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9  寝床はどこ?

 髪を乾かしたあと、子どもたちは一旦勉強部屋に行って今日の夜勉をし、それから寝るそうだ。

 ちなみにフローラに教えてもらったんだけど、この世界は一日二十時間で、零時は深夜ではなく、朝だった。地球で言う朝の六時頃がこの世界の零時で、昼休憩をするのが五時、ほとんどの仕事の終業時間が十時、真夜中が十五時だという。

 覚えるの大変だ……間違って日本の感覚で時間を把握してしまったら、とんでもないことになる。


 ヴィルの屋敷における子どもの就寝時間は十三時――だいたい夜の九時半だ。健康的な生活を送っているようで大変よろしい。あまり頭がよくない私はひとまず、「英語でなんとかティーンの時間は、子どもが寝ている」と覚えることにした。


 ……それで、である。

 本日からの、私の寝床はどこ?


「……あ、ヴィル」


 子どもたちがそれぞれ勉強部屋に行ったので手持ちぶさたになった私はヴィルを探そうとしたんだけど、彼の方からひょっこり顔を覗かせてくれた。この豪邸を探し回るのは大変そうだな……と思っていたから、助かった。


 彼に誘われ、私はリビングに向かった。ここは大広間や風呂場のように大人数用ではなくほどほどの広さだった。

 私の側にいるのは、マキシさん。彼は風呂上がりの私のために冷たい飲み物を準備してくれた。ちょうど喉が渇いていたのでありがたく飲ませてもらう。


「お風呂から上がったよ。……バスタブにしてもドライヤーにしても、すごいね。あれ、ヴィルが発明したって本当?」

「ああ、うん。君の話を聞いて開発したんだ」


 そう言うヴィルは、さっきとは別の服を着ている。私たちが体を洗ったり髪を乾かしたりしている間に彼もお風呂に入っていたみたいだ。

 髪は洗い立てだからかいっそうつやつやしていて、ドライヤーでしっかり乾かしたからかふわふわ具合にも磨きが掛かっているようだ。


「フローラに聞いたんだけど、私は昔、ヴィルに家電製品のチラシを見せたそうだね」

「ああ、そうそう。色とりどりの広告は見ているだけでも知的好奇心が沸き上がるし、君に一つ一つ説明してもらうと……どうしても、開発意欲を抑えられなくてね。ボタン一つで誰でも操作できる――そんな魔法器具があればいいと思うようになった。だから研究職に就いたら、君から教わった機械を再現するべくいろいろやってみたんだ」

「そうだったんだね……」

「冴香の言っていた……それこそドライヤーや自動湯沸かしバスタブ、電子レンジやアイロン、冷蔵庫に該当するものは既に開発段階に至っている。いずれ電話や自動車にあたるものも発明したいと思っているんだ」


 ……異世界人の口から流暢な言葉で「電子レンジ」と発されるの、違和感ばりばりだな。


「……そういえば結婚式のときに名前を書いたペン、あれも冴香が持っていたものをもとにしたんだ。ボールペン、だっけ?」

「あー……やっぱり」

「ちなみに俺、いくつか日本語も書けるんだよ」

「えっ!? すごい!」

「冴香が見せてくれた広告やマンガの文字を見よう見まねで覚えただけだけどね」


 ほら、とヴィルはマキシさんから件のボールペンを受け取って、雑紙の裏にペンを走らせた。

 おお、このインクの出方はまさにゲルインク。ここまで開発したのはすごい……けれど。


 特売品!

 お値打ち価格!

 在庫限り!

 ドォン!

 バーン!


「これくらいだけれど……どう? あっている?」


 ボールペン片手に満面の笑みで顔を覗き込んでくるヴィル。


 ああ、そうだったね。

 あの頃の私は、少年マンガが大好きだったんだよね!!


「……なんかごめん」

「何が?」

「いや、何でもない。……あ、そうだ」


 飲み物を片手にまったりと家電の話をしたのはいい、けれど。

 本題はそこじゃない。


「……あの、ヴィル」

「うん、何?」


 ヴィルは小首を傾げ、幸せそうな笑顔で問うてくる。

 ……心から嬉しそうなその顔を見ていると、なぜか私の胸が罪悪感でちくちく痛んだ。


「あの……私の寝る場所だけれど」

「寝る場所? ……ああ、そっか」


 ヴィルも私の言わんとすることを察したようで、少し困ったように頭を掻いた。


「その……君と結婚してから君が目覚めるまでの間に、ベッドを新調したんだ。まさかこうなるとは思っていなくて……二人で眠るつもりだったけれど、今の冴香にはちょっと難しいよね」

「う、うん。その……できるならしばらくの間は、別々に寝られたら……あ、でも嫌とかじゃないから!」


 慌てて付け加える。

 二人で寝るのに抵抗があるのは、ヴィルを生理的に受け付けられないとかじゃなくて、知り合ってすぐの人と一緒に寝るのが不安だったから。


「そ、それにここはヴィルの家なんだから、私がわがまま言える立場じゃなよね、ごめん。やっぱり一緒に――」

「だめだ」


 思いがけず厳しい口調で言われ、早口になっていた私は口を閉ざす。

 ヴィルは眉間に縦皺を刻み、険しい顔つきで私を見つめていた。それまでは柔らかい表情ばかり見せていた彼が、初めて強ばった表情を見せた。


「冴香が少しでも嫌だと思うのなら、一緒に寝る必要はない。……そうだな、イェニファーやアンジェラ、クラウスはここに来て間もない。ときどき夜に寂しくなって年長者たちに添い寝してもらうそうだから、冴香にはあの子たちと一緒に眠ってほしい」

