この先、何度でも言う予定です
啓蟄に足を踏み入れると、関所で手続きをしている間にあっという間に人が集まってくる。いつものことながら律儀だなぁと少し笑った初雪が、書類に書き込んでいる役人を他所にひらひらと手を振ると歓声じみた声が上がる。
「姫様、お帰りなさい!」
「今回は長かったですね、三月ほどお留守でしたでしょう」
「姫様、今回はどこ行ってたの? お話聞かせてー」
わあわあとかけられる声に、また後でねと手で制している初雪に先に行って来いと小さく声をかける。どうせ後は受け取るだけだろうと汗をかきつつ書類を書き込んでいる役人に確認すると、目を泳がせながらも何度も頷かれるのを見てほらなと合図する。初雪は僅かに眉を上げたが言及するのはやめて、ありがとうと笑いかけると大人しく一定以上近づかずに待っていた子供たちに足を向けた。
途端、待ってましたとばかりに取り囲まれているが、どうやらこれは恒例行事なのか全員が一様にはしゃいでいても節度は守っていて、悪意がなくとも怪我をさせそうな事態にも発展していない。
(恐ろしいのは、これが啓蟄だけで見られる光景じゃなかったってあたりか)
ここは如月の領地で領都だ、特別と仰ぐ如月の二であれば顔も名前も知っていて当然ではある。特に如月は二に限らず神職を多く排出する家柄からか、十二家の中でも跳び抜けて領民の支持が篤い。領民総信者とでも呼ぶべき状態で、歩くご神体とも言えそうな初雪が取り囲まれるのもまだ納得はできる。
しかし大雪から小寒立春と通り抜けて遥々渡ってきたわけだが、何故立ち寄るどの町でもここと同じような事態が巻き起こっていたのだろう?
(寧ろ大雪でさえ、俺がいるより初雪がいることに喜んで湧いてやがったからな……)
しかも群がる領民の大半は、彼女が如月の二であることを知らなかった。龍征の邸に滞在している間にふらふらと町に出ているのは承知していたが、まさかその短い期間で見かけただけで取り囲まれるほどに心を掴もうとは。
公開説教でもしたのかと引き気味に尋ねたが、仕事でもないのに面倒臭いからしませんと答えた初雪の顔は大分本気だった。思わず失格神官めと呟いてしまったが、仕事熱心な神官ほど怖いものはないと思いませんかとこれまた真顔で諭されて納得したので口を挟むのはやめにした。
とにかく彼らの足が遅々として進まなかった理由はただただこれであり、目的地に着いたとはいえ地元であればどれだけかかるのかと思うと知らず遠くを眺めてしまう。とはいえ子供を主としているが、老若男女に囲まれて自然に笑っている初雪を見るのは悪くない。ようやく役人が書き上げた書類を受け取ると、声をかける契機を探すか初雪が思い出すのを待つかと、ここに来るまでに学んだ対処法を実践する。
「姫様、いつまでここにいるの?」
「今度はちょっと長いよね、だってそろそろ稲刈りだもん」
新米は一番にお邸に持っていくねと気軽な口約束をする子供たちに、先に皆で食べてと初雪が手近な一人の頭を撫でると、ずるいーと遠巻きに見ていた子供たちも押し寄せている。撫でて構ってと我を忘れた子供たちに足を取られて動けなくなっているが、気にせず笑った初雪が順番に撫でていくと一人ずつ満足して離れていくので問題はなさそうだ。
「すみません、姫様。ほら、お邪魔になるから離れなさい」
「ずるいって言いたいのはお母さんのほうよ、子供たちだけずるいわ」
「そうよー。お母さんたちも我慢してるんだから、あんたたちも我慢なさい」
自分の子を引き戻しつつも自分の欲望がだだ洩れになっているが、聞いた誰も反応しないところを見ると聞き流すのが正解なのだろう。それともこれを契機に声をかけるべきかと迷っていると、
「初雪!」
唐突に人垣の外から男の声が届くと、今まで初雪の側から離れようとしていなかった全員がざっと道の端に並んで膝を突き頭を垂れた。呼びかけたと思しき男は足早に近寄ってきて跪いた彼らを一瞥し、ああ構わんと軽く手を揺らした。
「堅苦しいのは抜きだ、全員立ってくれ。ただ悪いが初雪は借りていく、急ぎでな」
「「とんでもございません、雷鳴様。二のご帰還に我を忘れて足止め致しましたこと、深くお詫び申し上げます」」
雷鳴と呼んだ男に言われるまま立ち上がった全員は、顔の前で掌を下にして両手を重ね、頭を下げたまま声を揃える。初雪が野暮でごめんと呆れたようにしながらも詫びを入れると、僅かだけ重ねた腕を下げた子供たちが初雪と視線を合わせてにへーっと笑う。察した母親に片手で頭を押さえつけられたところで懲りた様子もないが、初雪の側に来た雷鳴も咎める気はなさそうだ。
「相変わらずの人気だな」
「妬かないでよ、雷鳴。多分雷鳴が二でも、私のほうが愛されるだろう自信はあるけども」
「そんな明らかに勝ち目のない勝負、受けて立つ気もないからいいけどな。しかし急ぎで帰ってる時は、ちょっとくらい急いでるように取り繕え」
同じことを各町でも繰り返しての遅刻だろうと目を眇めて突っ込まれ、愛してくれる相手は邪険にできないと努めて可愛く答える初雪に盛大な溜め息が降り注いでいる。失礼なと初雪は頬を膨らませているが、客人に対してお前がなと声を尖らせられてようやく龍征たちに振り返ってきた。
「え、でももう慣れたよね?」
