35 売られた喧嘩は買いません
結局、発表会の日までヴィルがまともに帰ってくる日はほとんどなかった。
でも引き継ぎを終えたバイロンさんたちが毎回、今日はちゃんと食事を取ったとか今仮眠から起きたとかといった、「今日のヴィル」みたいな報告書を携えてきてくれる。ヴィルもマキシさんも私との約束を守っているようで、「むしろ前より作業効率が上がった」とバイロンさんは語っていた。帰ってこないのは寂しいけれど、元気に仕事ができているのならそれが一番だ。
一度、「ちょっと寂しい」とだけ書いた手紙をケネスさんに託したことがある。「言いたいことがあるなら言わないとだめだよ!」とアウグストに言われたのでペンを執ったのだけど、迷惑じゃないかな、困らせないかな、と手紙を書き始めてからケネスさんが出発するまで、ずっと迷っていた。
でもその日の夜に戻ってきた人が、ヴィルからの返信を持ってきてくれていた。そこには、「そう言ってくれて嬉しい。発表会を必ず成功させるから、もうちょっとだけ待っていて。愛している」と急いだ様子の字で書かれていて、年甲斐もなくその場で泣き出し皆を慌てさせてしまった。
発表会への招待状は、既に届いている。国王陛下の判子付きのそれは私とバイロンさんとケネスさん、そしてフローラとアウグスト宛になっていた。
屋敷で暮らす子どもたちの中でも年長の二人も一緒に招待するというのは、未来ある子どもたちに魔法器具のお披露目シーンを見せたいという気持ちもあるし、人混みの中でも私を守ってくれるはずという願いもあったからだろう。
ちなみに私はお風呂に入るとき以外、必ずブレスレットを身につけている。でもヴィル曰くブレスレットの効果は「位置確認」「魔術を受けた際の防護壁」であり、言葉による攻撃や魔術を使わない物理的な攻撃には反応しづらいそうだ。
確かに、魔石が暴言を感知できるとは思えない。それに、クローゼットの壁に指をぶつけたり誰かと偶然肩がぶつかったりしただけで魔術が発動されるなんてなれば、私の方が歩く爆弾になってしまう。
今日は待ちに待った、新作魔法器具の発表会だ。
「私たち、サエカ様をお守りします!」
「だから安心してね!」
「ええ、ありがとう。頼りにしているからね」
ぴしっと背筋を伸ばしてそう言ったフローラとアウグストはどちらも、普段は絶対に着ないようなきれいな服に袖を通していた。
二人とも服の色は白で、フローラは足首まで覆うワンピース、アウグストはヴィルたちが出仕のときに着ているコートの裾を少し短くしたような上着とズボン姿だった。頬をほんのり赤く染めて気合いを入れる二人は、可愛い。
……まあ、可愛いといってもアウグストは私より身長があるし、フローラももうすぐ私を抜かしそうだけどね。
私も今日は、きれいめの服を着ていた。フローラとおそろいの白いワンピースで、ひまわりみたいな落ち着いた黄色のストールが差し色になっている。
髪は緩く結い、リボンの付いた白い女優帽っぽい帽子を被っている。フローラ曰く、これが「式典などに出かけるいいところの奥様の格好」なのだという。
全員の準備が整ったところで、私たちは例の魔石を使って転移することになった。今回は大人三人子ども二人の大所帯になるので、バイロンさんとケネスさんがそれぞれ一つずつ魔石を使う。
「今回は王城ではなく、発表会会場の脇にあるポイントに移動します」
バイロンさんがそう言ったところで、私とフローラはバイロンさん、アウグストはケネスさんの腕に掴まった。
二人が同時に宝石を投げると、とたんに私たちは見知らぬ小部屋に移動していた。広さはこれまでお邪魔していた王城の小部屋と変わらないけれど、部屋の装飾とか外から聞こえてくるざわめきとかが違う。
どうやら今日の発表会に参加する多くの人もこのポイントを利用するようで、小部屋には四人ほどの先客がいて、しかも私たちのあとにもどんどん次の人が到着してきている。光の帯を纏いながら現れる様はなかなか幻想的だけれど、長居していたら迷惑になってしまう。
「それでは、こちらへ」
バイロンさんについて部屋を出た先は、王城のような廊下ではなくて屋外だった。
足下は煉瓦道になっていて、あたりは開けている。少し先に軒を連ねる町並みが広がり、さらにその向こうには白っぽく霞んでいるけれど王城の尖塔らしきものが見える。どうやらここは城下町の端っこみたいだ。
周囲は私たちと目的を同じくする人たちで溢れていて、色とりどりのワンピースや礼服姿の人が集っている。女の人は私のようなツバの大きな帽子を被るか日除けのパラソルを差すかしているので、ぼうっと立っていたらツバや傘にぶつかってしまいそうだ。
「サエカ様、こちらへどうぞ。フローラとアウグストも離れるんじゃないぞ」
ケネスさんに言われ、私たちはお互いはぐれないようにしっかり手を取り合って人混みの中を進んだ。どうやらこのポイントは会場にほど近い場所だったらしく、「こちらで招待状の確認をします!」と叫びながら「受付・こちら」の札を持ったスタッフらしき人があちこちにいた。言ってはなんだけど、なんだか……ライブの入場整理の図みたい……。
