23 誘ってません。ええ、決して
「それじゃあ、行こうか。今日は冴香のために、転移魔法陣と同じ効果のある魔石を準備したんだ。だからすぐに城に着けるよ」
そう言ってヴィルはマキシさんから小さな箱を受け取り、私が中を見られるように傾けて蓋を開いた。
箱の底、白い布の台座には、親指の爪ほどの大きさの石――魔石が収められている。きらきらしていてきれいだけど、何色、とも言えない微妙な色合いをしていた。きっと、いろいろな種類の魔力が込められているんだろう。一個いくらぐらいするのかな……。
「じゃあ、行ってくる。用が済んだらすぐに戻る予定だから、それまでの間は屋敷のことを、頼む」
ヴィルにそう言われたマキシさんは頷き、続いて私を見てきた。
「サエカ様。国王陛下は寛容なお方で、ヴィルフリートの研究や信念にも理解を示してくださっています。ですので肩肘を張る必要はありませんし、ありのままのあなたをお見せすることが一番だと思います」
……あらら、さっきフローラたちと話していたことも、私が不安に思っていたことも、マキシさんにはお見通しだったみたいだ。
マキシさんの言葉に、ヴィルも大きく頷いた。
「マックスの言うとおり、冴香は冴香らしく振る舞えばいいよ。冴香の国と違ってうちは礼法とかそれほど厳しくないし、マックスたちから教わっていた最低限のことさえできれば大丈夫だからね」
私はマキシさんたち屋敷の大人から、このフローシュ王国における最低限の教養を教わっていた。異世界の作法ってどんなものなんだろう……と最初はびくびくだったけど、「目上の人と会うときには全国共通のお辞儀をする」「敬語を使って喋る」といった程度だった。
私はヴィルのおかげでこの世界の言葉が難なく喋れたし、お辞儀も日本のお辞儀と大差なかったので新しく覚えることはほとんどなかった。テーブルマナーにおいては地球の方が厳しいくらいで、「これくらいできれば、城に行っても問題ないでしょう」とマキシ大先生から太鼓判を押されていた。
そうして私はマキシさんに見守られる中、ヴィルの手招きに応じて彼の腕に触れた。あの箱の中に入っていた魔石を使うのは魔術師であるヴィルで、私は転移途中に彼と離ればなれにならないことだけ念頭に置いていればいいらしい。
「しっかり掴まっていてね、冴香。転移途中で離れたら、異次元の彼方に放り出されちゃうかもしれないから」
「さらっと怖いことを言うのね」
「うん、でももしそうなってもすぐに俺が君を助けに行くから」
「……さらっと殺し文句も言うのね」
「何が?」
「ううん、何でもない」
二言目は小声でつぶやくだけだったからか、ヴィルの耳には届かなかったようだ。届かなかったのなら、それでいい。
ヴィルは「しっかり掴まっていてね」と言ったものの、空いている方の腕を私の腰に伸ばして自分の方からしっかりと私を抱きしめてきた。
結構……近いね。うん、でも、これは転移途中に離ればなれにならないため、ヴィルの気遣いだ。
彼に抱き寄せられ胸板に手のひらをあてがうと、男の人らしいその硬さがダイレクトに伝わってきて……な、なんだか顔が熱くなってくる。
そうしている間に、ヴィルは箱から取り出した魔石を私を抱えていない方の手で取り、ぽんっと中に放った――
「うわっ!?」
「大丈夫だった、冴香?」
思わず声を上げると、すぐにヴィルが振り返った。
私は心配そうな顔の彼に「大丈夫」と言い――ぐるっとあたりを見回し、思わず感嘆のため息をついてしまった。
ヴィルが魔石を放り投げた直後、私たちはリリズの町にある屋敷から、壁に壮麗な文様の施された小部屋に移動していた。全体が白と金色で染められた小部屋はサイコロの中にいるかのようなきれいな立方体で、そこに流れる空気の匂いが、視線の先にあるドアの向こうから漂う気配が、ここが屋敷から遠く離れた場所であることを示していた。
「……もう移動したの?」
「うん、ちゃんと転移用の部屋に移動できたし、これは優秀な魔石だ」
ヴィルは手の中の魔石をしばし見つめたあと、ポケットに入れた。そして私の手を引き、ドアの方に向かう。
「ここは王城の端っこにある転移用の小部屋で、俺たちが転移魔法陣やさっきみたいに魔石を使って王城に来るときにはこの部屋を目的地に定めるよういろいろ設定されているんだ。……で、ここを出たら王城の廊下だ。ちょっと歩くけれど、大丈夫かな?」
「うん、ヴィルが歩きやすい靴を準備してくれたからね。ありがとう」
そう言って私はスカートの裾をちょっと摘んで新しいブーツを見せた。
今日のためにヴィルが取り寄せてくれた脹ら脛丈のブーツは柔らかい素材でできている。そのため足場の悪い道を長時間歩くのには向いていないけれど、王城の廊下のようにきれいに掃除された平坦な道を歩くのに適している。モカベージュの落ち着いた色合いだけれど、側面に付いている花を模したワンポイントが可愛いので気に入っている。私の夫はセンスもいいみたいだ。
……私は「素敵な靴をありがとう」という意味でブーツを見せたのだけれど、ヴィルの反応は予想外だった。
彼は目を見開くと私の足下を凝視し、そしてこほんっと控えめな咳払いをして苦笑した。
「いや、どういたしまして。……びっくりした。こんなところで誘われているのかと……」
「何の話?」
「何でもないよ。それじゃ、行こう」
ヴィルは何か言いたそうだったけれど、はぐらかされてしまった。
気にはなるけれど、はぐらかすくらいならそこまでたいしたことじゃないんだろうな。まずは、国王陛下に会うときに行儀良くできるよう心がけないとね!
