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一番相応しい軍使だったと自負しています

 師走に呼び出され、不承不承といった様子で全員が叶邸に集まったのは昼を過ぎた頃だった。東北風ならいと龍征が謁見の間に入った時は既に四人がそこに揃っていて、何故にすぐさま集まらないのかと睦月だけが憤慨していた。

 揃うも何もまだ一人いないではないかと誰かが言い出す前に、まるで見計らったように最後の師走が姿を見せた。


「ああ、皆、よく集まってくれた」


 まるで自分の邸に呼んだかのような態度だが、ここは清明で東北風が用意した邸だ。もはや突っ込むのも面倒で誰も口にはしないが、いい加減に鼻につく。平伏しているのも当然、睦月一人だけだ。

 師走はちらりと全員に視線を走らせたが笑顔を崩すことはなく、何事もなかったかのように上座に座してさてと話を切り出した。


「皆も知っての通り、相手方に布告状を出して五日が経つ。が、残念なことに今日まで何の音沙汰もない。集まってもらったのは他でもない、それを知らせるためだ」

「なんという恥知らずな! 通常であれば軍使を遣わし、布告の旨を了承したと応えるものを!」


 師走の言葉に乗って声を荒らげる睦月のせいで余計に場の空気は白けているが、このまま二人に茶番を続けさせては精神が疲弊すると思ったのか、長月が溜め息交じりに口を開いた。


「我らにしても、布告を出すほどの戦とは長く縁がないだろう。如月の二がその我らより戦の仕来りに長じておられるとも思えぬ、それで返答がないと騒ぐのも如何なものか」

「何を温いことを! 仮に二が物知らずであろうと、」

「睦月。霜月の前だ」


 言葉は慎重に選ぶといいと諌めたのは師走で、咄嗟に剣に手をかけた龍征を見てすまんなと謝罪までしてくる。睦月はどうにか口を閉じ、師走に習って小さく頭を下げることで謝罪に変えると決まり悪げにしたまま長月を見据えた。


「仮に二が知らずとも、周りが諭すべきであろう。布告状に何の返答もないとは、無礼千万だっ」

「布告の仕来りなど、武家が勝手に始めた戦場のみでの決まり事よ。長月が言ったように長く戦のない今の世で絶対に必要なことなどない、こちらが布告したという事実があればあちらの出方がどうでも同じではないか」


 面倒そうにあしらう葉月も、くだらないと言いたげな顔をしている文月も、これで話を切り上げたがっているのが分かる。返答の軍使が来ない理由など、初雪ましろの為人を知らずとも神職であれば慈悲深かろうとの想像だけで見当がつくからだろう。この場で本気で憤慨しているのはだから睦月だけで、師走さえこのやり取りの詮無さを知っている。ただ自分の都合のいいように話を運ぶべく、青い睦月を煽っているだけだ。


(下衆が)


 今にも口にしそうになる感想を苦労して呑み込む龍征を他所に、まだ熱くがなりそうな睦月を軽く手で制したのは師走。ここから独壇場が始まる合図に他ならず、あまり隠す気もなく当主たちが苦い顔をするが師走は素知らぬ顔で立ち上がり、ぐるりと見回す。


「霜月の奥方が戦の作法を知らぬのは無理もない、だが睦月が言うように周りが諭すも道理。儂が思うに、どの暦家当主もきっと進言しているのだろう。ただ残念ながら今もって軍使がないというのは、霜月の奥方がそれを聞き入れていない証左と思うが、どうか」

「成る程、一理あろう。だが、五日やそこらで結論を出すのも早計ではないか」

「では、何日待つ? 十日か、二十日か? 開戦までの日限は一月しかないのに、そんなに待つか」

「そもそも、日を変えるという返答の可能性もあろう」

「そうだな。しかしその場合、もっと早くに返答すべきではないか」


 まるで子供に言い聞かせるように語尾を上げる師走に、反論していた文月も苦い顔をして黙る。それを見てそうだろうとばかりに大きく頷いた師走は、悲しいことだがと芝居がかって頭を振った。


「今日まで待って返答がなかったということは、霜月の奥方は戦の作法に則る気がないのだと、」

「ああ、なら間に合ったな」


 今日ならいいんだろうと語尾を上げたのは龍征で、全員の視線が集中する。演技ではなく驚いた顔を見せる師走に僅かに溜飲を下げて龍征が唇の端を持ち上げると、はっとして睦月が立ち上がった。


「まるで今日にも軍使が来るとでも言いたげだなっ。何を知っているっ」

「お前が知らないことを」


 寧ろお前に知っていることのほうが少なかろうがなと肩を竦めると、失笑が起きる。顔を真っ赤にして噛みついてきそうな睦月を、よせと笑顔を消した師走が止めた。


「霜月の、何か知っているのなら教えてくれんか。儂には知り得ぬことを、知っているのなら」

「勿論、全員に伝えるつもりだ──初雪の返答をな。そのためにここに来た」

「な……、何をいきなり言い出すのかっ。常永様を差し置いて、そちらに軍使が来たとでも!?」

「睦月殿。ここは小寒ではなく清明、なれどこちらの叶邸でなく我が邸に遣いが来るのがおかしいと仰せになりたいか」


 舐められたものだと東北風が声を低めると、ようやく自分の失言に気づいた睦月がいやしかしと途端に口篭っている。師走は煩げに睦月を一瞥して東北風に視線を変え、僅かに眉を寄せた。


