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28 穏やかな日々

 私が異世界にトリップしヴィルと結婚してから、一ヶ月経過した。

 この世界と地球では時間や日にちの数え方がちょっと異なるけれど、合計した一年間の時間数にはほとんど違いがないらしく、二十時間で一日、三十五日で一ヶ月、十二ヶ月で一年間ということで地球とほぼそろうそうだ。偶然だろうけれど、まだ数えやすいからよかった。


 一ヶ月経つと私の周囲や私自身も少しずつ変わっていくもので、私は屋敷でヴィルの奥さんとして生活することにすっかり慣れていた。中学時代の友だちには枕が変わっただけで一睡もできなくなるって子がいたから、私は案外環境に順応しやすいタイプなのかも。


 この一ヶ月間で、私の寝床はヴィルのベッドから子どもたちの部屋のベッドに変わり、そしてまたヴィルの隣に戻ってきた。

 結婚から始まった恋をしよう、ということで私たちは今、夜になると同じベッドに入ってあれこれ昔話をしたり今日一日の出来事を振り返ったりとお喋りをしたあと、一緒に寝ることにしていた。といっても本当に添い寝で、ぎゅっと抱き合って寝るだけ。


 お互い「好き」という感情を打ち明け合ってからというものの、ヴィルは自分の感情をかなりオープンにするようになった。いや、もともとこの世界の人はアメリカンで公衆の面前でハグやキスをすることにも躊躇わない傾向にあったけれど、ヴィルはもっと分かりやすくなった。


 朝、目が覚めるとたいていヴィルの方が先に起きている。ヴィルは片方の腕で頬杖をつき、脳が覚醒するまで時間の掛かる私の様子をおもしろがるようにじっと見つめている。ヴィル曰く、「この時間の冴香はいつもより素直になる」そうだ。……私、変なことを口走ってないよね……?


 時間を掛けて私の脳が活動するようになったら、ヴィルは「おはよう」と言って私の頬や額にキスをする。ヴィルは出勤しないといけない日もあるし、そっちの方が先に起きているのだから先に身支度を調えればいいと言ったけれど、却下された。「起きるのも支度するのも冴香と一緒がいい」そうだ。


 ヴィルのご要望に従って一緒に起きるけれど、その後で身支度のために一旦部屋を別々にする。恋人始めました状態の私はまだヴィルの前で服を脱ぐのに躊躇いがあるので部屋を別にしようと申し出たら、ヴィルは快諾してくれた。ただ、「いつか、冴香の身支度を手伝ってあげたいなぁ」とつぶやいていたというのは脳みその端っこにメモしておくべきだろう。


 屋敷の食堂で食事をするときは毎回、隣合わせで座ることになった。これはもう皆も分かりきっていることなので、今さら冷やかしてくる者もいない。

 ヴィルは私のお世話をするのが好きらしく、食事中も料理の味を聞いてきたり料理をよそってくれたりあれこれ面倒を見てくれる。自分の食事もしないといけないでしょう、と言ったら、「俺、早食いだから。それに、冴香がどんな料理を好んでいるのか知っておきたいんだ」と柔らかい笑みを浮かべて言われてしまう。


 ヴィルは三日に一度くらいは王城に出仕するけれど、それ以外は屋敷で過ごしている。子どもたちの指導はたいていマキシさんたち他の大人の役目で、ヴィルは研究所に向かったりリリズの町に降りて魔法器具の魔力チャージや修理に出向いたりしている。


 忙しいヴィルと違って私は超絶暇人になってしまう。ときにはご飯作りやお菓子作りを手伝ったりもするけれど、もともと専業主婦志願というわけでもない私には時間が余りすぎる。

 ということで、字の勉強も兼ねてヴィルに届く手紙や書類の管理を行うようにしていた。魔法器具の発明家としても高名なヴィルの力を頼ってあちこちから手紙が届くので、マキシさんのアドバイスを受けながら選別、内容ごとにまとめてものによっては私の代筆で返事を書く。「俺、事務仕事が苦手だから助かるよ」とヴィルも言ってくれたので、彼の役に立てていることが嬉しい。


