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過去 4

「ねえ、ヴィル。あなたはどうするの?」


 現在考案中のソウジキ魔法器具について考えながら食堂で食事をしていると、ゲルトラウデに捕まった。

 前はちょくちょく彼女らと一緒に食事をしたりもしていたのだが、最近の彼は皆とは別行動を取っているので、自然と疎遠になっていた。


 それに、今ではもうゲルトラウデたちの考えに賛同することはできなかった。


 ゲルトラウデに話しかけられたことでせっかく練っていた案が吹っ飛んでしまい、ヴィルフリートは不機嫌を隠そうともしない顔で振り返った。


「……何の話?」

「進路よ。わたくしたちはもうじき前線戦闘部署の試験を受ける予定だけど、せっかくだしヴィルも一緒に受けましょうよ」


 ね? と首を傾げながらしなだれかかってくるゲルトラウデ。

 わざとなのか偶然なのか、同級生の中でもひときわ立派な胸の脂肪を押しつけられたヴィルフリートは、そういえば冴香は胸元が慎ましかったな、と思い出してちょっと気恥ずかしい気持ちになる。


 ほんのり頬を赤く染めたヴィルフリートを見て周りがざわつく中、なぜか得意げな表情になったゲルトラウデはちょんちょんとヴィルフリートの背中を突いてきた。


「ヴィルならきっと、エリートとしてすぐに昇格できるわ。それに、わたくしたちともこれからもずっと一緒にいられるし、いいこと尽くめじゃないの」

「え? ……ごめん、聞いてなかった。何の話だっけ?」


 そういえばこの前冴香が髪を切ったことを指摘したら、「気づいたの? 嬉しい!」と喜んでくれたっけ……と考えていたので、ゲルトラウデの話を聞いていなかった。


 ゲルトラウデはひくっと小鼻をひくつかせ、「もう!」とヴィルフリートの背中を叩いた。地味に痛い。


「ヴィル、最近ぼーっとしてばかりよね。いつも部屋に籠もっているし……何かわたくしたちに内緒なことでもしているの?」

「俺がたとえ内緒のことをしていても、ゲルトラウデに言う筋合いはないんじゃないかな」


 なんとなくだが、ゲルトラウデに植木鉢のことを言えばろくなことにならない気がしていた。

 異世界人で、しかも魔術師でない同じ年頃の少女と交流していると言えば、植木鉢を叩き割られそうな気がする。そもそも、植木鉢をくれたマクシミリアンならともかく、関係のないゲルトラウデたちにわざわざ報告する義理はないはずだ。


 そういうわけでヴィルフリートとしては至極真っ当なことを言ったつもりだが、ゲルトラウデは明らかに機嫌を損ねたようだ。


「何よ、それ。それが学友に対する態度なの?」

「それとこれとは別だと思う。……ああ、あと、この前君、低魔力者排除同盟とやらの署名を迫ってきただろう。あれ、俺は参加しないから」


 先日、ゲルトラウデの取り巻きの一人がヴィルフリートにサインを求めに来たのだ。何かと思えば簡単に言うと、「低魔力者を差別しましょうの会」への参加同意だ。そういう団体が学院内にあるとは聞いていたが、まさかこうも堂々と署名を求めに来るとは思っていなかった。


 この学院は生徒が生徒なら教師も教師で、「低魔力者は社会の最下層にいるべき」という考えの者ばかりだった。思想までは法律でも規制されないのだが、表立ってこういう活動をして国王の目に留まればよいことにはないだろうということで水面下で行われているのだ。


 国王陛下も去年一年だけ在学していた王太子殿下も低魔力者を保護する立場であることもあり、ゲルトラウデたちの活動は収まってきていると思っていた。だが王太子がいなくなればこのザマだ。

 いつかこの学院は潰れるのではないか、とヴィルフリートは思っている。むしろ王太子はこの学院の風紀を正すための視察に来たのかもしれないのに、ゲルトラウデたちは何も変わらない。残念だ。


 落ち着いた様子であれこれ考えるヴィルフリートだが、とたんゲルトラウデは血相を変え、バンッとテーブルを叩いた。ヴィルフリートの食べかけの料理が吹っ飛んだ。もったいない。


