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幸せを神に求めないのは、神職失格ですか

初雪ましろ


 自室で寛いでいると声をかけながら顔を覗かせたのは、実弟の雷鳴こがね。断りなく対面に腰掛けながら、客室に放り込んできたと説明されたそれの主語は間違いなく龍征たちだろう。仮にもお客様でじきに義兄になる相手だが、雷鳴にとってはただの他家当主といった認識だろうか。


(言っても、私もまだ奥になるとかぴんときてないわけですが)


 他家に嫁ぐなんて、夢にも思っていなかった。幼い頃から何となく、自分は誰にも嫁がず、恋もせず、ふらふらと国中をうろついて適当に死ぬのだと思っていたのに。一体どこで道を誤ったのか。


「それで、あの人は何の話をしに来たんだ?」


 人がちょっと感慨に耽っている間に時空でも歪んだのか、有り得ない問いかけが聞こえて初雪は思わずまじまじと弟の顔を眺めた。その視線に雷鳴も眉を顰め、


「何だよ、何か変なことでも言ったか?」

「先触れで知ってるはずだよね、それで妻問い以外の何をしに来たと思ってるの」


 わけが分からないと思いつつも説明すると、雷鳴は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。まさかそんな表現しかできない顔を、弟にさせる日がこようとは。


「は!?」


 一文字で力一杯聞き返してくる雷鳴に、だから知ってたよねと繰り返すと待て待て待てと悲鳴を上げた弟は膝立ちになった。姉を威圧してどうすると座ったまま見上げるが、どうやら本当に恐慌しているらしい。


「妻問いって、……はあ、妻問い!? お前に!? お前、霜月に嫁ぐのか!?」

「一応」

「親父殿が許したのか!?」

「舅働きは期待するなって条件付きで」


 面白いくらい慌てている雷鳴に笑い出しそうになるのを何とか堪えて頷くと、信じられないと呆然と呟かれる。まったく自分もそう思うと同意しながらも、不思議に思って首を傾げた。


「私からしたら、その反応ってすごく今更なんだけど。雷鳴に伝わってなかったわけじゃないよね」

「先触れの話なら聞いたけど、普通はただの口実だと思うだろ! 表立っては相談できない案件を持ち込んできたと思ったんだよ!」

「ああ。……穿ったことを考えるね」


 でもそのほうが面白かったかと考え込むと、脱力してくたくたと座り込んだ雷鳴は胡坐をかいた自分の膝に肘を突いた。


「霜月さん、ひょっとして戦争でも起こす気なのか」


 自分が暦家れきけ当主だって自覚がないんじゃないのかと突き刺したい気分で紡がれただろうそれに、如月の二を分かってないんだと思うと訂正する。


「邸中の人間に馬鹿を指摘されて、不敬を咎められて、全家臣に正気を疑われて、必死に止められて、最後には意地になってたからね。誰が何を言おうと聞くものか、聞き入れるものかと。おかげで私の話も聞かないし」


 肩を竦めながら説明すると、雷鳴は大きく頬を引き攣らせた。


「この水穂で如月の二が何か知らないとか、正気か!?」

「神職だって認識はあっても、それ以上の興味がないみたい。如月の二って通り名の、単なる娘だと思ってるらしい」


 有り得ないよねと笑うと、正気じゃないにも程があると悲鳴を上げた雷鳴は大雪でよく見たように頭を抱えている。これがこの世界における、通常の反応だ。


(だから龍征君の反応は、私には新鮮なんだけどね)


 龍征の立場では不利になるだけだと知っているからやめたほうがいいと勧めはするが、それでも伸ばされた手を強く撥ね退けられない一番の理由はそこだった。


 如月の二だと知られていない間は、彼女だって一般に埋没できる。侮られたり怒られたり、馬鹿にされたり意地悪をされたり。楽しい経験ばかりではないが、普通はこうなのだと学ぶことはできる。けれどひとたび正体が判明すれば、誰もが一様に青褪めて平伏してくる。彼女の後ろに見える帝だったり神だったりの威光に隠れて、初雪そのものが見えなくなるらしい。

 そうやって十八年も生きてきた、だからこそ受けた恩恵もあると知っているから今更とやかく言う気はない。ただ、時折自分の存在が薄らいで消えていきそうな思いに駆られることはある。


(私は、ここにいる)


 大きな声で、世界に向けて怒鳴り散らしたいわけではない。けれど心の奥底で、ぽつりと呟きたいことはある。知ってか知らずか、龍征はその初雪自身に手を差し伸べてくれた。


(恋、なんですかね?)