 そんな日々の繰り返し。

 ときには子どもが怪我をしたり急な招集が掛かったりしてヴィルが飛んでいかなければならない事態も起きるけれど、至って平和。この世界のどこかで魔術師同士の戦いが起きているってことが信じられないくらい、毎日は穏やかだった。












 最近、ヴィルの帰りが遅い。


「もうじき、新作魔法器具の発表会があるのです。ヴィルフリートもマクシミリアンも、そちらの準備に時間を掛けているのですよ」

 ヴィルのいない夕食の席でそう教えてくれたのは、バイロンさんだった。

 どうやら大人たちの中で一番料理がうまいらしい彼はかなりの確率で料理主任になっていて、厨房は彼のテリトリーと言ってもいい状態らしい。私の好みや体調に合わせていつもおいしい食事を作ってくれるので、彼にはいくら感謝しても足りないくらいだ。


 仕事などでヴィルがいないときは、大きなテーブルで一人で食べるのも寂しいので、たいてい子どもたちに混じって一緒に食べていた。今日も私の両隣をロジーナとナターリエに挟まれながらご飯を食べていると、向かいの席で食事をしていたバイロンさんが声を掛けてくれたのだ。


 私はバイロンさんの言葉に、首を傾げた。


「……そういえばヴィルは、念入りな動作テストが必要な魔法器具を作っていると言っていました。発表会もあるのですね」

「そうです。ヴィルは自分の実力をひけらかすのが好きではないそうなのですが、今回の器具は是非、ヴィルフリート・シュタインの名で広く世に公表すべきだと陛下からも助言をいただいたので、渋々ながら腰を上げることになったそうです」


 ……お菓子を食べながら「まあ、いいじゃないか」と笑う陛下と、その正面で渋い顔をするヴィルの図が容易に想像できる。


「ちなみに、どんな魔法器具なのかはもう分かっているんですか?」

「詳しい構造は俺は聞いていないのですが、なんでも遠く離れた場所にいる人間の姿を魔石の表面に映すことのできる道具を開発中だそうです。発表会では、その動作披露も行うそうですよ」


 遠く離れた場所にいる人間の姿を映す――むむ、つまりそれはテレビのようなものか。

 そういえばちょっと前の寝る前のお喋り時間にヴィルが、「冴香が昔見せてくれたテレビだけど……」って話題に挙げていたっけ。どうやったら魔石を使ってテレビを作れるのか、興味はあるな……。


「その発表会、私も行ってみたいです。行けそうでしょうか?」


 私が申し出ると、バイロンさんは手にしていたナイフを置いてあごひげをさすり思案顔になった。


「そうですね……ヴィルフリートの奥方であるサエカ様なら、招待状送付を申請すれば通りそうですね」

「あたしたちも行きたいって言ったんだけど、まだ早いって言われたんだ」

「もしサエカ様が見に行ったら、どんな様子だったか教えてくださいね!」


 右のロジーナ、左のナターリエに言われ、私は頷いた。


「うん、もし行けたらね。……それで、バイロンさん。ヴィルたちは発表会の準備のために今忙しいってことなのですね」

「そういうことです。もうすぐ帰ってくるかもしれませんが……」

「ああ、サエカ様。そちらにいらっしゃいましたか」


 名を呼ばれたのでバイロンさんと一緒に顔を上げると、食堂のテーブルの間を通ってケネスさんがやって来ているところだった。


 ……余談だけど、彼の言う「そちらにいらっしゃいましたか」には二つの意味が隠されている。

 ただ単に私の居場所が分からなくて捜したということと、私の身長が低くて子どもに紛れたりバイロンさんたち大人の男の人に埋もれてしまうから見つけにくくなるということだ。

 彼ら曰く、「サエカ様の居場所を見つけるのに一番早いのは、この国では滅多に存在しない黒髪を捜すことです」だそうだ。これで茶髪とかだったら、子どもたちの中にすっかり埋没してしまっていたな……。