「確かに弥生邸に遣いが行くは道理、しかしそれに対する報告がないのはどういう了見か」

「さて。実のところ私にも初耳でして」


 筋道としての話をしたに過ぎませんと涼しい顔で受け流す東北風に一瞬だけ顔を顰めた師走は、怖いくらいの無表情で龍征を見据えてくる。笑顔の仮面を剥ぐのは存外簡単だったぞと内心で初雪に笑い、見下ろしてくる師走を見上げた。


「霜月に直接返答が来た、ということか。ならば何故今まで黙っていたか、説明してもらおう」

「何故今まで、の問いに答えるのは簡単だ。初雪の手に布告状が渡ったのが二日前、俺の手に初雪の文が届いたのがさっきだからな」

「清明から啓蟄に布告状を届けるのに、三日もかかると? 儂の部下はそれほど無能であったかな」


 事実かどうかを確認するように自分の背後に控えている石蕗に視線を向けた師走は、腹心がまさかとばかりに頭を振ったのを確認して向き直ってくる。龍征もそれを確認し、如月の部下を褒めろと語尾を上げる。


「啓蟄から小暑まで、二日で文を回せたのは如月配下の優秀さがあってこそだろう」


 でなければ俺の手にもまだ文は届いてないはずだと肩を竦めてみせると、師走の顔がひくりと引き攣った。


「既に小暑に移動している、と?」

「多分にこちらが清明に移動する頃には、同じく移動していただろうな。場所に見当がついているなら、さっさと向かっていても不思議なかろう」

「っ、霜月殿が情報を流されたか!」


 裏切り者とでも言いたげに睦月が噛みついてくるが、龍征ははっと鼻先で笑い飛ばす。


「確か俺たちはまだ、どこで決戦かも聞いていなかったはずだな? 粗方ここだろうと、予測をつけるくらいはしているだけで。それを相手がしていないと思うほど侮っているのが、そもそもの間違いだ」


 自分の迂闊の責任を押しつけてくるなと突き放し、それにと言葉を重ねる。


「どうにも理解が足りていないようだから繰り返す、俺は初雪と敵対はしない。生命のやり取りをする気のない相手と文のやり取りをしたところで咎められる謂れはない、ましてや相手は自分の奥だぞ」


 師走が嫌味なほど繰り返しているのに、知らなかったとは言わせない。睦月だけが懲りもせず悪態を探しているようだが、周りの当主たちは面白そうに成り行きを見守っている。

 それに気づかないはずもない師走は静かに深呼吸をして思考を整えたのか、じっと龍征を見据えて口を開く。


「成る程、霜月にとっては奥方だ。しかしなればこそ、彼女を庇うために軍使などと言い出したのではなかろうな」


 気持ちは分かるがやりすぎだと、僅かに口の端を歪めた師走に鼻で笑う。


「頼まれもしないでお膳立てするほど、俺は初雪がこの戦に臨むのを是としていない。だが文があったことを俺が黙っているせいで、物知らず扱いされるも業腹でな。俺が迎えた女を規格外と嘆いていいのは俺だけだ、他人に愚弄されて黙っていられるか」

「っ、だが霜月が伝える言葉を、どうやって奥方本人の物だと判じられる」


 文を出すくらいはしてもらおうと言を重ねる師走に、龍征は冗談だろうと笑う。


「夫婦の間で交わされる文を披露しろなど、野暮にも程がある」

「では、どうやって判じろと!」

「さてね。俺はただ、初雪の言葉を伝えるのみだ」


 後は好きにしろと噛みついてくる睦月をあしらった龍征は、できる反論を準備しているのだろう師走に真っ直ぐ指を突きつけ、文にあったままを口にする。


「委細承知。師走常永、受けて立つ!」


 たったそれだけ。多くを語らず不遜、如月の二として接する機会のあった当主たちならば、それが誰の言動か想像に難くないだろう。


 しんと水を打ったように静かになった後、ぶはっと耐え切れなさそうに吹き出してそのまま呵呵と笑い出したのは葉月。つられたように長月や弥生も小さく笑い、文月は笑ったことを誤魔化すように顔を取り繕っている。


「それぞ二姫よな! 儂はそれが二姫の返答として受けるに異存はないぞ」

「私も同意します。如月の二以外に、その返答を考えつかれるとは思えません」

「愚弄するつもりはないが、規格外の言葉には大いに賛同せざるを得まい。如月の二の返答として、文月も受け入れよう」

「弥生家としても異論はありません。霜月殿ができれば伏せたかった理由も推して知るべし、ですしね」


 龍征を除いた六人中、四人が認めるといえば後の二人が否定したところで意味はない。非常識だ! と睦月は顔を真っ赤にして騒いでいるが、ここで折れないほど師走も馬鹿ではない。右の瞼が細かく震えているようだが、隠すようにぐっと押さえると手を離した時にはいつものような笑顔を浮かべている。


「皆が認めるものを退けるわけにもいくまい。これをして相手からの返答と認めよう。霜月、軍使の役目、ご苦労だった」

「なに、俺の奥のことだからな」


 気にするなと師走の労いを跳ね除ければ、辛うじて浮かんでいた師走の笑顔が罅割れた。はっ、ざまあみろ。

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