忍も事情も人それぞれ、にございます
「雷鳴」
やっと見つけたとばかりに声をかけられ、中庭から自室に戻るところだった雷鳴は短い階を上がりながら駆けつけてくる頼国に顔を向けた。後ろから燭台を持った玄夜がついているが、頼国が先先に歩いているせいで彼に火を供するという意味ではあまりなさそうだ。
年月だけ重ねたところでこいつらの関係性はよく分からんなと心中に感心しながら、これはお揃いでと答える。玄夜に先行すること十歩、雷鳴の側まで辿り着いた頼国に軽く首を傾げることで先を促す。いつもならそこでわっと話が始まるはずだが、今日は何やら口篭っているのを見て自分の後ろを確認する。
「私でしたらお気になさらず、ただの影です」
言いながら燭台を雷鳴のほうに突き出して闇に潜むのは、追儺。目を凝らせばそこにいるのは見つけられそうなものなのに、影を名乗るだけあって本当に見えなくなるのはいつもながらどうやっているかよく分からない。頼国は驚いた様子こそないが慌てたようで、いや違うと急いで首を振っている。
「影殿の耳目を気にしたわけではない、俺の言葉が足りずに申し訳ないっ」
「影に殿はつけなくていい。呼ぶなら追儺な。追儺、お前も出てこいって」
「確かに現状だと、燭台が浮いてるみたいで気持ち悪い」
けらけらと笑いながら突っ込むのは玄夜で、あらそうですかと真に受けた追儺がひょいと姿を現す。薄氷との差、と思わず呟きたくなるくらい影とは何かと問いたくなる口数だ。
「とりあえず、お部屋にご案内しては如何ですか。誰かの耳目は気にしておられるようですし」
「そうそう、大事ーな姫さんのなー」
追儺の勧めに乗っかって玄夜が語尾を延ばすと、頼国は無言で従者の腹を肘で突いた。ぐふっと息を吐いてそのまま蹲っているあたり、しっかり鳩尾に入ったのだろう。
「仲良しか」
思わずしみじみと噛み締めるが、冗談ではないと頼国が顔を顰めた。
「こやつは初雪殿のこととなると鬱陶しい」
「へー。俺は姫さんとしか言ってませんけどねー」
初雪殿のことだったのかーとわざとらしく棒読みで感心する玄夜は、未だ立ち上がれてはいない。それでもからかうのだから、従者にしてはいい根性だ。
「え、羨ましいです? 私もあれを享受すべきですか」
「やめろ。欠片も羨ましくないし、お前の腹筋を攻撃するほうが痛そうだ」
「あー、私も忍の端くれですから鍛えてますしね」
鍛錬を拒否したほうがいいですかと目を輝かせて訪ねてくる追儺に、頭領に言いつけるぞとぼそりと警告すると燭台を差し出したまままた闇に潜まれる。自分の職分を思い出すのはいいことだ。
蹲ったまま顔だけ上げてやり取りを眺めていた玄夜は、どこか同情したような目つきになっている。
「俺が言うのもあれだけど、そっちのほうが仲がよろしそうで」
「ねー、息ぴったりー」
「黙れ影」
薄氷を見習えと思わず声を尖らせると、おどけて舌を出した追儺はそのまま口を噤む。けれど一応役目を忘れていない証拠のように、頼国たちを案内すべく歩き出す。
「悪いな、気にしないでくれ。追儺はまだ影になって日が浅いんだ」
「そうなのか? いやだが、影になっての日数はあまり関係ないだろう。玄夜は会ってからずっとこうだぞ」
「そんな褒めるなよう、若ー」
「そういった態度を改めろと兄上にも言われてるだろう、お前」
「でも一応、俺が仕えてるのはあんただから」
だからいいんだってと頷く玄夜に、俺もいいと言った覚えはないがと頼国が顔を顰める。追儺について歩きながらやり取りを眺めていた雷鳴は、思わずまじまじと二人を眺めた。
「待て、玄夜は影なのか? 国の!?」
「何だろう、その今更な反応。あんたと初めて会った時には、もう若の影だったけど。つか、若とも会う前から決められてたことだし」
なーと、従者はおろか影としては信じられない気安い態度で頼国に話を振る玄夜を、今まで以上に信じられないものを見る目で見る。察した様子で頼国は深く頷き、重く肩を叩いてきた。