 閑話休題。


 ケネスさんは私の周囲をちらっと眺めたあと、「ちょっと済まないな」と一言断ってからロジーナの隣の空いている席に腰を下ろした。急ぎの用事があるらしいと察したロジーナは文句を言わず頷き、テーブルの上の食器を邪魔にならないよう少し自分の方に引き寄せた。いい子だ。


「さっき、ヴィルフリートたちから連絡が届いたのです。今日は屋敷に戻れそうにないとのことです。……こちらは、サエカ様に」


 そう言ってケネスさんは上着のポケットから出した手紙を差し出した。

 その宛先は「愛しい冴香へ」となっている。「冴香」がこの国のスペルじゃなくてちゃんと漢字になっているところに彼のこだわりが感じられた。


 中の便せんは一枚で、発表会の準備が長引いていて今日は戻れそうにないこと、夜は子どもたちの部屋にお邪魔させてもらえばいいこと、明日のいつ戻れるかは分からないことが書かれていた。


 ヴィルの魔力で識字は問題なくこなせられるけれど、ちょっと時間は掛かってしまう。

 私がゆっくり時間を掛けて読み終えたタイミングを見計らい、バイロンさんがケネスさんに声を掛ける。


「随分手間取っているようだな……ヘルプは必要ないのか?」

「今のところはヴィルフリートとマクシミリアン、それから今日一緒に出仕しているモーゼスとトルステンで回していけるみたいだ。明日の午後からはモーゼスと入れ替わりにヴィレムが行く予定だから、ひとまずのところは俺たちは待機でいいそうだ」

「そうか、分かった」


 バイロンさんとケネスさんのやり取りを聞きながら、私はもう一度手紙に目を通した。

 ……思えば、結婚してからヴィルが夜になっても帰らないのはこれが初めてだ。夕食を過ぎてから帰宅したりリリズの町での修理作業が終わったのが深夜過ぎになったりということはあったけれど、朝になっても戻れるか分からないことはなかった。


 ……ちゃんと、ご飯食べているのかな。


 思ったことを尋ねてみると、バイロンさんとケネスさんは顔を見合わせたあと、まだテーブルの上に残っている料理を見、そして私を見てきた。


「……どうなんだろうな。どうだった、ケネス?」

「俺は魔法陣から飛んできた手紙を受け取っただけだから、なんとも言えない。しかし……あのヴィルフリートのことだから、寝食をほっぽり出して作業に没頭している姿は容易に想像できるな」

「寝ないの!?」


 ご飯を食べずに勉強や仕事をぶっ続けることはまあ、気持ちも分からなくもない。

 でもさすがに夜は寝ないと健康にもよくないし、作業効率も落ちる。いくらヴィルが二十歳で若いといっても、寝ずに作業をするのはよくないんじゃ……。


 それまで黙って食事をし、デザートの小さな揚げパンもどきを食べていたナターリエが「あのですね」と私の袖を引っ張ってきた。


「ヴィルフリート様は、よくご飯を忘れていたのです」

「サエカ様と結婚してからはだいぶマシになったんだけど、それまではバイロン様たちが研究所にご飯を持っていくことはしょっちゅうだったんだよ」

「あ、そういえば一年くらい前、何日か寝ずに研究室に籠もっていたことがあったよね?」

「あったあった。そのときのヴィルフリート様はげっそりしていたし、『にてつ』は厳しかったみたいだね」


 ジュースを飲んでいたロジーナも言うので、なるほど、と私は唸ってしまった。

 研究者として仕事熱心なのはいいことだろうけど、睡眠や食事の時間まで犠牲にしてしまうのはよろしくない。もともとそういうのが平気な体質ならいざ知らず、二徹明けでげっそりしていたのなら、体に合っていないのは明らかだ。


「それじゃあ、今もご飯抜きで仕事をしているのかな?」

「ヴィルフリート様ならあり得ますね」

「マクシミリアン様も、その辺はちょっと適当なところがあるし」


 うんうん、と頷き合いながら言うロジーナとナターリエ。バイロンさんとケネスさんも何も言わないことから、ヴィルたちが食事抜きで作業をしているというのは十分考えられることのようだ。


 ……あ、そうだ。


「あの、バイロンさん。相談があるのですが……」

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