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32 やっぱり隠せない

あまーい

 二日間缶詰したおかげかヴィルたちの発表の準備は進み、試作運転もうまくいったそうだ。今後も城に泊まり込みの日は出てくるだろうけれど、寝食は忘れないようにする――とヴィルはマキシさんに語ったそうだ。


 そうして子どもたちが寝入った十五時前。

 ヴィルが帰ってきた。


「おかえりなさい、ヴィル」

「ただいま、冴香。……数時間ぶりなのに、長く会っていなかった気がするよ」


 私は風呂に入って寝室で本を読みながら待っていたから、寝支度を整えて上がってきたヴィルを出迎えてぎゅっと抱きしめ合った。

 風呂上がりだからか、今のヴィルからは石けんの匂いがする。それも私が使っている女風呂のものとは種類が違うようで、クラウスたちを抱きしめたときと同じ匂いがした。


「お仕事お疲れ様。今日はゆっくり寝られるんだよね?」

「うん、明日は午後出勤にしているから、午前中はゆっくりできそうだ。マックスたちにも言っているから、明日は一緒に寝坊しない?」

「あ、それいいね」


 私たちは至近距離で見つめ合ったあとくすくすと笑い、頬を寄せ合った。

 最初は猫同士がじゃれ合うときのように頬をこすりつけたり鼻でつつき合ったりしていたけれど、自然とそれぞれの瞳に熱が宿り、唇が近づく。


 ヴィルの手が両頬に添えられ、軽く仰向かされる。彼の無言の懇願に応じるように目を閉じると、それまで唇の端あたりに柔く触れていた彼の唇が明確な意識を持って私のそれに重なった。


 一度目は、軽く触れるだけのキス。

 二度目は下唇をちょっと吸われたから、嘆息のような小さな声を上げてしまった。


「……冴香、口、開けて」


 視界を遮断された中、掠れた声でお願いをされたので、それに逆らうことなく口を開く。「ありがとう」とヴィルは安堵したように言い、分厚い舌をそっと私の口内に差し込んできた。


 深いキスをするようになったのは、何日前からだろうか。夜寝る前にこうしてじゃれ合っていると彼が少し緊張した面持ちで、「もっと冴香を感じたい」と懇願してきたのが始まりだったか。


 それからはこうして、数十日前の私だと想像できないような甘い時間を過ごすようになっていた。最初はドキドキしていたけれど、私もいつしか彼と深いキスをするこの時間に酔いしれるようになっていた。


 研究一筋だったヴィルは女性と交際したことがなかった上、人生で初めて好きになったというかつての私は、近くにいても触れられない存在。

 だから彼のキスはちょっとぎこちないけれど、一生懸命私と想いを繋げようとしているところが限りなく愛しい。


 ……そう、交際したことは一度もないって、本人が言っていて――


「……冴香、考え事?」


 いつもならもっとねっとりじっくり舌を絡め合わせるのに、途中で唇が離れてしまう。

 ディープキスを強制終了させてしまったヴィルの口元は唾液で濡れていて思わずどきっとしてしまうけれど、彼の目は真剣だ。


 ちょっとの心の揺るぎでも見逃そうとしないブルーの目に見つめられると――今日の昼から胸の奥でモヤモヤしていたものが鎌首をもたげて、存在を主張してきた。


 そうなると、体の奥に灯っていた炎もあっという間に消えてしまう。

 思わず俯いてしまった私だけど、ヴィルはふうっと息をついて私の手を引き、ベッドに誘った。


 先に座った彼がぽんぽんと隣を叩くので、抵抗せずその隣に座る。

 ただし……無意識のはずだけど、いつもよりちょっとだけ距離が開できてしまっていた。


「……もし君が言いたくないのならそれでも仕方ないと思うけど……俺、さっきモーゼスから聞いたんだ。モーゼスと合流したときの冴香は、何か思い悩んでいる様子だった……って」


 優しい声で言われたけれど、私はついつい顔を背けてしまう。


 今日の昼過ぎ――ゲルトラウデさんの言葉に悩んでいたけれど、モーゼスさんが来たから気分を切り替えたつもりだった。

 でも、私の様子がおかしいというのは筒抜けだったということか。そういえば帰宅したとき、アンジェラが「サエカ様、お腹が痛いのですか?」って聞いてきたっけ。顔に出ていたのかな。


『これから何か気になることや心配なことがあれば、ちゃんと言ってね』


 あのときも同じように、ゲルトラウデさんのことで私は悩んでいたんだ。そんな私の話を聞いてくれたヴィルは、胸の奥で悩みを抱えないでほしいって言ったんだっけ。


 私は部屋着のスカート部分をぎゅっと握った。


「……あの、実はちょっと……ゲルトロード様とお会いして」

「またゲルトラウデか……で、あいつは今度は君に何をしたんだ?」


 最初は呆れた様子のヴィルだったけど、すぐに語調を強めて私の方に詰め寄ってきた。


「君を言葉で脅した? 怖がらせた? ……魔術の反応がなかったから、魔術を使われたわけじゃないのは知っているし、あいつもそこまで馬鹿じゃないだろう。魔術を使えないなら、言葉をぶつけてきたんじゃないのか?」

