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29 手作りお弁当作戦

 翌日の昼前。


「それじゃあ、行ってきます」

「うん、気をつけてね!」

「お帰りを待ってます、って伝えてくださいね!」


 広間に集まった子どもたちが口々に言ってくるので、私は全員への返事のつもりで頷いた。そして手に持っている籐製の籠の取っ手をしっかり握り直し、隣に立つ男性を見上げる。


「大丈夫です。お願いします」

「それでは、しっかり掴まっていてください」


 男性――これから出仕するヴィレムさんに言われ、私は空いている方の手でヴィレムさんの腕に掴まった。

 そうして彼が小さな魔石を宙に放った――とたん、私たちは屋敷の広間から例の王城の小部屋に移動していた。二回目だからか、前みたいに悲鳴を上げたりすることなく転移成功したようだ。


「ありがとうございます、ヴィレムさん」

「気にしないでください。それじゃあ、ヴィルフリートに会いに行きましょう」

「はい」


 私はヴィレムさんから離れ、彼に続いて小部屋を出た。

 私は今日、これから仕事に行くヴィレムさんにお願いして同行することになったんだ。目的は、この籠の中に入っている弁当をヴィルに渡すこと。


 ヴィルは私と結婚する前はよくご飯抜きで仕事をしていたらしい。それなら、私が自作した弁当を持っていけば、ヴィルはちゃんと食事を取ってくれるんじゃないかと考えたのだ。行きはヴィレムさんで、用事が終わったらヴィレムさんと引き継ぎを済ませたモーゼスさんと一緒に帰ればいいから、効率もいいはずだ。


 私の提案に、バイロンさんたちは「それは間違いない」と賛同してくれた。そして今日の午前中を使ってヴィルのための弁当作りに協力してくれることになったので、冷蔵庫にあったちょっとした食材を調理しておかずを作ってみた。


 前回ヴィルと一緒に来たときは部屋を出るとすぐ右に曲がった気がするけれど、今回は左に向かった。ヴィレムさん曰く、「ざっくり言うと右は王侯貴族の部屋、左が兵舎や研究所に繋がっています」とのことだ。


 最初は高かった天井も進むにつれてだんだんと低くなり、廊下の隅に据えられている壺や壁の装飾なども、シンプルなものになっていった。

 間もなく廊下から芝生広場に降り、よく晴れた空の下をしばらく歩く。


「あちらに白と黒の建物が見えますか? 白い系統の建物は兵舎関連で、黒い系統の建物が魔術関連の建物です」

「色でおおざっぱに分けられるのですね」

「そうです。だから客人も、自分の目的地が白か黒かさえ覚えていればこの広大な庭で迷いにくくなるのです。あ、我々が所属する研究所は黒い建物の中でも一番壁際、奥にあります」


 ヴィレムさんの説明を受けながら、私はヴィルたちの所属する研究所に向かった。ヴィレムさんは「サエカ様と並んで歩くなんておこがましいことです」とのことで、私の半歩後ろを歩いてくれていた。

 案内する側が後ろを歩くなんておかしい気がするけれど、「そうでもしないと俺がヴィルフリートに嫉妬されますので」とのことだ。嫉妬……一緒に並んだくらいで、するのかな?


 白い建物の並ぶ一帯は、近衛兵たちが活動することもあってか広々としていて建物と建物の間にもゆとりがあるようだけれど、こっちの黒いエリアは建物が密集していて、壁の色のせいもあってちょっと薄暗い雰囲気が漂っていた。


 ときどきすれ違うのはほとんどが城仕えの魔術師で、いろいろな意匠のローブを着ていた。ちなみにヴィレムさん曰く、ローブのデザインは「俺たちの所属する研究部署が一番ダサい」らしく、それも研究部署が不人気な理由の一つらしい。

 デザインを変えれば就職希望率も上がるんじゃないかと思ったけれど、そのデザインにはいろいろな伝統とか構造の利便性とかがあるそうで、すぐには変えられないし、そもそも研究者にそんなことに頓着する人間は少ないらしい。確かにそうかも。


 ヴィレムさんが案内してくれた魔術研究所は、さっき聞いたとおり城壁のきわ、王城の隅っこにあった。他の建物の前には花壇があったりお茶でもできそうなウッドテラスがあったりするのに、この建物の周囲だけ殺風景というのがなんとも。


 研究所は腰ほどの高さの金属製の柵で覆われていて、「関係者以外立ち入り禁止」の札が立っている。この札が、研究所敷地内にある唯一のオブジェだった。


「ではサエカ様はしばしこのあたりでお待ちください。すぐにヴィルフリートを呼んできますので」

「分かりました。お願いします」


 ヴィレムさんに言われたので、私は頷いた。

 城の研究所は屋敷にあるそれよりも規模が大きく、当然魔術の影響を受ける危険性も高い。魔術師の素質も抵抗力もゼロな私はなるべく研究所には近寄らず、芝生広場で待つことにした。


 そうしてヴィレムさんがきびすを返した――のとほぼ同時に、研究所のドアが勢いよく中から開いた。

 そこに立っているのは――あれ?