「俺も未だ信じられん。というか、信じたくない」
「おーう。とりあえず影の認識を改めるわ……」
苦労してんのなとしみじみと噛み締めて同じように肩を叩くと、同情の眼差しを交わして頷き合う。影二人も失礼な主だと肩を竦め合っているが、どう考えても同情されるべきは雷鳴たちのほうだ。
とりあえずこの衝撃はいずれ初雪にも押しつけてやると決めながら、辿り着いた自室に二人を促す。手にしていた燭台をそっと置いて部屋には入らない追儺は、黙って襖を閉めて回った。最後の一枚を締める時に軽く一礼して外に控えたのを見届け、適当に座ってくれと勧めて自分の座につく。
「一応あれでも薄氷に次ぐ影だ、ここなら好きに話せるぞ」
「手数をかけて申し訳ない」
「暦家として招くと、どうしても本邸になるからな。国や卯月さんだけなら別邸のほうが慣れてたし、俺としても気が楽だったんだけど」
悪いなと軽く謝罪すると、とんでもないと主人が頭を振る側で懐かしいなと従者が目を細めている。
この二人は、つくづく関係性を見直すべきだと思う──今更だが。
「で、早速だけど本題に入ってもらってもいいか」
「そうだった、すまん。その……、初雪殿についてなのだが」
僅かに言い淀んだ頼国は、黙ったまま首を傾げて先を促す雷鳴に一度言葉を呑んだ後、意を決したように見据えてきて口を開いた。
「初雪殿にこの戦から引いて頂けぬか、ご提案申し上げたい」
「……唐突だな」
不満があるなら先に言えばよかったろうと眉を上げると、そうではないと慌てて頭を振られる。
「初雪殿が仰ることは尤もだ、師走の横暴を見過ごすなど到底できない。故に立ち上がると仰せなら、いくらでもお支えする。だが実際に暦家を二分しての戦いとなれば、少なからず多くの民が犠牲になろう。心根のお優しい初雪殿がそれを耐え難く思われるのは当然だ、強硬手段も辞さないと主張する我らと袂を分かたれたとしても不思議ない」
そうだろうとどこか必死に詰め寄られ、雷鳴は顔を顰める。
頼国の話は、確かにさほど無理のある流れではない。如月の二が師走に噛みついたのは無残に殺された二家の当主を憂いてのこと、かといってこのまま戦争になれば確実により多くの犠牲が払われるのも明白だ。万民の生命は須らく尊し、との神の教えを如月の二として大義名分に掲げるならば、師走の所行を諌めはしても戦争は回避したいとするのが通常の行動だろう。
問題は肝心の如月の二があの初雪であり、そうである以上は絶対的に有り得ないというだけだ。長い付き合いから分かっていないはずがない頼国がいきなりそんなことを言い出した理由に見当はつくものの、雷鳴にも名案だと頷けない理由はある。
「如月の二としては通ったとしても、霜月初雪には致命的だろう、それは」
人を煽るだけ煽って逃げ出すのが武家の嫁だなんて、命を落とすよりましだと龍征が受け入れたとしても家臣や民の間に蟠りを残すことにもなりかねない。
(言ってもやたらと味方を作るのが得意なあいつのことだから、多分に他の奴らも龍征さんと一緒で受け入れる気はするけど。さすがに絶対の保証は難しいしな)
そうである限りは受け入れるはずがないと頭を振ると、反論を噛み殺すようにぐっと唇を噛んだ頼国はしばらく逡巡したが代替案を出してきた。
「では、せめても旗頭から降りては頂けまいかっ」
「国」
無茶を言うなと呼ぶだけで窘めるが、頼国は大きく頭を振って身を乗り出させてくる。
「前に出て戦えぬからせめて旗頭にと仰せになるのも分かる、責任感のお強い方だ、お止めしたところで無理だろう。だが、そこを敢えて!」
「そこまで承知なら、結果も見えてるだろう? 実際に言ってみろ、──嫌われるぞ」
そう切り出せば引き下がらないかと期待しての忠告だったが、びくりと反応はしても大きく身体ごと横に揺らして不安を振り落とし、睨むように再び見据えてくる。
「だとしても、だ。こう言っては何だが、初雪殿は如月の二であることを……その、決して喜んではおられぬ、だろう?」
