表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/52

37 絶体絶命

 ……ここは、どこだ?


 瞬きする間にトイレから見知らぬ小部屋に移動していた私はその場にへたり込み、浅い呼吸を繰り返すことしかできない。突然のことに、脳みその処理能力が追いついていなかった。


「……はぁ、結構手こずらせたわね」


 呆れたような女性の声がする。

 ああ、この声は、もしかしなくても……。


「グルタローデ様……?」

「いい加減人の名前くらいちゃんと呼びなさい、低魔力者」


 イラッとしたように言われたけど、そんなこと言われても困る。発音が難しいんだもの。


 へたり込む私を睨み下ろしているのは、頭からすっぽりフードを被った人――ゲルトラウデさんだった。

 顔の大半はフードで隠れているけどきれいな巻き毛が零れているし、声で分かった。あとぶかぶかの服越しにも胸がでかいのが分かる。


「ようこそ、サエカ・シュタイン。そして、今日が命日になって、おめでとう」

「全然おめでたくないんですけど」

「あなたに拒否権はなくってよ。散々忠告して差し上げたのに、性も懲りずヴィルの周りをうろうろして――目障りだったのよ」


 ぎっ、と緑の眼差しをきつくし、ゲルトラウデさんは足で何かをぐりっと踏みにじった。

 ――それは、私のワンピースの裾だった。


「わたくしね、最初にあなたにあった日からずっと考えていたの。もしあなたが大人しく消えてくれるならそっとしておいてあげるつもりだったけど、いつまでもだらだらとヴィルの屋敷に居座る気なら、どうしてやろうってね」

「居座るも何も、私はヴィルの妻です。あなたに何か言われたからといって出て行く必要はないでしょう」


 今日が命日、と物騒なことを言われたけれど、私はあえて強気に言い返した。


 ――大丈夫。私にはこのブレスレットがある。

 ゲルトラウデさんは、私が弱気になったり黙ったりしたら調子に乗ってくる節がある。だったら話す内容が少々支離滅裂になろうとおつむの弱い子だと思われようと、弱みを見せたくはない。


「ヴィルだって、同じです。私を屋敷から追い出そうとするならそれは、ヴィルの思いを踏みにじる行為です。……あなたは、ヴィルのことが、好きなんじゃないんですか?」


 高確率で正解するだろうという勝算を胸に問うてみると、ゲルトラウデさんの顔が明らかに歪んだ。

 そして――


「いっ……でぇ!」

「もうちょっと可愛らしい悲鳴を上げたらどうなの?」


 それまでワンピースをぐりぐり踏んでいた足が持ち上がり、私の脹ら脛を蹴飛ばしてきた。

 相手は細身の女性だから攻撃力は低いけれど、履いているブーツのヒールがやけに尖っていたので、かなり痛かった。


「わたくしがヴィルを好き? ……そう、そうね。でもそれは過去の話」

「……だ、だったら私たちのことは放っておいてくれればいいじゃないですかっ!」

「放っておけないから、こうしてわざわざ誘拐したのでしょう? ……もういいわ。さよなら、サエカ・シュタイン」


 ゲルトラウデさんがそう言い、背後にあったドアに向かって「来なさい」と声を上げた。

 すぐにドアが開き、無言で入室してきたのは――手にナイフや鉈のような刃物を持った男たち。どれもこれも表情が死んでいて、お世辞にもきれいとは言えない服装をしている。


 ……この人たちは……いや、「今日が命日になる」って、まさか――


「ほら、さっさとやってしまいなさい」

「……なあ、魔術師様。こいつ、結構可愛い顔してるじゃないっすか」


 声高に「やれ」と命じたゲルトラウデさんだけど、男の一人が私の顔を見てそう言った。

 急な展開に私は声も上げられずじりじりと壁際に寄るしかできなかったけど、こんな人たちに「可愛い顔」なんて言われてもちっとも嬉しくない。だから、「結構です」という気持ちを、言葉ではなく表情で表しておいた。


 ゲルトラウデさんはつまらなそうな目で私を見、男たちを見――やれやれとばかりに肩を落とした。


「……本当に低魔力者は趣味が悪いわ。どうせ殺すのだから、その女の体がほしいなら好きになさい」

「へい、どうもです」

「は!? ちょっ……うわぁぁぁぁ! 来るなぁ!」


 会話の意図を察した私はようやっと悲鳴を上げてあとじさるけれど、両腕をがしっと掴まれてしまう。

「体がほしい」って……つまりこいつら、私を殺す前に――!


