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そのとき彼は 2

 朝に冴香が登場し、昼までにはリリズの町の皆への通達や国王への連絡も済んだ。

 町の人は大喜びで、会場の飾り付けや冴香のためのドレスの調達など、協力してくれた。また国王からも返事が来て、「何それ初耳なんだが? まあ、いいけど」とのことだった。どんな形であれ国王の許可が得られたのだから、あとは式を挙げるだけ。


 冴香はあれから眠りっぱなしで、着付けやメイクなどはフローラを中心とした女の子と、たまに手伝いに来てくれるリリズの町の女性陣に任せておいた。

 ヴィルフリートは皆と打ち合わせをし、冴香と合わせた礼服を着て、眠ったままの冴香が会場に行けるよう椅子を準備した。まさか、冴香が見せてくれたかたろぐに載っていたクルマイスを、冴香のために使う日が来るとは思っていなかった。


 真っ白なウェディングドレスを着た冴香は、とても美しかった。着付けをしてもらい真っ白なシーツの海に横たわる冴香をそっと抱き上げてクルマイスに乗せ、会場まで連れて行く。

「皆には他の手伝いを頼む」とお願いしていたので、ヴィルフリートたちに付き添うのはマクシミリアンだけで、他の皆には諸々の作業をしてもらうことにした。


 式のために、町長にも協力してもらった。確か冴香は「きりすと教式の結婚式なら、神父さんの前で愛を誓う」とか言っていたが、フローシュ王国にそういった習慣はない。町長など偉い人が祝福の言葉を述べ、魔力を込めた台帳に新郎新婦の名前をサインすればいい。いきなりのお願いなのに町長は「シュタイン卿のためなら」と快諾してくれた。


 冴香を乗せたクルマイスを押し、ヴィルフリートは式場に入った。

 急ぎだったのであまり豪奢な飾り付けはできなかったが清潔感はあるし、窓から夕日が差し込んできていてとてもきれいだ。


 クルマイスを押して町長の待つ祭壇に向かう途中、もぞりと冴香が動いた。いいタイミングで起きてくれたようだ。


「冴香、目が覚めたんだね」


 背後から声を掛けると、冴香はあたりをきょろきょろ見回し、自分のドレスを見て「わあ、可愛い」とつぶやいた。

 そして振り返ってヴィルフリートをまじまじと見ると、ふにゃっと嬉しそうに微笑む。


 ああ、よかった、とヴィルフリートもまた柔らかい笑みを返し、女の子たちがきれいに結った冴香の髪をそっと撫でる。


「その……急ぎだったけれど、ちゃんと冴香の希望したドレスに仕上がっているかな?」

「うん、ばっちり。嬉しい。大好き」


 ……まさか、こんなに嬉しい言葉が聞けるなんて。

 見た目はすっかり大人になっているのに、思いがけない行動を取ってヴィルフリートを驚かせ、同時に喜ばせるなんて、やはり彼女は冴香だった。


 そんな彼女の不意打ちの言葉にやられ、ヴィルフリートは真っ赤になって口元に手をあてがう。


「……本当に、君という人は」

「あなたも格好いいよ」

「っ……あ、ありがとう。それじゃあ、式を挙げよう」


 クルマイスを祭壇の前まで進め、ヴィルフリートは一言断ってから冴香の体を抱き上げる。その体はやはり、心配になってくるくらい軽い。どう考えても、冴香本人よりドレスの方が重い。


 でも、あと少しで。

 全ての条件をクリアすれば、冴香は――


 町長はお決まりの口上を、かなり早口で述べてくれた。そうしている間にも冴香はうとうとしつつあるようで、ヴィルフリートの肝は冷えっぱなしだ。

 町長は台帳を広げ、「こちらにサインを」と言った。


「さあ、冴香。ここに君の名前を」

「なまえ」

「寺井冴香、だろ? 漢字でもひらがなでもいいから、ここに書いて」


 とにかく、彼女が自分の力で自分の名前を書けば何でもいい。

 町長から受け取ったボールペン――これもヴィルフリート作だ――を握らせると、冴香はゆっくりゆっくりと自分の名前を漢字で書いた。とてもゆっくりだったがちゃんとヴィルフリートにはその字が読めたし、ちらと町長を見やったところ、彼も少しだけ首を傾げながらも頷いた。