今更じゃないかと確認してくる初雪に、慣れたけど慣れたいもんではないと素直に将弘が答えている。あらあと頬に手を当てた初雪は、君たちも交流すればいいのにと無茶を言う。それに再び溜め息で応えた雷鳴は、初雪を相手にするのをやめてこちらに向き直ってきた。
「失礼しました、こいつの無茶はどうぞ聞き流してください。そんなことよりご挨拶が遅れました、如月雷鳴と申します。当主に代わって邸までご案内させて頂きます」
「父様はいつもの物臭?」
「有り体に言うと角が立つ。違う、祈祷でお篭りだ」
周りの耳を気にしたように言い直しているが、前半が限りない本音だろう。初雪もだと思ったとばかりに頷いただけで追求はせず、ゆっくりできなくてごめんねと未だ頭を上げてこない全員に声をかけている。子供たちは行っちゃうのーと不服そうだが、雷鳴が来てからは神職に対する礼に則ったまま顔を上げない大人たちに少しきつい声で制せられている。
(いや、神職で言うなら初雪のほうが上じゃないのか)
如月の二以上はないと散々聞かされてきたのに、この扱いの差は何なのか。不審に眉を寄せていると、堅苦しいのは嫌いなのと初雪が笑って説明する。
「私が一人の時にこんな敬礼をされたままなら二度と口を開きません。って、宣言したら普通に話してくれるよ、皆」
「……お前、それはただの脅しだろう」
「権力とは自分のために有効に使うものである。と教わりました」
「「誰にだよ!」」
思わず龍征が全力で突っ込むと、雷鳴と綺麗に揃った。あまり嬉しくはない。
「えー、そんなの勿論、」
「そこは私が責任を取るべきなのかな」
心外だけれどねと柔らかな声が初雪を遮り、早くからその気配に気づいていたのだろう初雪は軽く胸に手を当てて頭を垂れた。
「お久し振りです、叔父上」
「曇天様」
ご来訪を存じ上げずと雷鳴が片膝を突いて頭を垂れると、促されて立ち上がっていた周りの全員は慌てて両膝を突き、頭は先ほどより深く垂れて地面に額を擦りつけかねない勢いだ。龍征が何事が起きたのかと眉を寄せていると、焦った様子で既に膝を突いている将弘と信康に服の背を引かれてよろけるように膝を突く。
「気づいてないようだけど、叔父上は如月の二だからね」
いくら暦家の当主でも礼は示さないとと肩を竦めた初雪に、ゆったりした速度で近づいてきた全体的に細い印象の男がおやめと柔らかく諌めている。
「霜月の当主殿、初めてお目にかかる。如月の二、曇天と言う。こまっしゃくれた姪が、随分と迷惑をかけたね」
「心外です。この単語は今使うものです、叔父上」
確かに仰った言葉を否定する時でなくと根に持った様子で口を挟んだ初雪に、曇天と名乗った男──唯一初雪と立場を同じくする如月の二が苦笑する。
「おや、ではお前は霜月殿にご迷惑をおかけしていないと言うのかい」
「同じくらいの迷惑は被っているので、五分五分だと」
「やれやれ、口の減らない」
誰がお前をそんな風にしたんだろうと呆れる曇天に、確実に叔父上ですねと初雪が笑顔で返している。濡れ衣だとも言い難いと眉を上げた曇天は、周りを見回して立っておくれと促している。まさかそのようなわけにはと雷鳴が頭を振り、お願いだからと曇天が繰り返してようやく立ち上がっている。ちらりと視線を寄越した初雪が小さく頷くので龍征も立ち上がるが、領民や信康はおろかも、あの将弘でさえまだ膝を突いている。
「……お前も本来、こうされるべきなのか」
「ね、面倒臭いでしょう」
やめてって言うよねそれはと何故かしみじみと頷く初雪に、こんな姉でと雷鳴が溜め息をつき、こんな姪でと曇天が笑う。それからまた立っておくれと曇天が促してようやく全員が立ち上がり、領民たちは失礼致しましたと小さく断りを入れると名残惜しそうにしながらも潮が引くように離れていった。
初雪は視線でそれを確かめ、曇天に向き直った。
「それより叔父上は、どうしてここに?」
「他領の当主がお越しなんだ、如月の二としてはお迎えするのが当然だろう」
「邸で父と一緒に待っておられるかと」
わざわざいらっしゃるなんてと大仰に驚いた素振りをする初雪に、曇天は微笑んだだけで龍征に視線を変えてきた。
「後進の愚かを諌めるも先達の務め。とはいえ、姪が幸せになるのなら祝うのが叔父の務めだろう」
故に歓迎するよと笑い、ご案内しようと雷鳴を置いて先に歩き出す曇天について歩き出す。初雪はその龍征の隣を歩き、結局雷鳴は信康たちと共に歩く形になっている。当主の代行として迎えに来たはずの雷鳴の立場は丸潰れだが、そうされても逆らえないだけの力が如月の二にはあるのか。
(ひょっとして、俺は色々読み間違ったか……?)
後悔はないがこの先の計画を少し修正する必要があるのかと考えながら隣の初雪を伺えば、だから言ったでしょうとばかりに肩を竦められるのが腹立たしい。とりあえず今更取りやめにする気もなければ後悔もしていない証明として触れそうな位置にあった初雪の手をぎゅっと握ると、一瞬驚いた顔を見せたがすぐに取り繕い、仕返しとばかりにぎゅうと握り返された。
後で聞いたところ完全にいちゃついているようにしか見えなかったとのことだが、それはそれで間違っていないと開き直ったのは強がりばかりではなかった。
 