 違う気はする。でも何れ、大事に育てればそうなる可能性もありそうだ。育てたいのかと自問すれば、無理に引き抜く気はないからお好きに、と返すだろう。今はまだ、その程度だ。


 雷鳴はしばらく頭を抱えたまま色々と考えを巡らせていたようだが、埒が明かないとばかりに顔を上げて睨むように見据えてきた。


「如月の二を娶るってことは、同時に帝も抱き込もうとしてるって取られかねない。辛うじて均衡を保っていた天秤が傾いて暦家が分断する、下手すれば他の暦家すべてが敵に回りかねない。そこまで承知しての妻問いか?」

「私以外にもそう警告してはみたけど、どこまで本気で受け止めてるかは知らない」


 他家に嫁ぐ実感のなさと同じくらい、龍征もその怖さを実感していないのだと思う。身に染みた時に離縁を切り出されるのか、殺されるのかは知らないが。


 不穏な考えに気づいたように雷鳴が眉根を寄せて怖い顔をするのを見て、逃げる準備くらいはしておくってと言い添えると不承不承といった様子で頷かれる。如月の二に対するそれではなく、彼女自身を案じてくれていると分かって知らず口許が緩む。


「とりあえず祝言にはお招きするので、出席してください」

「……まぁ、俺が行かないと如月は全員欠席なんて事態になりかねんからな」


 お前の顔は立ててやると複雑な顔をしながらも頷く雷鳴に、話が早くて助かるとしみじみと噛み締める。持つべきものは、年の近い弟だ。もう一人、彼女を妹として案じてくれている存在なら確かにいたのに。


「──兄貴がいたら、喜んで出席しただろうにな」


 同じ一人に思いを馳せてぽつりと呟いた雷鳴に、初雪も少し悲しく微笑う。


「詮無いことを。けどあさぎも神の御許で祝福はしてくれるはずだし」

「効果抜群そうな響きだな」

「ね。幸せになるわー」


 思わずくすくすと笑って茶化すと、雷鳴は後ろ頭をかいて情けなく眉を下げた。


「まったく、俺は気楽な三に生まれたはずなのに。どうして昊は早世して、お前は他家に嫁ぐんだよ。一人で如月を負えってか」

「一人ではないよね、まだ私はいるし」

「は。霜月の人間になるのによく言うな」

「別に霜月に嫁いだからって、如月の二でなくなるわけでなし。神職と姉の他に霜月の奥って肩書きが増えるだけで、何も変わらないじゃない」


 いきなり何を言い出すのかと肩を竦めると、そういうわけにはいかないだろうと軽く拗ねたように雷鳴が反論してくる。


「仮に如月と霜月が争うことになったら、お前は確実に霜月の味方をすべき立場になるんだよ」


 嫁ぐっていうのはそういうことだと、まさか母にも聞いたことのない真理を弟から説かれるとは思わなかったが。納得できかねると眉を上げ、そもそもと鼻先に指を突きつけた。


「そんな事態にならないように努めるし、避け難くなっても一方的に霜月だけを支持したりしません。大体、無闇に義弟に喧嘩を売る夫なんていらないし、義兄に意味なく逆らう弟もいらないからね」


 理由があるなら加味した上で加担する側を決めると宣言すると、雷鳴は呆気に取られた顔をして、それから何故か滲むように笑って片手で顔を覆った。


「お前さあ、如月を押しつけていくんならせめて無条件で俺につくとか言えよ」

「押しつける気もないし、血や情だけで判断したら痛い目に遭うよ」

「正論か」


 ああやだやだ無駄に平等な姉なんてと頭を振った雷鳴は、まだしばらく表情が窺えないように顔から手を離さずにいたが、やがて大きく息を吐いて手を下ろした。いつもと特に変わらない顔で視線を重ねた雷鳴は、苦く笑って身体を揺らした。


「とりあえず、あれだ。遅くなったけど。結婚おめでとう」

「……、」


 これはこれはご丁寧にと揶揄するような言葉は浮かんだが、少しばかり気まずそうに照れ臭そうに、でも真面目に祝ってくれる雷鳴の顔を見るとそのまま紡ぐ気にはなれず。鼻の奥がつんとするのを堪え、滲むように笑みを広げた。


「ありがとう」


 大事に答えると雷鳴もどこか泣きそうに笑い、誤魔化すように首の後ろをかいて顔を逸らした。

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