列に並んで待つことしばらく、招待状を受付に提示すると、「おや、シュタイン卿の奥方ご一行ですか」と受付の人は目を丸くした。隣の人も興味を惹かれたようにカードを覗き込んできているけど……確かに、ヴィルは今日の発表会の主役の一人だし、関心を持たれてもおかしくないよね。
私は背筋を伸ばして、手に持っていた小さなレティキュールを上品に持ち直すとちょこっとお辞儀をした。
ちなみにこのレティキュール、「わたくしは荷物を持たなくてもいい身分です」というのをアピールするために持つらしく、中身はハンカチと小銭しか入っていない。小銭を入れたのは私の判断で、貴族の奥様は小銭なんて持ち歩かないそうだけど……まあいいや。
「はい、どうぞよろしくお願いいたします」
「いえ、こちらこそ。……発表者のご家族ご一行は特別席にご案内することになっておりますので、どうぞそちらへ」
おお、どうやらいい場所でヴィルの勇姿を見られるみたいだ。ご一行、ということはバイロンさんやフローラも連れて行けるみたいだし、期待できそうだ。
「特別席はこちら」という札を持ったスタッフの指示に従い、私たちは門をくぐった。
発表会は屋外ステージで行うようで、門をくぐった先は陸上競技場のようなすり鉢円盤形の会場になっていた。バイロンさんがこそっと教えてくれたことによると、一見すれば天井のない競技場だけど実は会場の上空には薄い魔術の壁ができていて、もし雨が降ったとしても雨粒を弾けるようになっているそうだ。冬は、はらはらと雪が降る様を雪に降られることなく真下から仰ぎ見ることもできるんだって。
狭い通路を通った先が観客席になっていて、私たちの向かう特別席はすり鉢の最下層、ステージの真ん前だった。ケネスさんがもらっていた予定表によると、今日一日でいろいろな新作魔法器具の発表や魔術の披露が行われるけれど、ヴィルの発表はトリを飾るそうだ。ヴィルが言うにはテレビもどきの魔法器具の発表らしいし、それだけ期待されているってことだろうな。
関係者のみの特別席ということで、私の周りにいるのはおしなべてひときわ豪華に着飾った人たちばかりだった。お付きの数も多くて、大人と子ども二人ずつ同伴の私は圧倒的に少ない方だ。
隣に座った四十代くらいのマダムは、私を見て最初怪訝そうな顔をした。
「……随分お若いようですが、どちら様で?」
孔雀の羽根のような不思議な柄の扇子を手にこっちを見てきたマダムに尋ねられ、私は帽子のツバをちょっと持ち上げて座った姿勢のまま会釈をした。
「お初にお目に掛かります。わたくし、サエカ・シュタインと申します。ヴィルフリート・シュタインの妻です」
「シュタイン卿の? ……あらあら、あなたが噂の」
マダムはほんの少し目を細くし――その瞬間、彼女が私に向ける感情が決してよいものではないと本能で悟った。
「あまたの縁談を全て蹴った末に異世界から呼び寄せた幼なじみを妻に迎えたとのことですが……あなた、魔術はどれほど使えて?」
「いえ、まったく」
「まったく?」
「まったく」
人間の言葉を練習中のオウムのようなやり取りのあと、マダムはふっと鼻で笑った。
うん、本当に鼻で笑ってきた。
「あらあら……異世界の人間ならわたくしたちの想像を超えたすばらしい魔術を扱えるのだと思いましたら、低魔力者の仲間でしたか」
「そのようです」
「お可哀相に。魔力を持たないあなたにとって、この世界で生きるのは難しいことじゃなくて?」
「まったくもってその通りです。しかし、夫の発明品がありますので」
「……。……あなた、魔術の申し子と名高いシュタイン卿の奥方として、それはどうなのですか?」
「どうと言われましても、魔力ゼロなのはどうしようもありませんので」
答えながらも、私の脳みそは思ったより冷静だった。
ああ、この人もゲルトラウデさんと同じなのか。
低魔力者は差別してもよい。シュタイン卿――ヴィルの妻に、低魔力者はふさわしくない、と。
うん、だからどうしろと?
離婚しろ? 私の体が形成できなくなるっぽいので、ご遠慮します。
ヴィルとベタベタするな? だってヴィルの方から愛情表現をしてくるし、私もヴィルのことが好きだし、却下します。
ちょっとは自重しろ? 意味が分からないので断る。
私の反応があっさりしているのが意外だったのか、マダムは眉間に皺を寄せると拗ねたようにそっぽを向いた。
会話終了、やれやれ。
「……あの、サエカ様」
か細い声で呼ばれたのでそちらを見ると、不安そうな顔のフローラが。
「……その、大丈夫ですか?」
「何のこと? とてもいい天気だし、ヴィルの発表が楽しみね」
フローラの質問の真意は分かっている。
分かっているけれど、私はあえて明るい笑顔ですっとぼけた返事をした。
大丈夫だよ、フローラ。
たとえ私のことを悪し様に言われても、全然気にならないから。
だって他の人が何と言おうと、ヴィルは私の――ううん、私たちのことを認めてくれているもの。
異世界人、魔力ゼロ、低魔力者。
そんな言葉でしか私たちのことをたとえられない人の話に耳を傾けるなんて、時間の無駄。
その人の言葉で傷つくなんて、メンタルの無駄遣いだ。
フローラは私の意図を聡く理解してくれたようで、目を見開いた。そして隣に座るアウグストにちょいちょいと袖を引っ張られると頷き、前に向き直った。
黙って成り行きを見守っていたバイロンさんとケネスさんも一つ息をつき、姿勢を正した。