 冴香からペンを受け取ったヴィルフリートは冴香のときに浪費した時間を一気に巻くつもりで瞬時に名前を書き、冴香の体を抱え直して正面から向き直った。


 とろんとした眼差しの冴香が、自分を見ている。

 黒い目はしょぼしょぼしていて眠そうだけれど、その目にはちゃんとヴィルフリートの顔が映り込んでいる。


 もうちょっと、もうちょっとだ。


「冴香、口づけをしよう」


 冴香との初めての口づけ。

 それがこんな形になるとは思っていなかった――というより、ちゃんとキスできるとは夢にも思っていなかった。


 こくんと頷いた冴香のベールを片手で持ち上げ、身を屈めて冴香の唇に自分のそれを重ねる。


 ふわっと柔らかくて、ちょっとだけ濡れていて、触れあっているだけでぞくぞくと背筋に痺れが走る。

 だが、これだけで終わらせてはいけない。


 幸福に浸っている様子の冴香に心の中で詫びを入れ、ヴィルフリートは重ね合わせた唇から冴香の体へと、自分の魔力を流し込んだ。


 びくっと冴香の体が震え、苦悶の悲鳴が上がる。

 だが、解放することはできない。


「冴香、頑張って。もうちょっとだから」


 じたばた暴れもがく冴香の体を抱きしめ、逃げられないようにする。

 いきなり他人の魔力を流し込まれたから、冴香の体にとっては酷い負担になっているのは分かっている。

 だが、ここで中途半端にした結果、冴香が消えてしまうのが一番怖い。


 ヴィルフリートは魔力を流し込みながら、横目で台帳を見やる。

 ついさっき、冴香とヴィルフリートがそれぞれ台帳に書いた名前。その名前は同じペンを使って書いたはずなのに、冴香の名前だけ黒いままで、ヴィルフリートの名前だけ金色に光っている。


 だが――同じように台帳の様子を見ていた町長が、「シュタイン卿!」と声を上げた。それまで黒い字だった冴香の名前がきらきら輝きだし、そして――ヴィルフリートの名前と同じ、眩しい金色に変わった。


 同時に、がくっと冴香の体が力を失い、その場にずるずると倒れ込んでしまった。抱き留められなかったのは申し訳ないが、ヴィルフリートもいきなり――冴香の体が重くなったので、支えきれなかったのだ。


 そう、冴香の体の重みを感じる。

 その場にしゃがみ、震える指先で彼女のベールを持ち上げる。式の前までは青白いを通り越して椅子の模様が透けていた彼女の肌はなおも血の気は少ないが、透けていなかった。


 冴香の魂が肉体を再形成し、ヴィルフリートの魔力と繋がることでこの世界に認められたのだ。


「っ……ああ、冴香……冴香!」


 ただただ、彼女の名前を呼ぶことしかできなかった。


 祭壇の前で気絶した新婦と、その体をしかと抱きしめて嬉し泣きをする新郎。

 そんな二人の様を式場の入り口から黙って見守っていたマクシミリアンは――ヴィルフリートたちに背を向け、こっそり目元を拭ったのだった。














 その日、リリズの町――そしてヴィルフリートの屋敷は騒然としていた。


 ヴィルフリートは無事に冴香と式を挙げ、彼女の体を繋ぎ止めることができた。つまり、いろいろ例外ではあったが二人は夫婦になったのだ。


 朝に求婚し、夕方に結婚する。

 しかもそんな強行軍を実施したのは、かの有名なシュタイン卿。


 ある程度の事情を知っている国王がそれとなく目を光らせてくれているとはいえ、知りたがりたちが町や屋敷に突撃してくるのだという。

 夜になっても屋敷には手紙が溢れんばかりに届くし、リリズの町にも「シュタイン卿夫人」について詮索しようとしている怪しげな人がうろついているとのことで、ヴィルフリートも黙っているわけにはいかない――が。