「で、でも――」

「言ったよね、冴香? 俺には君との思い出があるけれど、君はない。君からしたら俺は、知り合ったばかりの男。……君が警戒するのは正解だ。だから、今は別に寝た方がお互いのためになる」

「お互いの……?」

「……本当を言うとね」


 そこでヴィルはふいっと視線を逸らした。

 それまでの雄弁な様子が嘘のように口ごもっていて、髪の隙間から見える耳がほんのり赤くなっている。


「……ずっと好きだった人と結婚できたんだ。俺だっていい年した男だ。好きで好きでたまらない女性が側にいて――手を出さないという自信がない」

「……えっ」

「だ、だから! 眠っている君に手を出すかもしれないんだよ! でも、好きな子に触れられないのより――嫌われる方が嫌に決まっている。それくらいなら、冴香がいいって思えるまで待つよ」


 えーっと、えーっと……それってつまり?

 ヴィルは私のことを単なる昔馴染みというわけじゃなくて、女として見てくれていたってこと……なんだね?

 しかも、手を出したいと――そう思えるくらいの存在なのね?


 ……どうしよう。

 顔が、爆発しそうだ。


「……わ、分かった。あの、ありがとう、ヴィル」

「いいんだよ。……ああ、そういえば一つ質問していい?」

「うん、どうぞ」

「今朝君が口にしていた『タカオ』って……誰のこと?」

「あっ」

「今まで君から聞いたことのある日本人名からして、男だよね? 君にとってどういう男? 今朝同衾していた俺と間違えるような存在だったってこと? ねえ、どんな人?」


 私の夫はどうやら、ちょっぴり独占欲が強いみたいです。









 勉強を終えた子どもたちが降りてきた。

 ヴィルフリートが、「これからしばらく、冴香はみんなと一緒に寝ることになった」と告げると、女の子や年少の者たちはおおいに喜んだ。さすがにアウグストくらいの年齢の者は気恥ずかしそうに辞退しているが、これなら冴香が寂しがることはないだろう。


「誰が冴香と一緒に寝るか」はローテーション制になり、今日は最年少のクラウスと寝ることになった。二ヶ月前に弟子入りしたばかりのクラウスは冴香を姉のような母のような存在と思うことにしたらしく、既にべったりだ。妻を別の人間に独占されているというのは悔しい気もするが、皆も冴香も嬉しそうなので、彼らの顔を見れば相殺できた。


「……嬉しそうですね」


 子どもたちに手を引かれて寝室に向かった冴香の背中を見守っていると、傍らから声が掛かった。そういえばさっきの間ずっと側にいたはずなのに、存在を消していたのかまったく意識していなかった。


「そう見えた?」

「はい。ここまで嬉しそうなヴィルフリートの顔を見たのは久しぶりかもしれません」


 いつも通りすました顔でそう言うのは、マクシミリアン。

 彼はヴィルフリートと冴香が使用したカップをワゴンに乗せ、肩を落とした。


「いえ……そもそもあなたは昔から、喜怒哀楽の表情変化に乏しい人でしたね」

「君ほどじゃないと思うけど?」


 そう切り返しながらもヴィルフリートは、先ほどの自分が「悔しさ」と「喜び」を相殺し合った結果、ほんの少しだけ「喜び」に表情が傾いていたことを知った。


 皆が去ったリビングは、しんと静まりかえっている。

 ヴィルフリートは、冴香が近くにいる間は伸ばしていた体をだらんと弛緩させ、行儀悪く足を組んだ。


「お行儀悪いですよ、ヴィルフリート」

「冴香がいないからいいんだ」

「サエカ様のこととなると、あなたは本当に馬鹿になりますね」

「逆に考えてみてよ。俺を馬鹿にできるのは冴香だけなんだ。それ、すっごくいいことじゃないか?」

「確かに」


 さすがマクシミリアンはヴィルフリートのことをよく分かっている。


 もともと彼は、学院時代のヴィルフリートの先輩だ。あの頃の自分は魔術狂で、寝食や人間関係をぶん投げてでも魔術の研究に没頭していた。マクシミリアンがちょくちょく顔を出してくれなかったら、ヴィルフリートは感情をなくしたまま今でも研究に身を投じていたか、自室で餓死していただろう。


 ……そもそも、マクシミリアンがいなければヴィルフリートは冴香と出会うことはなかった。

「これ、ほしいですか」と言って鉢植えをヴィルフリートのところに持ってきたのは、他でもないマクシミリアンなのだから。


「君があの桜の鉢植えを俺のところに持ってきてくれて良かったと思うよ、マックス」

「そうですね……まだ今後どうなることかは分かりませんが、ヴィルフリートのためにはなったのではないかと私は思っています」


 マクシミリアンは生真面目に返すのだった。

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