24 陛下と話をしよう
ヴィルは城でも顔パス状態らしく、私たちを見かけた城の人たちは「これはこれは、ごきげんよう、シュタイン卿」「今日は奥方とご一緒ですか」と丁寧な物腰で挨拶をしてくれた。どれもヴィルがいい感じに対応してくれたので、異世界生活初心者の私はマキシさんに教わったとおりのお辞儀だけして切り抜けることにした。下手に口を開けば、ぼろが出るかもしれないし。
城の人を見ていてその服装からだいたいの職業や身分を察することができたし、ヴィルも歩きながらいろいろと教えてくれた。
最初に私たちに声を掛けてきた帯剣した人は近衛兵で、魔法の才能だけでなく武術にも優れた者でないと就けない職だそうだ。ちなみにあの剣はただの鋼ではなくナントカ石といった鉱石を加工して刃にしているらしく、持ち主の魔力と連動して強力な攻撃を行えるそうだ。も、もしかしなくてもこれは、ファンタジー小説やゲームに出てくる魔法剣というやつでは……!?
きらきらした服を着ている人は、貴族。立派なあごひげを蓄えた人に話しかけられたときには思わずびくっとしてしまったけれど、このときもヴィルがそつなく応対してくれた。聞いたところによると、ヴィルは貴族ではないけれど「魔術研究所のシュタイン卿」ということで敬意を払われる対象になっているそうだ。私の夫、すごい。
そして普段のヴィルやマキシさんたちのようなずろっとしたローブ姿の人は、城仕えの魔術師だという。魔術師の中にもいろいろ部署や序列があるらしく、「おおむね俺に好意的な人が多いけれど、そうじゃない人たちもいるから一応覚えておいて」と言われた。
同じ城仕えの魔術師でも派閥とか権力争い、よく分からないカースト制度みたいなものがあるそうだ……巻き込まれるのは御免だけど、覚えておこう。
……知らない場所にやってきて緊張したのは一瞬のことで、隣を歩くヴィルがいろいろ話題提供してくれる。だから私は肩の力を抜いて王城を歩くことができた。
「お城ってもっと堅苦しい感じだと思っていたんだけど、そんなこともないんだね」
研究所所属だという中年男性に「あとで研究所に顔を出してくれ!」と言われたあとで私が感想を述べると、こっちを向いたヴィルがほんのり微笑んだ。
「……そうだね。当代の陛下の父君である先代陛下の御代から、王城内の雰囲気も変わってきたんだ。先々代陛下の御代は戦乱の時代で、城内や城下町もギスギスした雰囲気だったそうだ」
ほら、とヴィルは私の手を引いて廊下の端に誘った。私たちは話しながら階段を上がってきていたため、ここは地上三階。
ヴィルの隣に立って廊下の手すりに身を乗り出すと、さっきは間近に見えた庭園が眼下に広がっていた。そうして初めて私は、庭園の草木が迷路を作るように植えられていることに気づいた。上空からだと、木々が不思議な模様を描くように配置されているのがはっきり見える。
「ここ、きれいな庭だよね? でもこのあたりも五十年くらい前は一面の練兵場で、戦時中は戦傷兵を治療する即席の救護場所になった。フローシュ王国も一度だけ、王城前まで攻め込まれたことがあったらしいんだ」
ヴィルは静かな口調で言葉を紡ぐ。
彼の視線は私ではなく眼下の庭園に向けられていて、緊張しているかのように少しだけその薄い唇が引き結ばれている。
「幸い、俺が生まれてからはフローシュ王国も派手な戦争はしていない。それでも毎日のようにあちこちで小競り合いは起きているし、同盟国が侵略されればうちも兵や魔法器具を送り込まなければならない。……実はね、俺は学院卒業後の進路として、いろいろな部署からスカウトを受けたんだけど……その中に前線戦闘部署と兵器開発部署もあったんだ」
前線戦闘と、兵器開発。
私は弾かれたように顔を上げた。
隣に立つヴィルはいつの間にか私の方に視線を向けていて、その澄んだブルーの鏡面に私の顔が小さく映り込んでいるのが分かる。
「俺はどの属性の魔法もまんべんなく使えたし、コントロール力も生まれつき高かった。その気になればどの部署に入ることもできたんだけど……俺はあえて、給料は低いし『ダサい』と言われる研究部署に入った。結構いろいろ言われたよ。根性なしとか、臆病者とか、才能の無駄遣いとか」