「いいですか、ヴィルフリート。サエカ様はまだお目覚めではないとはいえ、今夜は新婚初夜。それなのに花婿が花嫁をほったらかすなんて、あってはならないことでしょう」


 町に出向こうとしたヴィルフリートだが、玄関でマクシミリアンに止められた。

 彼はもともと細い目をさらにきつく細め、ドアの方を親指で後ろ様に指した。


「リリズの町には我々が行き、手紙の処理はフローラとアウグストが行います。その他、屋敷のことは就寝時間になるまで他の子どもたちが行うことになっています」

「でも、俺たちの結婚のことなのに皆に丸任せするわけには――」

「本当にあなたは、肝心なところで馬鹿になりますね」


 マクシミリアンはため息と共に言い、不服そうな顔のヴィルフリートに笑みを向けた。


「……この二年間、あなたは我々のために心を砕いてくれました。今日一日くらい、我々に甘えなさい。あなたは確かにもういい大人ですが、大人だからこそ周りにうまく頼るものですよ」


 ……数年ぶりになるだろう、マクシミリアンの「お小言」だった。


 目を丸くして動きを止めたヴィルフリートに頷きかけ、マクシミリアンは「フローラ、アウグスト」と廊下の奥に呼びかけた。


「我々はこれからリリズの町に行きます。二人は『シュタイン卿夫妻』が就寝できるようご案内し、各々の行動を開始するよう子どもたちに呼びかけなさい。就寝時間は守ること」

「はい」

「かしこまりました、マクシミリアン様」


 年長者二人がきりっとした表情で言ったのを見届け、マクシミリアンはバイロンたちを伴い出て行った。


 ヴィルフリートはしばしその場に立ちつくしていたが、「ヴィルフリート様」と呼びかけられ、振り返る。

 そこには、子どもらしい笑顔を浮かべたフローラとアウグストが。


「上に行きましょう」

「アンネとマヤで奥様のお体を拭き、寝間着に着替えさせております。お部屋の準備はクリストファーとロジーナが行っています」

「他の子たちは、ケヴィンたちが面倒を見ています。ですので……ヴィルフリート様は、奥様と一緒にお休みになってください」


 ヴィルフリートは目を丸くし、そしてゆっくり頷いた。

 リリズの町は騒がしいし、子どもたちにまで仕事を任せている。本当なら、家主である自分が率先して動かなければならない。


 だが皆は、「ヴィルフリートの仕事は奥様の側にいることだ」と言っているのだ。それは彼らの――ヴィルフリートへの感謝、そして結婚への祝福の思いの表れなのだ。それを無下にする方が非情だろう。


 ヴィルフリートはフローラたちに続いて階段を上がり、寝室に向かった。ドアを開けるとアンネとマヤが立っており、「お支度しました」「お休みなさいませ」とちょこっとお辞儀をして出て行った。


 ヴィルフリートは四人の子どもたちに礼を言い、部屋に入った。アンネたちはベッドサイドの照明魔法器具だけつけてくれていたようで、薄明かりの中、ベッドに横たわる冴香の姿がぼんやり浮かび上がっていた。


「冴香」


 名前を呼び、そっとその頬に触れる。

 触れた肌は温かくて、弾力がある。


 式のあとも彼女はずっと眠ったままだ。文献にも、「肉体再生がうまくいったあとは、しばらくの間眠り続ける」とあった。

 何時間、何日眠り続けるのかは分からないが、魔術は成功している。いつかきっと、目覚めるはず。


 ベッドに上がり、冴香の横に潜り込んだ。

 やや遠慮がちにその体を抱き寄せると、今は確かな人間の重量が感じられる。


「冴香」


 呼んでも、今は返事がない。

 それがいいだろう。

 彼女も疲れている。心おきなく休んでから、目を覚ましてくれればいい。


 やっと手に入れられた。

 どんなに触れたくても触れられなかった存在。

 同じ世界を目に映し、同じ想いを抱いているというのに、二年前の自分は彼女の体を抱き留められなかった。


 でも今は、抱きしめられる。

 生きた存在で腕の中にいる。


 もう二度と、離したくない。


「……愛しているよ、冴香」


 ヴィルフリートは掠れた声で囁き、新妻の額にそっと口づけた。











 目が覚めたら、たくさんの話をしよう。

 たくさんの魔術を見せてあげるし、たくさんの世界を見せてあげる。


 だから……これからもずっと、一緒に生きていこう。

 この世界で、俺と一緒に。 

これにてヴィルフリート編も完結です

お読みくださりありがとうございました!


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