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得難いものを得られる僥倖もありました

 如月の別邸で後継教育が始まって、一年半が過ぎた。最初は初雪ましろの敵と身構えてもいたが、これだけ同じ時間を過ごしていれば嫌でも慣れる。馴染む。奇しくも自分で宣言した通り、ただ友人を作りに来たような状態だ。


(二年も同じものを食べて同じ教育を受けて同じ時間を過ごしたら、まあ、よっぽど生まれついての相性が悪いとかでもない限り親しくはなるよな……)


 だからこそ、各家は受けに行く先と期間を慎重に選ぶ。擦り寄りたい相手の後継と同じ時期を狙ったり、反発し合う家の後継と期間が重ならないように調整するのだ。今回皐月が如月を教育先に選んだのは、同時期に神無月の後継が豊原で受けると決めたからだろう。あまり神無月と近寄らせたくなかったのと、どちらかといえば如月と縁を結びたがったが故の選択だ。


(そもそも後継教育って、豊原と如月でしか受けられないからなあ)


 如月の二は、暦家のどの当主よりも帝に接する機会が遥かに多い。何より儀式を取り仕切るにはすべての行程を叩き込む必要があるし、神職としての知識も誰より深くなければならない。その二を代々擁してきた如月には、独自の教育機関が整っている。内環うちのわで受けるのと遜色ない──どころかより深い知識を得られるため、信仰心の強い者や二との繋がりを持ちたい家は豊原ではなく如月に頼んでくることも多かった。


「しかし如月に依頼した者の中でも二が直々に教えるなんて、前例になかったんじゃないか」


 初雪が授業の最中に東風に呼ばれて席を外したせいで、暇を持て余した様子の風炎かぜのおが何気ない様子で呟く。そうなのですかと頼国が目を瞬かせ、それはそうなんじゃないのと玄夜が頬を引き攣らせた。


「二だよ、あの如月の二だよ。姫さんが特例なんであって、それまでの二は内環にいることも多かったはずだし」

「そのほうが、帝が呼ばれた時に連絡もつきやすいだろうしね」


 如月の二が己で管理する神社かみやしろを持たないのは水穂の人間であれば誰もが承知の事実だが、内環で唯一帝が直々に治められる神社があり、二は元々そこの宮司とされている。だから今までも帝の即位を取り仕切った二は、大体がそこに常駐していたという。


「でも叔父上も初雪も、大体外環(そとのわ)にいるけど?」


 如月の邸からも滅多と出ない曇天すみは当然、あまり居つかない初雪にしてもふらふらと外環を巡っているという印象だ。時々邸に戻ってきては、その都度訪れた場所についての話をしてくれる。おかげで雷鳴こがねは自分の足で巡らずとも、各地についてそこそこ知った気でいる。


(まあ、これに関してはあんまり褒められたことじゃないから言えないけど)


 初雪本人としては、単に各地で民との交流を楽しんでいるだけだ。勿論そこで見聞きしたことは記憶に残るだろうし、何か気にかかることがあれば即座に対処するせいであまり隠密とも言えないが。それでも二と知ってか知らずかそこに住む人たちもふらりと訪れる初雪を歓迎してくれているなら、好きにさせてやりなさいとあさぎも苦笑した。

 とはいえその行為が、他家から見て偵察のように見えるのも事実だろう。如月の二はいつであろうと自分の意思で、帝の意思で、気安く拝謁が叶う。昊や雷鳴に報告してくれるように、帝にも逐一報告しているのでは、と穿った見方をする者がいても不思議ではない。


(そんなに言うほど会いに行かないから、帝は如月の二を厭うんだって昊が言ってたけど。これも言ったら駄目なやつ)


 兄弟にも近く親交を持ったところで、言えない秘密は多い。この場にいる四人のことは信用できても、その後ろにいる誰が敵に回るか分からないから用心する程度は言い聞かされなくても分かっている。雷鳴がそうするように、この四人だって“如月雷鳴”に言えないことは多いだろう。寂しいと思う反面、迂闊なことを口にしなければ何かが起きた時に疑う必要はなくなる。こうした配慮はこの先も親交を途切れさせたくないと思えば、気遣いの範囲だろう。


「まあ、規格外だろうなーとは思うけど、俺としてはとっつき難い神官よりは今の姫さんのほうがいいけどな」

「というか、あれは本当に神職か。俺たちの教師を努めるほどに知識が深いのは認めるが、言葉の端々に不信心が見える気がするぞ」

「不信心、というわけでは……、」


 ないのではないですかね、と語尾が薄らいでいく頼広は、疑問を口にした風炎から目を逸らしている。お前らは感じてないのかと大仰に驚いた仕種で聞き返され、頼広以外も目を逸らしていく。


