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22 王子様と妖精

 今日は数名の大人たちが外泊するそうなので、食事の量はいつもより少しだけ少なめだった。


「サエカ様、例のアレはこちらに」


 厨房で子どもたちと一緒に皿運びをしていると、バイロンさんがそっと耳打ちしてきた。彼がミトンを嵌めた手で持っている陶器の容器を見、私は思わず笑みを零してしまう。


「ええ、ありがとう。……ヴィル、喜んでくれるかな」

「間違いなく、喜びます。このバイロンが保証しますとも」


 私に容器を渡して自分の胸をどんと叩くバイロンさんは、とても頼りがいがある。そして周りでご飯の準備をしていた子どもたちも、「絶対うまくいくよ!」「なんてったって、特別ですからね!」と太鼓判を押してくれていた。


 私はドキドキしながら、バイロンさんから受け取った容器を持って食堂に向かった。布製のミトン越しにも容器の熱さと中身の重みを感じる。ふんわりと漂う乳製品の香り。……きっと、喜んでくれる。


 食堂では既に夕食の準備が整っていて、私たち以外の人たちはもう席に着いていた。いつもなら「どこに座る?」と子どもたちに聞かれるんだけれど、今日は誰も何も言わず、私もごく自然な動作でヴィルの正面に立った。


「ヴィル、お仕事お疲れ様。……これ、ヴィル専用だよ」

「俺専用?」


 仕事用のコートからラフな部屋着に着替えたヴィルが首を傾げ、隣の席のマキシさんと視線を合わせる。でもマキシさんはヴィルより敏感に何かを感じ取ってくれたようで、我関せずとばかりにすいっと視線を逸らしてくれた。

 ナイス判断、マキシさん。


 私はヴィルの前に容器を置くとミトンを外し、彼の隣に座った。


「さ、蓋を開けて」

「……分かった」


 ヴィルは不思議そうな顔をしながらも、私が外したミトンの片方を右手に嵌めると容器の蓋を持ち上げ――あっ、と声を上げた。


「……ぐら、たん?」


 彼の唇から、ため息のような声が漏れた。

 陶器の容器に入っていたのは、グラタン――私の手作りだ。


 今日、一通りの家事を教わった私はバイロンさんと話をしていて、「ヴィルフリートはぐらたんというものを食べたがっていた」ということを教わった。どうやら私が桜の木の下に持ってきていたお弁当の中に、冷凍食品のグラタンがあったらしい。それっぽい料理はこの世界にもあるけれど、私がおいしそうに食べていたグラタンなるものがずっと気になっていたそうだ。


 バイロンさんに相談したところ、ちょうどいい食材があった。だから私は急遽夕食作りに参加し、ヴィル一人用のグラタンを作ることにしたんだ。


 バイロンさんや子どもたちは皆協力してくれて、「ヴィルフリート様をびっくりさせよう」ということになった。「サエカ様手製のぐらたんを最初に食べるのはヴィルフリートであるべきだ」という意見が上がったので、皆に味見は頼まなかった。

 ……さっきマキシさんも言っていたけれど、ヴィルは私関連になると嫉妬をまき散らすみたいだから、他人が味見をすべきではないというバイロンさんたちの考えは正しかったみたいだ。


 この世界に昔から存在するグラタン似の料理も、ミルクやポテト、バター、小麦粉を使うけれど、マカロニを入れるという発想はなかったようだ。たぶん私がかつて食べていたグラタンにもマカロニが入っているはずだということで、貯蔵庫にあった太めのパスタを刻んで入れたんだけど……。


 ヴィルは、湯気を上げるグラタンをじっと見つめていた。バイロンさんたちに教わりながら作ったから、表面はほんのり焦げていて中の鶏肉とかにもしっかり火が通っているはず。

 おいしくないことは……ないと思うけれど。


「あの……ヴィル?」

「これ、冴香が作ってくれたの? 俺のために?」

「うん、ヴィルがグラタンを食べたがっているって聞いたから。……といっても、これがヴィルの想定していたグラタンかどうかは分からないけれど……」

「君がかつて食べていたぐらたんはこれより小さかったけれど……でも、見た目はそっくりだ。あの、食べてもいい?」

「もちろん。……一応二人前で作ったから、一緒に分けて食べよう?」

「そうだね。俺が分けていい?」

「うん、どうぞ」


 私はテーブルに置いていた箱から大きめのスプーン兼フォークを取り、ヴィルに渡した。グラタンを楽しみにしていたのはヴィルだから、切り分けるのは彼に任せた方がいいだろう。