「……うん」


 ゆっくり頷くと、ヴィルの手が伸びて私の手をそっと握ってきた。

 責めるわけじゃない、急かすわけでもない、私の冷えた指先まで包み込み温めてくれるような手のひら。


 彼に手を握られながら、私はヴィルと別れてからモーゼスさんと合流するまでの間のことをぽつぽつと説明した。ゲルトラウデさんは早口だったし内容が衝撃的で正直あまりはっきり覚えていないところもあったけれど、「崇高な使命」と「責務」のあたりははっきり覚えていた。


「ヴィルは……私と出会ったから『崇高な使命』を諦めたの? 私たち低魔力者は本当に、ヴィルたちのおかげで人権を得られているの?」


 違うと言ってほしい。

 そんなことない、と即答してほしい。


「うん? そんなわけないだろう。だいたい俺の『崇高な使命』なんて……そんなの俺自身にも覚えがないし」


 私の夫は、私が願ったとおりの答えをくれた。

 ほっとして体の力を抜いた私を、ヴィルは優しく抱き寄せてくれた。話をする間、ちょっと気を張りつめすぎていたみたいだから、私はありがたく彼の肩にもたれかかる。


「そっか……冴香はゲルトラウデに言われたことで、ずっと悩んでいたんだね」

「うん……でも、ヴィルの口から否定の言葉をもらえたから、大丈夫だよ」

「でも、君があいつの言葉で傷ついたのは真実だろう。……君は優しすぎる。もっと我が儘を言っていいんだよ。君を傷つけるものなら、元同級生だろうと容赦はしない」


 そう言うヴィルの声には棘があって……いや、本当にゲルトラウデさんに何かしたりしないよね? ……冗談だよね?


「あの、本当に大丈夫だからね?」

「冴香がそう言うのなら。……それにしても、ゲルトラウデは変わらない」

「昔からあーんな感じなの?」

「確かに昔からそーんな感じだったけど、冴香の話を聞く限りよけいこじらせている気がする」


 俺はもう何ヶ月も会っていないけど、と付け加え、ヴィルは目を細めて部屋の隅に置いている掃除機もどきを見つめた。別に掃除機を見ていたわけじゃなくて、偶然視線の先にあっただけだろうけど。


「……俺もさ、ゲルトラウデほどじゃないけど昔は低魔力者を軽んじていたんだ。持っている俺たちが標準であり、持たない者たちは生まれながらにハンデを背負った可愛そうな連中、ってね」

「……」

「弁解するつもりじゃないけど、俺たちが在学していた学院に所属する人間はおしなべてそういう考え方だった。教師もそうだし、生徒もそう。マックスはちょっと変わった先輩だったけど、冴香に出会う前までの俺は皆と同じような考えにどっぷり浸かっていた。だからきっと……ゲルトラウデの言う『崇高な使命』ってのは、俺が生まれながら持っている魔術の才能を生かし、前線部署として戦うとか、官僚になるとか、そういうのだと思う」

「……昔のヴィルは、そういう方面を目指していたの?」


 いろいろなところからオファーがあったけれど研究部署を選んだ、というのは聞いたことがある。でも、もともとのヴィルの進路希望がどうだったのかは知らない。

 ヴィルは掃除機から私へと視線を移し、肩を落とした。


「……別に。俺、何も考えていなかったんだ。俺はもともと一般市民出身だけど、魔術の才能だけは無駄にあった。だから金に困った両親が俺を魔術師に売った――らしい。肉親の記憶はないし、俺を買った魔術師も俺が十歳くらいの頃に死んでしまったから、俺は成り行きで例の学院に進学したんだ。実力さえあればどうにでもなる、って考えの学院にね」


 ヴィルの生まれについて聞くのも初めてだった。

「シュタイン卿」と呼ばれてはいるけれど貴族じゃない、というのは知っていたけれど。

 それについて尋ねてみたら、「シュタインという姓は、俺の養父からもらった」とだけ教えてくれた。そう語る口調はあまり明るくないから、もしかするとその養父ともあまりいい関係じゃなかったのかもしれない。


「俺は、自分が優秀だということを知っていた。自然と、俺の周りには同じような考え、同じ程度の実力を持つ者たちが集まるようになった。ゲルトラウデもその一人だ。学院自体がそんな様だから、俺たちはそろいもそろって『強ければいい』『弱い者は蔑視されて当然』と考えていた」

「……そうだったんだね」

「俺は偶然マックスが持ってきた桜の木を通して偶然君と知り合い、偶然自分の間違いに気づけた。当然ゲルトラウデたちとは仲違いして、学院卒業前に決別した。……だから、『崇高な使命』というのは俺が願ったことというより、君と出会わなければ周りに流され続けていただろう俺が辿るべき運命の一つだった、ってところなんじゃないかな」


 なるほど、と私は静かに語るヴィルを見ながら思う。


 力こそ全て、低魔力者を軽んじてもいい、という考えのゲルトラウデさんたちからすれば、彼女らの掲げる「崇高な使命」こそが正義で、ヴィルもその使命を全うするべきだと思っているんだ。

 だからヴィルが仲間から外れたことも、低魔力者を助けたり引き取ったりするのも、派手な成果を上げず研究部署に勤めていることも、全部気に入らない――むしろ、理解できない。


「理解しない」じゃなくて「理解できない」。

 これほど厄介で、相容れないものはないんだろう。だからこそヴィルは学院を卒業してからも、ゲルトラウデさんたちと和解したり話し合ったりしない。


 無駄だ、と分かっているからじゃないか。

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