それが諦念故であっても、望む結果ならいいのです
如月邸に着くと、龍征は即座に当主の待つ謁見の間へと通された。当然のように曇天も同席しているが、さすがに上段の中央に座しているのは当主の常夜だ。こちらは御前会議などで何度も顔を合わせている、今日ほど渋い顔をしているのは初めて見るが自分が原因なのも想像に難くない。
「よく来た、霜月の」
「急な到来にも拘らず、お招きに感謝する」
型通りの挨拶をして勧められるまま当主と向き合う形で座ると、何かを言い出される前に畳に手を突いて頭を下げた。
「本日は、初雪嬢の妻問いに伺った。霜月に貰い受けても構わないだろうか」
龍征様と後ろから小声で諌める信康の声など無視してただ返答を待っていると、おやおやと苦く笑ったのは常夜ではなく曇天。
「性急なことだね、霜月殿。こちらにも色々と心構えをさせて頂きたいものだが」
「先触れは出した。通常であればそれで事足りるはずだが」
「通常の政略結婚であれば、ね。けれど初雪は如月の二だ、その辺はどうお考えか」
「……」
尋ねてくるのは曇天ばかりで、肝心の常夜は不機嫌そうな顔を隠そうともせずただ黙してそこにある。如月の二が特別なのだとは散々聞いてきたが、いい加減腹に据えかねて無言のまま曇天を見る。こちらも答えを待っていたのだろう相手はただ眺めるだけの龍征に、不審げに眉を寄せた。
「霜月殿、お尋ねしているのですが」
「礼儀としては既に答えた。俺に直接問うは、舅となられる如月殿のみと存ずるが?」
お前は誰様だ。と言いたい気分を隠さずに突き放すと、後ろで信康と将弘が声のない悲鳴を上げたのが分かる。曇天は僅かに眉を上げたがそれだけ、今まで黙っていた常夜はようやく興味を持った顔で龍征を見据えてきた。
一連のやり取りに堪えきれないといった様子で声を上げて笑っているのは、その場にいる誰でもなく。特に気配も隠さず、上段に続く入り口近くの廊下でこちらを窺っていた初雪だ。常夜は再び渋い顔になって、遠慮なく笑っている娘へと声をかけた。
「初雪。お前、何故ここにいる」
「それは勿論、父様に帰還のご挨拶に」
咎めた常夜の声の低さに怯むことなく姿を見せた初雪は、部屋には入らずその場に座って手を突くとゆっくりと頭を垂れた。
「如月初雪、本日戻りましてございます」
「何が帰還の挨拶だ、普段は近寄りもせんくせに。しかしいくらお前が規格外であろうと、妻問いに来た相手が挨拶しているところに顔を出すな」
「そうは仰いますが、私自身の進退がかかっておりますれば。それに父様には叔父上がついておられるのに、相手は口出しをできない部下二人とあっては不公平では」
ここは一つ私が助成致しますとにこりと笑った初雪は許しを得ないで立ち上がり、外の廊下を伝って下段の入り口まで行くとそこで一礼して部屋に入ってきた。咎めるべきの常夜が痛そうに額を押さえている間に信康たちの側を通り過ぎ、龍征の側まで着て優雅に打掛の裾を払うとそこに座った。
龍征は遠慮なくその初雪を眺め、問いかける。
「俺に助成するのか」
「勿論。自分に都合よく進むように」
「は。頼もしいことだな」
つんと澄まして答える初雪にくつくつと笑うと、ちらりと嫌そうな目を向けられる。いい加減、この仕種にも慣れた。
後ろではらはらと見守っている二人を他所に、仕方なさそうに息を吐いて話を進めたのは常夜ではなく曇天。
「妻問いではなく、結婚の挨拶ですか」
「叔父上。いかな私でも、父様に報告もなく結婚は決めません」
「ならば、儂が認めんと言えば諦めるのか」
「認めんと言われる覚えもないが」
すかさず聞き返した常夜に俺が相手では不服かとさすがにむっとして龍征が聞き返すと、曇天が少し長く息を吐いた。
「如月の二が他家の、しかも暦家の当主に嫁ぐなど椿事でしかないとは霜月殿も承知のことでしょう」
「叔父上、残念ながら龍征君にその手の話は通じません」
既に頑張って説得した霜月家臣団の撃沈っぷりをご覧に入れたかったと頭を振る初雪に、後ろの二人がこっそり同調している。明日からしばらく、この二人の休みは認めない。
「俺は初雪を何かに利用するためでなく、奥として迎えたいだけだ。そもそも、黙って利用される性質とも思えん。やりたいことややるべきことがあるならその間は好きにしていい、それ以外を俺の細として過ごすなら文句はない」
「と、こう仰っているので」
認めてあげてもいいんじゃないですかねと、何だか他人の結婚を仲介するかのような軽さで勧める初雪に曇天の溜め息は長くなり、常夜の眉間の皺は深くなっていく。
「霜月がどれほど本気でそれを言っているとしても、他家がそれを是とすると思うか? 初雪は宮司たる如月の二だ、それは初雪が死ぬまで変わらん。如月以外の暦家がそれを抱えるなど、脅威以外の何物でもないのは歴然たる事実だ」