「い、嫌だ! 嫌、助けて、ヴィル!」

「ヴィルは来ないわ! 大切な研究発表を放っておくはずないでしょう」

「嫌! ヴィル、ヴィル! 来てよ!」


 何かあればすぐに駆けつけるって言った。私を守るって言ってくれた。


 でも……ヴィルは来ないの?


 私の来ていたワンピースがびりっと引き裂かれ、逃げられないよう男たちが両足と腕を拘束してくる。

 とうとう逃げられなくなり、悔しさと怖さと生理的な嫌悪で目尻がかあっと熱くなり、涙が溢れてくる。


 少し離れたところで、ゲルトラウデさんが「……うわ、気持ち悪……」とつぶやいて部屋から出て行ったのを感じる。

 くそっ、言うだけ言って逃げる気か! 最低! 女の敵は女だ!


「くっ……離せ! 嫌だ、寄るなキモオヤジー!」


 いざとなったら噛みついてでも抵抗してやる! ……何に噛みつくのかって? ええい、皆まで問うな!


 じたばたもがきながらも、男たちは私の服を剥ぎ、下着にまで手を掛けてくる。相手は大の男四人、こっちは魔力ゼロの雑魚。勝てるはずなんて……ない。


 でも、まな板の鯉になるつもりもない。打ち上げられた鯉なら鯉らしく、最後までビッチビッチはね回ってやる!

「舌を噛んで死ぬ」なんて言葉があるけどそんな勇気のない私にできるのは、多少醜くても相手にドン引きされてでも、抵抗することのみだ!


「……シュタイン卿夫人」


 歯をむき出しにしてガルガル威嚇していると、ふと耳元に落ち着いた声が届いた。

 周りで他の男たちが「ほんっと上玉だ!」「おい、俺が先だ!」と騒いでいる中、ともすれば聞き零してしまいそうなほど微かな声。


「申し訳ありません、夫人。どうかしばらくの間、ご辛抱を」

「え? ……いっ、ぎゃあっ!?」

「すみません、あなたの悲鳴が聞こえなくなれば、あの女が警戒するでしょう。ですから、どうか無礼をお許しください」


 きょとんとしたのもつかの間、剥き出しの太ももをいきなり摘まれ、私は悲鳴を上げてしまう。

 思いっきりつねられた太ももは痛い。でも、男の人の落ち着いた声で、私の脳みそは混乱しつつも少しだけ冷静さを取り戻していた。


 この発言は、今から女を襲うとしている強姦魔の台詞じゃない。


「お聞きください、夫人。この部屋には魔術結界が張られており、このままだとシュタイン卿が魔術を使ってあなたの位置を特定することが難しいのです」

「そ、そんな……い、痛い痛い痛いっ!」


 今度は爪の先で肌を引っ掻かれた。

 私にリアルな悲鳴を上げさせるためだとは分かっていても……容赦ない。痣になったかも。


「我々はあの女に雇われた低魔力労働者です。命令に背けば家族の命はない、と。しかし……我々にも扱える魔法器具を開発し、我々の存在を受け入れてくださったシュタイン卿には多大な恩義がございます。……失礼します、夫人」

「へっ!? ……う、うむうううう!?」


 一言断られた直後、私の口に布の塊が詰め込まれた。

 いきなり布を詰め込まれて悲鳴を上げる私と、私たちの異変を外部に気づかれないよう下品な会話をする男たち。

 そして、さっき引き裂いたワンピースを私の肩から掛けながら一人冷静に事情説明をする男。


 なんだこのカオス空間。


「ん、んんんんんー!」

「そうです、もうちょっと声を上げて――夫人、今から我々はあなたをお連れしてこの部屋を脱出します。あの女は強力な魔術師ですが、不意打ちの攻撃には弱いはず。我々が盾になりますので、夫人はお逃げください。廊下には魔術結界が張られていないそうです。逃げる時間が長くなれば長くなるほど、シュタイン卿の到着が確実になります」

「う、うん……うぐえぇ……」


 言いたいことは分かった。

 頭の中はパンク寸前だけど、「隙を衝いて脱出し、ヴィルに保護されるまで逃げ切れ」ということは分かった。


 でも……でも、それをしたら、この人たちは?