「何を言っているの、ヴィル! どうかしてしまったの……!?」

「どうも何も、俺は君たちの考えがおかしいということに気づいた。それだけだ」

「お、おい。まさかヴィル、低魔力者に肩入れするつもりか!?」


 取り巻きの一人が血相を変えて叫ぶが、清掃魔術で机の上をきれいにしていたヴィルフリートはきょとんとして彼の顔を見上げる。


「肩入れ? そんなわけないだろう。肩入れも何も、俺たちは同じ人間じゃないか。だったら魔力のあるなしで差別する方が馬鹿馬鹿しくないか?」


 ……この発言をしたのがヴィルフリートでなかったら、この食堂は乱闘騒ぎになっていたかもしれない。発言者はゲルトラウデたちの怒りに触れ、魔術で吹っ飛ばされていたかもしれない。

 

 だが、そのトンデモ発言を噛ましたのは学院きってのエリートであるヴィルフリート。ゲルトラウデたちも魔術の腕は確かなのだが、彼らが束になってもヴィルフリートに勝つことはできないのだ。


 そういうことで今や食堂にいる者全てがヴィルフリートを凝視し、その過激な発言に唖然としていた。


 ゲルトラウデはしばし口を開いたり閉じたりしていたが、やがてきゅっと唇を轢き結び、ヴィルフリートの左頬に平手を食らわせた。


「最低! あなたがそういう人だとは思っていなかったわ!」


 頬を張られたが、全然痛くない。むしろ張った方のゲルトラウデが痛そうに手をひらひらさせている。

 だったら殴らなければよかったのに、と思いながらヴィルフリートは残った料理を掻き込み、立ち上がった。


「おい、ヴィル!?」

「これ以上話すことはないだろう。俺はもう行くよ」


 食器の載ったトレイを手に元学友に背を向けると、ヴィルフリートはさっさと歩き出した。

 背後でゲルトラウデが「どうしてあのヴィルが……! ねえ、ヴィル、ヴィル! わたくしたちと一緒に崇高な使命を全うしましょう!」と叫んでいる。


 さて、今日は冴香とどんな話ができるだろうか。











 ここ最近、ヴィルフリートは魔法器具の研究に加え、ある計画を練っていた。


 以前冴香は、「あと半年したら都会の大学を受ける」と言っていた。そのダイガクとやらはとても遠い場所にあり、もし受かれば冴香は一人暮らしをしてダイガクに通うことになるそうだ。


 そうすれば、彼女と会えなくなるかもしれない。

 それどころか、彼女は自分と会うよりもっともっと楽しいことをダイガクで見つけてしまうかもしれない。

 さらに言うと、若い女性の身空で一人暮らしをしていて、よからぬことをたくらむ者に目を付けられるかもしれない。


 ヴィルフリートの知らない場所で冴香が幸せになるなら……本当はすごく嫌だけど我慢できるにしろ、悲しんだり、痛い思いをしたり、辛い目に遭ったりするなんてことを考えるだけで胸が苦しくなる。


 だから、彼は作っていた。

 全身全霊、今の彼にできる全てを注ぎ込んだ、想いの指輪を。














 冴香の世界に、彼女と出会って何度目になるか分からない春がやってきた。


 今年も桜は満開で、ケンドウ沿いに白い並木が続く様は壮観だ。ヴィルフリートは桜の木から離れられないのだが、以前冴香が「びでおかめら」で並木を撮ったドウガを見せてくれた。

 動く絵の精巧さに感心するのはもちろんのこと、見事な桜並木にヴィルフリートはついつい食い入るように画面を見つめてしまったものだ。


 そんな中、彼女はやって来た。

 今までにないくらい落ち込んだ様子で、肩を落としてやって来た彼女は、「おばあちゃん、死んじゃったんだ」と掠れた声で言った。


 そういえば、けーたいとやらで撮った彼女の祖母のシャシンを見せてもらったことがある。最近体調が優れず、実の娘である冴香の母親がつきっきりで看病していたそうだが、そのまま回復せずあの世に旅立ってしまったそうだ。


「……それで、ね。おばあちゃんの家はもうすぐ取り壊されて、土地が売り出されることになったの」


 続いて冴香は、志望校に合格し、都会に行くことを告げた。彼女の祖母の死は想定外だったが、ダイガクに通うために地元を離れるというのは知っていた。


 ……だから、ヴィルフリートは。


「……ねえ、冴香。手を出して」


 上着のポケットに入れた指輪の箱の感触を確かめてそう言うと、意味が分からなかったらしい冴香は両手を上に向けて差し出してきた。

 そんなところも愛らしいと思いながら、ヴィルフリートは彼女に左手の甲を差し出すように言い、おっかなびっくりする彼女の指に手製の指輪をかざす。


 どうか、どうか、届きますように。

 あいにく、冴香の手を支えるように添えた自分の左手は彼女の手を貫通した。それを見て泣きたくなるほど悔しくなったけれど、銀色に光る指輪は――奇跡的にも冴香の指先を捉え、その左手薬指に収まってくれた。