あとになって私はフローラやアンネに、このときのヴィルの反応について相談した。そして彼女らから、「妻が夫の前でスカートの裾を持ち上げて靴を見せるのは、『早くこれを脱がしてベッドに連れて行って』というアピールになる」ということを教わり、羞恥のあまり享年二十四歳にて死亡するかと思ったのである。
小部屋を出た先は、やたら幅が広い廊下だった。どうやらここは地上一階のようで、開放廊下を横断した先に午後の日差しを浴びて柔く輝く庭園が見えた。
王城、というから静謐でちょっとだけ堅苦しい雰囲気の場所かと思ったのだけれど、庭園では若い女性陣が散歩しているようではしゃいだ笑い声が響き、やたら天井の高い廊下にこだましている。
私たちの姿を見て、廊下の脇に立っていた男性が近づいてきた。青地に銀色のラインの入った制服はヴィルたち魔術師とはまったく意匠が異なっていて、しかも腰には鞘に収まった剣が下げられていた。
うわぁ、さすがファンタジー世界。日本だったら銃刀法違反で即逮捕されそうな立派な剣、思わずまじまじと見てしまった。
剣を凝視する私をよそに、男性はお辞儀をした。
「お疲れ様です、シュタイン卿。本日は奥方と謁見でございましたか」
「そうだ。道案内は結構だから、俺が来たことだけ伝えてくれ」
「かしこまりました」
男性はヴィルの言葉に頷き、懐から小さな笛のようなものを出した。それをくわえて息を吹き込んだようだけど、微かな風の音がするだけだった。
「……あれも魔法器具?」
気になったのでヴィルの袖を引っ張って小声で尋ねると、ヴィルは嫌な顔一つせず私の方に少し体を傾けて頷いた。
「そうだよ。あれはうちにあるものと違って国印――商品化することを国が定めた印が取られている。国印を持つ魔法器具は国がいろいろな保証をしてくれるけれど、個人での複製や改造が禁止されている。禁止行為を行った際は、保証が一切ないことになっているんだ」
つまり、その国印というのが特許みたいなものかな。
国印のあるものはお金を出せば誰もが手に入れられるけれど、勝手に複製したり改造したりして困ったことになっても責任は取ってくれない。
一方、屋敷やリリズの町にあったような魔法器具はヴィルが独自に開発したものだから、責任は国ではなくヴィルにあるってことか。
「あの笛は俺たちには音が聞こえないけれど、陛下の部屋にあるセンサーが反応して音を鳴らしてくれているんだ。……到着は知らせているし、面会の時間までまだ余裕はある。ゆっくり行こうか」
そう言い、ヴィルは自然な動作で手を差し出してきた。
……屋敷の中では少しずつ手を繋いだり身を寄せ合ったりといったスキンシップを取るよう心がけているけれど、外でやるのはやっぱり緊張するし、恥ずかしい。マキシさんたちは身内だから見られていてもそれほど気にならないけれど、赤の他人に見られるのは……やっぱり、ね?
でも、私たちは「運命的な出会いと再会を果たしたラブラブカップル」ということになっているんだ。だから手を繋いで歩くのも当然だろうし、妻である私がそれを拒めばヴィルの立場が悪くなるのは目に見えている。
だから私が迷ったのはほんの数秒で、すぐに手を伸ばしてヴィルの手に自分の手を重ねた。
ヴィルはほっとしたように息をつき、そうっと優しく私の手を握り、指を絡めてくる。
「……ありがとう、冴香」
小声で告げられたそのお礼の言葉は、少しだけ震えているように思われた。