「初雪のあれは信仰心がないんじゃなくて、宗教を馬鹿にしてるだけだけど」


 昊が言ってたから間違いないはずと雷鳴が口を挟むと、今聞いてはならないことを聞いた気がするよと頼広が悲鳴じみて諌めてくる。


「え、何が」

「何と言って、神職の最高位にあられる方が宗教を馬鹿にとは、」

「言っておくけど、信仰と宗教は別だからね。私が馬鹿にしているのは宗教です」


 存在を認めてはいけない類のものだと断言しながら部屋に入ってくる初雪に、雷鳴以外の四人は何故か無意味に周りを見渡して口を開閉させている。どうやら他人の目を気にしているようだが、そもそもこの如月の別邸で彼ら以外の耳目の介在は有り得ない。


(薄氷もさっさと修行を制覇して専任になって戻ったし、蓬もまだここで務めてるはずだしな)


 如月が有する忍の優秀さは飛び抜けている、中でも一二を争う専任が揃っている以上、ここは世界で一番安全な場所だ。それに、先にも述べた通り他家に洩れて困る話はしていない。


「お前、ちょ、少しは言葉を慎めっ。俺たちが密告したら立場がなくなるんだぞっ」

「密告はされないって信じてるし、されたところでなくす立場もないけど」


 如月の二という形に拘っていないというのも然ることながら、実際に宗教の批判をしたところで帝もそれ以外の誰かも責めるようなことではない、というのが初雪の信条だ。そもそも信仰とは自由なものなのに、宗教という形を取るせいで神職以外の民が虐げられるのだと憤慨してやまない。


「神職というのは、神の教えを説く以外のことをしてはならないの、本当は。それがどうして神社の新たな建設だの神像を増やすだの、持たざる者から搾り取るような真似をするのか」

「……その言い方だと、持つ者から搾り取るのはよさそうだな」

「当然でしょう。持ってる人が自分のお金を何に使おうと自由でしょうよ」

「しかし持たざる者であっても、徳を積むために喜捨をするのではありませんか」


 風炎の横からそろりと挙手しながら尋ねた頼国に、それは構いませんと初雪はいっそ簡単に頷く。


「けどその喜捨されたものを自分の懐に入れる馬鹿が神職を名乗るような宗教の形態なぞ、瓦解してしまえ。としか言いようないよね」


 それを滅したいのと穏やかならざることを口にする初雪に、風炎と頼広は痛そうに額を押さえる。頼国は成る程仰る通りですねと目を輝かせ、玄夜は声にならないほど笑い転げている。この反応の違いよと雷鳴が遠い目をして眺めていると、とにかく! と風炎が声を張った。


「お前の言い分は深く聞かんと意図が伝わらん、そうである以上は容易く口にしないように努めるべきだ!」


 仮にも神職だろうと指を突きつける風炎に、初雪は少し目を瞠った後、恭しく胸に手を当てて一礼した。


「風炎様の仰せの通りに」

「茶化すな!」

「ごめんごめん。初めて会った時は女だ子供だと馬鹿にしてたのに、心配してもらえる程度の仲にはなったんだと思うと感慨深くて」

「っ、俺はお前のそういうところが嫌いだ!!」


 真っ赤になって噛みつく風炎に、初雪は楽しそうに声にして笑う。


 雷鳴が合流したすぐ後は、風炎の態度はあまり感心できたものではなかった。家に帰されて頼広たちに危害が及ぶのは避けたいが、所詮子供に学ぶことなどないと言いたげな態度はあからさまだった。けれど日が経つにつれ、どんな範囲の質問にも詰まるところなく答え、教え、他の誰かに頼るでもなく本当にすべての教師を務める初雪に見る目が変っていくのも如実だった。


(初雪はすごい)


 心の底から自慢に思う、けれど同時にじくりと胸の奥が痛む時がある。


 家族だという贔屓目を抜きにしても、昊も初雪も恐ろしいほど優秀だ。二人とも今の雷鳴の年にはとっくに承認されていた、三である雷鳴に急ぐ必要がなかったと言ってしまえばそれまでだが、どうしても比べてしまうのは仕方ないだろう。


(兄様も初雪も、努力して今があるのは知ってる。けど。この二人さえいたら如月は安泰だ──俺なんか、いらないくらいに)


 出来が違う。


 口さがない者の声は最初から大きいのに、どうして皆ああも聞こえるように囁くのか。目が合えば気まずそうに顔を逸らして逃げていくなら、最初から聞こえないように努めればいい。聞こえてもいいと思っているなら、面と向かって言いに来ればいい。どちらもできないと思うなら口を噤め、雷鳴が彼らに対してそうしているように。


