密かに怒り心頭に発しています
湧き上がった鬨の声に押されるようにして霜月が引き上げていくのを確認し、追わないのかと初雪に声をかけたのは卯月陽炎。未だ男子継承が根強い中、唯一女性でありながら跡目を継いだ卯月家の当主は何かと初雪を気にかけてくれる。今回陣営を決めたのも戦力差や勝利後の配分を考えたなどではなく、ただこちらに初雪がいたからという理由だけだと雷鳴は踏んでいる。
(如月の二信仰は未だ根強いってのはあるけど、あの人に限っては単なる初雪好きだよな)
陽炎は実際に槍を振り回して戦えるだけの体躯に恵まれているが、それも込みで逞しく美しい。か弱いや可愛らしいという単語からは遠いところにいるが、初雪がそこがかっこいいんじゃないと主張するように、家のことなど抜きで求婚する男が後を絶たないのもまた事実だ。
とはいえ当人にしてみれば、小さく可愛らしいほうが理想だというのも理解できる。ないもの強請りは世の常だ。しかし自分がなれないならと言って、極端にそれの保護に走るのは理解しかねる。
(しかも相手は初雪だぞ。あれが単に小さく可愛らしい……?)
身内の贔屓目を抜きにしても、可愛い内には入るのだろう。しかし世間的に小さく可愛い女性は、間違っても戦争の旗頭にはならない。なった時点で条件からは外れる、少なくとも雷鳴の認識では絶対的にそうだ。確かにその決断にに至るまで、初雪にも色々あった。それは見て聞いて知っているが、だからといって嫁ぎ先と一時訣別してまでも戦争に参加するのが淑女のありようだとは認めない。
とはいえその認識はどうやら陽炎の同意は得られないらしく、彼女は心配そうに初雪を伺っている。
「初雪が言うなら、今からでも霜月の参加は認めるぞ。逆らう奴などどうせいないだろうが、いても私が黙らせてやる」
「陽ちゃんの気持ちは嬉しいけど、もう十回くらい同じ議論したよね?」
お互いに納得してるから大丈夫と笑う初雪の後ろに、納得はしていない! と悲鳴を上げそうな義兄の姿なら見える気がする。ただ最終的に折れてしまった以上、初雪としては納得してもらったという認識なのだろう。
(龍征さんが胃の腑を壊したら、確実に初雪のせいだと思う)
養生してほしいと本気で心配する雷鳴に負けず劣らず、陽炎も初雪を案じている。
「それならせめて、もう少し別れを惜しんできたらどうだ? その、あー……、せ、せせせせせせ接吻くらいしてきても見ない振りをするぞっ」
初雪より年上のはずの陽炎が盛大に照れながらも口にしたそれに、側で聞いていた若葉頼国の肩がぴくっと震える。哀れな、と思わず心中に同情するのは雷鳴だけではないはずだ。
若葉は皐月に仕える家臣の一で、皐月と如月は友好関係にあるため昔から親交があった。雷鳴や頼国の兄である頼広、彼らの乳兄弟である高砂玄夜も含めて幼馴染と呼べる存在で、初雪以外の全員は頼国が誰に思いを寄せているのか知っていた。それでもぐずぐずと行動に移せず、結果ぽっと出の龍征に先を越された経緯も知っている身としては直視できない。
(まぁ、国も卯月さんと一緒で、初雪がいるってだけでこっちについた口だからなぁ……)
未練がましいと笑う気になれないのは、子供の頃からの一途な思いを知っているからだが。こうして何度も傷を抉られると分かっているなら、敵側についたところで誰も責めないのにと思わずにいられない。しかも当の思われ人は一切気づいてないのだから、報われないにも程がある。
今回もまた頼国の小さな反応に気づいた様子もない初雪は、震えるほど照れている陽炎にだけ苦笑を向けて応えている。
「お心遣いは有難いけど、人前でそんなことしないからね」
「そ、ういうものか」
「うん。陽ちゃんも、どれだけ誰かに夢中になっても人目は忍んだほうがいいと思うよ」
見る側もきついからねと突っ込んでいる初雪に、聞かされるだけでもきつい人間が後ろで死にたい気分になってますけどー、と言いたいところを無理やり呑み込む。本人が黙って耐えるなら、野暮を口にしないのも友情だろう。
(嗜虐趣味か。は突っ込まないのが優しさか……)
臣下でもある玄夜が慰めるように肩を叩いているのは見ない振りをして考えていると、相変わらず可愛いもの大好き熱を抑えられない陽炎が可哀想にと初雪を抱き寄せた。
「しばらく会えくなるというのに、初雪はこんなにも毅然と耐えようというのか……っ。私の胸でよければいつでも貸す、霜月と思って甘えてくれて構わんぞっ」