「では問うが、如月の二の婚儀は今まで誰とも認められなかったのか?」
「──いいえ。歴代の二の中には、嫁入り婿入りした者もおります」
諦めたように認めた曇天に、龍征は言葉を重ねる。
「それら全員、他家からの突き上げを食らったのか」
「いいえ。ですがそれは今宮家や如月と縁続きの誰か、若しくは啓蟄を出ても暦家に連なるような身分の者との婚儀ではなかったからです」
「相手はともかく前例があるなら尚更、俺が初雪を娶って誰かに文句を言われる筋合いはないだろう。どうせ二の子が二にはならんなら、今後霜月から神官が出ることはない。それが目的でもない。他人の惚れた腫れたに口出しするほどの野暮もなかろう」
誰と誰の間に惚れた腫れたがあるんですかねと、案外真顔でぼそりと初雪が言うが聞こえない顔をする。常夜はもはや片手で顔が見えないほど覆い、ぎりぎりと歯噛みする音だけが届く。こちらも聞こえない顔をしたほうがいいのだろうか。
「霜月殿の言い分は、あまりに身勝手でしょう。如月の二を何と心得られる」
「別に、何とも」
低く脅すような曇天の問いかけに、龍征は馬鹿馬鹿しいと肩を竦める。思わず彼でさえぞくりとする殺気を放たれたが、それを向けてきた曇天を真っ直ぐに見据えて龍征は臆せず答える。
「俺が欲するのは如月の二ではない、初雪だ。如月の二が如何ほどであろうと俺には関係ない」
「如月の二と私は切り離せないって、もう何度も説明したんだけどねぇ」
この通り頑固で、とゆるりと頭を振る初雪は、諦めを主としても口許を緩めて目許を和ませている。それを見て龍征も僅かに眉を上げたが、すぐに曇天ではなく常夜を見据えてもう一度頭を下げた。
「初雪殿を貰い受けること、どうかお許し願いたい」
「父様、どうぞ霜月に嫁入りすることをお認めください」
自分の隣で、彼より深く頭を下げて請う初雪がいる。例えばそこに愛情でなく打算しかないのだとしても、龍征としても似たようなものだ。ただ自ら啓蟄に赴いて妻問いをするくらいには気に入っている、初雪も下げる必要のない頭を下げるくらいには彼を気に入っているのだと思っていいのだろうか。
とりあえず声がかかるまで頭を上げずにいると、聞こえてきたのは深すぎる溜め息。多分、常夜のものだろう。そこからまだしばらくの間を置いて、兄者と呼びかけたのは曇天。
「初雪は如月の二、何にも縛られぬものと決まっております。他家にそれを求め、兄者がなさらぬのでは示しがつきません」
「しかしすべての暦家を揺るがすほどの事態だぞ!」
「然り。けれどこれが霜月殿の横暴や策略ではなく、如月の二が望んだこととあれば帝でさえそれを覆させることは罷りなりません」
そういうものですと諦めるよう諭す曇天に、常夜はあからさまに舌打ちをした。暦家当主を前にしている時には考えられない無礼だが、今回ばかりはこちらの立場が下だ、聞き流すしかない。
「お前の教育がなっとらんのだ、曇天!」
「返す言葉もございません」
至らぬ身でと苦笑交じりに軽く頭を下げる曇天に常夜は再び舌打ちしたが、息を整えるべく大きく深呼吸をして面を上げられよと勧められるのでようやく顔を上げる。初雪はまだ下げたままだが、ちらりと視線で確認しただけで常夜に戻す。常夜は変わらず渋い顔をしたまま、不承不承といった様子で小さく頷いた。
「嫁がせてもこれは如月の二だ、どんな災いを呼び込むかも分からん。それを承知した上でまだ望むならば文句は言わん、好きにしろ。だが舅として儂に何かを期待するのはやめてもらおう、如月の二に関することであれば儂は如月の当主としてしか動かん。儂にできる譲歩はここまでだ」
「──初雪が娘であることに変わりはないんだろう?」
「当たり前だ。だが初雪が何かを発すればそれは全て如月の二の言となる、娘であっても娘ではない。まぁ、その辺は初雪のほうがよく分かっているだろうがな」
「委細承知しておりますれば、ご心痛あられませんように」
常夜に答えたのか、龍征に話しかけたのか、顔を下げたままの初雪からは窺えない。ただ僅かに硬い声は聞き慣れず、知らず龍征の眉根も寄る。
常夜はそれに言及するでなく、頭を上げないままの娘を一瞥した後、龍征を見据えてきた。
「如月の二としてしか育っておらん不束な娘だが、それを是とするならば。今後ともよろしく頼む」
「急な申し出を聞き入れてもらい、感謝する。初雪に相応しかったと思ってもらえるよう、精進する」
本当ならば、問い詰めたいことは山とある。けれど初雪の切り上げたがっている様子からして無理に長引かせる必要も感じず、納得はしていないままも頭を下げればこれで会見は終了。晴れて初雪は龍征の奥となる。
頭を下げたままちらりと隣の初雪を伺えば、同じように視線を寄越した彼女は諦念を湛えた綺麗な微笑を浮かべて目を伏せた。




