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30 日差しの中で祈りを

 その後ヴィレムさんは研究所からはちょっと離れたところにある東屋に私を案内し、「何かあればすぐにそこのボタンを押して我々を呼んでください」と告げて去っていった。

 彼の言うボタン、とはテーブルの脇に付いている、アンティークの鳥かごのような可愛らしい東屋の雰囲気を見事にぶっ壊すような、丸くて赤いボタンだった。これ、どう見てもSOS非常用ボタンだ。制作者がヴィルであることは間違いない。


 しばらく一人ベンチに座って鳥のさえずり――この世界の鳥はチュンチュンではなくピュイピュイと鳴くものが多いようだ――を聞いていると、やがて慌ただしい足音が近づいてきた。


「お待たせ、冴香」


 東屋の階段を上がってきたのは、ちゃんと着替えて髪も整えたヴィルだった。この短時間なので着替えはともかく体を洗う暇はなかっただろうけど、たぶん何らかの魔術でさっと汚れを落としたんだろう。


 ヴィルが隣に座ったので、私はテーブルに置いていた籐の籠に手を伸ばした。

 さあ、いよいよお披露目だ。


 まず籠から出したのは、円筒形の水筒。この水筒もまたヴィルが開発したもののようで、中の飲み物を温めたい場合は炎属性、冷やしたい場合は氷属性の魔石を底面に取り付けることができる。今は少し暖かい時期だから、小さめの氷属性の魔石を取り付けている。ちなみにヴィルが命名したこれの名前は、日本にある某魔法瓶製造会社名そのまんまだった。

 このサーモ――いや、水筒に入っているのは、ヴィルが好きだという冷たいお茶。そう、例の、私では不味くて飲めないやつである。見た目は普通の茶葉なのにどうやればこんな味になるのかは分からないけれど、今日はバイロンさんに教わって自分で茶葉を蒸らすところからやってみた。


 続いて取り出したのは、弁当箱。桐のような色の薄い木で作った箱の蓋を開くと、隣で私の手元を見ていたヴィルがあっと声を上げた。


 箱に敷き詰められているのは、半分私の趣味でキャラ弁と化したおかずたちだった。

 軽く炙ったベーコンもどきとピクルスのような野菜は串に刺して、くるっと巻き付ける。見た目はネギマっぽい。

 小さめのソーセージがあったので、せっかくだからウインナーをタコ型に切り、ゆで卵を切ってひよこにし、ロロンガというピンク色のニンジンのような野菜を甘く茹でたものを桜型にくり抜いてみた。


 ヴィルは野菜より肉が好きだそうだけれど、栄養バランスを考えて肉まみれにならないようにする。また仕事中でも食べやすいよう、おかず一つ一つに小さめのピックを刺して手軽につまめるようにした。いちいちフォークを使うよりこっちの方が箸が進むと思う。箸はないけど。


「どう……かな? バイロンさんたちにも味見をしてもらってオッケーをもらったんだけど……」


 少なくとも、食べられない代物じゃないはず。

 ヴィルの反応が気になって緊張しつつ問うと、ヴィルはテーブルの上の弁当箱を静かに引き寄せ、間近でじっくり見つめ始めた。


「すごい……おいしそうな匂いだし、どれもすごいきれいだ。これ、本当に冴香が……俺のために?」

「うん。それじゃ、好きなものからどうぞ」

「ありがとう、いただくよ」


 ヴィルはふわりと笑みを浮かべ、どれから取ろうか迷っているかのようにそわそわと弁当箱の上で右手を彷徨わせた。

 そんな様が可愛らしくて、私は思わず噴き出してしまった。


「ヴィル、迷ってる?」

「う……だってどれもおいしそうだし……あ、そうだ。せっかくだから冴香が食べさせてよ」

「え?」


 いいことを思いついた、と言わんばかりのきらきら笑顔を向けられ、私は変な声を上げてしまう。

 食べさせるって……つまり、「あーん」ってこと?