随分と角の立たない言い方を選ばれたが、実際には喜んでないどころか厭っていると言ってもいい。勿論、表立って主張したりしないし真面目に義務は果たしているが、多分水穂の誰よりも──師走よりも──如月の二がどうしたと本人が一番思っている。
さすがにこれだけ長い付き合いになれば筒抜けなのかと心中に感心しながらも、顰め面は解けない。
頼国は怯んだ様子もなく、ただ初雪に直接伝えていない今でも傷つけないようにと細心の注意を払って言葉を選っている。
「俺は初雪殿が如月の二ならずとも、お力をお貸しする。あの方を直接知っている領民も、多分同じはずだ。だが多くの者にとって、如月の二は象徴であるのも事実。なれば万が一、この先に初雪殿が望まれぬ未来が待っていたとしても本来は……、その、お命だけは取られぬはず」
「けどあの姫さんは、それを傘に着て命乞いなんかするかねぇ? ってのを、今更に思い当たって若も皐月様も恐慌してるらしいよ」
とにかく表現に気を遣った頼国のことなどばっさりと切り捨てて、玄夜が頭の後ろで腕を組みながらさらりと言う。言葉を慎めと慌てて頼国が諌めているが、何のための人払いさねと眉を上げて反論している玄夜の言い分も正しい。追儺がわざと初雪に伝えない限り、この場での会話は誰の耳にも入らない。例え後々誰かが告げることになったとしても、そこでまた表現を変えるくらいの気遣いはする。ただ頼国はそれらを理解していても、まだ気遣うほど初雪を大事に思ってくれているだけだ。
(もう人妻なんですけどねぇ)
幼友達としては冷やかすところだが、同年代の男としては大丈夫かと問い詰めたい。とりあえず今のところ問題は別にあると思い直し、玄夜を咎めた後に縋るように見てくる頼国に小さく息を吐いた。
「……まあ、玄夜が言う通り、あいつは意地でも命乞いなんてしないだろうな」
「なればこそ! 今ならばまだ間に合う、俺では力不足だが、青嵐様が旗頭にと仰ってくださった。さすれば万一の時にも初雪殿はきっと、」
「無駄だろ、それ」
気持ちは有難いけどとすっぱりと否定すると、何故! と掴みかかってきそうな勢いで頼国が身を乗り出させてくる。落ち着けー、と襟首を引っ張って止めている玄夜は見当がついているのだろうが、本人に近い雷鳴の口から聞かねば納得させられないと分かっているのだろう、嫌な役を押しつけて悪いと見えない角度で謝罪してくる。
成る程、従者の分はこれでも弁えているのかと苦く納得しながら、雷鳴は頼国に座り直せと手で示しながら溜め息を重ねた。
「確かに初雪は神職で荒事を得意とはしてない、実際に戦うにあたっては不安だから旗頭から追い出したって言い訳するのが一番角が立たないだろうな。けどそれは相手に対する言い訳としてであって、こっちにそんな説明をしてみろ、初雪大事で集まった領民の反感を買って大打撃だぞ」
ただの方便と本人が説明をしたところで、今度はそれが相手方に知られると面倒を巻き起こすのも目に見えている。第一、と姉に対する呆れを滲ませながら雷鳴は指を一本立てた。
「師走に直接歯向かったのは初雪だ。今の説明以外で旗頭を変えるなんて、こっちの陣営は納得したとしても相手側は初雪が逃げたって、ここぞとばかりに突いてくるに決まってる。あいつの気性からして、受け入れられるとは思うか?」
俺には止める自信はないぞと想像だけで遠い目をしてしまうが、頼国が噛みついてきそうなのを見越して第二と立てた指を一本増やした。
「師走の狙いは、初雪であり如月の二だ。あいつにとっても勝利条件は、初雪を屈服させること。無理なら殺すこと。例えば何とか初雪を説得して旗頭を皐月様に変えたとしても、師走だけはきっとそれを認めない。表面的には認めた顔をしても、絶対に皐月様と一緒に初雪の首も求めてくる──どころか、自分で切り落としに来るぞ」
神無月や、水無月に対してそうしたように。
