36 フローシュ王国の魔法器具文明
間もなく、発表会が始まった。
今回発表する人たちが順にステージに上がると、観客席からふわりふわりと虹色のシャボン玉のようなものが浮かび上がった。
どうやらこの世界には勲功者に拍手をする、とかいう慣習がないようで、褒め称えるときや歓迎するときなどは魔術で作ったシャボン玉を空に飛ばすことになっているそうだ。拍手をする人数やその音の大きさで度合いが分かるように、シャボンの大きさや数、色の美しさにそれぞれの思いを込めるのだという。
とはいえ、残念ながら私には無縁のことだ。シャボン玉の液でもない限り、シャボンを出すことなんて不可能だもの。
例のマダムはこれ見よがしにたくさんのシャボン玉を手から出しながら私をちらっと見、不敵に笑ってきたけれど、無視。いい年こいて幼稚なマウントを取ってくるんじゃないぞ。
私の分もフローラやアウグストがシャボン玉を出してくれている中、私は目をこらしてステージに上がったヴィルの姿を捜し――いた。
十名近くいる発表者の中でもとびきり若くて、きれいな顔立ち。
妻の贔屓目もあると思うけれど、魔術研究部署の証である白いコート姿で凛と立つヴィルの姿は他の誰よりも素敵で、輝いて見えた。
公の場だからかヴィルはこっちを見たりせず、ステージに上がった国王陛下の話を真面目な顔で聞いている。
彼はここ最近でちょっと伸びてきた茶色の髪をまとめ、首筋でリボンで結わえていた。白は膨張色と言われるけれど、純白のコートとスラックス、のど元で締めたアスコットタイは彼の繊細で優美な体躯を魅力的に引き立てている。
ふわっとした笑みを浮かべることの多いヴィルの真剣な表情に、私の胸はドキドキしっぱなしだ。……本当に、ヴィルのことをからかえないくらい私もすっかり溺れてしまったな。
そうして始まった発表会は新作魔法器具の紹介だけでなく、最近解明した魔術理論の説明だったり、新型兵器のお披露目だったりと、いろいろな分野があった。
どれもなかなかおもしろかったけれど、ひときわ皆の関心を集めたのは――
一人の中年魔術師がステージに上がる。続いて奥から、布で覆われた大きなものが運び込まれてきた。
布越しだけど、たぶん筒状。台座に車輪が付いているようで、軋んだ音を立てながらステージの中央に運ばれてくる。
「こちらは、兵器開発部署が最近改良した新型マホウダイです」
発表者がマイク――うん、どう見てもワイヤレスマイクだ――を手に述べたと同時に、布が取り払われる。
「マホウダイ」なる初耳のワードに首を捻っていた私は、布の下から現れた「それ」を見て――息を呑んだ。
台座に載っていたのは、銀色の筒だった。細身の人間ならするりと入ってしまえそうなほどの口径で、ちょうどその先がこっちを向いているから、筒の中が黒々とした闇で包まれているかのように見える。
マホウダイ――魔砲台?
「近年我がフローシュ王国が各国に貸与している魔砲台は、命中精度を犠牲にして射程距離を伸ばすことを念頭に置いておりましたが、こちらの新作魔砲台は従来のものより射程距離を落とす代わりに、破壊力と命中精度を高めました」
マイク片手にそう言った魔術師は、「ご覧ください」と言い、砲台の後ろに回った。私のいる場所からはよく見えないけれど、彼は砲台の下にある台座の前にしゃがみ込んで何か操作しているようだ。最初はほぼ水平を向いていた銃口も、魔術師に操作されて少しずつ上を向いていく。
そのとき、魔術師の助手らしき人が両手一抱えほどのボールを持って登場した。そのボールはゆっくりと彼の手を離れ、少しずつ少しずつ上空へ上がっていく。
空に浮かび上がる風船のように飛翔したボールは――やがて、何かにぶつかったかのように揺らめいて制止した。たぶん、会場の上空を覆っているという魔法の壁に当たって止まったんだろう。ボールの大きさからして、高度は数十メートルくらいかな。アドバルーンみたいだ。
すると、それまで真っ黒だった魔砲台の筒の中に少しずつ光が溢れた。最初はさざ波のように淡くゆっくり揺れていた光が徐々に光度を増し、そして――
ズガン! という音が響き、筒から真っ白に輝く光の弾が発射された。
光の矢のような光線は真っ直ぐ宙を飛び――過たず、宙に浮いていたボールを木っ端微塵に粉砕した。
周りの観客たちが歓声を上げる中、私は一人冷静にボールがかつてあった場所を見つめていた。
なるほど、これが魔砲台か。ライフルとかと比べれば確かに射程距離はたいしたことがないけれど、あの小さな的を見事に撃ち抜いたというのはすごいことだ。
「……えー、というわけで、こちらの最新魔砲台は遠距離の敵を狙撃することより、近距離の敵を確実に仕留めることを目指しております。使用場面は限定されるでしょうが、必ずフローシュ王国の発展に寄与することと思っております」
発表者がそう述べると、かなりの量のシャボン玉が浮かび上がった。ライフル銃と比べれば――と思ってしまうのは、私が現代日本で生まれ育ったから。魔術はあっても高性能な武器が未開発なこの世界では、兵器で数十メートル先の標的を撃ち抜くだけでも大発展なのだろう。