「ほら、これ一個一個に棒が刺さっているから食べやすそうだよ。だから冴香に持ってもらって、それを食べたいんだ。……だめ?」


 棒って……まあそれはいいとして。

 首を傾げて「だめ?」とちょっと困った笑顔で問うてくる様を見ていると――不覚にも、胸がきゅんっとした。

 ヴィルは普段からふわふわとしていて愛想がいい方だと思うけれど、いつもより子どもっぽい仕草を見せられると、母性本能がくすぐられてしまう。むしろ私の中にも母性本能、あったんだ。今知った。


「だ、だめじゃないけど……」

「じゃ、いいよね?」

「でも、ここ、外だし……」

「誰も見ていないから大丈夫」


 なるほど確かに、ここに来る途中はたびたび魔術師や兵士たちとすれ違っていたけれど、このあたりはめっきり人影もなくて静かだ。東屋で寄り添って座る私たちを見つめる者の姿も見当たらない。


「そ、そうだけど……あの、自分で食べられるでしょう?」

「食べられるけれど、今は冴香に食べさせてもらいたい気分なんだ」

「なにその気分……」

「冴香が食べさせてくれたらもっとおいしく感じられそうなんだ。……だめ?」


 はい来た二回目の「だめ?」! この年下の夫は本当に、私の弱点とか性癖とかをぐりぐり攻めてくるな!

 甘えられたり頼られたりするのに弱いっての、ヴィルは知らないと思ったんだけどなぁ……。


 このまま押し問答してもヴィルの時間を無駄にするだけだと思い、私は早々に降伏することにした。そしておかずの中でも一番の傑作だと思われる、桜の花型のロロンガグラッセのピックを摘んだ。


「はい、ヴィル。あーん」


 観念してそう声を掛けると、ヴィルは心底幸せそうに頬を緩ませて口を開いた。大口を開けるんじゃなくてあくまでもロロンガグラッセが入る程度に控えめに口を開くあたり、ヴィルの性格が見えてくるようだ。


 ヴィルがロロンガに食らいついたら、そっとピックを引っ張る。ヴィルは黙って咀嚼していたけれどその間も頬は緩みっぱなしだし、飲み込むと感心したような声を上げた。


「すごくおいしい! 甘さも俺好みだよ。それに……これってもしや、桜の花の形?」

「よく分かったね。日本では、野菜やお菓子の生地をくり抜くための型がいろいろあったんだけど、ロロンガに似ているニンジンって野菜のときは、桜型が人気だったんだよ」

「……うん、知ってるよ。君が食べていた弁当にも、同じようなものがあったから」


 そう言ってヴィルはくしゃっと笑い、小さく鼻を啜った。


「でもまさか、冴香が作ってくれるとは思ってなかったな……あはは、嬉しいからかちょっと泣けてきちゃった」

「えっ、そんなに?」

「うん、そんなになんだよ」


 ヴィルは照れたように笑いながら、さりげなく目元を擦った。

 泣けてきた、というのは誇大表現でも何でもなかったようで、目尻を擦った彼の指先はちょっとだけ濡れて光っていた。


「春になったら、桜の花が満開だった。その木の下で、君は桜の花を象ったおかずを食べていた。……この世界に桜の木は存在しないけれど、なんだかすごく懐かしいな」

「……うん。私も桜、好きだな」


 葉桜の時期になったら謎のゲジゲジした芋虫――私はサクラムシと呼んでいる――が降ってくるから御免被りたいけれど、満開の桜も、落ちた花びらが用水路を白っぽく染める光景も大好きだ。

 そんな美しい桜の木の下で初めてヴィルを見た私は、どんな気持ちだったのかな。


 その後、私は最初より「あーん」させることに躊躇わなくなっていた。ヴィルはおかず一つ一つに感想をくれて、しかもベタベタに褒めるだけじゃなくて、「これはちょっと柔らかいかな?」「もうちょっと味が濃い方が好きだな」と私を傷つけないようにしながらやんわりと教えてくれる。褒めるだけよりも細かい改善箇所を教えてくれた方が、次に生かしやすいから助かる。


「あーん」をしながらだと一人で食べるより時間が掛かってしまうけれど、しばらくすると弁当箱は空っぽになった。「冴香もちょっと食べたら?」と言うので、私も少しだけ摘みながらだったからというのもあるかも。


 食後のお茶を飲んだヴィルはふーっと息をつき、ベンチに寄り掛かった。


「すごくおいしかった……というか、ちゃんとしたご飯を食べたのは昨日の昼以来かも」

「丸一日、食わず寝ずで仕事してたの?」

「うん、どうしても今回の発表会を成功させたくて。研究部署の皆も結構期待しているし陛下も楽しみにしているみたいだから、絶対失敗するわけにはいかないんだ……」


 雄弁に語るヴィルだけど……そのまぶたは重そうで、だんだん声から覇気がなくなっていっていた。

 満腹になると眠くなる。おまけに今のヴィルは徹夜状態だから、体が相当睡眠を欲しているはずだ。


「眠いのなら、寝ておく? ヴィレムさんが言っていた七時までまだ時間があるでしょ?」

「……確かに眠いけど、仕事が……」

「だからー、七時までは休んでいろって言われたじゃない。せっかくだから時間になるまで部屋で寝たら?」

「うーん……だったら、冴香の膝枕がいい」


 眠そうに頭をゆらゆらさせながら、ヴィルはとんでもないことを言った。

 膝枕……膝枕って、少女向けマンガの鉄板である「壁ドン」「あーん」「顎クイ」に並ぶ、お約束の?