「何それ!」
思わず私は声を上げてしまった。ちょうど近くを通ったふわっとしたドレス姿の貴婦人が驚いたようにこっちを見たので、連射しそうになった大声を一旦胃の中まで戻し、可能な限り声量を抑えて言葉を続ける。
「……ヴィルは自分の判断で研究部署を選んだのでしょう? それに……ヴィルには目標があるんだし」
「うん。君のおかげで気づけた、俺が本当にしたかったことだよ」
「だったら、他の人にとやかく言われる筋合いないよね? ヴィルは……後悔していないんだよね?」
していないよ、という言葉を引き出したかったからか、私の言葉はかなり焦っていたし、途中で舌を噛みそうになった。
期待通りの言葉がほしかった。
それは、彼が自分の選んだ道を後悔してほしくないからであり――同時に、彼を変えるきっかけになった私との出会いを否定してほしくなかったから。
「おまえがいなければ」という言葉を聞きたくなかったからという、私のエゴ。
ヴィルはほんの少し目を見開くと、私の右手を握る手に少しだけ力を込めた。私の手は肉付きがよくて小さくヴィルの手は骨張っていて大きいので、私の手の甲にヴィルの指先がめり込んでしまってちょっと痛いけれど、やめてほしいとか嫌だとかは思わない。
「後悔なんてしていないよ。兵器じゃなくて、皆が平等に生活できるための製品を作る。人を殺すためじゃなくて、誰かを守るために魔力を使う。……俺が望んでいるのはこれだったんだ。君のせいで俺が変わったんじゃなくて、君のおかげで俺は自分がほしかったものに気づけた。そう思っているよ」
静かな声で、それでいて確固とした意志をもって告げられると……ああ、だめだ。
ヴィルには、私の胸の奥で澱のように濁っていた醜い感情もお見通しだったみたいだ。ヴィルを否定されるのは嫌だけれど、それ以上に自分の存在を否定されたくないという、我が儘で自分本位な感情。
でもヴィルはそれに気づいても、詰ったりわざわざそれを突いてきたりしない。
私の感情もまるっと受け入れ、彼の信じることを素直に言葉にしてくれる。
……ヴィルには、敵いそうにない。
もしかしたら――記憶にはないけれど、子どもの頃の私も同じような感情を抱いたのかも。だから、彼に贈られた指輪を受け取ったのかもしれないな。
「……ありがとう、ヴィル」
「俺、何かお礼を言われることを言ったかな? ……まあ、いいや。じゃ、そろそろいい時間だし謁見の間に行こう。陛下は甘党でね、いつもおいしいお菓子を準備してくださるんだ。きっと冴香も気に入ると思うよ」
ヴィルは微笑み、私の手を引っ張った。
……彼の手の力は、さっきほど強くなくなっていた。
謁見の間、というと天井が高いドーム型で壁にはピラピラした布みたいなものが垂れ下がっていて、レッドカーペットの道を歩き階段を上がった先に玉座が待ちかまえている――というのを想像していたのだけれど、この世界の謁見の間は広めの応接間といった感じの場所だった。
天井はむしろ低めで、シャンデリアも小さいので掃除がしやすそうだ、と思ってしまう私はどこまでも庶民脳だった。
ソファに並んで座る私たちの前のガラステーブルには、たくさんのお菓子がこんもりと盛られていた。中には屋敷でバイロンさんたちが子どもたちのために作っていたお菓子みたいなものもあったけれど、ほとんどは見たことのないお菓子だった。
蒸しパンもどき、カヌレもどき、マドレーヌもどきの見た目をしているけれど、味が想定外であることは容易に想像できる。なんてったって、異世界だし。
……そんな山盛りスイーツのさらに向こうには、ほくほくの笑顔でクッキーもどきを食べる男性の姿が。
「そんな緊張した顔をせずに、どんどん食べてくれ。……奥方はどのような菓子が好みかな? すぐに準備するから、言いなさい」
「あ、あぅんがとうございます!」
……緊張と驚きで、変な返事になってしまった。おまけに舌を噛んだ。
