負けたとあっては、名折れではございませんか」

「それがあっても惜しい女よ」

「お褒めのお言葉と受け取っておきます」


 儀礼的に軽く頭を下げると、柘榴は軽く眉を上げて座椅子の背に凭れかかった。


「それで、今日は儂を説得に来たか」

「そうです、と申し上げたいところですが。言えば、お聞き入れくださいますか?」

「戯け」


 あっさりと突き放され、だと思いましたと息を吐く。


「まあ、説得すべきもほとんどないわけですしね」

「は。残虐非道と知られる儂を捕まえて、神の教えを説く神職が職務放棄か」

「別に聞きたいと仰せなら、説教なら致しますが。柘榴殿は古参の家臣に何の相談もなく事を推し進められるから反発を食らっておられるものの、民にとってはその英断が助けとなっているわけですし」


 どちらを優先すべきかは火を見るより明らかですしねと断言すると、柘榴は軽く眉を上げて脇息に肘を突いて斜めに眺めてくる。


「だからあの時、貴様を囲うと言ったのだ。そうして貴様が儂の言葉を訳して回れば、こんな状況にはなっておらんだろう」

「こんな状況、とご自覚があられるなら、多少は言葉の棘を減らされてはよかったのでは」

「儂がそれをすると思ってか」


 馬鹿馬鹿しそうに聞き返されるが、自慢できるところではないですよと苦笑する。そうして傲岸なところも受け流してしまう程度には気に入っていると自覚したなら、いつまでも本題を避けているわけにはいかないと意を決して柘榴を見据えた。


「敵に回った家臣団の数は、把握しておいででしょう。今からでも、そちらの説得ならば承りますが」

「ご親切なことだな。夫婦とはかくも似るものか」


 薄っすらと笑って皮肉がちに語尾を上げられ、初雪は思わず目を瞬かせた。


「龍征君が、そんな提案を?」


 取り繕うことを忘れて聞き返してしまうと、柘榴はくくっと喉の奥で笑った。


「ああ。“龍征君”はご親切にも、中でも師走と通じておる阿呆の名前まで調べ上げてから来おったぞ。貴様に関わらせるのが、よほど嫌と見える」

「……過保護な良人で」

「貴様の周りは過保護ばかりよな」


 今も影の目が痛いわと面白そうに笑われ、ちらりと背後に目をやる。普段であれば文字通り潜んでいるはずの薄氷は、柘榴と二人であるはずの部屋で最初からひっそりとそこにいる。


 以前、水無月邸に招かれて一月ほど監禁されていたのは、自分の家臣になれとの勧誘を受けてのことだった。丁重にお断り申し上げたが聞き入れられず、最初の半月は敬意を持って遇されていたが、残りの半月は脅しにかかられた。最後には家臣になるのが無理ならば側室にと襲われかけたが、それを未然に防いでくれたのが薄氷だ。


 本来であれば、両家に浚われる前に対処するのも容易だっただろう。だが実際に初雪の身に危険が迫ったと感じない限り手出しはせずに見守ってくれるように命じたせいで、薄氷はやきもきしながらも成り行きを見守ってくれていた。痺れを切らして助けに入ってくれた薄氷は、柘榴を完膚なきまでに叩きのめした後、ただただ無言で責めるように見下ろしてきたものだ。半刻ほど謝り倒してようやく溜飲を下げてもらった頃、柘榴も目を覚ました。


(薄氷が手練なのは知ってたけど、忍に負けるなんて柘榴殿も思ってなかっただろうな……)


 忍が得意とするのは、本来であれば暗殺の類だ。隙を衝いたり罠を仕掛けたり、それで勝つなら何の違和感もなく受け入れられる。それがまさか、無手同士とはいえ正面から遣り合って圧勝してしまおうとは。


 暦家当主の中でも水無月柘榴と言えば武で知られ、それによる恐怖政治を敷いているとされる。実態は幾らか違うのだがそう知られている以上、小暑の領主は最強でなくてはならない。たかが小娘の影一人に、正面切って戦って惨敗したとあっては沽券に関わる。よって互いになかったことにしようと手打ちにして小暑を離れたのが、数年前。以来、柘榴と直接会うことは少なかったけれど、席を同じくする時は決まって姿を見せて圧力をかけていたのも知っている。


 とはいえ立場的に、薄氷はいつ始末されていても不思議はなかった。相手は何と言っても暦家の当主だ、どれだけ理不尽であろうと如月に直接働きかけて薄氷を排除することも容易かったはずだ。勿論、そうなれば初雪も形振り構わず薄氷を守るべく動いた。後でどれほどの難題を吹っかけられようとも帝にも縋っただろうが、柘榴はそれをしなかった。寧ろ薄氷との再戦を希望するくらいで、二人纏めて小暑に来いと懲りずに勧誘してきた。