「……えーっと、まさかだけど、私の膝を枕にしてここで寝るの?」

「うん。このベンチは幅が広いから、俺が寝ても転げ落ちないと思うし」


 そんなヴィルの声はもはや間延びしていて、目もとろんとしている。「嫌だ」と言ったとしても部屋に戻らずここでそのまま寝てしまいそうな雰囲気だ。

 でも、だからって膝枕は……いや、でもこれでヴィルの気持ちが安らぐのなら……。


「……その、肉が分厚くて寝心地悪かったらごめん」

「そんなことないよ。冴香の体は柔らかくて、温かくて、いい匂いがする。だから君を抱きしめていると安心するし、もっともっと一緒にいたい、近くにいたいって思っているんだ」


 眠さのあまりか、ヴィルはいつもなら恥ずかしがるようなこともさらさらと口にしている。しかもいつもより子どもっぽい口調になるものだから……ああ、もう!


 私は膝を閉じてベンチに座り直し、ぽんぽんと太ももを叩いた。それだけでヴィルは意味を察したようで、ふわふわと嬉しそうに微笑むとブーツを脱いでベンチに上がり、私の太ももに頭を乗せた。


「重くない?」

「思ったよりはましかな。……それじゃあ、おやすみ。七時前になったら起こすね」

「うん。……ありがとう、冴香」


 仰向けになっていたヴィルはそう言って手を伸ばし、顔の横で揺れていた私の髪の房にそっと触れてきた。

 さらり、さらり、と彼の指先が数度私の髪を撫でたかと思うと徐々にその腕が下がり、やがて彼の胸に着地する。そのときにはもう彼は目を閉じていて、穏やかな寝息を立てていた。


 私はゆっくりとヴィルの髪に触れた。癖のある髪は思ったより硬めで、指先にくるくると巻き付けると抵抗するようにぴょん、と撥ねて飛び出した。


 真上からヴィルの寝顔を見るのは初めてだ。最近ではヴィルと一緒に眠るけれど、たいてい私の方が先に寝入ってしまうし、朝はヴィルの方が早い。だから、こうして明るい日のもとで彼の寝顔をじっくり見ることはなかった。


 アジア顔の私と違い、ヴィルの鼻筋は高くて目元はくっきりとした二重だ。長くて自然にカールしたまつげは髪と同じ淡い茶色で、それが目の周りを縁取る様はなんだか幻想的だ。唇はほんのり開いていて、静かな寝息を立てている。唇の色も肌の色もさっきよりよくなっているから、食事と睡眠がいかに大切なのか分かる。


「ヴィル」


 彼を起こさないよう、ごく小さな声で名を呼ぶ。眠りに就いている彼から返事はなく、胸の上で重ねられた手がぴくっと微かに震えるだけだった。


 愛おしい、と感じていた。

 この日々もヴィルのことも、時が流れれば流れるほど愛情が募ってくる。


「シュタイン卿」「国王陛下の学友」と呼ばれる高名な魔術師であるヴィル。そんな彼が私に全幅の信頼と愛情を寄せ、無防備な寝顔を向けてくれる。私の左腕を飾るブレスレットは、いつでも彼と私を繋いでくれる。


 それの、なんとも嬉しいことか。

 彼がたくさんたくさん与えてくれる愛情を私の短い腕で受け止めきることは難しいし、私は鈍くさいからぼとぼとと取り落としてしまう。

 でもヴィルはそれを責めたりせずもう一度与えてくれるし、与え方を変えたり受け止めるときの方法を教えてくれたりもする。


 甘くて優しいだけじゃなくて、私を導いてくれる。

 そんなこの人のことが、愛おしい。


「……ヴィル、好き」


 囁いた言葉は、お互い告白したあの夜からずっと言えないままになっている想いの証。

 ヴィルが私に堂々と与えてくれる愛の量に比べたら申し訳ないほどちっぽけだけれど、今の私にはこれが精一杯だ。


 そっと、彼の髪を撫でる。ヴィルは幸せな夢でも見ているのかまぶたを震わせると、幸せそうに口元をほころばせた。


 どうか、この人がこれからも元気でいてくれますように。

 どうか、この人と共に過ごせる日がこれからも続きますように。


 存在するかどうかも分からない神に、いつしか私は願っていた。

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