私たちの向かいの席でお菓子をほおばるのは、フローシュ王国の国王陛下。なんとなく三十代くらいを予想していたのだけれど、目の前にいる人はどう高く見積もっても二十代前半。いや、この世界の基準を考慮すると、まだ十代かもしれない。
若き国王陛下は侍女から受け取ったハンカチで口元を拭い、小さく首を傾げた。
「奥方は茶すら飲んでいないではないか。どうした、この世界の茶は口に合わないか?」
「い、いえ……そんなことはございません」
……陛下に気遣われてしまって思わず否定したけれど、すみません。さっき一口だけ飲んだのだけれど、目の前が一瞬真っ白になるくらい酷い味でした。
私の舌はこの世界基準だとかなり肥えている方らしく、しかも味付けが生理的に受け付けられない料理や食材もたびたびあった。最近はバイロンさんたちが気を遣っていろいろ工夫してくれているけれど、この世界のお茶だけはどうにも胃が受け付けられず、マキシさんがブレンドしてくれたものじゃないと飲めなかった。
地球と同じく茶葉を蒸らしたりして飲むそうだけれど、どれもこれも例に漏れず不味い。そういうことで私はヴィルたちが「茶」を呼ぶものには基本手をつけず、果物のジュースを主な水分摂取方法にしていた。
「……ああ、そうだ。冴香は俺たちが飲む茶が苦手らしい。悪いけれど、ケルクの絞り汁のジュースでも準備してくれないか」
隣に座って黙ってお茶を飲んでいたヴィルはそのことに気づいたようで、おどおどする私に代わって陛下に言ってくれる。
すると陛下は目を丸くし、すんなりと細い眉をきゅっと寄せた。
「なんと……そうだったのか。先に聞いておかず、すまない。……すぐにケルクのジュースを準備してくれ。あと、摘みたてのケルクの実があれば剥いて持ってきてくれ」
「あの……すみません、陛下」
「気にしないでくれ。客人をもてなすのも私たちの役目だ。他に何かあれば遠慮なく言いなさい」
私が詫びると、侍女に指示を出した陛下がからっと笑った。お菓子を食べているときはちょっと幼く見える風貌だったけれど、笑顔は少しだけ大人びて見えた。本当に、年齢不詳だな……。
そういうわけで私は山のように盛られたお菓子の中から、ヴィルのアドバイスを受けていくつかよそってもらった。間もなく侍女が持ってきてくれたケルクのジュースは甘くておいしい。皿に載って差し出されたケルクの実は見た目はライチで、果実の味は酸っぱさ控えめのイチゴだったので、私が警戒することなく食べられる食材の一つだ。ちなみに、味はイチゴ、皮を剥いた見た目はライチだけどジュースはどことなく紫色っぽい。
「そうそう、ヴィルフリートには言ったのだが奥方には直接言っていなかったな。……結婚、おめでとう」
「ありがとうございます、陛下」
陛下がゆったりとした口調で言ったので、私は膝の上に両手を重ねてお辞儀をした。
陛下は私を見て微笑み、顔を上げるよう告げた。
「それにしても、あのヴィルフリートがいきなり結婚すると聞いたときには驚いた。奥方がこちらの世界にやってきてその日に求婚、挙式だったか。奥方の魂を繋ぎ止めるためとはいえ、一日で全てをこなすとはなかなかやるな」
……改めて考えると、当時の私はずっとぼんやりしていたからあまり記憶になかったけれど、プロポーズと挙式を全部一日で制覇してしまったのか……メロスもびっくりのスピード婚だな。
ちらっと隣に視線をやると、お茶を飲んでいたヴィルと視線がぶつかった。彼は私を見るとふわっと微笑み、空いている方の手で私の腰をさりげなく抱き寄せてきた。彼のなすがままにしているから、私の体はヴィルの肩に寄り掛かる形になる。
「どうしても、やっと再会できた冴香を手放したくなかったのです。……冴香、陛下には俺たちのなれそめも君の記憶がないことも、全部教えているんだ」
ヴィルの言葉に私は頷く。これは前日、陛下との謁見前の打ち合わせということでマキシさんを交えて話をした中で既に出てきていたことだから、今さら驚かない。
※注
「メロスもびっくり」……「走れメロス」でメロスは3日で町に戻るため妹の結婚式を行うにあたり、夜から花婿を説得し、明け方に説き伏せ、その日の昼に挙式というとんでもなく迷惑な強行軍を実行した。