 今は、それが懐かしい──。


「貴様には、確かに先見の明があったということだな」


 ぽつりと唐突な呟きに、初雪は知らず伏せていた目を静かに開けて向かいに座している柘榴を見た。


 確か年齢的には、初雪の父である常夜くろと変わらない。けれど神経質で年相応な姿の常夜と比べ、柘榴は意欲に満ちていて粗野なほど精悍だ。見た目もぐっと若く、誇り高い野生の獣によく例えられたが、今はその強い目に僅かに影が差している。


水無月わしにつかずに正解だった」

「……夫婦揃っての申し出を、蹴られますか」

「げに面白いものを見せてもらった、儂はもう満足よ。裏切った者の始末は、儂がつける。それが筋であろう」


 影を宿してもまだ鋭い眼差しで裏切り者の末路を見据えているのだろう柘榴に、初雪も続ける言葉を失う。相手が帝や、若しくは他の暦家当主であればまだ伸ばせる手はあったかもしれない。けれど。


師走(あの阿呆)を相手に、貴様が負うものなどない。何を思って強気に出ることにしたかは知らんが、家臣を纏められなかった責を負うは儂よ。唯一つ、頼まれてはくれぬか」

「……出来得る限り」


 安請け合いをしてしまうには、彼女の背にはもう如月以外のものが乗っている。慎重にならざるを得なかった言葉にも柘榴はまるで褒めるように目を細め、出来得る限りと同じ前置きして続ける。


「儂が退いた後、──蛍を頼む」


 家臣になれと言われた時も、決して下げなかったのに。頼むと託したのは家でも嫡男でもなく、一心に彼を慕う一人の部下。嫡男よりも幼いその部下はあまりに柘榴に心酔していて、死んだ後にどんな暴挙に出るか想像に難くない。それを避けるためだけに、あの柘榴が頭を下げている。

 胸を打たれるよりも、つきりと痛む。もう、そうしなければならないところまで追い詰められている。逃れようのない未来は、現実として迫っている。


「如月の二として、叶う限りを尽くすとお約束します」

「頼む」


 ただの口約束に過ぎない初雪の答えにも、満足そうに柘榴は笑う。思わず不安になって眉を寄せると、柘榴は何故か面白そうに肩を震わせた。


「まるで断ったみたいな顔をするな。儂が疑わんのが不思議か」

「……ご賢察、恐れ入ります」

「は。貴様のお人好しなぞ、とうに知っておるわ。二の権限を我が為には振るわぬが、納得いかぬならとことんまで戦おう」

「きかん気の強い子供、と言われたようにしか聞こえませんが」


 幾らか不服に思って言い返すと、悪いことではあるまいにと面白そうに言われる。


「実際のところ、他の誰よりも貴様を信じておるよ。我を曲げぬのであれば、何れ貴様は儂と同じ道を辿るであろう」

「勝機もないのに無謀な賭けに出るほど愚かではない、と自負しておりますが」

「あれば別であろう?」


 まるで唆すように語尾を上げられてますます顔を顰めると、柘榴は遠慮なく声を上げて笑った。


「であれば、儂も貴様に確約してやろう。儂の死後、貴様が進退窮まったと思った時には必ず呼べ。何を置いても必ず助けてやろう」

「、それは、」


 柘榴が言わんとするところは分かる。けれどそれは自分が受けるべきものかと戸惑い、続ける言葉に迷って視線が揺れる。その間にゆっくりと身体を起こした柘榴が視界に入り、戯言だと笑うのを期待したように視線をやるのに。静かに笑った柘榴は、どこか煩わしそうに手を払った。


「下がれ。儂はまだ、やることがある」


 言いたいことだけを告げて、反論を聞く気はないと分かる横柄な態度。どこまでも自分の都合だけで話を進められ、初雪はさすがに苦く笑った。


「随分と手前勝手なのは、お変わりないご様子で」

「儂が我を曲げるなど、気味が悪かろう?」


 最後まで儂は儂よと、揶揄した初雪と同じ様子で返した柘榴は不遜な笑みがよく似合う。


 ああ、これが水無月柘榴という形なのだと納得して、間違った形で記憶しないよう真っ直ぐに見据え。名残を惜しむように、ゆっくりと頭を下げた。


「では、また。……何れ」

「ああ。何れ」


 精一杯の挨拶に笑うように軽く答えた柘榴は、もう初雪に一瞥もくれない。初雪も振り返らずに部屋を出た、それが柘榴との最後で、残すべき最後の記憶になった。

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