「ヴィル?」

「ほ、本当に冴香!?」


 私はびっくりだけど、ヴィルもびっくりみたいだ。ダブルびっくり。


 急いた足取りでヴィルが駆け寄ってくるけど……着ているローブはくしゃくしゃだし、いつもふわっと柔らかそうな髪は雑にまとめてぴんぴん撥ねている。

 顔色も明らかによくなくて、高校生の頃に部活の先輩が日焼け止めを塗りすぎたときのように顔の大半は真っ白なのに、目の下だけ黒っぽい。間違いなく寝てないな。


「ヴィル……顔色がよくないよ。寝てないでしょ?」

「う……それはそうだけど……それよりどうしてここに冴香が?」

「……ははぁ。さてはおまえ、サエカ様に贈ったブレスレットで位置を判断したな」


 ヴィレムさんがぼそっと「執着怖いな」とつぶやいたけれど意に介さず、ヴィルはそっと私の方に両手を乗せてきた。

 間近で見ると目の下のくまや肌のくたびれ具合もはっきり見えて、体調不良っぷりがよく分かるな。


「冴香がここまで来るなんて……屋敷で何か起きたの? 君に困ったことがあるなら、俺、すぐに戻るから……」

「あっ、ううん。そういうわけじゃないの」


 ただ弁当を持ってきただけなのだけどヴィルは露ほどもそんなことは思っていないようで、心配と焦りを隠そうともせず私に尋ねてきた。ここまで焦られてしまうとは思ってなくて、気軽な気持ちで弁当を持ってきたことが後ろめたくなってしまう。


 そんな私たちを見かねたのか、やれやれとばかりにヴィレムさんがヴィルの肩を叩いた。


「そう怖い顔をするな、ヴィルフリート。サエカ様はおまえが不眠不休で仕事に没頭しているのではないかと案じられていて、おまえのために……ほら、どうぞサエカ様」

「あ、はい。……あの、ヴィル。きっとまともにご飯も食べていないだろうって思って、弁当を持ってきたんだ。」

「べんとー」


 ブルーの目が見開かれ、薄く開いた唇から拍子抜けたような声が上がる。

 その目が下方に向けられ、私がさっきから両手で持っている籐の籠を見、そしてまた私へと視線を戻した。


「……それ、持ってきてくれたの? 俺のために……?」

「うん。忙しいのは分かっているけど、体を壊したら元も子もないでしょう。だからバイロンさんたちの手も借りて、作ってきたんだ」

「冴香が俺のために……手作りの、弁当を……」

「そういうこった。……ほら、いつまでそんな貧相な格好で突っ立ってるんだ」


 ヴィレムさんはぽんっとヴィルの背中を叩き、半眼になって言った。


「おまえ、今日もいつ戻れるか分からないんだろう? せっかくだからサエカ様と一緒に昼休憩をしろ。そうだな……今が五時半だから、七時前くらいまでゆっくりしてろ」

「……でも、まだ新作の試運転中なんだ。どうも内部の接合がうまくいっていないようで、さっきから軋みの音が止まらない」

「それなら俺が代わりに見ている。……おまえもマクシミリアンもだが、若いからって無茶ばかりするな。おまえがぶっ倒れたらサエカ様が悲しむ。いつまでも独身の気分でいるんじゃない」


 ヴィレムさんの言葉に、ヴィルは頬を叩かれたかのように小さく身を震わせた。

 ……そういえばヴィレムさんは結婚していてリリズの町に奥さんと子どもがいるから、夜になったら町にある自宅に戻っているんだ。

 既婚者先輩の言葉はヴィルの琴線にも触れたようで、彼は唇を噛んで頷いた。


「……分かった。あの、冴香。今の俺はこんな格好だから……ちょっとだけ待っていてくれるかな。できるなら……その、君と一緒に弁当を食べたいんだ。いいかな?」

「うん、もちろんだよ。待っているから、ゆっくり支度してきて」


 私はほっとして答えた。

 ひとまず、ヴィルにちゃんとしたご飯を食べさせるというミッションはクリアできそうだ。

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