 ヴィルはしばらくの間あちこちの角度からまじまじとグラタンを見ていたけれど、「冷めちゃうよ」と私が指摘するとようやく、表面にそっとスプーンを差し込んだ。


 さくっ、とろっ、と表面が割れ、スプーンの先がパスタを掘り出す。うん、ちゃんと火も通っているみたいだな。


「……冴香が食べていたぐらたんにも、こんな形のパスタが入っていた」

「よかった、正解だったみたいだね」

「……冴香、皿をちょうだい」


 どこか緊張した面持ちでグラタンを取り分けるヴィルは……なんだかすごく可愛い。

 黙っていると大人びているのに、今は目をきらきらさせてチーズの伸びるグラタンを見つめているのがちょっと子どもっぽくて、見守っているとついつい頬が緩んでくる。


「それじゃあ、ありがたくいただきます」

「いただきます」


 この世界で共通しているという食前の祈りを捧げ、私たちは早速グラタンにフォークを差し込み、一口味わう。

 ……よかった、おいしくできている。


「ヴィル、どう?」


 隣を窺うと、ヴィルは黙ってグラタンを咀嚼していた。その眼差しが思いの外真剣で、私もついつい気を引き締めて彼の反応を待ってしまう。


「……その」

「うん」

「すごく、おいしい。似たような料理はたくさんあるけど、冴香が作ってくれたんだし……それにドーナッツと同じで、これが四年前、どんなに渇望しても触れられない、匂いを嗅げない、味わえないものだったと思うと……」


 彼は一旦言葉を切り、あとは黙ってすごい勢いでグラタンを平らげてしまった。


「ごちそうさま。……ありがとう、冴香」

「どういたしまして。……もし何かリクエストがあったら、できる限り作ってみるからね」


 最低限の料理はできるけれど、さすがにテリーヌとかミートローフといった洒落たものをレシピなしに作るのは難しい。でも過去の私がそんなおしゃれなものを桜の木の下に持っていったとは思えないから、たいていのリクエストには応えられるはず。


 そう申し出ると、茶を飲んでいたヴィルが目を丸くする。そして彼は目尻を垂らして頬をほんのり赤く染め、隣に座る私の手を遠慮がちに握ってきた。


「……ありがとう。君が料理を作ってくれるなんて、今でもなんだか夢みたいだ。君の負担にならない程度でいいから、たまにはこうして料理をつくってほしいな。……いい?」

「もちろん!」


 一日中屋敷にいてもすることは限られるし、これくらいならお手の物だ。

 少しでも私にできることができれば、嬉しい。


 ……ヴィルがいない間、胸の奥に感じていた空白は、いつの間にか柔らかく温かいもので満たされていた。











「……これ、変じゃない?」

「とってもお似合いですよ、サエカ様」

「サエカ様、とってもきれい!」


 私の周りでは、フローラを始めとした女の子たちがはしゃいだ声を上げていた。

 彼女らにべた褒めされた私は改めて、正面の大きな鏡を覗き込む。


 縁に豪奢な装飾が施された楕円形の鏡には、柔らかな黄色のドレスを纏う私の姿が映っていた。

 確か……バッスルスタイル、って言ったかな? スカートのお尻のあたりに布を詰めているので、腰を捻るとちょっとだけお尻が出っ張ったような形になっているのが分かる。


 レモンシャーベットのような色合いのドレスは全体的につるつるとした手触りで、胸から腰にかけてはぴったりと肌に沿い、スカート部分はふわっと柔らかく足首まで覆うデザインになっていた。

 胸元はビスチェタイプなので鎖骨や形のラインが丸出しだ。最初はこのデザインにちょっと異を唱えたんだけど、「こんなものです」とフローラに一蹴されてしまった。


「サエカ様の世界でどうだったのかは存じませんが、フローシュ王国の女性は足さえしっかり覆っていればあとは少々ポロッといってもいいくらいですよ」

「ポロッとって……」


 相変わらず、この十三歳の少女は計り知れない。


 今日、私はヴィルと一緒に王城に行く。国王陛下への挨拶に参るためだ。

 ヴィルは今日のため、私用のドレスを取り寄せてくれていた。私はこの世界の常識やファッションに疎いので、デザインはほぼヴィルに丸任せにした。そうして驚くべき速さでドレスが届いたのだけど……。


 この世界の人間はおしなべて、日本人より大柄だ。バイロンさんたちやリリズの町の人たちを見る限り、男性だと二メートル越えの人もわりといそうだし、女性でも百七十センチくらいが平均身長になるらしい。

 約百六十五センチの私はもうすぐフローラにも身長を抜かれそうだし、推定百八十センチくらいのヴィルと目線を合わせようと思ったらかなり喉を反らす必要がある。


 そして――必然的に、身長の差は体格の差も生み出す。

 まあ、簡単に言うと、この国の女性陣のために誂えられたドレスは胸と腰、お尻の大きさが私とは合わないんだ!