「龍征君の胸はこんなに大きくも柔らかくもないけど、ありがとう」
陽ちゃんは優しいねと呟く初雪の声が、くぐもって聞こえる。初雪も低いほうではないが、陽炎が抱き寄せると本当に頭が胸に埋もれているからだ。男としては何とも羨ましい死因ではあるのだろうが、このままでは本気で窒息すると微かに苦しんでいる姉を見かねて口を出す。
「卯月さん、もうその辺で。初雪が死にます」
「っ、すまない! 大丈夫か、生きているか!? 私が迂闊だったせいで、可愛い初雪を苦しませてしまうなんて……っ」
腹を掻っ捌いて詫びると本気で抜刀しかねない陽炎に、落ち着いてと初雪が軽く腕を叩いて宥めている。
「どうせ散らすつもりの生命なら、師走との戦いにとっておいて」
「! その通りだなっ。分かった、私が必ず初雪の盾となり剣となり、師走を引き裂いてくれよう!」
非情にも思える初雪の言葉に何故か目を輝かせて陽炎が請け負っているが、ふざけるなと地の底から響くような声が水を差した。
「師走常永を八つ裂きにするのは、私の剣だ……っ」
それだけは誰にも譲らないと暗い火を灯した眼差しで睨みつけるのは、狭霧槙也。今は亡き神無月要に従っていた家臣だったが、唯一の主と仰いでいた神無月が師走の凶刃に倒れてからは立冬を辞して復讐するためだけに生き繋いでいる。ここに至るまでに長い時間はかかったが、ようやく最近になって落ち着いてきたと思っていたのに。
(師走を殺す、はどこまでも槙也を支える情熱か)
それさえ為せば死んでもいいという烈しさは、槙也自身を蝕んでいく気がして眉を顰めた。
最初は雷鳴も神無月やそれに随する槙也にいい感情は持っていなかったが、未だ馬鹿みたいに神無月だけを仰ぐ真っ直ぐさを嫌いきれずにいる。そもそも初雪は最初から槙也を恨む気はなかったようで、復讐に取りつかれて身を滅ぼしかねなかった彼を拾い上げたのも初雪だ。今回師走と全面対決する覚悟を決めた理由の一端になるほどには、気にかけているはず。
この状態の槙也をどう思っているのかとちらりと姉を窺えば、彼女はにっこりと笑って槙ちゃんと声を低めた。
「陽ちゃんに剣を向けた日には、私が師走さんを呪い殺すからね」
弁えてと笑顔のままぼそりと告げた初雪のそれで、槙也はびくりと身体を震わせた。決して呪い殺すという言葉を信じたのではなく、初雪を怒らせると怖いことを身に染みて知っているのだろう。
今にも抜きかねない様子で柄にかけていた手をそっと外し、ぎこちなく初雪から目を逸らしながら小さく舌打ちしている。
「槙と呼ぶな」
いつものやり取りを口にしたのは、素直になれない槙也の精一杯の謝罪だろう。初雪もくすりと笑ってそれを受け入れ、そわりとこちらを窺っている全員に向けてぱんと手を打ち鳴らした。
「さ、とりあえずこんなところにずっと固まって、狙い打ちにされるのも御免だし。顔合わせも済んだなら解散しようか」
宣戦布告まではのんびり過ごしてと促す初雪は、戦に臨むというよりは祭りの準備にでも取り掛かるくらいの気安さだ。けれどそれを不安に思うものはこちらの陣営には一人もないらしく、応! と声を揃えた集団は三々五々と散っていく。
「……今更だけど、あいつら絶対如月の名前に洗脳されてる気がする」
「すごいね、雷鳴。いつの間にそんな妖術が使えるようになったの」
「使えるのはお前だろ、確実に」
無自覚かよと覚えた恐怖のままに突っ込むと、初雪は軽く眉を上げて少し笑った。
「そんな器用なことができるなら、私は戦争なんて起こしてないよ」
ただ師走さんに死ねって言えばすむ話じゃないと綺麗な笑顔で言う初雪に、残っていた面々がぎょっとする。雷鳴は見慣れた初雪の様子に頭の後ろをかき、お怒り心頭でと口の中に呟く。
「何でその怒りが神無月さんじゃなくて、師走さんに向いたかねぇ」
「神無月さんは愚かだったけど、馬鹿ではなかったので」
槙ちゃんを見れば分かるでしょうと肩を竦めた初雪の言葉に、槙也は心底複雑そうな顔をする。その隣でつまらなさそうに口を尖らせたのは、金谷蛍。
「そういうどうでもいい話はもうどうでもいいからさぁ、戦わないなら帰ろうよー、姫様」
俺もう飽きたと本気で飽き飽きしたように言う蛍に、初雪もそうでしたと大きく頷く。
「帰ろう帰ろう。それでご飯でも食べよう」
腹が減っては戦はできないからねーと軽く言う姉に、お前が言うと洒落にならんの突っ込みは苦労して呑み込んでおいた。