(俺が出来ることをしてないくせに、よく出来が違うとか言うよ)


 じゃあそちらの出来はどうですかと、いっそ子供らしい無邪気な笑みを浮かべて聞き返してやろうかと思うことはしばしばだが。あれは悪い見本だと肩を痛いほど強く捕まえて昊が頭を振る先にはいつも、雷鳴が考えたような対応で大人を蹴散らす初雪の姿があった。思うに雷鳴が描いた対応は、初雪を参考にしているのだろう。猛省せねば。


「何か今、猛烈に腹が立った気がする」


 そして不穏の在り処はここだと低い声が聞こえた時には、両方のこめかみが痛い。ぐりぐりと容赦なく両の拳で抉ってくる初雪に、横暴だ! と悲鳴を上げる。


「何だよ、腹が立った気がするって理由!」

「違う、猛烈に腹が立った気がする」

「どっちでもいいけど、実際に腹が立った時に原因を攻撃しろよ!」

「だから、気がする時は弟に八つ当たりで我慢してるんじゃない。というか腹立たしいことを考えてたよね、今」


 許し難いと手を緩めない初雪の声は、大分本気だ。時々この姉は、本気で人の心が読めるのではないかと思う。雷鳴が一人でぐるぐるしている時は特に、こういった言いがかりをつけて構ってくるように思う。


(嫌う余地くらい残せよ!!)


 昊にしても初雪にしても、いっそ気持ち悪いくらい大人びていて既に如月内外の大人とも渡り合っている。だというのに雷鳴と三人でいる時は馬鹿みたいに子供っぽくて、ただの幼子でしかない雷鳴と変わらない馬鹿をする。如月の後継や、如月の二しか知らない連中であれば到底信じないだろう幼稚な悪戯もする。本気で乳母に叱られ、時にはお尻も叩かれるのに、思い出したり想像しただけでけらけらと笑い転げられる。


 ただの、どこにでもいる兄弟みたいに。


 追いつきたいとか、追い越したいとか、面倒臭いことはしたくない。嫌わせてくれれば自分とは違うのだからと、卑屈になって目も背けられる。なのに二人が唯一本音を出せるのは弟の前でだけなんて、そんな特権を与えられたら困る。なんて容赦のない教育法なのか。


 泣きそうになったのはきっと、未だ攻撃されているこめかみが痛いから。無理やり振り払ってどうにか逃げ、実際に涙が浮かぶ目で初雪を睨む。


「っ、ちょっとは加減しろよ!」

「残念でした。如月の三に生まれた我が身を呪って」


 八つ当たりの対象になることか、落ち込むことも許してくれない厳しさか。どちらとも取れる調子で笑う初雪に、鬼だ鬼がいると引き気味に呟く風炎に今度は興味が移っている。


「それで、何か落ち込むのは終了かい?」

「っ、」


 何の話かと尋ね返すには、声が裏返る自信がある。問いかけてきた相手に目を向けて口を開閉させると、頼広は穏やかに笑った。


「一応これでも、弟を沢山持つ身だからね。分かるよ」

「? 兄上の弟は、俺だけではないですか」


 何の話をされているんですかと本気で分からなさそうに首を捻る頼国に、まぁまぁ若はちょっと黙っとこうかと弟その二が気を逸らしている。弟その三は雷鳴の姉とやり合うのが忙しく、こちらにまで気は回っていない。成る程、自分はその四くらいには入っているのかと気づいて口を曲げながら目を逸らし、突き放そうかどうかを迷う。


(でもどうせ、それさえ筒抜けなんだろ)


 思うと悔しいやら気恥ずかしいやらで、そうですと吐き捨てると軽く目を瞠られたのが分かる。雷鳴の年頃なら突っ撥ねるのが普通なのだろう、少しは意表がつけたろうか。


「落ち込む暇もないくらい、賑やかなので」


 ちょっと静かにさせてもらえませんかと視線で周りを示すと、頼広はははっと息が抜けたみたいに笑って肩を震わせながら頭を振る。


「それはちょっと、人間には無理な所業だなあ」

「じゃあちょっと頑張れよ、神様」

「それは初雪嬢に伝えてもらうといい」


 できないことだらけの兄で悪いねと笑う頼広はあんまり楽しそうで、まったくですと頷いた雷鳴も吹き出した。


 実の兄姉きょうだいしか知らない雷鳴にとっては、同じほど気を許してもいい相手を与えてくれたこの期間がどれだけ貴重か分からない。懲りもせず初雪と言い合う風炎も、隙あらば初雪に加勢する頼国も、主人の純情をからかう玄夜も、それらすべてを優しく見守る頼広も。きっと長じても兄弟のように思える、そのためならなりもしない後継教育を受けた意味はあると思いたい。

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