「別にいいじゃないですか? ちゃんと仕立屋さんに寸法を測ってもらったのですし、ぴったりでしょう?」

「う、うん。それはそうなんだけど……」


 ヴィルが選んでくれたこのレモンイエローのドレスは、屋敷までわざわざ仕立屋さんが既製品を持って来て、寸法などを測ってくれたので私の体にぴったりだ。

 でもそのときの仕立屋さん曰く、私の身長で寸法を合わせたとしても、胸と尻のサイズの調節が必要になるらしい。私はこの国の身長百六十五センチの女性より胸が小さく、脚が短く、尻が大きいらしい。

 ……ああ、そういえば私のことを貧乳扱いした巨乳子がいたっけ! 今頃たかぴぃと仲よくやってるのかしらね、ハハッ!


 とはいえドレスはぴったりサイズにしてもらったし、他の女性より胸が小さかろうが脚が短かろうが、ヴィルは何も言わない……と思う。そう、たとえ私の髪のセットをしてくれているフローラの方が大人っぽい体つきをしていたとしても!


 フローラたちは私の髪をちょっと複雑な形に結ってくれた。フローラやアンネ、マヤたち年長の女の子は年少者のお世話をしてきているから、可愛い編み込みとかも習得しているそうだ。私より女子力高い。


 フローラに化粧もしてもらい、私はすとんと椅子に腰を下ろした。まだ支度をしただけなのに、体がすごく疲労している。


「……私、やっていけるのかな」

「心配ですか?」

「うん……だって、これから私たちが会うのは王様でしょう? 王様に会うなんて、昔だと考えられなかったもの」


 そもそも日本に王様はいない。総理大臣なら偶然本人を見かけたことがあるけれど、王様レベルなんて私のような元庶民がお目もじ叶うはずがない。

 それもこれも、ヴィルがシュタイン卿と呼ばれるほどの偉い人だから。私はヴィルの付属品だ。付属品なら付属品らしく、ヴィルの邪魔だけはしないよう、そしてヴィルの迷惑にはならないよう、大人しくしているべき……だよね? どうなんだろう?


 そんなことをフローラたちと話していると、支度を終えたらしいヴィルがマキシさんを伴ってやってきた。フローラたちは席を立ち、「それでは、行ってらっしゃいませ」と言ってヴィルたちと入れ替わりに部屋を出ていった。


 今日のヴィルはクリーム色のベストと白のスラックス姿で、のど元には縁に金色の刺繍が施されたスカーフを小粋に巻いていた。国王陛下への挨拶も仕事の一環であると捉えているからか、普段仕事に行くときと同じ白いコートを着ている。


 彼は私を見るとブルーの目をほんの少し見開き、じっとこっちを凝視してきた。かなり熱の籠もった視線を注がれてちょっと気恥ずかしくなるけれどじっと我慢し、私は剥き出しの鎖骨付近にそっと手をあてがった。

 ヴィルが来てから、このあたりからバクバクと心臓の音が鳴り響いてやかましいっちゃありゃしない。


「……えっと、ドレス、どうかな?」

「黄色だ」

「お、おう」


 いや、確かに不意打ち質問だったかもしれないけど……。いくら不意打ちだとしても、中学基礎英語の「これは何ですか?」「これはペンです」みたいな会話を求めていたわけじゃなかったけれど……。


 すかさず、ヴィルの隣にいたマキシさんがぱしっと音を立ててヴィルの背中を張った。うわぁ、痛そうな音。


「ヴィルフリート、それが着飾った奥方に贈る言葉ですか」

「いや、その……ごめん、冴香。いろいろ言いたいことはあったのに、いざ君に聞かれたら頭の中が空っぽになって……変なこと言っちゃった。ごめん」

「う、ううん、いいんだよ」


 マキシさんにやんわり叱られたヴィルが殊勝な態度で謝ってくる。

 私が急ぎ彼をなだめるとヴィルは顔を起こし、ほっとしたように微笑んだ。


「……ありがとう、冴香。今日の君は……とても可愛いよ。春の花畑に舞い降りた妖精みたいだ」

「ちんちくりんな妖精で本当にすみません」

「どこが? 冴香はいつも可愛いし、絵本に出てくる妖精みたいにきらきらしている。……そのドレス、きっと冴香に似合うと思ってオーダーしたんだけど、予想通りだったね」


 ヴィルはさっきまでのしどろもどろな態度はどこへやってしまったのか、王子様のように柔らかくも余裕のある笑みを浮かべてそっと私の右手を取った。

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