 いよいよ泣きたくなってきた。

 でも彼は嬉しそうに指輪を観察する冴香を前に泣くことはできず、照れ隠しで頬を掻いた。


 冴香の世界で左手の薬指に嵌める指輪は、結婚の証。

 彼はちゃんと知っていた。昔冴香が持ってきた「ぶらいだる情報誌」とやらに載っていたのを、ちゃんと覚えている。


 分かっていて彼は冴香に指輪を贈ったし、冴香もまた分かっていて、大人しく指輪を受け入れた。


 それはつまり――二人の想いは重なっている、と思っていいのだろうか。

 むしろ、お互いがこんな想いを抱いてもいいのだろうか、と胸の奥で冷静な自分が警鐘を鳴らしていた。


「……ヴィル、分かっていて指輪を嵌めたの?」

「うん、分かっている。冴香も分かっていて、大人しくしていたんでしょ?」

「それはっ――! まさか本当にもらえるとは思ってなくて、私もびっくりして……」

「でも嫌じゃないでしょ? もし本当に嫌だったらその指輪、もう既に粉々に砕けているはずだから」


 冴香が指輪を受け取りたくないと思っているのなら、「冴香を守る」力を持った指輪は彼女の指に収まることなく、崩れ去ったはずだ。ちゃんと彼女のもとに届いたというのはつまり、冴香もまた指輪をもらって喜んでいるということなのだ。


 彼が言うと、冴香はぎゅっと左の拳を固めると、駆け出してきた。

 彼女の意図を察し、ヴィルは胸が苦しくなるほどの思いに駆られて両腕を広げる。


 分かっていた。


 この胸板は、彼女の体を受け止めることができない。

 この両腕は、彼女を抱きしめることができない。


 冴香の体は無情にもヴィルフリートの体をすり抜け、桜の木の根っこに足を引っかけそうになり体をぐらつかせる。


 ああ、もし自分に実体があれば。

 ふらつく彼女を支えてあげることができたのに。

 震えるその肩を抱き寄せることができたのに。


「ヴィルっ!」

「冴香……」

「好き! 私、あなたのことが好きなの!」


 ヴィルの背後で冴香が叫んでいる。


 それは、言ってはいけない言葉のはずだった。

 世界を隔てる絶対的な壁を越えられない二人の間では、「分かっていても言わない」と暗黙の了解のはずだった言葉。


 それなのに、冴香は壁を乗り越えようとしてくれる。

 無理なのに、できっこないのに、いじらしく精一杯足掻き、純粋すぎる想いをぶつけてくる。


 ヴィルフリートは冴香に見えないのをいいことに目元を勢いよく一度擦ると、数歩後退した。

 彼の体は冴香の体をすり抜けそのまま、顔を真っ赤にして目を擦る冴香と正面から向き合った。


 ヴィルフリートは両腕を上げ、立ち位置を微妙に調節することで冴香を抱きしめているかのような姿勢になった。


 絶対に抱き留められないのは分かっている。

 こんなの、子どものおままごとみたいなものだと分かっている。


 でも、おままごとでも。

 フリでもいいから、伝えたかった。


 そして、彼女が声に出して訴えてくれたように、自分も――


「俺もだよ。俺も、君のことが大好きだよ……!」


 触れられない肌、感じられない温もり。

 でも、こうして抱きしめているフリをするだけでも、ちょっとでも伝わるような気がした。


 ヴィルフリートの告白を聞いた冴香の喉がひくっと動き、限界まで開かれた瞳が真っ直ぐヴィルフリートを見据える。黒曜石のような目が潤んでいる。もうじき溢れるのが喜びの涙ではなく悲愴の涙であろうことは明らかで――冴香を守りたいと言っているくせに自分が彼女を泣かせようとしているというのが、たまらなく滑稽だ。


「っ……連れてってよ……! ねえ、私、ヴィルの世界が見てみたい! 魔術で炎を出したり、便利な道具を作ったりしているんでしょう!? ヴィルばっかり私の世界を見ていて、卑怯じゃない!」


 冴香の叫びは物理的な攻撃力を持たないはずなのに、確実にヴィルフリートの胸をえぐった。

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