そう思っていると、視線を感じた。例のマダムがこっちを見て、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
……もしかしてこのマダム、あの発表者の身内なのかな。えらいドヤ顔しているし。
でも……ごめんなさい。
マシンガンやアサルトライフル、遠距離ミサイルとかの存在を知っている私にとってはあんまり驚くべきものじゃないんです。全てを地球基準で考えちゃだめだとは分かっているけど、最新型のミサイルは命中率はともかく、海も越えるので。
私がさして驚いていないことが腹立たしかったのか、「これだから低魔力者は……」と捨てぜりふを吐いてマダムはそっぽを向いてしまった。
低魔力は関係ないと思うんだけど、相手をするのも疲れるので放っておいた。
前半部分の発表が終わり、休憩を挟んで後半に移ることになった。
「ちょっとお手洗いに行ってもいいかな」
そう申し出ると、バイロンさんは頷いた。
「もちろんです。ただ、手洗い場の前までは私が、個室まではフローラに同行させますので、あしからず」
「ええ、お願いします」
そうして私はケネスさんとアウグストに席を守るよう頼み、バイロンさんとフローラを連れて一旦会場から出た。
手洗い場へ向かう道中の廊下にも多くの人がいたけれど、話題は先ほどの魔砲台で持ちきりだった。なるほど、どの発表が皆の関心を集めているかが、これで一目瞭然なんだな。
最後まで終わったときには、「シュタイン卿の発表が一番すばらしかった」と思われていればいいな。
「それでは、私はここで待っております。フローラ、頼んだ」
「お任せください」
さすがに男性であるバイロンさんが女子手洗い場に近づくことはできないので、彼には廊下で待ってもらう。どうやら同じ任務に就いている人も多いみたいで、女子手洗い場手前の廊下にはがっしりした体躯の男性がずらっと並んでいた。皆、お疲れ様です。
フローラは私の手を引いて手洗い場に向かい、一度中をきょろきょろ見回してから「奥が空いています」と教えてくれた。
「私はここで待っておりますので、ごゆっくり」
「うん、ありがとう」
洗面台の前でフローラが言った。こういうとき、同性のお付きが付いていると心強いな。
さて、トイレを済ませてフローラのいる場所に戻ろうとした私だけど――
「ちょっとお待ちなさいな、シュタイン卿夫人」
あ、嫌な予感。
レティキュールからハンカチを出そうとしていた私は、声を掛けられて渋々振り返った。
そこには――ああ、やっぱり。化粧こってりの顔を不快そうに歪めた例のマダムが。私、手を洗いに行きたいのに……。
「何かご用でしょうか」
「あなた、どこまでわたくしたちを侮辱してくれますの?」
マダムにずいっと詰め寄られる。
この人、洗面台で待っているフローラと私が合流する前にと思って突撃してきたんじゃないだろうか。私一人だと弱気になると思って。フローラを呼ぼうにも、このトイレは結構広い上、あたりが騒がしいので声が届かないかもしれない。
とはいえ無視をしたらヴィルの沽券に関わるだろうから、私はレティキュールに入れていた手を引っ込め、肩を落とした。
「いえ、そのようなことはまったく」
「ふざけないで。ちっとも可愛げがないし、口を開けば生意気なことばかり。シュタイン卿に見初められたことを笠に着て、低魔力者でありながら傲慢な態度を取るなんてはしたないと思いませんの? 夫の発表のときも、シャボンの一つも出さずに!」
笠に着るって……傲慢な態度って……そんなつもりはなかったんだけど。ただ、魔砲台の発表が私にとってはさほど驚きじゃなかっただけで……。
というか私が魔力ゼロだと知っているなら、シャボン玉を出すことができないって分かっているでしょうに。
最初はちょっとくらい愛想良くするべきかと思ったけれど、これは本当に時間とメンタルの無駄遣いだ。
「そんなことはございませんし、わたくしは能力的にシャボンを出せません。それは夫も知っておりますし、仕方のないことです。では、失礼します」
「お待ち! まだ話は――」
マダムが手を伸ばしてきた。
指輪とブレスレットがじゃらじゃら踊る手から容易に身をかわした私だけど、マダムは執拗に追ってくる。
しつこいな。さっさとフローラと合流して、バイロンさんに通報しよう。
――そう思ってトイレの角を曲がろうとしたけれど、突然、空いているトイレの個室から手が伸びてきた。
マダムが手を伸ばしてきたならまだしも、思ってもなかった方向からが伸びてきたため、かわすこともできなかった。
日に焼けていない真っ白な手は私の腕をグッと掴み、個室に引き寄せる。そして私が何か言うよりも早く、目の前を小さな光が踊り――
次の瞬間。
「……冴香?」
休憩室で茶を飲んでいたヴィルフリートは目を見開き、そわそわとあたりを見回した。
彼の隣で同じく茶を飲んでいたマクシミリアンは片眉を上げ、いきなり妻の名を呼んだ同僚を見上げる。
「ここにサエカ様はいませんよ。いきなりなんですか」
やれやれと言わんばかりの表情のマクシミリアンだが、ヴィルフリートの顔が徐々に青白くなっているのを見、顔をしかめる。
ヴィルフリートはこくっとつばを呑み、自分の左手首に視線を落とすと、ぽつんとつぶやいた。
「……冴香の反応が……消えた」