だから変えても無駄死にを増やすだけだと突き放すように説明すると、頼国は言葉を探して口を開閉させたが結局見つかけられなかったのか、がくりと項垂れて畳に両手を突いた。
「そんなはずは……と、言えぬ相手だからこそ初雪殿が叩くと決められたのだった、か」
ではどうやってお守りすればと硬く拳を作って嘆く頼国に、簡単だと気安く笑ってみせた。
「要は負けなきゃいい。初雪が望むまま勝って、師走を潰せ」
それならできるだろと語尾を上げると、俯いていた顔を上げて一瞬ぽかんとした頼国は、けれどすぐにはっと息を吐いて頬を綻ばせた。
「そうか。……そうだな、何を弱気なことをほざいてしまったのか。すまん」
「気にするな。初雪のことを気にかけて頂いてありがとうございますと、皐月様にもお伝えしてくれ」
ご厚情は忘れませんと本人にそうするように頭を下げると、必ずと頼国が強く頷いた。そうとなればと意気込んで立ち上がった頼国は、今の話は初雪殿には内密に、と小さな声で断りを入れてからぐっと拳を作って天井を見上げる。
「開戦までにも鍛錬は重ねられよう、玄夜、戻るぞ!」
「あー。はあ。いやあんた、今まで一日たりとも鍛錬しなかった日なんかないのに、何を今更、」
「邪魔をした、雷鳴! 一刻の猶予もない、励むぞ!」
「相変わらず熱血だな……。まあ、頑張れ」
期待していると手を振ると、任せておけと力強く引き受けた頼国は若干引き気味の従者のことも放って部屋を飛び出して行った。元気だなーと幼い頃から変わらない姿に苦笑していると、玄夜がお見通しだったかと声をかけてきて視線を変えた。
「何を見通してたって?」
「姫さんがさ。若や皐月様がそう提案してくるの、見越してたんじゃないのかい」
「まあな。言いに来られたらとりあえず、国の頭は引っ叩いとけって言われた」
「はは! よし、俺が姫さんの代わりにやっとこう」
「だからお前、影で従者だろ。主の頭を叩くなよ」
「えー。そんなこと言ってたら、あの人、暴走しかしないけど?」
俺は身体を張って止めてるのと偉そうな主張に、一理は認める。一理だけだが。
玄夜はけらけらと楽しそうに笑って立ち上がると、走って出て行った頼国の見えない背中を追いながら不意に表情を消してぽつりと言う。
「俺はあんたも姫さんのことも気に入ってるけど、仕えてるのは若に、だ。皐月様に殉じるあいつは止めないけど、如月との心中は止める」
こちらに振り返ってこないまま紡がれたそれに、雷鳴は思わず苦く笑って伝える。
「初雪がさ、お前はいつも貧乏籤で悪いな、ってさ」
「……は?」
俺は今そっちに謝罪されるようなことを言いましたかねと不審を浮かべて振り返ってきた玄夜に、言ったじゃないかと肩を竦めた。
「本来なら、国は初雪が突き放すべきだ。今回の戦にだって、巻き込むべきじゃなかった。でもまだ勝ち目があると思ったからこそ利用した、なら最後の一線を越える前に憎まれるのは初雪の役なのに」
押しつけてごめんと、さっき雷鳴がしたように初雪もいない玄夜に対して深々と頭を下げた。倣って雷鳴もそうすると、やめてくれと悲鳴じみて止められる。
「俺はあんたらを見捨てるって宣言しただけだ、そんな、頭なんか下げられるわけには」
「それは間違いなく俺たちの望みと重なる。素直に感謝されとけよ」
こんな言葉程度で、どれだけ玄夜の罪の意識を拭えるかは分からない。それでも正しい選択だと伝えたがった初雪に、玄夜は一瞬だけ取り繕えないほど顔を顰めた後、ふいと視線を逸らした。
「あー、若が中庭で暴れてる気配がする」
「止めてくれ、破壊され尽くす前に」
開戦前に初雪の雷が落ちるぞと大分本気で警告すると、急ぐと一言を残して玄夜の姿はもうそこにはない。
「あら、腐っても忍ですね」
「お前が言うな、腐れ影」
人払いをしたのにお前が聞いてるなよと突然顔を覗かせていらない感想を述べた追儺に突っ込むと、失礼と舌を出してまた消えられる。忍というのは本当に、厄介な生き物だ。