「ん……うえっ、でも、あの、あなたたちは――いっ、いったーーーーーい!」

「申し訳ありません。……我々のことを案じてくださり、ありがとうございます。でも、この命令を受けた時点で我々が始末されるのは分かっておりました。……シュタイン卿夫人、どうか生き延びてください。そして――どうか、フローシュ王国東端にあるクスという小さな町にいる我々の妻子を保護してください。それだけで十分でございます」


 静かで、それでいて確かな決意を持った彼の言葉に、私は泣きたくなった。


 自分は殺されるかもしれないのに。

 この人たちは私が逃げ切り、ヴィルに保護され、ヴィルが故郷の家族を守ってくれることの方に懸けたんだ。


 私が大人しくなったのを見ると男の人は頷き、他の人たちにも目線で合図をした。

 彼らはなおも騒ぎながらもそれぞれの武器を構え、ドアの方を見つめている。


 ……そうだ。あのドアの向こうにはゲルトラウデさんがいる。

 ゆっくり考える時間なんてないんだ――


「……参ります、夫人。どうか……ご無事で」

「うっ――」


 うん、と言うよりも早く、男の一人がドアを勢いよく開けた。

 廊下に立っていたらしいゲルトラウデさんが怪訝そうな顔をしたのが一瞬だけ見え――


「行け!」


 私を説得した人が叫ぶと同時に、三人がゲルトラウデさんに飛びかかった。

 そして残った一人は私の腰をがっと掴んで、廊下に飛び出す。


「なっ……! こ、この役立たずの生まれ損ないがっ!」


 ゲルトラウデさんの怒りの絶叫と、男の人たちの悲鳴。

 一切の魔力を持たない私でも、背後でとんでもない量の魔力が溢れたのが分かり――怖くて、思わず目をぎゅっと閉ざしてしまう。


「くっ……申し訳ない、夫人! ここから先はお一人で――」


 私を抱えて走っていた男性が苦しそうに呻き、直後、私の体をぽんっと廊下の奥に放り投げた。


「うっ……わぁっ!?」


 足腰もまともに立たなくなっていた私はなすすべもなく宙を飛び、べしゃっと廊下の床に落下した。

 体中がむちゃくちゃ痛い。一応ワンピースは着ているけど引き裂かれているからぼろぼろで、落下時のクッションにはなってくれなかった。


 そして――あちこち悲鳴を上げる全身に鞭打ち体を起こした私は、見てしまった。

 背後の廊下に紫色の霧が立ちこめ、倒れ伏す男の人たちに襲いかかっていて――


 私を放り投げた人は「いいから、早く――」と呻いた直後、ごほっと真っ赤な血を吐き出し、動かなくなった。

 その瞬間、私の体中から温もりが消え去り、脳みそをぎゅうっと絞られているかのように目の前がチカチカしてくる。


 目の前で吐血し、窒息のためか顔中の皮膚を紫色に染めた人なんて生まれて初めて見た私の体は、ちゃんと動いてくれなかった。


 この人は――どう、なったの――まさか、死んでしまったの――?

 私を逃がすために――?


 逃げろ、と言われた。

 逃げれば逃げるほど生存率が上がる、とも言われていた。


 でも、私の足は肝心なときにちゃんと動いてくれなかった。ガクガク震えるとかじゃなくて、びくとも動かない。

 長時間正座したあとかのように動かないし、体に巨大なゴムの部品を取り付けているかのように重くて、自分の体の一部とは思えないくらい。


 紫の霧はあっという間に廊下を埋め尽くし、私をも包み込んできた。


 私も――私も血を吐いて、死ぬの――?


 でも、そうはならなかった。

 突如、私の左手首を飾るブレスレットが眩しいばかりに光り、おどろおどろしい霧を吹っ飛ばしたのだ。


 春風のような優しい風が吹き出し、紫色の霧を廊下の奥に押しやる。風はその場に倒れ伏していた男の人たちも優しく包み込み――げほっ、と小さく噎せる声、生きている証の音がして、私は泣きたくなった。


 ヴィルだ。

 ヴィルの魔法が私を――私たちを守ってくれた。


 霧が吹き飛ばされると、その向こうに立っていたゲルトラウデさんの姿もはっきり見えた。

 彼女は最初驚愕の表情をしていたけれど、やがてそのきれいな顔を怒りに歪め、大股でこっちに掛けてきた。


「くっ……やはりヴィルの魔力ね! そのブレスレットか!」


 忌々しそうに吐き捨て、私に向かって右手のひらを向けてくる。

 そこから、失明しそうなほど眩しい光が溢れた――けど、私にぶつかる前にふわっとした柔らかな風が私を包み、光が弾けた。


 まただ。

 また、ヴィルの魔術が発動した。


 魔術では私を殺せないと分かったのか、ゲルトラウデさんは「これだから低魔力を雇ったのに――!」と歯がみしたあと、足下に転がっていた鉈を拾い上げた。


「手間を取らせて――!」

「う、うるさいっ!」


 ヴィルの魔術の風は、私の体力を回復させ、勇気も奮い立たせてくれていた。


 さっきまではびくともしなかった両足が、きちんと動く。

 私は立ち上がり、同じく足下に転がっていたナイフを拾い上げてゲルトラウデさんに突きつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